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守ることは、忘れないこと

9月23日(日)

目覚ましの音に気づかず、朝6時半に目ざめる。

あわてて支度をして、東京の家を出た。妻は2日酔いでダウンしたようである。

朝8時の新幹線に乗り、勤務地に戻ったのが午前11時少し前。そこから大慌てで職場に向かう。

今日はボランティア活動をしている仲間たちと、O村での本格的な調査である。

11時半に集合場所に行くと、ダブルKさん(ダブル浅野的な意味で)、ダブルT君(ダブル浅野的な意味ではなく)、イケメン青年のAさん、学生4人が、すでに集まっていた。

合計10人で、車で1時間半ほどかかるO村に向けう。

午後1時、O村に到着。ここで現地の先生と合流し、そこからさらに車で40分ほどかかる、山深い温泉街に向かう。今日の調査地は、その温泉街のある地区である。

山深い道を車でどんどん進んでいく。本当にこの先に温泉街があるんだろうか、と思っていると、突如として、温泉街が現れる。

Photo 「秘湯」の名にふさわしい、じつに風情のある温泉街である。

今日のミッションは、この地区に住んでいる人たちにインタビューしながら、データを記録していくこと、である。

1チーム3人で3つのチームを作り、手分けをして8軒の家に訪問する。そこで、1軒あたり1時間ほど、いろいろなお話をうかがうのである。

目的は、データを記録していくことだが、お宅にうかがってお話を聞いていると、それだけで十分に面白い。

いろいろうかがったお話の中から、印象的な話をひとつ。

この温泉街は、江戸時代に3度ほど大火に見まわれた。木造の旅館や商店が、肩を寄せ合うようにひしめいて立っているので、火はたちまちに燃え広がり、街は全焼した。

なんとか火事が起こらないようにしようと、江戸時代のこの地区の人々が「秋葉山」という石碑を神社の前に建てよう、と考えた。「秋葉山」とは、火伏せの神のことである。

Photo_2 地区の人は、山を越え、片道100キロ以上も離れたお寺にいる有名な和尚を訪ね、「秋葉山」の文字の揮毫を依頼し、それを、石碑に刻んだのである。その石碑は、いまも神社の前にたたずんでいる。

それ以降、いまに至るまで、この温泉街では大火が起こっていない。

では、火伏せの神様の不思議な力によって、この街が守られたのだろうか?

たぶん、そうではない。

これ以降、街の人々は、防災意識を高めるようになった。石碑を刻んだのも、江戸時代の大火を、忘れないようにするためである。

「いまでも、うちの地区では火の用心の夜回りは欠かしていません」と、1軒目に訪れたお宅のご主人が言う。

「毎日ですか?」

「毎日です。当番を決めて、毎晩9時から、地区をまわるのです」

大火に悩まされなくなったのは、その地区に住む人びとの日々の努力によるものであることを知った。

昨年の震災を機に、「地域の文化を災害から守ろう」という趣旨ではじめたこの調査。今回は、その第1回目である。

災害から生活や文化を守るには、どうしたらよいのか?

それは、災害があったことを、忘れないことである。

災害がすでに遠い過去のものになってしまったとしても、そのことを忘れないように、伝えていかなければならない。

それを、この地区の人たちは実践しているのだな、と思った。

3軒ほどまわって、お話をうかがっているうちに、すっかりと時間を忘れてしまった。村を出るころには、すでに日が傾いていた。

「データに残す」という作業だけでははかれない、様々なことを学んだ1日だった。

さて、これをどうやって今後につなげていこうか。

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