キョスニムのホームステイ
8月12日(日)
「キョスニム(教授様)」というのは、韓国ではたいそう緊張する存在らしい。
「当初は、語学院の先生たちがみな、緊張していたんですよ」夕方、ヒョンブの家に向かう車中で、ナム先生が言う。「日本からキョスニムが韓国語を勉強しに来たけど、どうやって扱ったらいいだろうって」
「そうだったんですか?」
「ええ、私も、大学時代のキョスニムと話すときはとても緊張しますから。大学の勉強よりも、キョスニムと話をすることの方が、気が重かったですからね。最初はそのイメージがあったから、キョスニム(私)の前では、緊張していたんですよ」
ナム先生は「답답하다」という言葉を使った。「気が重い」とか、そういった意味の言葉である。韓国の大学では、教授と学生の間には、日本では考えられないくらいの権力関係が存在しているのだ。学生が教授に気安く話すことなど、絶対にできないのだ。
「こんな話を聞いたことがありますよ」とヒョンブ。「教授が学会に出張するため、家を留守にすることがあったんです。そのとき大学院生が呼び出されて、教授の留守のあいだ、教授の家で飼っている犬の世話をするように言われたそうです」
「へえ」まるで落語家とその弟子のような話である。
「まあ、極端な例ですけどね…。でもキョスニム(私のこと)を見ていると、学生との距離は近いし、学生も気安く話しかけてきますよね。日本のキョスニムは、みんなそうなんですか?」
「さあ…。私は『非主流』ですから」一同が笑った。
私は、この「非主流」という言葉が好きで、韓国滞在中もしばしばこの言葉を使って自分のことを説明した。「異端」という意味で使っているのだが、韓国では「非主流」という言葉の方がなじみがある言葉らしかった。
ヒョンブの家に到着した。
「さあ、約束のサムギョプサルを食べましょう。韓国では、友達みんなでわいわい食べるときはお店に行くけど、時間を気にせずにじっくり話ながら食べるときは家でするんです」
食べながら、いろいろと話をする。
ヒョンブは私より10歳ほど年下の、誠実で純粋な青年である。たいへんな読書家で、読んだ本のブックレビューを、ブログに頻繁に載せている。それもかなり長い文章である。そのへんが、なんとなく私とよく似ている。このときも、自分が読んだ本のことを、熱っぽく語っていた。
「オンニ(姉ちゃん)!ギターを弾いてよ」とナム先生。ナム先生のオンニは、ギターが得意らしい。
オンニが弾いた曲は、「버스커 버스커(Busker Busker)」というグループの「여수 밤바다(麗水(ヨス)の夜の海」という曲だった。「麗水(ヨス)」とは、韓国南端の、海岸沿いの町である。
ナム先生とヒョンブが、オンニのギターに合わせて歌う。とても素朴な歌だった。
「フォーク音楽ですね。むかしの歌ですか?」
「いえ、最近の歌ですよ。大学生のグループで、オーディション番組から出てきたんです」
「最近にしてはめずらしいですね、フォークなんて」
「でしょう。今はダンス音楽みたいな、どれも同じ曲調のものばかりだから、逆に新鮮なのかもしれません。なにより、歌詞が素朴でいいんです。いまとても人気があるグループなんですよ」
次に、ヒョンブの演奏である。
「じゃあ今度は、僕が好きなキム・グァンソクの歌を」
そう言って、キム・グァンソクの「일어나(立ち上がれ)」という曲を弾き語りした。長渕剛っぽい歌である。というか、長渕剛がこの歌を歌ったとしても全然違和感のない歌である。
続いて、同じキム・グァンソクの「먼지가 되어(埃になって)」という歌。ヒョンブはキム・グァンソクの歌の中でこの歌がいちばん好きだという。
どちらもメチャクチャ上手かった。やっぱり、ギターを弾けるっていいなあ。
そうこうしているうちに、夜11時を過ぎた。
ナム先生とオンニは、近くにあるお二人のご実家に戻った。
ヒョンブと二人で話をする。
「キョスニム」
「はい」
「キョスニムは、僕が知っているただ1人の日本人です」
「そうですか」
「昨年、キョスニムにお会いするまで、日本のこと、とくに関心がなかったんですよ。本やテレビから得た知識しかなかったんです。でもキョスニムは、僕が本で読んだりテレビで見たりしてイメージしていた日本人とは、ぜんぜん違っていたんです。日本に対するイメージが変わりました。それで日本のことを、もっともっと知りたいと思うようになったんです」
「でも私、『非主流』ですから」と私は冗談めかして言った。
だがそれは、本当のことである。私のような考え方は、たぶん日本では非主流だろうな、と、いつも思う。現に私は、周辺にいる人びとや学生たちに対してさえ、韓国に対する自分の思いを正確に理解してもらうことができないのだ。その無力さを、いつも感じていた。
「韓国に『因縁』という言葉がありますね」と私。「因縁」は、韓国人が好きな言葉である。
「はい、あります。キョスニムとこうして知り合えたのも、まさに『因縁』ですよね。ほんとうに、不思議な『因縁』です」
気がつくと1時近くになっていた。「さあもう休みましょう。明日も朝早いですから」
翌朝(13日)。
私は朝9時のバスで釜山空港に向かうことになっていた。
朝7時過ぎ、ナム先生とオンニがやってきて、4人で一緒に朝食をとる。
8時。慌ただしく準備して、ヒョンブの車でバスターミナルに向かう。ちょうど出勤時間と重なっていたため、道路は渋滞していた。
車中でナム先生が私に言う。
「キョスニム。実は私、この9月から博士課程に進むことにしたんですよ」
「語学院の先生をしながらですか?」
「そうです」
「語学院で仕事をしながらだと、大変ですね」実際、語学院での仕事がハードであることは、私もよく知っていた。
「実はキョスニムが韓国で勉強されていたときも、語学院で教えながら、修士課程の学生をしていたんです」
「そうだったんですか。ちっとも知りませんでした」
「この仕事、いつまで続けられるか、わからないでしょう。だから、博士課程に進んだほうがいいかなあ、と思って。で、決心したんです」
「私もそう思います」たしかに語学院の教師という仕事は、先の見えない仕事である。
「本当のことを言うと、あまり気が進まないんです。元来勉強があまり好きではないし、それに、博士課程に進むと、教授とかほかの大学院生たちとの人間関係についても気が重いことばかりだし…。勉強そのものよりも、どちらかといえばそちらの方が気が進まない理由ですね」
教授や他の大学院生との人間関係に、やはり悩まされることになるらしい。
「私のまわりの友だちが、結婚したり、子供を育てたりしているのに、私だけ何にも変わっていないんですよ。私も、少しでも前に進もうと思って、それで博士課程に進もうかなあ、と思ったんです」
ナム先生もやはり、韓国の『結婚適齢期』の独身女性が持っている共通の悩みを抱えていた。
「ナム先生」
「はい」
「『天職』って言葉、韓国にもありますか?」
「ええ、あります。天が与えてくれた、自分にいちばん合った職業のことでしょう」
「私が見たところ、韓国語を教えることは、先生の『天職』ですよ。少しでも息長くこの仕事を続けていくためには、博士課程に進むべきです」
「天職!そうですか!」
「万が一、韓国で仕事の場がなくなったとしても、そのときは、日本とかモンゴルとか、海外で韓国語を教えることだって、できるでしょう」
「そうですね。私だって、日本で教えること、できますよね」
この話を助手席で聞いていたオンニが言う。
「スジョナ!あんたぜったい博士課程に進みなさいよ!そして日本に行きなさい!そうしたら私も日本に旅行できるから」日本びいきのオンニが、「大邱訛り」で妹にまくしたてた。
「なんか、力がわいてきました。いままで、博士課程に進む動機が見つからなくって、ぜんぜん気が進まなかったんです。ただただ大変なだけだし…。でも、目的が見つかった気がします!」ナム先生の声は、はずんでいた。
車がバスターミナルに着いた。3人がバスの乗車口まで見送ってくれた。
「本当に楽しかったです」
「僕たち、今度必ず日本に遊びに行きます」とヒョンブ。
「ぜひ来てください。お待ちしてます」
「また大邱にも来てください」
「またお会いしましょう」
土砂降りの雨の中、空港へ向かうバスは走り出した。
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