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ゴロウさんの自転車

9月30日(日)

たとえば、そうねえ。食堂とか、居酒屋。

うちの師匠なんかは、気に入った居酒屋があったりすると、ずーっと同じ店に通う。私もその傾向がある。

妻はどちらかというと、「できるだけ新しい店を開拓しよう」とするタイプである。

つまり、人間には二通りあって、一度行った店に何度も行こうとするタイプと、できるだけ違う店を開拓しようとするタイプに分かれる、ということだ。前者の方は、行動パターンが分かりやすい。

私の岩盤浴通いも、言ってみれば前者のパターンである。

お昼前、昨日に引き続き、岩盤浴に行く。

1時少し前に岩盤浴を出て、昼飯にラーメンでも食べようかと、車でラーメン屋さんの候補を何カ所か徘徊するが、日曜日で家族連れが多いせいか、けっこう混んでいて、駐車スペースにも車が溢れていたので、諦めて昼食を抜くことにした。

運転しながら、ひとつ思い出したことがあった。

(そうだ!自転車を買うんだった!)

新学期前にやっておきたいことが2つあった。ひとつは岩盤浴、そしてもうひとつは、自転車を買うことである。

大学時代から乗っている自転車を、就職のためこちらに引っ越したときに、東京の家から持ってきていたのだが、パンクしたり鍵が壊れたりして、もう10年も乗っておらず、アパートの前で朽ち果てていた。

毎日、その自転車を見るたびに、ああ、長いつきあいの自転車なのに、ぞんざいな扱いをして悪いことをしたなあ、と思って、胸が締めつけられるような思いだった。

私の実家の、道路をはさんだ向かいに、小さな自転車屋さんがあった。その自転車屋さんは、私の父の同級生がひとりで切り盛りしていた。その人の名を、ゴロウさん、といった。物心ついた頃から、ゴロウさん、ゴロウさん、と、そのオジサンのことを呼んでいた。

たぶんゴロウさんは、中学校を出てから、ずーっと自転車一筋だったのだと思う。

わが家の自転車は、当然のごとく、ゴロウさんの店で買った。自転車に不具合が起こるたびに、ゴロウさんの店で修理してもらった。近所の友達もみんな、自転車についてはゴロウさんにすべてまかせていた。

ゴロウさんは、毎日油まみれになりながら、自転車を修理していた。手はいつも真っ黒だった。ずーっと独身で、いつもひとりだった。口数が少なく、一見無愛想な感じだったが、根っからのいい人であった。

私が小学校3年生くらいの頃だったか。

それまで補助輪をつけて自転車に乗っていた私は、あるとき母に、これからは補助輪なしで自転車に乗りなさい、と言われた。

しかし私は、補助輪なしで自転車に乗ることができなかった。

それを見かねた母が、家の前の道路で、自転車に補助輪なしで乗るための猛特訓を始めたのである。

補助輪なしでペダルをこごうとすると、私はバランスを崩し、すぐに両足をついて、自転車を止めてしまう。何度も何度も、である。

体育会系の母は、そのたびにものすごい剣幕で私を叱った。

「何やってるの!足をついちゃダメでしょう!この根性なし!」

私は、自転車に乗れないのと、母にすごい剣幕で叱られたのとで、わんわん泣いた。

その様子を一部始終見ていたのが、ゴロウさんである。

「おい、あんまり叱ってやるなよ」

そういうとゴロウさんは、私の乗っている自転車の後ろを押し始めた。

「ほら、こいでみな」

ゴロウさんに後押しされて、ペダルをこぎ始める。

ちょうどいい頃合いに、ゴロウさんが手を放した。

すると不思議なことに、それまで全然乗れなかった自転車が、乗れるようになった。

それから私は、ゴロウさんを尊敬するようになった。

ゴロウさんのお店は、奥に居間のような生活スペースがあって、夜になるとゴロウさんはひとりでテレビのプロ野球を見ながら晩酌をしていた。自転車と晩酌をこよなく愛しているんだなあ、と思った。

高校時代は3年間、片道35分かけて自転車通学した。もちろん、ゴロウさんの店で買った自転車である。

パンクしたり壊れたりすると、ゴロウさんに修理してもらった。

あれはいつだったか、覚えていない。大学院生の頃だったか。とにかく、15年以上前のことだったと思う。

ゴロウさんは体調をくずし、突然この世を去った。

「まだ若いのに…」近所の人たちが口々にそう言った。ゴロウさんは、ずっと独身のまま、町の自転車屋さんとして、その生涯をとじたのである。

ゴロウさん亡き後、その自転車屋さんは、お店をたたんだ。当然である。だってあのお店は、ゴロウさんそのものだったんだもの。

それ以来私は、自転車を買っていない。私は、まるでゴロウさんの形見のように、ゴロウさんの店で最後に買った自転車を、こちらに引っ越してくるときに持ってきた。

だがその自転車も、乗らないうちにあっという間に朽ちてしまった。私がその朽ち果てた自転車を見るたびに胸が締めつけられるような思いがするのは、ゴロウさんに申し訳ない、と思っていたからかもしれない。

しかしいつまで朽ち果てた自転車を眺めていても、自転車に乗れるわけではない。

自分の健康のことも考えて、これからは自転車に頻繁に乗ることにしよう、と決意したのである。

できれば、明日の新学期から、自転車通勤がしたい。そう思って、家から歩いてすぐのサイクルショップに向かった。

「あのう、…自転車を1台ほしいんですけど」

「どうぞご覧ください」

「実はうちに、朽ち果てたボロボロの自転車があるんですけど、…それを修理した方がいいでしょうか?」

「いえ、うちの店は、1台お買い上げいただくと、自転車を1台引き取らせていただくこともできます」

「そうですか」

新しい自転車を買うことにした。

「これをお願いします」

「承知しました」

「今日、乗って帰れますか?」

「いえ、整備した上でないとお渡しできません」

「そうですか」

「それでたいへん申し訳ないのですが、いまたいへん混み合っておりまして、自転車をお渡しするのに、5日ほどかかります」

「5日ですか?!」

今日乗って帰れると思っていたのに、出鼻をくじかれたとは、このことである。

ゴロウさんなら無理を聞いてくれて、その日のうちに渡してくれるだろうにな、と思った。

「ご自宅の自転車はその前にでもお引き取りできます」

「そうですか」

私は朽ち果てた自転車を、サイクルショップに引き渡した。

自転車に対する長年の後ろめたさから、ようやく解放されたような感じがした。

もういいよね、ゴロウさん。

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