« 泥棒たち | トップページ | フォーク歌手と大統領 »

私の名前はサム・マンソク

(タイトルは、以前韓国で大ヒットしたドラマ「私の名前はキム・サムスン」をもじったものです。念のため)

8月11日(土)

午前10時。バスに乗り、G市を出発して大邱(テグ)に向かう。

午後2時前、3時間半ほどかかって、大邱のバスターミナルに着いた。

夕方6時に、通っていた大学の北門で語学院の先生3人と待ち合わせて、夕食をとることになっているのである。

渡航前、語学院でお世話になったナム先生に連絡をとったところ、「この日は今学期の期末考査の日なんです。夕方には終わりますから、語学院の先生たちと夕食をとりましょう」という。

ということで、2級のときのクォン先生、3級のときのナム先生、4級のときのチェ先生の3人と一緒に、夕食をとることになったのである。

滞在中によく通った、大学北門近くの「安東チムタク」(辛い鶏料理)の店で食事をした後、腹ごなしに大学構内を散歩する。

今日で今学期の授業が終わった解放感からなのか、3人は、まあよく喋る。

韓国語に「スダ(수다)」という言葉がある。日本語で「おしゃべり」とか「無駄話」といった意味であるが、いままさに目の前で、30代独身女性3人による「スダ」がくり広げられているのだ。

だいたい日本にいたって、そんな場面に出くわしたら、こちらはどうやって口をはさんだらよいのか、わからなくなってしまう。ましてや韓国語では、どんなことを話していいのか、サッパリわからない。

そういえば、日本でも卒業生たちの「スダ」の前では、ただ黙って聞いているより仕方がなかったよな、と思い返し、なんだ、俺は日本でも韓国でも同じじゃないか、とひとり苦笑した。

「2次会に行きましょう」と先生たち。ビールを飲みながらも、3人の「スダ」ははてしなく続く。

「そうだ!キョスニムの韓国名を考えましょう!」と、突然、ナム先生が提案する。

ほら、日本でもよく、本当の名前とは別に、「あいつ、雰囲気からすると『のぼる』って名前っぽいよなあ」とか、そうと思うこと、あるでしょう。そんな感じで、私の名前を考えてくれる、というのである。

「マンソクっていうのはどう?」とチェ先生。するとほかの二人も、それはいい、と、手をたたいて同意した。

どうやら「マンソク」という名前が私のイメージにピッタリであるらしい。

「どんな漢字を書くんです?」と私。

「『滿釋』です」とクォン先生。

「…満釈」?

「いい名前でしょう。キョスニムのお人柄をよくあらわしています。ちょっと古めかしくて、最近の若い人の名前には使われませんけど。そうですねえ…50代の人によくありそうな名前です」

「……」よくわからないが、私のイメージをよくあらわした名前らしい。

「じゃあ、姓はどうします?」と私。

「そうですねえ…日本名の姓からとって『三(サム)』がいいんじゃないですか?『三滿釋』」

「三満釈(サム・マンソク)?…韓国に『三』という姓はあるんですか?」

「いえ、ありません。韓国では初めての姓でしょう」とナム先生。

「『大邱三氏』の誕生ですね」とクォン先生。韓国では自分の家系を、先祖の出身の地名とあわせて、「金海金氏」のように表現するのだ。つまり私は、「大邱三氏」の祖、ということになる。

「三滿釋…なんか僧侶のような名前ですね」私が言うと、3人は大爆笑した。

「今度はキョスニムが、私たちの日本名を考えてくださいよ」という。

私はひとりひとりの名前を考えて、それを紙ナプキンに漢字で書いて渡した。3人はさかんに、日本語での自己紹介の練習を始めた。

「こんにちは、私は○○○子です。韓国語の先生をしています…」

ふと気がつくと、11時半をまわっていた。

3人は名前を書いた紙ナプキンをカバンにしまいながら言う。「あっという間でしたね」

お店を出て、解散する。家に帰る道すがら、チェ先生が車でホテルまで送ってくれるという。

ナム先生やクォン先生は1年前にもお会いしたが、チェ先生とは、帰国以来お会いしていないから、2年半ぶりくらいである。

「妹さんは、いまも独身なんですか?」とチェ先生が運転しながら聞く。たしかチェ先生と私の妹は、同い年だったと記憶する。

「ええ。相変わらず自由に暮らしているみたいですよ」と私。それを聞いて、チェ先生も少し安心したようだった。

韓国では日本以上に、『結婚適齢期』という言葉に敏感である。独身のチェ先生も、そのことを気にしているようであった。韓国でも結婚や家族の形態が変わりつつあるとはいえ、まだまだ伝統的な考え方も根強く残っているのだ。

「キョスニム、私、留学生たちに韓国語を教えているでしょう。でも、外国に行ったことがないんですよ」とチェ先生。

「そうなんですか?」と私。それは意外だった。

「20代のころは、韓国の国内をあちこち旅行したんです。で、30代になると、今度は音楽とか演劇の公演を暇があれば見に行ったりして…。でもなかなか海外に旅行しようとまでは思わなくって…。留学生たちに韓国語を教えているうちに、私も海外に行きたいなあと思うようにはなったんですけど…」

「今から始めたらいいじゃないですか。遅いということはありませんよ」と私。

「そうでしょうか…」

車がホテルの前に着いた。

「今日は久しぶりにお会いできてとても楽しかったです」

「私もです」

「またちょくちょく大邱に遊びに来てくださいよ」

「わかりました」

次にお会いしたときも、きっと私の妹のことをたずねるだろうな、と思いながら、車を見送った。

|

« 泥棒たち | トップページ | フォーク歌手と大統領 »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 泥棒たち | トップページ | フォーク歌手と大統領 »