10時間しゃべり続けた男
9月22日(土)
午前、都内某所での終日の会議に、1時間ほど出席し、お昼に早退する。
仕事で東京に来た韓国の同業者Iさんと、昼食をとる約束をしていたからである。
Iさんは、私よりも少し年下だが、韓国の同業者の中で、最も信頼の置ける仕事をしている友人である。私も妻も、韓国滞在中はとてもお世話になったし、仕事上では彼から多くのアドバイスを受けた。明日の帰国までに半日ほど時間があるので、会いましょうということになったのである。
私と妻のほかに、彼とゆかりのある同世代の仲間にも3人ほどきてもらい、一緒に食事をする。
Iさんはとにかくよく喋る。そのほとんどすべては、自分の研究に関わる話である。私や妻のように座持ちの悪い人間は、ただひたすらそれを聞くのみなのだが、そのひとつひとつがドラマチックで、刺激的である。
「Kさんが職場を移った話、知ってるでしょう」とIさん。
Kさんというのは、Iさんの職場の先輩にあたる方で、私も妻も、韓国滞在中にやはり大変お世話になった同業者である。
「ええ、聞きました」
「Kさんがいなくなって、とても寂しくなりました」
「どうしてです?」
「だって、Kさんがいた頃は、退屈になったり寂しくなったりするとよく話をしに行ったんですよ。愚痴がたまると、一緒に飲みに行ったりね」
それはハタから見ていてもよくわかった。Iさんの職場に顔を出すと、いつもIさんとKさんは二人一緒に、私たちを接待してくれたからである。二人を見ていて、お互いがお互いを心の底から信頼している様子がよくわかっていたのである。
「いまはどうなんです?」
「いま、職場でそんなふうに話ができる人は、ひとりもいません。だから寂しいんです」
それは意外だった。Iさんのような優秀でイケメンであれば、誰とでも話ができるのではないかと思うのだが、どうもそうではないらしい。気を許す相手、というのは、それほど多くないのだろう。
「私だって同じようなものですよ」と私。「日々がだいたいそんな感じです」もっとも私の場合、もともとが心を開かない性格なのである。
昼食が終わり、喫茶店に入る。こちらの心づもりでは、昼食後にどこか都内の名所でも案内しようかと思ったのだが、Iさんの話は止まらない。
夕方5時になり、R先生が合流した。R先生も、Iさんの実力を高く買っている方である。
「お腹もすきましたし、お酒を飲みながら落ち着いて話ができるところに行きましょう」
今度は喫茶店を出て、近くの韓国料理屋さんに行く。
ビールや韓国焼酎を飲み、韓国料理を食べながら、いろいろな話をする。といっても、もっぱらIさんとR先生の話を聞いているだけなのだが。
気がついたら夜11時になろうとしていた。
昼食から始まり、喫茶店、そして韓国料理屋と、Iさんはずーっと話し続けた。研究の話、職場の話、人間関係の話など、10時間以上も、彼は喋り続けたのである
Iさんと別れたあと、妻が言う。
「本当に、職場で話し相手がいないみたいだね」
「堰を切って喋るってのは、ああいうことを言うんだなあ」
せっかく東京で時間が空いたのだから、少しはどこかを案内すればよかったと、少し後悔したが、久しぶりに話したいことが話せて満足だったのではないか、と思い直した。
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