いまさら解禁(追記あり)
9月3日(月)
さて質問です。
みなさん、「トガニ」って、知ってますか?
「それは知ってるでしょう。だって、新聞の全国版にも紹介されたんだから」と妻。
そりゃあ、「トガニ」に注目している妻や私は知っているだろうよ。でも、まったく関心のない人が、その記事に気づいて、「トガニ」を知る人は、どのくらいいるのだろう?
私は、ほとんどいなかったのではないか、とふんでいる。
…というのが、前置き。
○月×日。
私は新聞の全国版に載った。
といっても、犯罪とか、悪いことをしたからではない。自分の仕事が、けっこう大きく紹介されたのである。
掲載されるかどうか最初は半信半疑だったのだが、「○月×日に載ります」と記者の方にいわれたので、その日を待って、新聞を買いに行くと、はたして載っていた。
さっそく実家に電話する。
「今朝の○○新聞、読んだ?」
「読んだよ」と母。実家では、私が載った新聞と同じ新聞を購読しているのだ。
「オレが載ってたんだけど、見た?」
「え?知らないよ」
なんと!実の親が、新聞に載っている私の名前に、気づかなかったというのだ。
肉親が一番に気づかずに、ほかに誰が気がつくというのか?
「よく読んでみてよ。載っているはずだから」
「わかった」
私は、肉親にも気づかれていなかったことに、落ちこんだ。
夕方、妻からメールが来る。
「50円返せ!夕刊を買ったが、どこにも載ってなかったじゃん!」
妻の家で購読している新聞は、私が載った新聞とは異なる。私はあらかじめ、「○月×日、○○新聞に載るそうだ。朝刊か夕刊かはわからないが、たぶん夕刊だろう」と妻に言っていた。今から思えば、夕刊に載る、というのは、まったく根拠のない推測である。
妻はその言葉通り、その日の夕方、店先に夕刊が出るのを待って、夕刊を買ったのである。
だが、私が載ったのは朝刊だったので、夕刊に載っているはずはない。
「50円返せ!」という怒りのメールは、無駄な買い物をさせられたことを責めたものである。
しかも、夕刊が販売される時間帯には、店先から朝刊は撤収されてしまうので、いまさら朝刊を買うこともできない。
つまりその日、妻はその記事を読むことができなかったのだ。
このことにも落ちこんだ。
(まったく…せっかく全国紙にデビューした記念すべき日なのに、何でこんなに落ちこまなきゃならないんだ?)
気をとりなおして翌日。
(職場で誰かに「新聞見たよ」とか、言われるかなあ)
と期待するが、誰ひとり、新聞を見た、と言ってくれる人がいない。
まあいいか、と気をとりなおす。
うちの職場の廊下には掲示板があって、そこには、同僚たちが新聞に載ったりしたときの新聞記事がたくさん貼られている。
新聞に載ることは、職場全体のイメージアップにもつながるからである。
誰か職員の方が新聞を読んで見つけてくれて、ご親切に貼ってくれているんだろう。
私の記事は、けっこう大きくとりあげてくれていたから、誰かが見つけて、貼ってくれているかなあ。
…などと期待しながら、その掲示板の前を通りかかる。
そうねえ。たとえていえば、中学生のころ、バレンタインデーの日に「下駄箱にチョコレート、入っていないかなあ」と見に行くような心境である。
だが、その掲示板には貼られていなかった。
ここでまた、ひどく落ちこんだ。
私の中で、二つの可能性が浮上した。
1つは、誰ひとり、あの記事を読んでいない、という可能性。
もう1つは、読んでいる人がいるにはいるが、まったく無視されている可能性。
(これは、ひょっとすると…後者の可能性か?…)
得意の被害妄想が、頭をもたげてきた。
それからというもの、毎日職場の掲示板の前を通るのだが、待てど暮らせど、私の新聞記事が掲示される気配がいっこうにない。
(これはやはり、私が職場で嫌われているとしか思えない…)
ますます被害妄想が膨らんだ。
それどころか、同僚だけでなく、同業者からも、「記事を見た」といってくれる人がいない。
もうあの記事は、誰ひとり読んでいないんだな、と、悲しくなってきた。
こうなったら、意地でもこっちからは何も言わないようにしよう、と決め込んだ。
だが、それではあまりにも悲しすぎる。
そして今日の夕方。
思いきって、職員のひとりに聞いてみた。
「あのう…、たいへん聞きにくいことなんですが」
「何でしょう」
「廊下のところに、掲示板がありますでしょう?同僚の載った新聞記事が貼ってある」
「ええ、ありますね」
「あの新聞記事って、どなたが見つけて貼っておられるんですか?…いや、参考までにお聞きするだけなんですが…」
「ああ、あれですか。あれはですねえ」
「ええ」
「自己申告です」
「じ、自己申告?」
「ええ。先生方が持ってこられた新聞記事を、ただ貼っているだけです」
なんと!自分で職員さんのところに持っていって、「これ貼っといて」と依頼するのだという。
まるで、「笑っていいとも!」のタモリさんみたいな感じだ。
「…ということは、自己申告しなければ、貼ってもらえない、ということですか?」
「そういうことです。最近は、職員が新聞を細かくチェックしていないので、すべて先生方の自己申告によっているんです」
そこまで言って、職員の方が気がついたようだった。
「ひょっとして、新聞に載ったんですか?}
「いえ、…その…そういうわけじゃ…」
「あ!新聞に載ったんですね!そうでしょう?」
「ええ、…まあ」
「ダメですよ、ちゃんと言ってくださらないと!」
「しかし、自己申告、というのはどうも…」私は逡巡した。
「みなさん、ふつうに『これ貼っといて』といって持っていらっしゃるんですよ。なかには事細かに内容を説明してくださる先生もいらっしゃいます。べつになんともないじゃありませんか」
「いや、ちょ、ちょっと待ってください。もしですよ。もし私の新聞記事が掲示板に貼られていたとしたら、その記事を見た人が、『あいつ、自己申告したんだな』と思う、ってことですよね。それはちょっとイヤだなあ」
私もそうとうな自意識過剰である。
「そんなこと、誰も思いませんよ!」職員の方は、呆れ顔である。
「いや、…やっぱりいいです」と私。
「いや、いけません。あの掲示板は、学生もけっこう見ているんですよ。学生にとっても大事なことです。…だったら私がその記事をさがします。で、私が貼ったことにします。『私が貼りました』と、私の名前も書いておきますから」
「ちょ、ちょっと待ってください。そんな…さがすなんて、それこそ時間の無駄です。それに、それではまるで私が圧力をかけて貼らせた、みたいなことになるではないですか」
「そんなことありませんって!」職員の方は、かなり呆れている。
「とにかく、自分からは言いたくないんです」と私。
「じゃあ、ヒントだけでも教えて下さい。それをもとに新聞をさがしますから」と職員の方。
…とここまでの押し問答で、ふと我に返る。
オレって、なんと面倒くさい性格だろう。
こんなことなら、素直に自己申告した方が、職員の方の無駄な仕事を増やさずに済むではないか!
「すいません。じゃあ、言います」
ついに私が根負けして、掲載紙と日付を言った。
あ~あ。こんなことなら、生涯黙っておけばよかった、とひどく後悔した。
いや、それよりも、新聞になんか載るんじゃなかった。
(追記)
構成演出上の理由からコメント欄を閉じていたら、なんとこぶぎさんが自身のブログで、この記事に関するコメントを書いてくれておりました。好評の「土佐司」シリーズです。
こんなことなら、コメント欄を閉じるんじゃなかったと、またまた後悔した次第。
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