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2012年9月

ゴロウさんの自転車

9月30日(日)

たとえば、そうねえ。食堂とか、居酒屋。

うちの師匠なんかは、気に入った居酒屋があったりすると、ずーっと同じ店に通う。私もその傾向がある。

妻はどちらかというと、「できるだけ新しい店を開拓しよう」とするタイプである。

つまり、人間には二通りあって、一度行った店に何度も行こうとするタイプと、できるだけ違う店を開拓しようとするタイプに分かれる、ということだ。前者の方は、行動パターンが分かりやすい。

私の岩盤浴通いも、言ってみれば前者のパターンである。

お昼前、昨日に引き続き、岩盤浴に行く。

1時少し前に岩盤浴を出て、昼飯にラーメンでも食べようかと、車でラーメン屋さんの候補を何カ所か徘徊するが、日曜日で家族連れが多いせいか、けっこう混んでいて、駐車スペースにも車が溢れていたので、諦めて昼食を抜くことにした。

運転しながら、ひとつ思い出したことがあった。

(そうだ!自転車を買うんだった!)

新学期前にやっておきたいことが2つあった。ひとつは岩盤浴、そしてもうひとつは、自転車を買うことである。

大学時代から乗っている自転車を、就職のためこちらに引っ越したときに、東京の家から持ってきていたのだが、パンクしたり鍵が壊れたりして、もう10年も乗っておらず、アパートの前で朽ち果てていた。

毎日、その自転車を見るたびに、ああ、長いつきあいの自転車なのに、ぞんざいな扱いをして悪いことをしたなあ、と思って、胸が締めつけられるような思いだった。

私の実家の、道路をはさんだ向かいに、小さな自転車屋さんがあった。その自転車屋さんは、私の父の同級生がひとりで切り盛りしていた。その人の名を、ゴロウさん、といった。物心ついた頃から、ゴロウさん、ゴロウさん、と、そのオジサンのことを呼んでいた。

たぶんゴロウさんは、中学校を出てから、ずーっと自転車一筋だったのだと思う。

わが家の自転車は、当然のごとく、ゴロウさんの店で買った。自転車に不具合が起こるたびに、ゴロウさんの店で修理してもらった。近所の友達もみんな、自転車についてはゴロウさんにすべてまかせていた。

ゴロウさんは、毎日油まみれになりながら、自転車を修理していた。手はいつも真っ黒だった。ずーっと独身で、いつもひとりだった。口数が少なく、一見無愛想な感じだったが、根っからのいい人であった。

私が小学校3年生くらいの頃だったか。

それまで補助輪をつけて自転車に乗っていた私は、あるとき母に、これからは補助輪なしで自転車に乗りなさい、と言われた。

しかし私は、補助輪なしで自転車に乗ることができなかった。

それを見かねた母が、家の前の道路で、自転車に補助輪なしで乗るための猛特訓を始めたのである。

補助輪なしでペダルをこごうとすると、私はバランスを崩し、すぐに両足をついて、自転車を止めてしまう。何度も何度も、である。

体育会系の母は、そのたびにものすごい剣幕で私を叱った。

「何やってるの!足をついちゃダメでしょう!この根性なし!」

私は、自転車に乗れないのと、母にすごい剣幕で叱られたのとで、わんわん泣いた。

その様子を一部始終見ていたのが、ゴロウさんである。

「おい、あんまり叱ってやるなよ」

そういうとゴロウさんは、私の乗っている自転車の後ろを押し始めた。

「ほら、こいでみな」

ゴロウさんに後押しされて、ペダルをこぎ始める。

ちょうどいい頃合いに、ゴロウさんが手を放した。

すると不思議なことに、それまで全然乗れなかった自転車が、乗れるようになった。

それから私は、ゴロウさんを尊敬するようになった。

ゴロウさんのお店は、奥に居間のような生活スペースがあって、夜になるとゴロウさんはひとりでテレビのプロ野球を見ながら晩酌をしていた。自転車と晩酌をこよなく愛しているんだなあ、と思った。

高校時代は3年間、片道35分かけて自転車通学した。もちろん、ゴロウさんの店で買った自転車である。

パンクしたり壊れたりすると、ゴロウさんに修理してもらった。

あれはいつだったか、覚えていない。大学院生の頃だったか。とにかく、15年以上前のことだったと思う。

ゴロウさんは体調をくずし、突然この世を去った。

「まだ若いのに…」近所の人たちが口々にそう言った。ゴロウさんは、ずっと独身のまま、町の自転車屋さんとして、その生涯をとじたのである。

ゴロウさん亡き後、その自転車屋さんは、お店をたたんだ。当然である。だってあのお店は、ゴロウさんそのものだったんだもの。

それ以来私は、自転車を買っていない。私は、まるでゴロウさんの形見のように、ゴロウさんの店で最後に買った自転車を、こちらに引っ越してくるときに持ってきた。

だがその自転車も、乗らないうちにあっという間に朽ちてしまった。私がその朽ち果てた自転車を見るたびに胸が締めつけられるような思いがするのは、ゴロウさんに申し訳ない、と思っていたからかもしれない。

しかしいつまで朽ち果てた自転車を眺めていても、自転車に乗れるわけではない。

自分の健康のことも考えて、これからは自転車に頻繁に乗ることにしよう、と決意したのである。

できれば、明日の新学期から、自転車通勤がしたい。そう思って、家から歩いてすぐのサイクルショップに向かった。

「あのう、…自転車を1台ほしいんですけど」

「どうぞご覧ください」

「実はうちに、朽ち果てたボロボロの自転車があるんですけど、…それを修理した方がいいでしょうか?」

「いえ、うちの店は、1台お買い上げいただくと、自転車を1台引き取らせていただくこともできます」

「そうですか」

新しい自転車を買うことにした。

「これをお願いします」

「承知しました」

「今日、乗って帰れますか?」

「いえ、整備した上でないとお渡しできません」

「そうですか」

「それでたいへん申し訳ないのですが、いまたいへん混み合っておりまして、自転車をお渡しするのに、5日ほどかかります」

「5日ですか?!」

今日乗って帰れると思っていたのに、出鼻をくじかれたとは、このことである。

ゴロウさんなら無理を聞いてくれて、その日のうちに渡してくれるだろうにな、と思った。

「ご自宅の自転車はその前にでもお引き取りできます」

「そうですか」

私は朽ち果てた自転車を、サイクルショップに引き渡した。

自転車に対する長年の後ろめたさから、ようやく解放されたような感じがした。

もういいよね、ゴロウさん。

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岩盤浴は裏切らないか

9月29日(土)

ここで何度も書いているように、私は相当な汗っかきである。

私をよく知る人は、私が大汗をかくのを見慣れていると言ってくれるが、それにしても、汗のかき方は尋常ではないし、あまり見ていて気持ちのよいものでもないだろう。

しかも大粒の汗をかく、というのは、どうも「悪い汗」であるらしい。

たぶん、体調の悪さは、この「悪い汗」をかくことにあるのではないか。これを「いい汗」に変えなければならない。そのためには、「汗腺トレーニング」が必要である。

信頼する友人が、「岩盤浴なんかどうですか?」と、アドバイスしてくれた。

それを聞いて、ずっと岩盤浴に行きたい、と思っていたが、これまで行く機会を逸していた。

そして今日の夕方、いよいよ岩盤浴に行くことにした。

「あのう…岩盤浴、初めてなんですけど」

受付でそう言うと、受付の女性が、懇切に説明してくれた。

着替えをして、いよいよ「温浴室」に入る。

いやあ、ビックリした。

入るなり、たちまち汗が噴き出る。

しばらく温浴室でじっとしたあと、「涼み処」で、クールダウンする。

これを、2~3回くりかえす。

すると、汗に変化があらわれる。今までの「玉のような汗」と違い、「サラサラの汗」になるのである。

これか!「いい汗」っていうのは。

しかも、肌がつるっつるになる。岩盤浴は肌にもいいのか!

「涼み処」で涼んでいると、三方の壁に、手書きで書かれた貼り紙がしてあるのに気づいた。

一方の壁に、

「岩盤浴は決して期待を裏切りません」

次に隣の壁に目を転ずると、

「とにかく続けてください」

さらにその隣の壁には、

「たかが岩盤浴、されど岩盤浴です」

むかし、談志師匠は、頼まれた色紙に「銭湯は裏切らない」と書いたそうだが、まさに、「岩盤浴は裏切らない」ということだろう。

帰ろうとすると、受付の女性が、「どうでしたか?」と聞いてきた。

「とてもよかったです。これはどのくらい続けると効果が出ますか?」

「例えば週1回通っていただくと、1ヵ月くらいで効果がはっきりと実感できます」

「週1回ですか…。あんまり頻繁に来てもよくない、ということでしょうか」

「いえ、そんなことはありません。毎日いらしているお客様もいらっしゃいますし」

「そうですか」

いずれにしても、岩盤浴は、思った以上に効果があることを実感した。しばらくは、できるだけ行くことにしよう。

岩盤浴でテンションが上がったので、このままのテンションでこんどは久しぶりにスポーツクラブに行くことにする。

エアロバイクをこいだり、ウォーキングをしたりして、汗を流す。

ここでまたビックリした。

汗のかき方が、これまでとは違うのだ!サラサラの汗である!

さっそく、岩盤浴の効果が出た、ということか?

やはり、「岩盤浴は裏切らない」のか?

それとも気のせいか?

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みんなで力を合わせてビフォーアフター

9月29日(土)

われながら、面倒な企画を考えたものである。

いまから120年前に作られた石碑が、鬱蒼とした林の中に埋もれて、いまは誰もその存在を知らない。

そんな石碑が、うちの職場の近くの、山のふもとに今もある。

その石碑をよみがえらせよう、ということを考えたのである。

私のライフワークは、「これまで誰にも注目されなかったものに、光を当てる」ことである。

それを信条としている私からすれば、埋もれた石碑は、何とも魅力的な存在なのである。

で、まわりの草を刈り、石碑にからまったツタを取り除いて、この石碑をふたたび私たちの目の前にあらわす。

そんな思いつきを職場で話したら、何人かの人が賛同してくれた。そればかりではない。地元のおじいちゃん先生も、この話に乗ってくれたのである。

はじめは「なんか、『プロジェクトX』みたいで、われながらいい企画だなあ」と思ったが、時間が経つにつれ、だんだん面倒くさくなってきた。これは、いつもの私の悪いクセである。

(どうして、頼まれもしない仕事を自分で作っちゃうんだろう)

と、また自己嫌悪に陥った。

しかし事態はどんどんと進行していく。地元のおじいちゃん先生が、市役所の担当部署に電話をしてくれて、石碑の周辺の下草刈りを依頼したところ、なんと市役所の人が、石碑周辺の下草刈りを、この夏のうちにしてくれたのである。あとは、石碑そのものにからまったツタを取り払ったり、石碑をきれいに掃除したりするだけである。

そして今日は、その実行日である。

集合時間の朝8時半に現地に行くと、すでに数人が集まって、作業をはじめていた。

「先にはじめてました」みんな、すごいやる気である。

職場の同僚、職員さん、卒業生、学生、そして地元のおじいちゃん先生、総勢13名が集まって、作業を行う。

石碑にからみついたツタが取り払われ、石碑がみるみるその姿をあらわす。

まるで、「戦艦大和」が「宇宙戦艦ヤマト」に生まれ変わるように(また始まった)。

作業すること2時間。石碑は見違えるようにきれいになった。

「言ってみるもんですねえ」と私。「思いつきで提案したら、まさかここまで実現するとは」

「思いつきだったんですか!」とみんなに叱られた。

しかし大事なことは、口に出して言うこと。つまり「言霊(ことだま)」である。

13人の知恵と力が集まれば、2時間でこれくらいのことができるのだ。

そういえば、先週のO村の調査のとき、総勢10名だった。

面倒な企画にもかかわらず、損得を抜きにして参加してくれる人は、私のまわりにだいたい10名前後はいる、ということである。

10名前後を多いと見るか少ないと見るか、そんなことはどうでもよい。10名集まれば心強い、ということを、肝に銘じるのみである。

さて、最後に実際に写真をご覧に入れよう。

まず、今年の5月12日(土)に写した写真。草木が鬱蒼としていて、どこに石碑があるかわからない。

1

次に、9月13日(木)に写した写真。市役所による下草刈りが行われた。

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そして今日、9月29日(土)。石碑がきれいによみがえった。

3

「だから何なの?」とは言わないでね。この作業じたいが、あまり注目されていないことも、よくわかっているのだ。

みんなで力を合わせてここまでできたことに、大きな意味があるのだ。

たぶん、ふだん友達が少ない私だから、なおさらそう感じるのだと思う。

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STOP THE FUSION

9月27日(木)

「昨日の会議では、どうなさったんですか?」昨日の会議に出席していた職員の方が、私に言った。

「何がです?」

「ずっと、鬼瓦みたいな顔されてましたよ」

お、鬼瓦?!

その方がこのブログの読者であるはずはなく、従って私のハンドルネームが「鬼瓦」ということも知らないはずなのだが、私がつらそうな表情をしているのを「鬼瓦」と表現されたのは、言い得て妙、というものであろう。会議中、私は相当ひどい顔をしていたのだろう。

「昨日の会議は、本当につらかったんですよ」と私。「かろうじて会議に出ていた、という感じです」

ここへきて、夏の疲れが出たのか。いよいよ後期の授業が始まることへの不安なのか。相変わらず気管支の調子が悪いことに加え、ここ数日は、決められた場所に行ってじっと座っているのが、精一杯である。

同僚にも「大丈夫ですか?どうか病気にならないように」と心配をかけるくらいだから、どうにも困ったことである。

自分が調子が悪いと、周りも愉快ではないだろうから、気分を変えて頑張っていくしかない。

ということで、少し前向きな話を書こう。

昨日、2回目の練習があったんですよ。フュージョンバンドの。

いま、音楽サークルの顧問をしていて、そこに所属している3年生のAさんに、冗談で「大学祭でバンド演奏をしたい」と言ったら、トントン拍子で話が進んで、大学祭に出ることになっちゃった。

Aさんが、バンドのメンバーを集めてくれて、ギター、ベース、ドラムス、キーボード、そしてアルトサックスの「にわかフュージョンバンド」が結成された。もちろん、私以外はみんな学生である。

高校生のころから、バンドを組んでフュージョンを演奏したい、というのがささやかな夢だったから、それが実現できるというのは、素直に嬉しい。

しかし、ひとつ心配事が。

それは、いまの若者たちに、「フュージョン」なる音楽ジャンルが理解されるのか?

「古くさい」とか「だっせー」とか思うのではないだろうか?

若者たちの貴重な時間を、興味も関心もないであろうフュージョンの練習に割いてしまってよいものだろうか?

まったくもって、私のわがままから始まったこのバンドに、彼らは渋々つきあわされているのではないか?

以前これを、落語「寝床」の旦那にたとえたが、むしろ、スネークマンショーのコント「STOP THE NEW- WAVE」にたとえられるかも知れない(これを知っている人は、そうとうヘンな人である)。

で、実際に練習してみると、みんないい若者たちである。

私が高校生くらいのころは、バンドをやっている連中は、どこか「とんがった」ところがあったものだが、いまの若者は、とっても素直な子たちなんだな。

かなり難解な曲を指定してしまって、最初は悪戦苦闘していたが、練習も2回目ともなると、だいぶ形になってきた。

お世辞で言ってくれているのかも知れないが、フュージョンをカッコイイ、と思ってくれるようになったみたいである。

「できるようになると、楽しいっすね」と、ドラムス担当の青年が言う。そう!なんでも、できるようになると、楽しくなるものなのだ。

私としては、こうして練習室で音合わせができただけで、もう十分に夢が叶ったのである。もう大学祭に出なくてもいいやって気がしてきた。

そして今日、後期のオリエンテーションが終わった後、キーボード担当のSさんがやって来た。

「先生、これどうぞ」

見ると、ナベサダさんのライブのチラシである。

「これ、去年のライブのチラシなんですけど、うちにあったので、もしよかったらどうぞ」

ナベサダさんが去年この町に来たときに作られたチラシらしい。はじめて見るチラシだったので、ありがたくいただいた。

「ありがとう。ナベサダさんは、私にとって神様なんだよ」

「そうですか」

オッサンのわがままも、少しずつ理解されてきているのかも知れない、と、前向きに考えよう。

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淋しいのはお前だけじゃない

9月26日(水)

医者、というのは、どうも昔から苦手である。

体調が悪くて病院に行くと、たいていは対症療法の薬が処方されて終わる。

「やはり、ストレスとかも原因のひとつでしょうか」

「それもあるでしょうね」

「じゃあ、そのストレスをなるべく軽減するには、ふだんからどういうことに気をつければいいでしょうか」

「さあ、それはわからんよ。私の専門ではないからね」

ええええぇぇぇぇぇっ!!!

ハシゴをはずされた感じがするのは、私だけだろうか?

例えばですよ、学生が私のところに相談に来たとする。

「最近、将来のことが不安になって、何も手につかないんです。どうしたらいいでしょうか」

「さあ、それはわからんよ。私の専門ではないからね」

と私が答えたとしたら、学生はどう思うだろう。ふざけんな!と思うだろう。

私は、わからないなりにも、その学生と一緒になって考えながら、出口の見えない学生の悩みに、少しでも光がさすように努力するだろう。

「むかし、あなたと同じ悩みを抱える人がいてね、その人は…」

とか、

「むかし、私もあなたと同じ悩みを抱えていてね…」

とか、少しでもヒントになるようなことを言えば、悩んでいる方も、だいぶ楽になると思うのである。

人は、「悩んでいるのは自分だけじゃない」と思った時点で、その悩みの大部分から解放される、と思うのだ。

だがそのことを理屈ではわかっていても、自分ではなかなか自覚しえない。というか、認めたがらない。別の人に言われてはじめて、その悩みから解放されるのである。人には、そういう人が、必要とされるのである。

たぶん「先生」とは、そういう存在でなければならないのだ、と思う。

…とここまで書いてきて、ぜんぜん関係がないが、TBSの昔のドラマ「淋しいのはお前だけじゃない」(1982年)を思い出した。市川森一脚本、西田敏行主演のドラマである。

D0015793 とても地味なドラマだが、たぶん、市川森一の最高傑作だと、私は思う。事実この作品は、当時視聴率はふるわなかったものの、第1回向田邦子賞を受賞している。

サラ金の取り立て屋をしている沼田(西田敏行)が、サラ金会社の影のオーナー(財津一郎)に、旅役者(梅沢富美男)と駆け落ちした自分の女(木の実ナナ)から慰謝料2000万円を取り立てるように命ぜられるが、駆け落ちした2人に同情した沼田は、2人を逃がそうとして失敗し、借金2000万円の連帯保証人になってしまう。そして沼田は、借金を返済するために、ほかの債務者とともに大衆演劇の一座を結成する、という内容である。

中学生のときにこれを見て、「なんと地味なドラマだろう。しかしなんと面白いドラマだろう」と思った。当時、「池中玄太80キロ」の軽妙な演技で人気を博していた西田敏行のイメージが、いい意味で裏切られた。

借金に追われ、社会の敗者となった人たちが主人公である。いわば「ダメ人間」の彼らが、縁もゆかりもない大衆演劇の一座を旗揚げして、次第に自分自身を取り戻してゆく。その悲喜こもごもの人間模様は、感動的ですらある。

「人間って、ダメな存在だよな。でも、愛すべき存在だよな」

そんなことを思わせてくれる。

考えてみれば、それこそがいま、「人間」に対する私のスタンスとなっているのだ。

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韓国旅飯2012夏

こぶぎさんのブログを見ていて、8月に韓国に行ったときの食事の写真をアップしていなかったことを思い出した。

なんでも、旅行先で食べた食事の写真をアップすることが、吉例らしい。そもそもの発端が、この私のブログだというのである。

ということで、フォルダの中をごそごそさがしてみたが、あまり食事の写真は撮っていなかった。

まずは、8月7日に木浦(モッポ)で食べた夕食。

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韓国語で「민어(ミノ)」とよばれる魚の刺身である。日本語名は「ニベ」という魚だそうだ。ビックリするくらい体がでかい魚である。

とにかく、これでもか、というくらい、刺身が出てきた。

木浦に行かれたら、ぜひお試しあれ。左上の写真の、青い看板が目印の店である。

次に、8月11日に語学院の先生3人と大邱で食べた夕食

Photo

大学の近くにある店で食べた。「安東(アンドン)チムタク」。辛い鶏料理である。

留学中、妻とよくこの店に通ったよなあ。週に1度は、チムタクを食べていた。

本当に懐かしい大邱の味である。

さて、8月12日のお昼にひとりで食べたのがこちら。

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ご存知、サムゲタンである。

大邱の中央洞(チュンアンドン)にある有名なサムゲタン屋さん。味が美味しいのはもちろんだが、お店がとても清潔で、従業員の教育が行き届いている。店員さんのほとんどは、イケメンの青年であるのも特徴である。おそらくこの店の社長が女性で、社長の趣味が色濃く反映されているのだと思われる。

大邱に行かれたらぜひお試しあれ。お店の目印は、オレンジの看板である。

そして最後はこちら。

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8月12日の夜、ヨンギュさんの家にホームステイしたときに作ってくれた、サムギョプサル(豚の三段バラ肉の焼肉)。サムギョプサルこそ、私が最も懐かしいと思う韓国料理である。そしてこんなダメ人間の私を、こんなにもてなしてくれたことは、何物にも代え難い幸せである。

一人飯の多い身だが、やはりよき人との出会いこそが最高の調味料ではないか、と思う。

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恋は何色

9月24日(月)

終日、雨。こういう日は、しくじってばかりでどうしようもない。

職場の防災訓練用の放送のときに「恋はみずいろ」が流れる、ということが話題になった。

「恋はみずいろ」は、ポール・モーリア楽団による、イージー・リスニングの代表作である。森山良子が日本語でカヴァーして歌ったことでも知られる。

調べてみると、この「恋はみずいろ」は、各地の自治体の防災行政無線のチャイム代わりの音楽として、よく使われているらしい。

ほら、よく正午とか夕方になると、町で時報代わりに音楽が流れたりしたでしょう。あれです。

さらに調べてみると、インターネットの動画サイトに、ビックリするくらいの数の、各地で流れている防災行政無線チャイムの音楽が、アップされている。

「防災行政無線チャイムのマニア」というのが、全国には存在するらしい。

うーむ。防災行政無線の音楽の世界は、奥が深い。

流れる曲は、「恋はみずいろ」だけでなく、「ふるさと」とか「家路」とか、自治体によってかなりバラエティがあることがわかった。

そういえば記憶をたどっていくと、私の実家があった町は、「家路」が防災行政無線チャイムの音楽として流れていた。

「恋はみずいろ」を流す自治体も多く、なぜこの曲が選ばれたのか、気になるところである。

それで思い出したが、ぜんぜん違う話。

515xypzna2l__sl500_aa300_ 細野晴臣の若いころの曲に、「恋は桃色」という歌がある。まだ、細野さんがYMOを結成する前の曲である。ソロアルバム「HOSONO HOUSE」に収められている1曲である。

私はこの歌が、すごーく好きで、たぶん細野さんの曲の中で、いちばん好きな1曲である。

何より好きなのは、その歌詞である。

当時の細野さんらしく、一見わけのわからない、隠喩的な歌詞が続く。

「お前の中で雨が降れば

ぼくは傘をとじて濡れていけるかな

雨の香り このカビの臭み

空はねずみ色 恋は桃色」

さんざん隠喩的な歌詞をならべたあとで、最後にそっと、「恋は桃色」という言葉を忍び込ませるあたりが、実によい。実によいのだ。

この感覚、わからないだろうなあ。

この歌を知ったのは、かなり大人になってからだったと記憶するが、細野さんといえばYMO、そしてYMOの中ではもっぱら教授(坂本龍一)に心酔していた私にとって、細野さんの凄さを再認識した1曲であった。

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守ることは、忘れないこと

9月23日(日)

目覚ましの音に気づかず、朝6時半に目ざめる。

あわてて支度をして、東京の家を出た。妻は2日酔いでダウンしたようである。

朝8時の新幹線に乗り、勤務地に戻ったのが午前11時少し前。そこから大慌てで職場に向かう。

今日はボランティア活動をしている仲間たちと、O村での本格的な調査である。

11時半に集合場所に行くと、ダブルKさん(ダブル浅野的な意味で)、ダブルT君(ダブル浅野的な意味ではなく)、イケメン青年のAさん、学生4人が、すでに集まっていた。

合計10人で、車で1時間半ほどかかるO村に向けう。

午後1時、O村に到着。ここで現地の先生と合流し、そこからさらに車で40分ほどかかる、山深い温泉街に向かう。今日の調査地は、その温泉街のある地区である。

山深い道を車でどんどん進んでいく。本当にこの先に温泉街があるんだろうか、と思っていると、突如として、温泉街が現れる。

Photo 「秘湯」の名にふさわしい、じつに風情のある温泉街である。

今日のミッションは、この地区に住んでいる人たちにインタビューしながら、データを記録していくこと、である。

1チーム3人で3つのチームを作り、手分けをして8軒の家に訪問する。そこで、1軒あたり1時間ほど、いろいろなお話をうかがうのである。

目的は、データを記録していくことだが、お宅にうかがってお話を聞いていると、それだけで十分に面白い。

いろいろうかがったお話の中から、印象的な話をひとつ。

この温泉街は、江戸時代に3度ほど大火に見まわれた。木造の旅館や商店が、肩を寄せ合うようにひしめいて立っているので、火はたちまちに燃え広がり、街は全焼した。

なんとか火事が起こらないようにしようと、江戸時代のこの地区の人々が「秋葉山」という石碑を神社の前に建てよう、と考えた。「秋葉山」とは、火伏せの神のことである。

Photo_2 地区の人は、山を越え、片道100キロ以上も離れたお寺にいる有名な和尚を訪ね、「秋葉山」の文字の揮毫を依頼し、それを、石碑に刻んだのである。その石碑は、いまも神社の前にたたずんでいる。

それ以降、いまに至るまで、この温泉街では大火が起こっていない。

では、火伏せの神様の不思議な力によって、この街が守られたのだろうか?

たぶん、そうではない。

これ以降、街の人々は、防災意識を高めるようになった。石碑を刻んだのも、江戸時代の大火を、忘れないようにするためである。

「いまでも、うちの地区では火の用心の夜回りは欠かしていません」と、1軒目に訪れたお宅のご主人が言う。

「毎日ですか?」

「毎日です。当番を決めて、毎晩9時から、地区をまわるのです」

大火に悩まされなくなったのは、その地区に住む人びとの日々の努力によるものであることを知った。

昨年の震災を機に、「地域の文化を災害から守ろう」という趣旨ではじめたこの調査。今回は、その第1回目である。

災害から生活や文化を守るには、どうしたらよいのか?

それは、災害があったことを、忘れないことである。

災害がすでに遠い過去のものになってしまったとしても、そのことを忘れないように、伝えていかなければならない。

それを、この地区の人たちは実践しているのだな、と思った。

3軒ほどまわって、お話をうかがっているうちに、すっかりと時間を忘れてしまった。村を出るころには、すでに日が傾いていた。

「データに残す」という作業だけでははかれない、様々なことを学んだ1日だった。

さて、これをどうやって今後につなげていこうか。

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10時間しゃべり続けた男

9月22日(土)

午前、都内某所での終日の会議に、1時間ほど出席し、お昼に早退する。

仕事で東京に来た韓国の同業者Iさんと、昼食をとる約束をしていたからである。

Iさんは、私よりも少し年下だが、韓国の同業者の中で、最も信頼の置ける仕事をしている友人である。私も妻も、韓国滞在中はとてもお世話になったし、仕事上では彼から多くのアドバイスを受けた。明日の帰国までに半日ほど時間があるので、会いましょうということになったのである。

私と妻のほかに、彼とゆかりのある同世代の仲間にも3人ほどきてもらい、一緒に食事をする。

Iさんはとにかくよく喋る。そのほとんどすべては、自分の研究に関わる話である。私や妻のように座持ちの悪い人間は、ただひたすらそれを聞くのみなのだが、そのひとつひとつがドラマチックで、刺激的である。

「Kさんが職場を移った話、知ってるでしょう」とIさん。

Kさんというのは、Iさんの職場の先輩にあたる方で、私も妻も、韓国滞在中にやはり大変お世話になった同業者である。

「ええ、聞きました」

「Kさんがいなくなって、とても寂しくなりました」

「どうしてです?」

「だって、Kさんがいた頃は、退屈になったり寂しくなったりするとよく話をしに行ったんですよ。愚痴がたまると、一緒に飲みに行ったりね」

それはハタから見ていてもよくわかった。Iさんの職場に顔を出すと、いつもIさんとKさんは二人一緒に、私たちを接待してくれたからである。二人を見ていて、お互いがお互いを心の底から信頼している様子がよくわかっていたのである。

「いまはどうなんです?」

「いま、職場でそんなふうに話ができる人は、ひとりもいません。だから寂しいんです」

それは意外だった。Iさんのような優秀でイケメンであれば、誰とでも話ができるのではないかと思うのだが、どうもそうではないらしい。気を許す相手、というのは、それほど多くないのだろう。

「私だって同じようなものですよ」と私。「日々がだいたいそんな感じです」もっとも私の場合、もともとが心を開かない性格なのである。

昼食が終わり、喫茶店に入る。こちらの心づもりでは、昼食後にどこか都内の名所でも案内しようかと思ったのだが、Iさんの話は止まらない。

夕方5時になり、R先生が合流した。R先生も、Iさんの実力を高く買っている方である。

「お腹もすきましたし、お酒を飲みながら落ち着いて話ができるところに行きましょう」
今度は喫茶店を出て、近くの韓国料理屋さんに行く。

ビールや韓国焼酎を飲み、韓国料理を食べながら、いろいろな話をする。といっても、もっぱらIさんとR先生の話を聞いているだけなのだが。

気がついたら夜11時になろうとしていた。

昼食から始まり、喫茶店、そして韓国料理屋と、Iさんはずーっと話し続けた。研究の話、職場の話、人間関係の話など、10時間以上も、彼は喋り続けたのである

Iさんと別れたあと、妻が言う。

「本当に、職場で話し相手がいないみたいだね」

「堰を切って喋るってのは、ああいうことを言うんだなあ」

せっかく東京で時間が空いたのだから、少しはどこかを案内すればよかったと、少し後悔したが、久しぶりに話したいことが話せて満足だったのではないか、と思い直した。

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9月21日(金)

最近の日記からもわかるように、落ち込むばかりの毎日だが、家族や数少ない友人に励まされながら、どうにかこうにか日々を暮らしている。そうでなければ、とっくに自暴自棄になっていただろう。もっとも、私のことをよく知る人からすれば、「やれやれ、面倒くさいやつだ」と、手を焼いているのかもしれないが。

夜、「前の職場」のKさんから、こんなメールが来た。

「隣県のI市で博物館実習した学生が、実習先の副館長のYさんからMさん(つまり私)のお話を聞いたとのことです。なんでも、15年くらい前にI市で一緒に調査をされたことがあるとか」

Yさん…。思い出した。当時院生だった私は、師匠と何度かI市を訪れ、ある調査を行っていた。そのときのI市側の担当者が、Yさんだったのである。調査が終わって以降、お会いする機会はなくなってしまった。Yさん、私のことを覚えてくれていたんだな。

I市は、昨年の震災でかなり大きな被害にあった地域だった。

「その学生は、Mさん(つまり私)が前の職場から今の職場に移ったことを副館長に伝えたそうです」

そうか、Yさんには、職場が変わったことをちゃんとお知らせしなかったんだった。本当に私は、礼儀知らずな人間である。

それにしても不思議である。私が「前の職場」から「今の職場」に移ったのは、今から10年前のことである。その学生が、私のことを知っているはずはない。

最後の一文で、納得ができた。

「その学生は、被災資料のクリーニング作業に参加していたので、Mさんつながりの話ができたのでしょう」

そうか、それで納得がいった。私は、クリーニング作業の関係で何度か「前の職場」におじゃましていた。その学生はそのときに、私のことを知ったのだろう。

そう考えると、縁というのは不思議である。

昨年の震災は、人と土地、人と人など、じつに多くの関係を引き裂いてしまった。

しかしその一方で、震災を契機に始まったボランティア活動にその学生が参加していたことで、15年前に一緒に仕事をしたYさんと私が、ふたたびつながったのである。

ひょっとして人は、「引き裂かれた関係の数」だけ、新たな関係を築こうとしたり、かつての関係を取りもどそうとしたりするのかもしれない。だから、絶望せずに生きていけるのである。

私はこのことをわざわざ知らせてくれたKさんに、感謝した。

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欲しいのはタレント性

9月20日(木)

私と同世代の、そこそこ有名なタレントが、半年にいちど、ある地方のテレビ局で仕事をするときに、必ず立ち寄る海鮮料理の店があるという。

その店の料理があまりに美味しかったので、そのことを自分のラジオ番組の中で語り、しかも店の名前まで出した。

半年後、ふたたび仕事でその地方に訪れ、その店に立ち寄った。

店の主人が感謝して言う。

「ラジオで店の名前を言ってくれたおかげでねえ、あのあと、5,6人くらい客が増えたよ」

ええええええぇぇぇぇぇっ!!!たった5,6人?

人気のラジオ番組なのだが、それでも、5,6人しか来なかったのか!

「俺のタレントパワーって、そんなもんよ。むかし、キョンキョン(小泉今日子)がアイドル全盛期のころ、ラジオの「オールナイトニッポン」で、「いま『ライ麦畑でつかまえて』を読んでいるの」って言ったら、翌日、全国の書店で『ライ麦畑でつかまえて』が一斉に売り切れたというエピソードがあったんだけど、それとはエライ違いだ」

と、自分のラジオ番組で愚痴をこぼしていた。

自虐ネタを売りにする彼らしいエピソードで、私は好きなのだが、笑ってばかりはいられない。

私が10月に企画しているイベントが、新聞でも大きく取りあげてもらったのにもかかわらず、今のところ申し込んでいただいているのは、まだ数名である。定員は30名なのに。

「華(ハナ)がないんだよね」

とは、妻が私によく言うセリフである。

華、つまり、オーラというか、タレント性というか、そういうものが、私にはまったくない。

ほとんどの人が、「私」という存在に、まったく気づいていないのではないか、と思うことが、しばしばある。

そう!深夜の職場でトイレに入っているときに、電気のセンサーが突然消えてしまうように、ときおり私は、他人に感知されなくなるようなのだ!

そういえばむかしむかし、大学の先輩に言われたことがある。

「お前はうらやましいよ」

「どうしてです?」

「だって、居たたまれない場所とかに行くと、うまく自分の存在を消すことができるから。俺にはそれができない」

このときの先輩の言葉の意味が、当時は理解できなかったのだが、最近、ようやくわかってきた。

学生や卒業生が飲み会に誘ってくれたりするのはありがたいのだが、彼らは私を「いないもの」と思って話していることが多い。

まさしく、「ハナ肇の銅像」のように、である。

以前も、学生たちと飲んでいるときに、こんなことがあった。

私は、「私の性格をよく知る学生」、つまり、私がマイナス思考の厄介な人間である、ということをよく知っている学生と飲みに行くと安心するのだが、そのときはたまたま、ふだんあまり接点のない学生たちがいた。

その学生たちが私の前で、「授業が特におもしろかった先生」の話をしはじめたのである。

「○○先生の授業は、最高に面白かった」「××先生は、ルックスがいいだけではなくて、授業も刺激的で面白い」等々。結論として、○○先生と××先生は、とてもいい先生だった、という結論で盛り上がっていた。

当然、私のことではない。

それは別にかまわないのだが、その話を目の前で聞かされている私は、どんな顔をしたらよいのか?私はただ、ハナ肇の銅像のようにひたすらじっとしているしかなかった。

誤解のないように言うと、これは彼らの責任ではない。

私自身に存在感がなかったからにほかならない。だってふつう、目の前で私のことを認識していたら、そんな話をするはずがないもの。

そりゃあ、トイレのセンサーも明かりを消すわな。

嗚呼、ほんの少しでいいから、タレント性が欲しい。30名の定員を満たす程度の。いや、せめてトイレのセンサーが明かりを消さない程度の。

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MALTA、勝手にディスコグラフィ

気分がひどく落ち込んだときは、MALTAを聞くと少し立ち直れることを思い出した。

高校時代からそうである。

80年代のフュージョンには、何ともいえぬ高揚感がある。

とくにMALTAの音楽はそうだった。

…あ、知らない人のために言っておきますけど、MALTAは鳥取県出身のオッサンですよ。

831121 高1のときに、MALTAのファーストアルバム「MALTA」を聴いたときは、衝撃を受けた。

とくに1曲目の「shiny lady」は、運命の1曲である。

曲といい、演奏といい、完成度が高い。というか、完璧である。

こんなふうに、自在にアルトサックスが吹けたら、どんなにいいだろう、と思った。

…ま、おなじことは、ナベサダさんを聴いていても思ったんだけどね。

84921 セカンドアルバムの「SWEET MAGIC」。これも、伝説の名盤である。アルバムのタイトルにもなった「SWEET MAGIC」は、日本で暮らしている人なら誰でもを聴いたことがあるはずである。

この2枚のアルバムで、当時デビューしたてのMALTAは、一躍「時の人」になる。1983年に日本で正式にデビューするまで、彼は長い間アメリカで活躍していた。たしか日本でデビューしたときは35歳くらいだったと思う。

私はこのとき、新宿の厚生年金会館で行われたMALTAのデビューコンサートを聴きにいっている(当時高1)。

このあとに出すアルバムも、どれも完成度が高い。

85821 3枚目の「SUMMER DREAMIN'」は、私の中でベストのアルバムである。このアルバムから、MALTAといえば夏の音楽、というイメージが定着して、真夏に各地で行われる野外のジャズフェスティバルには、引っ張りだこだったのではないかと思う。

86521 4枚目の「SPARKLING」も、MALTAの楽曲のスタイルが存分に発揮されている名盤である。「底抜けに明るくポップな曲調」「大空を突き抜けるような伸びやかな曲調」「ロックのように暴れ回る曲調」「しっとりしたバラード」いずれも、MALTAの魅力が全開である。記録によれば、第1回日本ゴールドディスク大賞に輝いたとある。

87621 5枚目の「HIGH PRESSURE」に至り、MALTAは天下を取ったのだと思う。とくにアルバムのタイトルともなっている「HIGH PRESSURE」は、「向かうところ敵なし」といった、イケイケドンドンな感じの曲である。MALTAがこの曲をステージで自在に演奏する姿は、何をしても許されるといった感じの、ある種頂点に達した感があった。それほどの高揚感があったのである。

私はこれ以降、MALTAの音楽から次第に離れてゆく。大学生になって、アルトサックスそのものへの思い入れが薄らいだからかもしれないが、それ以上に、MALTAがこの「HIGH PRESSURE」で頂点を極めてしまったことが、大きく関係しているように思う。

88127300x300 事実、このあとMALTAは、「MY BALLADS」というバラードのベストアルバムを出し、さらに「OBSESSION」という新作アルバムを出したあと、初のベストアルバムを出す(このベストアルバムは、ライブ仕立てに演奏し直したもので、やはり名盤である)。ここらあたりが、やはりひとつの区切りだったのだろう。なにしろ、名盤を量産しすぎたのだ。

89521300x300 その後に出されたアルバム「SAPPHIRE」も、かなり好きだったが、「佳品ぞろい」といった印象で、かつてのような「ワクワク感」が、あまり感じられなかったと記憶する。しかしそれは、私が勝手に期待していたことにすぎない。

そして今また私は、MALTAの音楽に回帰している。もちろん、「HIGH PRESSURE」以前のMALTAに、である。

後ろ向き、といわれるかも知れない。だが、この音楽を聴けば元気になるのだから仕方がない。

私はスポーツにまったく関心がないからわからないが、スポーツの好きな人って、例えば、プロ野球選手が抜群のタイミングでホームランを打ったり、サッカー選手が鮮やかにゴールを決めたりすると、気分が高揚するんでしょう?

文化系の私にとっては、それと同じなんですよ。ナベサダさんやMALTAの演奏を聴くっていうのは。

…あれ?書いているうちに、少し元気になってきたぞ。やはり自分の好きなことを書くのは、健康にいいのかもしれないぞ。

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私だけでしょうか?

あんまり気分がふさいでばかりいてもアレなんで、どーでもいい話。

そういえば、むかし「私だけでしょうか?」という決めゼリフの漫談をしていた芸人がいたけど、だれだったっけな。

夜、人気(ひとけ)のなくなった職場のトイレに入る。

職場のトイレの明かりは、センサーになっていて、人が来れば明かりがつき、しばらくすると明かりが消えるしくみになっている。

で、真っ暗な廊下を歩いて、職場のトイレに入ると、ぱっと明かりがつく。

そこで、大でも小でもいいや、用を足していると、しばらくするうちに、ぱっと明かりが消える。

(おいおい、まだ人がいるのに…)

そう思って体を前後左右に揺らすと、ふたたび明かりがついたりする。

そこで、ふと考える。

(明かりが消えている間、俺はここに存在していないのではないか…?)

つまり、トイレのセンサーが「私」を感知しなくなり、明かりが消えた瞬間、「私」も、この世から消えてなくなっているのではないか?

そんなことを、夜中のトイレで考えていると、ちょっと怖い。

なんか大森荘蔵先生の哲学みたいな話だな。

…そんな立派なものではないか。

そんなことを考えるのは、私だけでしょうか?

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気分は低調

9月19日(水)

体調、最悪なり。11時より5時半に至るまで、会議の連続せるによるか。

昨日の記者会見、記事にとりあげたるは3社なり。予想に反し、大手A社がとりあげ、大手Y社はとりあげざるなり。記事の文章、いずれも面白く、記者が楽しみながら書ける様子が伝われり(あるいは余の思い過ごしか)。「きょうは楽しい取材でした」とメールに書きし記者の言葉は、真実ならんと思い、いささか救われり。

反響なきこと、前回に同じ。さしたることにはあらずと、自分に言い聞かせたり。

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記者会見、診察、バンド練習

9月18日(火)

体調の回復するまで、しばらく日々の出来事のみ記さん。

昨晩、咳がとまらず、明け方に至るまで眠るあたわず。

午前、職場の記者会見に参席せり。記者会見は、いと興味深し。記者の行動様式を、手にとるように知れり(障りあるによりて、詳らかに記すあたわず)。

余の会見後、記者たちこぞって余に名刺を渡し、会見内容について問い合わせたれば、翌日の新聞に掲載さるることあらんか。

地元のY社は、その後もたびたび電話にて問い合わせたりしかば、おそらく記事とならん。

大手のA社は、「きょうは楽しい取材でした」と、社交辞令のメールのみ来たりしゆえ、記事となる見込みなかるべし。

大手のY社は、「電話で問い合わせるかも知れません」とメールが来たり。記事となる見込みこれあるか。

他社については、音沙汰なし。

午後、病院に行き、昨今の症状を話し、診察を受け、薬を処方さる。病院につきては、今後も試行錯誤が続くべからん。

夕方5時過ぎ、出版社より原稿催促の電話あり。例により遅れしことをひたすら謝罪せり。嗚呼、余は人生に於いてひとつとして全うせしものなし。

夕方6時から、初のバンド練習を行えり。高校時代以来の念願、ついに叶えり。ギター、ドラム、ベース、キーボード、いずれも好ましき若者なり。20歳前後の若者にとりて、フュージョンなるジャンルの音楽ははじめての体験なれば、戸惑うこと多からん。願わくは楽しみつつ続けられんことを。

2時間は瞬く間に過ぎたり。

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しばしの休養

9月15日(土)~17日(月)

この3連休、東京にて、たまりにたまりし仕事を片づけたしと思えども、まず喉の痛みに耐えかね、やがて微熱が出で、さらに咳が止まらざりしによりて、三日三晩、眠りに眠り続けたり。

わが日記を案ずるに、昨年のこの時期も、また、一昨年のこの時期も、体調の悪しきによりて、仕事を進むるあたわず、ただ漫然と過ごしたることを記せり。とりわけ喉の痛みに始まり、微熱をともないながら、愈々咳まで止まらず、その症状の長く続きしさまは、このたびの症状ときわめて酷似せり。季節の変わり目なるによらんか。

嗚呼、日ごろの体調管理の悪しきさまを呪うばかりなり。いっそこのまま世を終えたしと思えども、日ごろいと疎ましき病院にも通わざれば、やがておのずと死に至る病にもならんかと、深く反省をいたし、体調管理につとめんことを誓いたり。

かくのごとく詮なき日記も、健康に障らざるあたわざること必定なれば、しばしの間、休養の必要ありかと思いめぐらせたり。

それにしても奇怪なるかな。毎年同じ時期に、同じ症状が出でしとは。

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凹むひと言

隣県のY高校の出張講義におじゃましたのは、これで2回目である。

このY高校は、早くからこういうことに取り組んでいて、システムがしっかりしている。

まず、出張講義をする側の私たちは、同じ内容の講義を、2コマしなければならない。

1コマ目と2コマ目では、生徒が入れ替わるのである。

つまり、生徒の側からすれば、いくつもある講義のなかから、2コマを選択することができるので、一粒で2度美味しい、という効果をもたらす。

だが、同じ内容の講義を2コマ連続で行う、というのは、やる側としては、けっこうツライ。

何が恥ずかしいって、1コマ目と2コマ目で、同じ冗談を言わなければならないときである。

生徒は入れ替わっているので問題ないといえば問題ないのだが、困るのは教室の一番後ろに座っている高校の先生である。

2コマともいらっしゃるので、2回とも同じ冗談を言うのは、どうも恥ずかしい。

(さっきと同じ冗談を言ってる…)と思っているんじゃないかと思っただけで、2回目に言う冗談は精彩を欠いてしまう。

なにしろ、言っている本人が、いちばん恥ずかしいのだ。

そんなことを、電話で妻に話した。

「講義のなかで、たとえ話として、携帯電話を例に出して○○○○○○○○っていう冗談を言ったんだけど、1回目はともかく、2回目に同じ冗談を言うのは、かなりキツイでしょ」

「そうねえ。1回目に聞いたとしてもかなりキツイものねえ」

…ということは、いまの冗談は、ツマラナイということか?

妻は、相手を凹ませるようなひと言を言う天才である。

こんな話題にもなった。

「フェイスブックをはじめてみようかなあ。今日たまたま、今年定年退職した職員のオジサンからメールをもらったんだけどさあ。フェイスブックをはじめたらベトナム人の友人が30人もできたんだってよ。すごいねえ」と私。

「ま、フェイスブックの『友人』は、本当の意味での友人とは限らないけどね」

これは正論。私がフェイスブックにあまり関心がない理由のひとつは、私が本当に信頼している友人の多くが、おそらくはフェイスブックに関心がないと思われるからである。

こんなこともあった。

先月、韓国に旅行したときのことである。

韓国人の友人の車に乗っていたとき、話題が右側通行と左側通行の話になった。

「日本は右側にハンドルがあって、左側通行ですよね。韓国と反対ですよね」と、運転していた友人が言う。「あれは、日本と英国だけですか?」

「いえ、たしか豪州も日本と同じだったはずですよ」と私。

そこから、よせばいいのに、これにまつわる何かおもしろエピソードを話さなきゃと、急に思ってしまった。

「左ハンドルを運転すると、ウィンカーとワイパーのレバーが日本とは左右逆でしょう。左ハンドルの車を運転していたとき、ウィンカーを出そうとして、うっかり右側のレバーを動かしたら、ウィンカーではなく、ワイパーが動きだしてしまって、焦ったんですよ」

という話を思いつき、それを韓国語で話そう、と思ってしまったのである。

しかし、この話を韓国語でおもしろおかしく話すのは、かなり至難の業である、ということを、話しはじめてから気づいた。

だが話しはじめてしまってので、途中でやめるわけにも行かず、結局、グダグダな感じで、この話は終わってしまった。

…という話を、帰国してから、妻にしてみた。

「韓国語では、込み入った冗談は言わない方がいいな。自滅するだけだ」と、私が言うと、

「そうねえ。日本語で聞いても、たいして面白い話でもないしねえ」

ガーン!

つまり、私の話は、総じて「面白くない」ということなのか?

いまのいままで、私の話を、「面白くない」と思いながら聞いていたということなのか???

どこの家でも、身内って、こんな凹むひと言を言うものなのか?

それとも、単に本当に俺が面白くないだけなのか???

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アポなしの再会

9月12日(水)

隣県のY市にあるY高校で出前講義が終わった後、D市にあるIさんの職場に、立ち寄ろうかどうしようか、迷っていた。

10年ほど前、あるプロジェクトで、Iさんと仕事をした。

それ以前からも、D市とは仕事の上で関わりがあった。多少感傷的なことを言えば、D市での一連の仕事は、私のその後の仕事の方向性を、決定づけるものとなった。だから大げさに言えば、私にとっての原点の場所である。

しかしここ数年は、D市にまったく訪れておらず、かつて一緒に仕事をしたIさんとも、お会いしていなかった。

理由はいくつかある。

1つめは、物理的に忙しくなってしまったこと。

2つめは、3年前に韓国に留学してから、私の仕事の方向性が少しずつ変わりはじめた、ということ。

3つめは、もう数年も離れてしまったので、もはや私の出る幕はないのではないか、と思ったこと。

冷静に考えれば、いずれも言い訳の理由にすぎないのだが。

風のうわさでは、「最近、あいつ(つまり私)をぜんぜん見ないが、彼はいったい何をしているのか?」と話題になっている、とも聞いた。

「まだ生きてますよ~」と伝えるためだけにでも、D市に行ってみようか。

しかし今更、どの面下げて行けばいいのか?

私は人間関係を築くのが苦手で、不義理を重ねた結果疎遠になってしまう、というケースがじつに多い。

D市の仕事に関わった人たちにも、すっかりと不義理を重ねてしまったのである。

(いっそのこと、アポなしで行ってみよう)

アポなしで職場に押しかけて、いれば挨拶だけでもして帰ってくればいいし、もしいなければそのまま帰ってしまえばよい。

午後2時15分、出前講義のプログラムが終わり、車でD市に向かう。家に帰る方向とは、正反対の方向である。

午後3時半。D市のIさんの職場に着いた。

そこにIさんがいた。

「いらっしゃると思ってました」

「え?」

「だって今日、Y高校で講義をしたんでしょう?」

さすが、情報が早い。

Iさんは、この数年間の自分のお仕事について、私に語り始めた。

ときに謙虚に、ときに自信をもって話す。誠実な語り口は変わらない。

この人は、本当にこの仕事が好きなんだなあ、と思う。

話を聞いているうちに、だんだん思い出してきた。

私は彼の誠実さにつられて、10年前に一緒に仕事をしたのだった。

しかも同世代であるという気安さも手伝って、その後も折にふれ話をするようになったのだ。

「…どうです?マニアックでしょう」ここ最近の仕事について語ったIさんが言う。

「マニアックなお仕事ですねえ。でも、そうとうおもしろいです」と私。

「こんなマニアックな話、なかなか聞いてくれる人はいませんよ」

気がつくと、1時間半が経っていた。

「今日は突然おじゃましてすみませんでした。でも、来てよかったです」別れ際に、私は言った。

「また一緒に仕事をしましょうよ」

「え?」

「そろそろ、こっちに戻ってきてくださいよ」

意外だった。私の出る幕はないだろうと思っていたからである。

「そうですね。そろそろ復活しますかね」

いまの仕事量からみて、本当にそれが可能か、自信がなかったが、しかしそうしなければならないだろう。そういうふうに言ってくれる人がいる限りは。

Iさんの職場を出たあと、近くを散歩した。

D市に通っていたころの風景は、そのままだった。

Photo

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ひとり居酒屋

9月11日(火)

終日、職場のイベントである。

午前の座学が終わり、午後の分科会で、分不相応な話をすることになった。

お昼は、豪華な弁当が出たが、例によって、味がしない

「パネラー、頼むよ」と電話がかかってきたのは、2週間くらい前のことだったか。

上司の相変わらずの「無茶ぶり」には、苦笑するほかないのだが、どうにも憎めない方なので、仕方がない。じつに稚拙な発表になってしまったが、なんとか終えることができた。

聴衆はほとんどいなかったが、わかってくれる人には、わかってくれたのだと思う。

夕方4時過ぎ、イベントが終わり、6時半過ぎに、車で2時間半ほどかかる隣県のY市に向かう。

明日の朝から、Y市の高校で出前講義なのである。

夜9時過ぎ、Y市に到着した。腹ぺこである。

「このへんで食事できるところはないですか?」ホテルのフロントに聞く。駅前の繁華街にあるホテルとはいえ、ホテルに着いた頃には、周囲はすっかりと店じまいしていたのだ。

「駅前に何軒か居酒屋がありますが、たいていは10時に閉まります」

急いで、駅前の居酒屋に行く。チェーン店ではない、地元の小さな居酒屋である。

じつに何年かぶりの、「ひとり居酒屋」である。12年ぶりくらいかも。

ふだんひとりでいるときは、ビールを飲むことはないのだが、荷が重い仕事を終えた今日は、許されるだろう。

小鉢をつまみながら、生ビールと焼酎を飲む。

(まるで、旅先の寅さんだな)

映画に出てくる寅さんも、こんなふうに旅先の小さな居酒屋で、ひとり酒杯を傾けていた。

そういえば、出前講義は、土地土地のお祭りに店を出して「口上」とともにモノを売るテキ屋の商売のようなものだ、と、以前この日記に書いたことを思いだした

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大半は空回り

基本的には、憂鬱な日々である。

なぜこんなに憂鬱なのか、と突きつめて考えてみると、どうやらいろいろなことが「空回り」していると感じているからである、と思い至った。

私がしていることは、大半が空回りである。

というか、人生の大半は、空回りしているのだ。

仕事の必要でインターネットを検索していたら、かつての同僚が某所に書いたエッセイが出てきた。

そこには、新学期が差し迫った時期に授業のことを考えるのはつらい、とか、何年たっても授業に慣れるということはなく、いまでも講義の前になると、相変わらずかなりのプレッシャーを感じる、とかいった文章が綴られていた。

一見、スマートで飄々としたその人は、日ごろはそんなことをおくびにも出さないのだが、実は私と同様、かなり「思い悩む人」であった。いや、ある意味、私以上に心が「どんより」する人であったのかも知れぬ。

そのことを知る人は、実はあまり多くはなかっただろう。

ときおり、思い出したかのように私のところにやって来て、他愛もない話をする。私が得意の自虐ネタをおもしろおかしく話すと、ゲラゲラと笑って、帰っていった。

私のところに思い出したように来るのは、「調子のいいとき」なのか、「調子の悪いとき」なのか、定かではなかったが、たぶん、いくぶん調子が上向きになったときだったのだろう。だから、私の自虐ネタも笑い飛ばせたのかも知れない。

私もご多分にもれず、クヨクヨするタイプだが、そんな私の話を聞いて、いささかでも心が軽くなる、というのは、やはり、根っこが同じだったからなのかも知れない。

…などと考えてみたが、たんなる私の思い過ごしかも知れない。

こんなことを書いていて、思い出したことがあった。

ちょっと前、ある女性芸人が、占い師にそそのかされて、タレント活動を休止する、みたいなことが話題になった。

その女性芸人と仲のよい友人だったある男性芸人が、「仲のいい友人だったんです。でも、そんなことを今さら言ってもどうにもならない。占いに頼らざるをえないくらい迷ったときに、こっちは頼ってもらえていないという時点で、俺に魅力がなかったということでしょう。それは俺の自己責任だ」と、日ごろ自虐ネタを売りにしている彼が、きっぱりとラジオで言っているのを聞いて、この人、本当は強い人なんじゃないだろうか、と思った。

印象に残った言葉だったので、心覚えに書きとめておく。

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枝豆の誘惑

痛風の発作の原因に、食べ物が大きく関係しているのではないか、という仮説を、先日書いた

白状すると、その食べ物の1つは、「枝豆」である。

春先だったか、実家から電話があった。

「枝豆は痛風に悪いらしいよ」

私は枝豆が大の好物で、それを知っている実家の母は、私が枝豆の季節にたまに実家に帰ると、ビックリするくらいの量の枝豆を用意してくれる。

私が1人でいるときも、ビックリするくらいの量の枝豆を茹でて食べる。

たぶんそれが、いけなかったのだろう。

しかも、枝豆が出回る季節は、ちょうど夏場の、今くらいの季節である。ただでさえ、夏は痛風の発作が出やすいのに、枝豆は、それを後押ししていたのだ。

ということで、今年は、「1人でいるときは、枝豆を茹でない!」と誓いを立てた。

ほかにもいくつか、「1人でいるときには、○○を食べない!」という誓いを立てたのだが、その甲斐あって、発作に悩まされることはなかった。

ところが、である。

先日、隣県で行われた「お笑い芸人合宿ライブ」(もちろんこれは、たとえ話)から帰ったあと、発作に見舞われた。

思い返すと、このときに、けっこう枝豆を食べていたんだなあ。

初日、友人たちと3次会に行ったときだったか。

「今の季節は、『茶豆』が美味しいんですよ」と、その県出身の友人。

「そうでしょう。有名ですもんね。ここの茶豆って」

「注文しますか?」

「そうしましょう」

と、うっかり注文してしまった。目の前に出されると、つい食べてしまう。

まあ、そんなことが続いたから、発作が起きたのだろう。体は正直である。

(今度こそ、枝豆はもう食べないぞ!)

と、6日(木)からこの週末にかけての出張では、「枝豆断ち」を誓ったのであった。

ところが、先日の京都出張のおり、先斗町の料理屋でのことである

「お薦めはなんです?」

「いまの時期ですと、枝豆が美味しいですよ。ほかの料理にちょっとお時間をいただきますが、これはすぐにお出しできます」と店の主人。

「どうする?」妻が私に聞く。妻は、枝豆が痛風によくないことを知っているのだ。

「まあ、…少しくらいなら大丈夫でしょう…」と私。薦められてしまっては、断るわけにもいかない。

ということで、枝豆が出されるが、出されると、やはりついどんどん食べてしまう。つくづく私は、意志が弱い。

「枝豆断ち」の誓いは、いとも簡単に破られてしまったのであった。

さて、京都から東京に戻り、8日(土)。

午後から都内で研究会があり、夜は、その打ち上げである。

いつもの居酒屋に行く。

「お料理のご注文は何にしますか?」とおかみさん。

ボスの先生が開口一番、「まずは枝豆だな。ここの店の枝豆は美味いんだ。ほかの店の枝豆にはあまり手をつけないが、ここの枝豆だけは特別だ」この店に来るたびに言う言葉である。

最初に枝豆が来た。

つい、手を出してしまう。やはり美味いなあ。

ハッ!いかん!無意識に枝豆をモリモリ食べてしまっている!

あああぁぁぁぁぁ!

今回の出張では、「枝豆断ち」を誓ったはずなのに、むしろふだんよりもたくさんの枝豆を食べてしまったではないか!

ひどい自己嫌悪に陥った。

結論。この時期の「枝豆断ち」は、難しい。

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乙女旅飯、ではなく、大人旅飯

8月6日(木)、京都。

出張先での楽しみは、食べることである。

今回は、妻も同じ仕事で一緒だったので、どうせならふだん行けないようなところに行きたい。

一度行ってみたいところがあった。先斗町(ぽんとちょう)である。

乙女旅飯」に対抗して、「大人旅飯」をすることにした。

「先斗町」という名前は、小学生くらいの頃だったか、

「富士の高嶺に降る雪も

京都先斗町に降る雪も

雪に変わりはないじゃなし

とけて流れりゃみな同じ」

という歌を聴いたことがあって、そこに出てきた「ぽんとちょう」という言葉の響きが、なんとなく印象に残った。その歌が「お座敷小唄」の1番の歌詞であることを、後に知った。

先斗町は、大人のお座敷遊びをする店がたくさんあって、「いちげんさん」は近づけない、というイメージがある。

別に私はお座敷遊びをしたい気はさらさらないのだが、なんとなく先斗町に憧れていた。

「いちど、先斗町で食事をしてみたいねえ」

と妻に言うと、なんと妻が日ごろ親しくしている年上の友人の知り合いが、先斗町で料理屋をやっているという。

さっそく、その友人に連絡をとってもらうと、その友人の方が、お店の主人に電話をしてくれた。

夕方6時半。お店の名前を頼りに、先斗町を歩く。

220pxpontocho_by_night以前も何度か通りを歩いたことがあったが、先斗町の特徴はなんといっても、路地が狭いことである。

その狭い路地を歩くと、目的の店があった。

「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」

という男性の元気な声。この店のご主人である。

「お話は先輩からうかがっております」

この店を紹介してくれた妻の友人というのは、私よりも少し年上の女性で、この店の主人はその方の大学時代の後輩だ、ということだったから、たぶん私と同じくらいの年齢なのだろう。

店は、カウンターと、奥の座敷にテーブルが2つほど。こじんまりした、隠れ家的な店である。この店を、男性のご主人が一人で切り盛りしている。

このご主人、とにかく、気さくで明るい。

「ご出身はやはり京都なんでしょう?」

「いえ、栃木県です」

てっきり京都の方かと思った。

いろいろとうかがってみると、京都の大学を6年かけて卒業したあと、「人と話したり、人に喜んでもらったりする仕事が、自分にはむいているのではないか」と思い、京都の料亭に10年間弟子入りして、その後、独立してこのお店を持つことになったという。「もうこの店を10年やっています」と言っていたから、やはり彼は私と同い年くらいである。

10年か。吉本隆明は、「どんな仕事でも、10年間、毎日休まずに続けたら、必ずいっちょまえになれる」と言っていたが、まさにその通りなんだな。

「ご家族は?」

「妻と娘が、大阪にある妻の実家に住んでいます」

つまり、単身赴任ということらしい。ふだんは、一人でこの店を切り盛りしているのだ。

「先斗町にお店を出すって、すごいですねえ」

「でも、私がもし倒れたら、それで終わりですからねえ、この仕事は。それに、景気にも左右されますし」

なるほど。日々が孤独な戦いである。

先日、講談師の方にお話をうかがったときも、「昨年の震災の後、しばらくの間、仕事がガタッと減った。その時はじめて、ああ、こういう仕事は、真っ先に切られてしまうんだな、と思って、この身ひとつで仕事していることに、不安を感じた」と言っていた。

それに、どんな客が来るかもわからない。あらゆる客が満足するように、料理の腕をふるい、お客を楽しませなければならない。

Photo 料理もお酒も、文句なく美味しい。

もちろん素材のよさもあるのだろうが、腕がよいのだ。それに、ひとつひとつを料理を、丹誠込めてつくっている。それが伝わるのだ。

「大学時代にお世話になった先輩に後で怒られてはいけませんので、サービスさせていただきます」

Photo_2 と、なんと松茸をサービスしてくれた。

松茸ですよ!ま・つ・た・け!

松茸なんて、何年ぶりだろう。

私も妻も、ビックリするくらい「座持ちが悪い」のだが、そんな私たちにも、気を遣っていろいろと話しかけてくださる。

お店はしばらくの間、私たちだけしかいない、いわば「貸切状態」だったが、やがてひと組の男女がやってきて、カウンターに座った。どうやら男性のほうは常連で、その男性が、初めて女性をこのお店に連れてきたようである。

まあ、はっきりいって「アレ」な感じの女性だったのだが、そういう女性に対しても、ご主人はちゃんと話を合わせ、しかも、連れてきた常連客の男性のことも、しっかりと立てる。

料理とお酒を堪能して、お店を出る。

「私たち、絶対に客商売できないね」と妻。「私だったら、お客さんがひと組来ただけでグッタリだな」

同感である。いろいろなことを考えさせられた「大人旅飯」でありました。

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節句働き

9月5日(水)

「節句働き」という言葉は、妻に聞いて初めて知った。

妻の同僚のAさんは、とてもマイペースな方で、ふだんはのんびりとされているのだが、仕事の締切が迫ると、追い詰められたように仕事をはじめる。毎回、決まってそうである。

妻はその様子を見ていて、「もっと早くから始めればいいのに…」と思うという。

別の同僚はその様子を見て、「A君は節句働きだねえ」と言ったという。

なるほど、そういう人のことを、「節句働き」というのか。

節句働きとは、ふだん怠けている人が、みんなが休んでいる節句になると急に忙しいふりをすることを言うらしいが、もちろんここでは、それほど強い意味ではない。

前々から見通しを立てて準備しておけば、何も休みの日にまで働くことはないのに、というていどの意味である。

実は私自身も、「節句働き」の傾向がかなり強い。ふだんはまったくやる気が起きないのに、休みになると急に追い立てられる感じになって仕事をしようとする。ま、私の場合、休みになってもやる気が起きない場合が多いのだが。

今日、昼の会議のときに、自分の手帳をめくっていて、暗澹たる気持ちになった。

9月中に、やるべき仕事がけっこう多い。

だが、昼間はなかなか進まない。会議と会議の合間に進めようとしても、やる気が起こらない。

夜、新幹線で東京に行くことになっていたので、新幹線の中で、少しでも仕事を進めることにしよう。

パソコンを開いて、来週の仕事の資料を作り始める。

しかし、コンディションが悪いのか、パワーポイントの資料を作成しているうちに、気持ちが悪くなってしまった。

完全な乗り物酔いである。

オエー、オエー、とエヅキながら続けるが、途中でギブアップ。

もともと私は、乗り物に弱いのだ。

仕事以外の文章なら平気なのだが、仕事の文章だと、なぜか気持ちが悪くなる。

これを解決するには、2つの選択肢しかない。

ひとつは、節句働きをやめること。

もうひとつは、三半規管を鍛えることである。

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俺の縮尺

ネタがないので、他愛もない話。

私と同世代のラジオDJが、「今の若い子にとっての○○を、俺の縮尺に当てはめてみると…」という空想をして楽しんでいた。

例えば、こういうことである。

今の20歳の若者にとって、安室奈美恵の「CAN YOU CELEBRATE?」(1997年)という歌は、5歳のときに流行った歌である。自分の世代にとっては、つい最近の歌だが。

それを、自分に置きかえたらどうなるか?自分が5歳の時に流行った歌は、ちあきなおみの「喝采」である。

そう考えるとショックだなあ。そりゃあ、今の若者と、ぜんぜん話が合わないわけだ。

…という脳内での遊びをそのDJがしていて、その脳内遊びを「俺の縮尺」と呼んでいた。

先日、今年卒業した若者たちと温泉旅行に行ったときのことである

夜、同室だったT君(20代前半)とテレビを見ていたら、たまたま大人気刑事ドラマをやっていた。

なにしろ私の家にはテレビがないから、久しぶりに見るテレビは新鮮である。

すると、そこに内田有紀が出ていた。久しぶりに見る内田有紀である。

私が20代だった頃、内田有紀といえば、それはそれはかわいいアイドルだった。

若いころ、好きなタイプはと聞かれて、「内田有紀」と答えたほどである。理由は、ショートカットだから。

まあそんなことはいい。

久しぶりに見る内田有紀は、ぜんぜん変わっていない。

「あの人、内田有紀でしょう?内田有紀、ぜんぜん変わってないなあ」思わず口をついて出た。

それを聞いたT君、「そうです。内田有紀ですねえ」と答える。

そこで、はたと気づく。

私にとって内田有紀は、年下のアイドルのままなのだが、T君にとっては、かなり年上のお姉さんである。いや、お姉さん、といっていいのか、微妙な年齢である。

てっきり、同世代の友人同士で喋っている錯覚に陥ってしまったのだ。いかんいかん。

そこでT君に聞いてみた。

「私にとって内田有紀は永遠のアイドルだけど、T君にとって内田有紀は、どんな風に映っているの?」

「どんな風にって言われましても…」

考えてみれば無茶な質問である。だしぬけにそんな風に聞かれても、答えられるはずがない。

「私にとっては、誰みたいな感じなんだろうか?」と私は自問自答する。つまり、「俺の縮尺」では誰に当たるのか?と考えはじめたのである。

T君と内田有紀とでは、干支でひとまわりくらい年齢が違う。それを「俺の縮尺」に当てはめてみると…。

すぐには思い浮かばず、その日はうやむやになってしまった。

しかし、帰ってからも、気になって気になって仕方がない。

「俺の縮尺」に当てはめると、誰みたいな感じだろうか?

あれこれ調べてみて、ハタと膝を打った。

「キャンディーズのランちゃんだ!」

つまり伊藤蘭さんである。

そう考えると、思ったほど違和感がない(「違和感」ってどういうことだ?)。というより、かなりしっくりくる。

T君が内田有紀を見る感覚は、私がランちゃんを見る感覚と同じだったのか!

「溜飲が下がる」とは、このことである。

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いまさら解禁(追記あり)

9月3日(月)

さて質問です。

みなさん、「トガニ」って、知ってますか?

「それは知ってるでしょう。だって、新聞の全国版にも紹介されたんだから」と妻。

そりゃあ、「トガニ」に注目している妻や私は知っているだろうよ。でも、まったく関心のない人が、その記事に気づいて、「トガニ」を知る人は、どのくらいいるのだろう?

私は、ほとんどいなかったのではないか、とふんでいる。

…というのが、前置き。

○月×日。

私は新聞の全国版に載った。

といっても、犯罪とか、悪いことをしたからではない。自分の仕事が、けっこう大きく紹介されたのである。

掲載されるかどうか最初は半信半疑だったのだが、「○月×日に載ります」と記者の方にいわれたので、その日を待って、新聞を買いに行くと、はたして載っていた。

さっそく実家に電話する。

「今朝の○○新聞、読んだ?」

「読んだよ」と母。実家では、私が載った新聞と同じ新聞を購読しているのだ。

「オレが載ってたんだけど、見た?」

「え?知らないよ」

なんと!実の親が、新聞に載っている私の名前に、気づかなかったというのだ。

肉親が一番に気づかずに、ほかに誰が気がつくというのか?

「よく読んでみてよ。載っているはずだから」

「わかった」

私は、肉親にも気づかれていなかったことに、落ちこんだ。

夕方、妻からメールが来る。

「50円返せ!夕刊を買ったが、どこにも載ってなかったじゃん!」

妻の家で購読している新聞は、私が載った新聞とは異なる。私はあらかじめ、「○月×日、○○新聞に載るそうだ。朝刊か夕刊かはわからないが、たぶん夕刊だろう」と妻に言っていた。今から思えば、夕刊に載る、というのは、まったく根拠のない推測である。

妻はその言葉通り、その日の夕方、店先に夕刊が出るのを待って、夕刊を買ったのである。

だが、私が載ったのは朝刊だったので、夕刊に載っているはずはない。

「50円返せ!」という怒りのメールは、無駄な買い物をさせられたことを責めたものである。

しかも、夕刊が販売される時間帯には、店先から朝刊は撤収されてしまうので、いまさら朝刊を買うこともできない。

つまりその日、妻はその記事を読むことができなかったのだ。

このことにも落ちこんだ。

(まったく…せっかく全国紙にデビューした記念すべき日なのに、何でこんなに落ちこまなきゃならないんだ?)

気をとりなおして翌日。

(職場で誰かに「新聞見たよ」とか、言われるかなあ)

と期待するが、誰ひとり、新聞を見た、と言ってくれる人がいない。

まあいいか、と気をとりなおす。

うちの職場の廊下には掲示板があって、そこには、同僚たちが新聞に載ったりしたときの新聞記事がたくさん貼られている。

新聞に載ることは、職場全体のイメージアップにもつながるからである。

誰か職員の方が新聞を読んで見つけてくれて、ご親切に貼ってくれているんだろう。

私の記事は、けっこう大きくとりあげてくれていたから、誰かが見つけて、貼ってくれているかなあ。

…などと期待しながら、その掲示板の前を通りかかる。

そうねえ。たとえていえば、中学生のころ、バレンタインデーの日に「下駄箱にチョコレート、入っていないかなあ」と見に行くような心境である。

だが、その掲示板には貼られていなかった。

ここでまた、ひどく落ちこんだ。

私の中で、二つの可能性が浮上した。

1つは、誰ひとり、あの記事を読んでいない、という可能性。

もう1つは、読んでいる人がいるにはいるが、まったく無視されている可能性。

(これは、ひょっとすると…後者の可能性か?…)

得意の被害妄想が、頭をもたげてきた。

それからというもの、毎日職場の掲示板の前を通るのだが、待てど暮らせど、私の新聞記事が掲示される気配がいっこうにない。

(これはやはり、私が職場で嫌われているとしか思えない…)

ますます被害妄想が膨らんだ。

それどころか、同僚だけでなく、同業者からも、「記事を見た」といってくれる人がいない。

もうあの記事は、誰ひとり読んでいないんだな、と、悲しくなってきた。

こうなったら、意地でもこっちからは何も言わないようにしよう、と決め込んだ。

だが、それではあまりにも悲しすぎる。

そして今日の夕方。

思いきって、職員のひとりに聞いてみた。

「あのう…、たいへん聞きにくいことなんですが」

「何でしょう」

「廊下のところに、掲示板がありますでしょう?同僚の載った新聞記事が貼ってある」

「ええ、ありますね」

「あの新聞記事って、どなたが見つけて貼っておられるんですか?…いや、参考までにお聞きするだけなんですが…」

「ああ、あれですか。あれはですねえ」

「ええ」

「自己申告です」

「じ、自己申告?」

「ええ。先生方が持ってこられた新聞記事を、ただ貼っているだけです」

なんと!自分で職員さんのところに持っていって、「これ貼っといて」と依頼するのだという。

まるで、「笑っていいとも!」のタモリさんみたいな感じだ。

「…ということは、自己申告しなければ、貼ってもらえない、ということですか?」

「そういうことです。最近は、職員が新聞を細かくチェックしていないので、すべて先生方の自己申告によっているんです」

そこまで言って、職員の方が気がついたようだった。

「ひょっとして、新聞に載ったんですか?}

「いえ、…その…そういうわけじゃ…」

「あ!新聞に載ったんですね!そうでしょう?」

「ええ、…まあ」

「ダメですよ、ちゃんと言ってくださらないと!」

「しかし、自己申告、というのはどうも…」私は逡巡した。

「みなさん、ふつうに『これ貼っといて』といって持っていらっしゃるんですよ。なかには事細かに内容を説明してくださる先生もいらっしゃいます。べつになんともないじゃありませんか」

「いや、ちょ、ちょっと待ってください。もしですよ。もし私の新聞記事が掲示板に貼られていたとしたら、その記事を見た人が、『あいつ、自己申告したんだな』と思う、ってことですよね。それはちょっとイヤだなあ」

私もそうとうな自意識過剰である。

「そんなこと、誰も思いませんよ!」職員の方は、呆れ顔である。

「いや、…やっぱりいいです」と私。

「いや、いけません。あの掲示板は、学生もけっこう見ているんですよ。学生にとっても大事なことです。…だったら私がその記事をさがします。で、私が貼ったことにします。『私が貼りました』と、私の名前も書いておきますから」

「ちょ、ちょっと待ってください。そんな…さがすなんて、それこそ時間の無駄です。それに、それではまるで私が圧力をかけて貼らせた、みたいなことになるではないですか」

「そんなことありませんって!」職員の方は、かなり呆れている。

「とにかく、自分からは言いたくないんです」と私。

「じゃあ、ヒントだけでも教えて下さい。それをもとに新聞をさがしますから」と職員の方。

…とここまでの押し問答で、ふと我に返る。

オレって、なんと面倒くさい性格だろう。

こんなことなら、素直に自己申告した方が、職員の方の無駄な仕事を増やさずに済むではないか!

「すいません。じゃあ、言います」

ついに私が根負けして、掲載紙と日付を言った。

あ~あ。こんなことなら、生涯黙っておけばよかった、とひどく後悔した。

いや、それよりも、新聞になんか載るんじゃなかった。

(追記)

構成演出上の理由からコメント欄を閉じていたら、なんとこぶぎさんが自身のブログで、この記事に関するコメントを書いてくれておりました。好評の「土佐司」シリーズです。

こんなことなら、コメント欄を閉じるんじゃなかったと、またまた後悔した次第。

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疼痛温泉

9月1日(土)~2日(日)

今年3月に卒業した卒業生たちと、隣県の温泉に行く。

先日、彼らと飲んだときに、「今度は温泉に行こう」という話しをしていて、それをたまたまそこに居合わせていた私が聞いていたので、誘わないと悪いだろうと、気を遣って誘ってくれたらしい。

飲み会のときに、私は図々しいことに、「どうせ行くのなら、S温泉のIという旅館がいい」と、アドバイスをしてしまった。そしてその通り、その旅館を予約したという。

まあ、誘ってくれることは今後もうないだろうと思い、ありがたく参加することにした。

だが心配なのは、昨日からの痛風の発作である。

一夜明けて、少し痛みはおさまったが、まだ疼痛といった感じである。

こういうとき、温泉で温めていいものかどうかわからない。

医者には「冷やす方がいい」と言われているが、温泉は「関節痛に効く」ともいう。

まあ、「湯治」という言葉があるくらいだから、むしろよいのだろう。

夕方、車で1時間ほどの、温泉旅館に到着する。

土曜日のせいか、旅館の目の前の駐車場はいっぱいである。

番頭さんが近づいてきた。

「申し訳ありません。前の駐車場がいっぱいなので、第2駐車場に止めていただけないでしょうか?」

「どこにあるんです?」

「この坂の上の方です」

えええぇぇぇ!!坂の上の駐車場ということは、そこから歩いて降りてこなければならないということか!

ふだんなら何でもないのだが、なにしろ私の左足は疼痛なのである。

仕方がない。車を第2駐車場にとめて、やや急な坂道を歩いて降りてゆく。

(痛いタイタイタイタイタイ!)

と、心の中で叫びながら、ようやくフロントに到着。

先に来ていた卒業生のT君が迎えにきてくれた。

「先生、お疲れさまです」

「今日は何人来ているの?」

「卒業生は全部で6人です。先生を入れて7人です。男子は僕だけです」

T君の案内で、まず部屋に向かう。エレベーターで6階に上がる。

この旅館はとても大きく、部屋数も多い。

「部屋はどこなの?」

「6階の一番奥の部屋です」

エレベーターからいちばん遠いところにある部屋らしい。

直線距離にして100メートルはあるだろうか。

(痛いタイタイタイタイタイ!)

と心の中で叫びながら、100メートルほど廊下を歩き、ようやく部屋に到着。

「夕食までまだ時間がありますから、温泉に入りましょう。露天風呂もありますし」

ということで、まずは大浴場に行く。

また100メートルの廊下を歩いて、エレベーターで1階に行く。そこから1階のフロアを横断し、また別のエレベーターに乗り換えて、地下2階に向かう。そこが大浴場である。

なにしろ広い旅館なのだ。足の痛い身にとっては、移動だけでひと苦労である。

しかし、温泉に入れば足の痛みも治るであろう、ということだけを信じて、大浴場に向かう。

大浴場を出たあと、せっかくだからということで、今度は露天風呂に入ることにする。

「露天風呂は、いったんこの大浴場を出て、さらに階段を下った一番下のところにあるそうです」

大浴場と露天風呂が同じところにあるのかと思ったら、そうではない。いちど浴衣を着て大浴場を出て、長い長い階段を下りていったところに、露天風呂があるというのだ。露天風呂を川の近くの景色のいいところに作っているのだから、当然そうなる。

(痛いタイタイタイタイタイ!)

と心の中で叫びながら、長い長い階段を一歩ずつ下り、ようやく露天風呂に到着。すでにもう汗だくである。

露天風呂に入ったあと、また長い長い階段を上り、エレベータで1階に行き、そこからまたエレベーターを乗り換えて、6階へ。さらに100メートルの廊下を歩いて、ようやく部屋に戻る。部屋に戻ったころには、また大汗をかいている。

(まったく、汗を流しに来たのか、汗をかきに来たのか、わからないな…)

午後7時、夕食の時間である。

夕食会場に行くと、

「バイキング形式です」

という。

えええぇぇぇぇ!!てっきり、黙って座っていれば料理が出てくるものとばかり思っていた。

バイキングってことは、自分で歩きまわって、好きなものをとりに行け、ということか?

これがふだんなら、好きなものが食べられる、ということで手放しで喜べるが、足が疼痛の身にあっては、少々億劫になる。

(痛いタイタイタイタイタイ!)

と心の中で叫びながら、テーブルと料理スペースの間を往復する。

誤解のないように書いておくと、料理も美味しかったし、温泉もよかったのだ。

それに、夕食後に行われた抽選会では、100人ほどのお客さんを前に、なんと1人だけ地酒も当たってしまい、十分に楽しめた1泊2日だった。

ただ、こっちのコンディションが悪かったばっかりに、少しばかり、痛みがともなってしまった。

結論。健康になるために温泉に行くよりも、健康な人が温泉に行った方が、はるかに楽しめる!

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