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9月21日(金)

最近の日記からもわかるように、落ち込むばかりの毎日だが、家族や数少ない友人に励まされながら、どうにかこうにか日々を暮らしている。そうでなければ、とっくに自暴自棄になっていただろう。もっとも、私のことをよく知る人からすれば、「やれやれ、面倒くさいやつだ」と、手を焼いているのかもしれないが。

夜、「前の職場」のKさんから、こんなメールが来た。

「隣県のI市で博物館実習した学生が、実習先の副館長のYさんからMさん(つまり私)のお話を聞いたとのことです。なんでも、15年くらい前にI市で一緒に調査をされたことがあるとか」

Yさん…。思い出した。当時院生だった私は、師匠と何度かI市を訪れ、ある調査を行っていた。そのときのI市側の担当者が、Yさんだったのである。調査が終わって以降、お会いする機会はなくなってしまった。Yさん、私のことを覚えてくれていたんだな。

I市は、昨年の震災でかなり大きな被害にあった地域だった。

「その学生は、Mさん(つまり私)が前の職場から今の職場に移ったことを副館長に伝えたそうです」

そうか、Yさんには、職場が変わったことをちゃんとお知らせしなかったんだった。本当に私は、礼儀知らずな人間である。

それにしても不思議である。私が「前の職場」から「今の職場」に移ったのは、今から10年前のことである。その学生が、私のことを知っているはずはない。

最後の一文で、納得ができた。

「その学生は、被災資料のクリーニング作業に参加していたので、Mさんつながりの話ができたのでしょう」

そうか、それで納得がいった。私は、クリーニング作業の関係で何度か「前の職場」におじゃましていた。その学生はそのときに、私のことを知ったのだろう。

そう考えると、縁というのは不思議である。

昨年の震災は、人と土地、人と人など、じつに多くの関係を引き裂いてしまった。

しかしその一方で、震災を契機に始まったボランティア活動にその学生が参加していたことで、15年前に一緒に仕事をしたYさんと私が、ふたたびつながったのである。

ひょっとして人は、「引き裂かれた関係の数」だけ、新たな関係を築こうとしたり、かつての関係を取りもどそうとしたりするのかもしれない。だから、絶望せずに生きていけるのである。

私はこのことをわざわざ知らせてくれたKさんに、感謝した。

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