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2012年10月

風物詩!連絡きっぷは買えたのか?

10月31日(水)、実習2日目。

このブログの読者諸賢。

秋の実習といえば、毎年気になっていることがあるでしょう?

はい!それは、

「今年の学生たちは、はたして私鉄の連絡きっぷがうまく買えたのか?」

ということである。

…あれ?ご興味、ない?

まあいいや。

この日、いつものとおり、朝から夕方まで1日かけて奈良市内を歩き続け、夕方の電車で京都にある宿泊先に向かわなければならない。

かなりギリギリまで見学していたため、ヘトヘトになりながらも、急ぎ足で近鉄奈良駅に戻った。

駅に到着すると、目的の電車の発車時間まで、あと10分ほどである。

急いでコインロッカーに預けた荷物をとり、切符売場へと向かう。

ここからが本当の戦いである。

「さあ、みなさん、いいですか~?これから、きっぷの買い方を説明しま~す。複雑ですから、絶対に間違えないようにしてくださ~い」

帰宅の人々でごった返す駅の切符売場で、私の声が響きわたる。

「いいですか~。まず、「連絡きっぷ」と書いてあるボタンを押します」

「れんらくきっぷ」みんなが復唱する。

「次に、『近鉄丹波橋のりかえ』というボタンを押します」

「きんてつたんばばしのりかえ」

「そして最後に、『860円』というボタンを押します」

「はっぴゃくろくじゅうえん」

「そしたら、お金を入れてくださ~い」

「は~い」

「いいですか~?『れんらくきっぷ、きんてつたんばばしのりかえ、はっぴゃくろくじゅうえん』ですよ~」

「は~い」

学生たちは、「れんらくきっぷ、きんてつたんばばしのりかえ、はっぴゃくろくじゅうえん」を、まるで呪文のようにくり返しながら、自動券売機で切符を買った。

「切符を買った人から、改札口に入ってホームに向かってくださ~い」

なんと!駅に到着してから10分もたたないうちに、10人全員が切符を買うことができたのである。

目的の電車に乗り込んだあと、こんどは車両の中でふたたび私が大声を出す。

「いいですか~?『丹波橋』というところで乗り換えですよ~。ただし、次に乗り換える電車は私鉄会社が違うので、いったん改札口を出て、自動改札から出てきたのきっぷをとって、そのきっぷをこんどは、次に乗る私鉄の駅の改札口に通してくださいよ~」

噛んで含めるような説明である。周りに座っている乗客たちは、「この人たちは、電車に乗ったことがないのか?」と不審に思っているような表情をしている。

さすがに学生たちも、そこまでの説明は求めていなかったらしく、「はいはい、わかってますわかってます」という表情をした。

かくして、今年はビックリするほどスムーズに私鉄の連絡きっぷが買え、しかも「丹波橋」での乗り換えも問題なく行えたのである!たぶん、「れんらくきっぷ、きんてつたんばばしのりかえ、はっぴゃくろくじゅうえん」の呪文のおかげだろう。

あれ?ひょっとして、私がたんに極度に心配していただけで、学生たちはそんなことわかりきっていたのかな?

まあいいや。

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公営ユースホステルのおじさん

10月30日(火)

実習初日の宿泊場所は、1泊3000円ほどの、公営のユースホステルである。いつも宿泊している直営のユースホステルが満室だということで、その近くにある公営ユースホステルに宿をとることにしたのである。

この公営ユースホステルには、格別の思い出がある。

ちょうど20年前、私が大学院に入った年の夏休み、この地で1ヵ月間、アルバイトをしながら暮らしたことがある。そのときに宿泊していたのが、この公営のユースホステルである。当時は、1泊2000円程度だったと思う。

つまり私は、1ヵ月間、この公営ユースホステルで、暮らしていたのである。

一部屋に2段ベッドが4つあり、8人が寝られるようになっている。私は、ある部屋の2段ベッドの下を陣取った。1ヵ月間、そこが私の唯一の生活スペースだった。

ほとんどの人は、1泊や2泊で観光に来た旅行者である。日本人だけでなく、海外からの観光客もいた。毎日、入れ替わり立ち替わり、さまざまな観光客と同室になるのである。

そういう人たちと、いろいろな話をした。ときにはカタコトの英語で話したこともあった。

あるとき、東京から観光でやって来た見知らぬ大学生と話をしていると、私と共通の友人がいることが判明したこともあった。

世間は狭いなあ、と、実感した。

1ヵ月もそこで暮らしていると、だんだん「客」としての扱いも、ぞんざいになってくる。あるとき、

「すんません。今日、お客さんが満杯なので、部屋を移っていただけますかね」

「どこにです?」

「図書室です」

「図書室ですか?」

…ということで、図書室で寝たこともある。

1ヵ月もいるので、そこで受付業務をしている初老のおじさんと、仲良くなった。

その初老のおじさんは、夕方から翌日の朝まで、1人で、公営ユースホステルに関するさまざまな仕事を切り盛りしていた。

私は毎朝7時すぎ、このユースホステルを出てアルバイト先に向かい、夕方6時、アルバイト先からこのユースホステルに戻ってきた。毎日必ず、このおじさんと顔を合わせる。

あるときから、私がユースホステルに帰ってくるなり、待ちかまえたかのように、そのおじさんが仕事の愚痴を私にこぼすようになったのである。

愚痴の対象は、もっぱら、昼間そこで働いているおばちゃんに関することだった。

どうやらこのユースホステルは、2交替制であるらしく、昼間はおばちゃんが、夕方から翌日の朝まではおじさんが、そのユースホステルで働いていたようなのである。ただし私は、昼間はアルバイトに出ていたため、そのおばちゃんを見たことがなかった。

帰ってくるなり、そのおじさんが私に言うセリフは決まっていた。

「ホンマ、今日という今日は、堪忍袋の緒が切れましたわ!」

「いったいどうしたんです?」

「昼間のおばちゃんですわ。ホンマ、まったく仕事せえへん」

そこから、延々とおばちゃんに対する愚痴が始まる。おじさんによれば、とにかくそのおばちゃんは、「まったく使えない人」らしかった。

こちらも疲れていたが、そのおじさんも、心を開いて話す相手がいなかったのかも知れない。まだ20代前半の私に、延々と仕事の愚痴をこぼしていたのである。

そう!考えてみれば、私はそのとき、23歳の若造だったのだ!そんな若造に、初老のおじさんが延々と仕事の愚痴をこぼすのだから、よっぽどのことだったのだろう。というか、むかしから私は「愚痴を聞くマシーン」だったのか?

そのうち、私もその愚痴が楽しみになっていった。今日は、昼間のおばちゃんが、どんなことをしでかしたのだろう、と。

しかも私は、そのおばちゃんの姿を、一度も見たことがないのだ。私はおじさんの愚痴を聞きながら、そのおばちゃんの仕事ぶりを空想して、楽しんだのである。

あれから20年。

当然のことながら、もうそのおじさんはいない。しかし、いまもあのおじさんの愚痴が聞こえてくるのではないかと思うほど、施設はその当時のままである。

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ジョークか、本気か

10月29日(月)

午後は1年生向けの授業である。この授業が終わるとすぐに、最寄りの空港から飛行機に乗って関西に行かなくてはならない。明日の朝から、毎年この時期に学生を引率して関西をめぐる「実習」がはじまるのである。

とにかく忙しい、というか、準備もバタバタである。

さて、この1年生向けの授業は、130人くらいが受講している。

最近悩んでいるのは、こっちがジョークのつもりで言った言葉が、かなりまじめに受けとめられているのではないか、と思われることである。

授業のあとの感想に、「先生のおっしゃったあのお言葉は、ジョークなんですか?それとも本気なんですか?」と書かれることもある。

そういう場合、たいていはジョークのつもりでこっちは言っているのだが、本当にそう受けとられているか、不安になってきた。

今日は、こんなことがあった。

「この授業が終わったらすぐに私は、専門課程の実習の授業で、関西に行くんです」と私。この実習は、2年生以上が対象なので、話を聞いている1年生には、その実習がどんなものか、イメージがわいていないようである。

「私は大金持ちなので、飛行機で行くんです」と私。この「私は大金持ちなので…」というフレーズは、私が好きでよく授業で使う、ジョークのフレーズである。

たとえば、「私は、大金持ちしか持っていないというiPodを持っているんですよ」とか、「私は大金持ちなので、インターネットというのを使うことができて、しかもネットサーフィンなんてのもできるんですよ」とか。

別に大金持ちでなくても、iPodを持つことはできるし、インターネットを使うこともできる。何より私は、決して大金持ちなどではないのだ。むしろむちゃくちゃ仕事をしているわりに、ぜんぜんお金が貯まらない方の人である。

私のことをわかっている専門課程の学生は、「こいつ、また冗談を言ってやがる」と、呆れつつも、それなりにこのジョークを受けとめてくれるのだが、私のことをよく知らない学生は、「この先生、大金持ちなんだ…」と、勘違いしてしまうようなのである。

その上、私は続ける。

「でも学生にとって飛行機はお金がかかりますから、学生たちはみんな深夜バスで行くんです。それで、朝、現地集合するんですけど、まず集合場所にたどり着くことが肝要ですね。万が一たどり着けなかったら、単位はあげられませんからね」

これもまた、ジョークである。しかし、やはりこれも本気にしてしまうようである。

授業が終わってから、書いてもらった感想を見ると、こんなことが書いてあった。

「飛行機なんて乗ったことがないので、大金持ちの先生がとてもうらやましく思います。たどり着けなくて単位をもらえないのも辛いと思うので、学生も飛行機に乗せてあげるくらいの自腹を切ったらどうですか?」

……。

もう、本当にごめんなさい、あれは、ジョークだったんです。

ところでこの感想も、ジョークなのか?それとも本気なのか?

…よくわからなくなってきた。ジョークって、本当にむずかしい。

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空腹は最高のソース、ではない

10月28日(日)

朝から夕方まで、ぶっ通しの会議で、その上、会議に参加した方々が偉い人たちばかりだったので気を使ったりして、もうヘトヘトである。

ようやく解放され、東京駅に行くと、ビックリするくらいの人の多さである。

しかも、これは大げさでもなんでもなく、駅の中を歩いているほとんどの人が、ネズミのイラストが描かれた大きな袋を持っている。

なんだなんだ?今日は、ネズミの国で何かあったのか?

とにかく私は腹ぺこなのだ。朝も昼も、ロクなものを食べていない。

東京駅の地下を、人のいない方に歩いていくと、ものすごい愛想のよい、小柄で若い女性店員が近づいてきた。

「よろしかったら、試食してみてください!焼きたてのプレッツェルです」

プレッツェル?

簡単にいえば、棒状のパンを輪っかに結んだようなものである。

その女性店員は、できたてのプレッツェルを試食させて、あわよくば買ってもらおうと、道行く人に勧めていたのである。

その勧め方は、ほとんど強引で、楊枝に突き刺したプレッツェルのかけらを、私の口にまで持っていく勢いである。

腹ぺこなので、仕方なく口に入れる。

「よろしかったら、ぜひお買い上げください」

すぐ目の前に、プレッツェルを焼いて売っている、カウンターだけの店があった。

女性店員は、またしてもほとんど強引に、私をその店に誘導した。

ほら、よくいるでしょう。ものすごく愛想がいいんだけど、なぜだかイラっとくる人。

その小柄で若い女性店員は、私にとってはまさにそんなタイプである。

プレッツェルを焼いて売っている小太りのあんちゃんも、同じように、ものすごく愛想がいいが、やはり何となくイラっとくるタイプであった。

「いちばんふつうのやつをください」

腹も減っているし、とりあえずいちばん安いのを、1つだけ買って食べることにした。

「ありがとうございます。焼きたてですよ~」

愛想のいい口調で、そのあんちゃんが言う。

焼きたてのプレッツェルを受け取ったが、思いのほか大きい。

さあ食べようと思うが…。

食べる場所がない!

東京駅には、座る場所というものがほとんどないのだ。

といって、食べながら歩くっていうのもなあ。こっちは背広を着ているし。

歩きまわって、プレッツェルを落ち着いて食べることができるような場所を探す。

しかし、駅の中は、人が激しく行き交っており、立ち止まってプレッツェルを食べるような場所がぜんぜんない。

(そういえば、地下に待ち合わせ場所みたいなところがあったな)

そう思ってその場所に行ってみるが、ビックリするくらいの数の人でいて、すべての倚子がうまっている。座る場所などどこにも見あたらなかった。

しかし、このまま放っておくと、焼きたてのプレッツェルが、どんどん冷めてしまう。

(まあいいや。旅の恥はかき捨てだ)

待ち合わせ場所の横で、立ったまま、プレッツェルを食べることにした。

ま、ま、ま、…不味い!

不味い、というと語弊があるな。私の口に合わないのである。

試食で食べさせられたプレッツェルは、砂糖がまぶしてあって、それが幾分、疲れた脳を癒してくれたのであるが、私が買った、「いちばん安いプレッツェル」は、ほとんど味がついていなかったのである!

そして、尋常ではない大きさのプレッツェルを噛めば噛むほど、口の中の水分が奪われていく。慌てて食べたので、喉につまりそうになった。

しかも、待ち合わせ場所の倚子に座っている人たちは、大きなプレッツェルを立ち食いしてほおばっている背広姿の私を、奇異なものを見るような目で見ている。

(ああ、俺はなにをやっているんだろう。このままここで死にたい)

このときほど、死にたい、と思ったことはない。

結論。空腹は最高のソース、とは限らない。

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鶴瓶師匠か、米助師匠か

10月27日(土)

朝7時。職場に集合して、車で1時間ほどかかるO村に出発する。

ボランティア活動の仲間たちと行っている、聞き取り調査の第2弾である。

何でこんな朝早くなってしまったかというと、私がこの時間しか、空いていなかったためである。明日の朝から会議があるため、夕方には東京に向かわなければならない。

当初は、募集をしても集まってくれる人がいないのではないか、と心配していたが、最終的には、9名が集まってくれた。

午前8時40分、O村に到着し、地元の先生と合流し、前回とは異なる地区をまわる。

要は、村の中を歩いて、いろいろなお話を聞きながら、必要なことを記録していく、という作業をくり返すのである。

村のおばあちゃんにお話を聞くが、方言がわからず、なかなか聞きとれない。悪戦苦闘しながらも、1つ1つ、目的のお宅にうかがい、調査を行っていく。

途中、道行くおばあちゃんにも、話しかけられたりする。

ハタ目から見たら、村をブラブラしながら、道行く村人とお話しをしたり、お宅におじゃましたりする、ヘンな団体である。

「これではまるで『鶴瓶の家族に乾杯』ですね」と卒業生のT君。

「いやいや、『突撃!となりの晩御飯』だよ」と、世話人代表のKさん。

比喩の違いに、世代の差を感じる。

ともあれ、気さくにお話ししてくれる方が多いので、安心する。

とくに面白かったのは、私と同世代くらいの、体格のいいおじさんである。

素朴で、明るくて、話も面白い。

鶴瓶師匠だったら、絶対に気に入っただろうな、という感じの、気のいいおじさんである。

おじさんが、自分の子どもの頃の思い出話を語りはじめた。

「むかし子供の頃、畑に行くと、大昔の人が使った○○が、土の中からたくさん見つかってねえ」

「○○ですか」

「そう、これっくらいの小さなやつ」大きさにして、2~3㎝くらいの小さなモノである。

「ほう」

「小学生の頃、それを畑から拾って集めるのが大流行して」

まあ、牧歌的な時代の話として聞いてもらいたい。

「そんなにあったんですか」

「うん。で、ひとつひとつ、形とか大きさとか色とかが違うんだ」

「なるほど。もちろん1つ1つ手作りですからねえ」

「だから、同じモノでも、形がいいものとか、色の変わったものとか、そういったものは、ほかのと比べると価値が高かったりして」

「へえ、希少価値ってやつですね」

「そう。で、お互いのコレクションを見せあいっこして、その価値を競ったりしてね。『どうだ、この色のモノは、ほかのやつは持ってないだろう』なんて自慢したりして」

「まるで、いまの子どもたちカードを集めて、希少価値のカードを誇ったりするのと同じ感覚ですねえ」

「そうそう、そんな感じですよ」

「ぼくらの頃は、牛乳瓶のフタでした。コーヒー牛乳の牛乳瓶のフタが、希少価値があったりしてね」

集める「モノ」は違っても、いつの世も、子供はそんなことに夢中になるものらしい。

いろいろな方にお話を聞いているうちに、予定より大幅に遅れて、午後2時ごろ、調査が終了した。

ほかの人たちが、「せっかくだから村のお祭りに行ってみましょう」と、お祭りに向かう中、私1人、大あわてで家にもどり、夕方の新幹線で東京に向かった。

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虫のいい話

10月26日(金)

「営業」の話の続き。

何カ所か「お得意先」をまわると、歓迎してくれるところと、そうでないところがあることがわかる。

応接室に案内してくれてじっくり話を聞いてくれるところもあれば、「早く帰ってくれ」というオーラを出してこられる方もいる。

むろん、それは先方それぞれの事情によるものだから、当然のことである。

早く帰ってくれ、というオーラを出された場合には、当然、「短縮バージョン」でお話しをして、すぐにおいとますることになる。

さて、その「短縮バージョン」でお話ししているときのことである。

案内された部屋はガランとしていて、電気もついていない。

(ああ、これは早く話を切り上げなければならないな…)

と思いながら、必要なことだけをお話しする。

お話ししていると、どこからともなく、ブーンという音が聞こえてくる。

ハエが飛んでいるのだ。

やがてそのハエは、必死に話をしている私の頭頂部にとまった。

私は、電気もつけてもらえない薄暗い部屋で、頭頂部にハエがとまったまま、あまり歓迎されていない話を延々としているのである。

(とうとうハエにまでたかられてしまったか…これはいよいよ帰れということだな)

そう思い、「お忙しいところ、大変失礼いたしました」と深々と頭を下げ、おいとました。

どんなに必死に話をしても、ハエがたかってちゃあ、説得力がないよなあ、と、自分のことが、情けないやら、可笑しいやら、であった。

さて、「営業」が終わり、夕方、職場に戻る。

同僚がやってきた。「今日見たら、これ、メールボックスに入っていたんです」

見ると、とても「厳かな書類」である。

「それ、例の『厳かな書類』じゃないですか!」

「ええ。しかも、2ヵ月遅れで」

「厳かな書類」であるにもかかわらず、実際の日付から2ヵ月も遅れて、しかも、無造作に封筒に入れられてメールボックスに投げ込まれていたのである。

私も、その「厳かな書類」をもらうことになっていた。おそらく私のそれも、私のメールボックスに無造作に投げ込まれているのだろう。

本来であれば、「偉い人」が直接手渡すべきものである。いや、別に直接手渡してもらうことは望んでいないが、少なくとも2ヵ月も遅れて、封筒に乱暴に入れられて、無造作に投げ込まれるのはいかがなものか。

「しかも、これを見てください」と同僚は、その「厳かな書類」を私に近づけた。

「何です?」

「虫の死骸です」

えええええぇぇぇぇっ!!

「虫の死骸がくっついていたんです!」

よく見ると、蚊のような、羽のついた小さな虫の死骸が、「厳かな書類」にくっついているではないか!

想像するがよい。たとえば、「卒業証書」とか「表彰状」に、羽のついた小さな虫の死骸がくっついているようなものである。

どんな状況になったら、「厳かな書類」に虫の死骸がくっついたまま、封筒に入れられることになるんだ?

「なんかもう、情けないやらあきれるやらで…脱力しますよねえ」

「そうですねえ」

私たちはそのていどの扱いなのか、と、2人で大笑いした。

「虫」って、脱力するねえ。

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直接会って話をする

10月26日(金)

1年に1度か2年に1度の割合で、「営業」(外回り)をやらされる。

この日記をひもとくと、前回は2年前の同じ時期に「営業」をしていた。

私が最も苦手とする仕事だが、じつは私には持論があって、「苦手だと思う」からといって、その仕事に向いていない、とは限らない。むしろ、「自分はこの仕事に向いている」と思いこんでいる人ほど、危険である。

まあそんなことはともかく。

いずれも、私にとってははじめて訪問する「お得意先」ばかりだが、毎年、同僚が代わる代わる「営業」に来ていたので、先方はよく知っていた。

うかがうと、先方は、「おたくだけですよ。こうやって、毎年わざわざ来てくださるのは」と言ってくださる。「おかげで、私どもでは、あなた方の会社の評判がいいです」

実を申すと、私は、慣れない人間がこんなふうに「営業」をして、どれだけの効果があるのだろう、と半信半疑だった。膨大なコストもかかるし、それにそもそもが「武士の商法」である。だが、わざわざ訪問することにより、好印象を持ってくれるという効果もあるのだ、と、今回初めて知った。

やはり、直接会って話すというのは、大事なことなのだ。

映画「七人の侍」の中で、侍のうちの1人である平八も言っているではないか

「話すというのはいいものでな…どんな苦しいことでも、話をすると少しは楽になる」

それで思い出した。

先日、ある大手出版社から、ウィークリーブックの大型シリーズを来年に刊行するので、その中の1冊に、1800字ていどのコラムを書いてほしい、という依頼が来た。

ついては、直接うかがって説明したい、という。

えええぇぇぇぇぇっ!!たかだか1800字のコラムを書くだけなのに、東京から新幹線に乗って3時間もかけて説明しに来るのか???

さすが、大手出版社は違うなあ。

しかもなんと、実際に来たのは、そのウィークリーブックを統括する「デスク」と、私が執筆する号の担当編集者の、2人も来たのである。

交通費だけで4万円もかかっているぞ!

ずいぶんコストのかかる1800字である。

だが、1時間半ていど、2人の方と話をしているうちに、だんだんと構想が湧いてきた。

「では締切までに原稿をお願いします」といって、お二人が帰ったあと、私はその日のうちに1800字のコラムを書き上げ、出版社に送ったのである。締切は1ヵ月ていど先なのに、である。

実際に会って話すということは、さまざまな効果をもたらす。まず、顔を見ることで警戒心が解かれ、安心する。次に、話をしていくうちに、考えがまとまってくる。さらに、わざわざ来てくれた、ということで、その仕事を優先させよう、という意識がはたらく。

…なるほど、だからお金のある大手の出版社は、編集担当者がやたらと直接会おうとするのか。

じつは私には、1800字のコラムを書くよりも前に出さなければならない原稿が山ほどある。矢のような催促を受けながらも、気が重くてなかなか進まないのである。

電話やメールの催促ではなく、直接会って催促してくれたら、少しは書く気になるんだがなあ。

…なんてことを偉そうに言ったら、「ふざけんな!お前ごときのために電車賃使って催促に行けるか!」と言われるだろうなあ。

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ディベート

10月25日(木)

覚えている人、いるかなあ。

むかーし、いまから25年近く前、フジテレビの深夜番組で「ディベート」という番組があった。

当時、バブル経済のまっただ中で、深夜番組がとても勢いのある時代だった。

その頃の思い出については、以前にも書いたことがある

この「ディベート」という番組は、ある論題に対して、チームがそれぞれ賛成派と反対派に分かれ、一定のルールに基づいて討論する、というゲーム感覚の番組である。

一般の視聴者から出場者をつのる。1チーム3人くらいだったと思う。そして、対戦するチームがじゃんけんをして、賛成派になるか、反対派になるかを決める。

ある論題が示され(けっこうくだらない論題が多かったと思う)、まず賛成派の立論、次に反対派の立論、そしてそのあと、それぞれが何度か反駁をし、審査員が勝敗を判定する。立論や反駁の時間が、2分とか1分とか時間が決まっていて、その限られた時間にいかに論理的に相手を負かすか、といった点が勝敗の決め手だった。

見ているだけで、頭が疲れるような番組だった。いま、民放の深夜番組で、こんな実験的な番組はできないだろうなあ。

司会は、当時タレント教授として有名だった、栗本慎一郎という人だった。

栗本慎一郎、知ってるかな?

なんといってもベストセラー『パンツをはいたサル』ですよ!それ以前に、『経済人類学』という本を書いた人でも知られる。むかし、けっこうこの人の本は読んだものだ。のちに彼は、政治家に転身した。

さすがタレント教授だけあって、番組内でのディベートのさばき方はじつに見事だったと記憶する。

一般の視聴者に混じって、お笑いグループ「大川興業」の大川総裁が、何回か出演して、ディベートに挑戦していた。大川総裁は、栗本慎一郎がつとめていた大学の出身者で、番組中では「師弟関係」などとも言われていた。

そんな中で、いまでも覚えているのは、その番組の最終回のときのことだったと思う。

いつも司会ばかりしている栗本慎一郎本人が、いよいよ、「ディベート」に参戦する。

そのときの相手側が、誰だったのかは覚えていない。たぶん一般の視聴者だったと思う。

「論客」として知られる栗本慎一郎である。当然、ディベートは圧勝するだろうと思って見ていた。

しかし、である。

「立論」や「反駁」で、とたんにしどろもどろになり、…「しどろもどろ」というのは大げさな表現かも知れないが、とにかく、制限時間内に自分の意見を言うことができず、しかもその内容は決して明快なものではなく、意外なほどぶざまな結果に終わってしまったのである。

それで、あっけなく負けてしまった。

当時私は、栗本慎一郎を「ディベートの神様」のような存在だと勝手に思い描いていたのだが、そのイメージはもろくも崩れてしまった。

ディベートっておもしろいゲームだなあ、と思った。だって、「論客」といわれる人が、打ちのめされるんだもの。

ただそれは、いまから考えれば、ディベートそのものの面白さではなく、追いつめられた人間の面白さであったように思う。

いきなり論題が与えられ、賛成の立場か反対の立場かをその場で自分の意志とは無関係に決められ、さらに、ごく限られた時間内に立論し、反駁しなければならない。

つまりこれは、一種のスポーツである。

人間、追いつめられたときに、どのようにしてそれをはねかえすか。

これは、ディベートでもスポーツの試合でも、同じだと思う。

そしてそこにこそ、もっとも人間らしい部分があらわれるのではないか、と思うのだ。

誰か、覚えてませんかねえ、「ディベート」っていう番組。

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コバヤシからのメール

「演奏聴かせてもらいました。

思わず笑ってしまいました。笑ったといっても、演奏にではなく、わざわざ演奏を聴かせるためにメールして来た君に対してですが。

念願のバンド演奏ができて、誰かに聴かせたいと思うほど嬉しかったんだろうな~、と思うと微笑ましく、笑ってしまいました。

演奏の上手い下手は、我々はアマチュアで趣味でやっているのですから気にしなくていいんじゃないでしょうか。演奏を楽しむことが肝要だと思います。

とはいえ、2曲のうちではスウィート・マジックの方ができはよいでしょうか。というか、細かいフレーズを吹く方がごまかしがききます。高い音もそれなりに決めており、親しみやすい曲なので、楽しく聴けました。

もう1曲はちょっと辛いですかね。やはり音を長く伸ばして歌うような曲は、楽器の上手い下手が如実に出ますし、やはりシンプルなメロディーほど聴かせるのは難しいでしょう。

…と、自分のことは棚に上げ、偉そうに書いてしまいましたが、演奏できて嬉しかったのならば、それが一番です。私も最近はそう考えて演奏してます。

では、これからも演奏を楽しんでください」

高校時代の親友で、いまは福岡に住むコバヤシからのメールである。私の演奏をビデオ映像で聴いた感想を、聴いてすぐに送ってくれた。

私は恥をしのんで、どうしてもこの演奏を聴いてもらいたい人が何人かいた。コバヤシがメールの中で、「念願のバンド演奏ができて、誰かに聴かせたいと思うほど嬉しかったんだろうな~」と書いていたが、まったくその通りである。

そしてそのうちの1人が、コバヤシである。

だって高校時代、ずっと一緒に楽器を練習してきたんだもの。

それに、いまも彼は、楽器を続けている。

前にも書いたように、私は彼の観察眼を、全面的に信用している。

やはりいまも音楽を続けているだけあって、的確な感想を書いてくれたなあ、と、メールを読んでしみじみと思う。本人に怒られるかも知れないが、無断で全文を紹介させていただきました。

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面川支配人の面倒な性格

10月23日(火)

ここ最近、調子に乗りすぎていたようで、周りの親しい人々がどんどん離れていくような感じがして、反省。

このところ身辺雑記を細かく書きすぎたので、反省して、誰にもワカラナイ話を書く。

山田太一脚本、田宮二郎主演のドラマ「高原へいらっしゃい」(1975年)は、再三書いているように、私がいちばん好きなドラマである。

子供の頃に見ていた時と、いま、この年齢になって見るのとでは、ずいぶん見方が違う。

このドラマの主人公であるホテルの支配人、面川(田宮二郎)が、かなり面倒くさい性格なのだ。

何かというと、すぐに思い悩み、すねる。

それを、まわりの従業員たちがフォローしたり、なだめたりする。

子供の頃に見ていたときは、そんなこと、あまり感じていなかったのだが、いま見ると、そのことばかりが目立ってしまう。

たとえば、最終回のシーン。

ホテル経営がようやく軌道に乗った。ホテル経営が軌道に乗ったあかつきには、別居中の妻を迎えに行く、と面川は約束していた。

しかし、ホテル経営が成功したにもかかわらず、面川は、妻を迎えに行こうとはしない。

従業員たちは、やきもきする。

面川の片腕であり、やり手の経理担当である大貫(前田吟)は、面川の煮え切らない態度を見かねて、東京にいる面川の妻(三田佳子)のところに行き、「ホテルは成功しました。高原にいる面川さんのもとへ戻ってください」と、面川の妻を高原に呼び戻そうとした。

だが、面川の妻は、首を縦に振らない。不審に思う大貫に、理由をこう説明する。

「面川が自分で迎えに来るべきことじゃないんですか?大貫さんが頼まれて来たっていうんだったらともかくも、自分は知らん顔しててまわりの人が気を利かしてくれるのを待ってるなんて、人をバカにしているじゃありませんか」

…たしかにそうだ。

結局、面川の妻を高原に呼び戻すことができなかった大貫は、こんどは面川に、直接奥さんに会いに行くように説得する。

しかし面川は、首を縦に振らない。

「なぜ、こっちから頭を下げて、戻ってきてもらわなければならないのか」と。面川にとって、こちらからアクションをおこすことは、屈辱なのである。

いったんすね始めると、相手がアクションを起こすまでは行動しない、という面倒な性格は、私の性格そのものである。

面川の面倒な性格に、ついに大貫はキレる。「もう勝手にしろ!」

だが従業員たちは、やはり心配である。どうにかして、面川の妻をこちらに呼び戻してあげようとして、あれこれと策を練る。だが、すっかりサジを投げてしまった大貫が言う。

「あの人はねえ、こっちが心配すると図に乗るんですよ。冷たくしていれば、そのうち自分で動き出しますよ。そうそうあんなのにつきあってられませんよ!」

…といいつつ、大貫は再三、面川の説得にあたる。だが、面川も折れない。

しかし、従業員たちは優しい。

何とかして面川が妻を迎えに行きやすくするように、小芝居を打つのである。

そして最後は、人生のベテラン・高間シェフ(益田喜頓)による、説得である。

「みんな気にしとるよ。だからあなたのために芝居したんだ。いまどきねえ。芝居までして、上役の身の上のことを心配するような従業員は、日本広しといえども、この高原にしか、いないんじゃないかな」

「…そうですか」

みんなの気持ちにようやく気づいた面川は、妻を迎えに行くのである。

面倒くさい上に、単純な性格である点も、私の性格そのものである。

田宮二郎は、一見人当たりがよさそうに見えて、実は面倒くさい性格である、という人間を、じつに見事に演じている。

脚本の山田太一も、意図して、この面倒くさい性格の面川というキャラクターを設定したのだろう。

最近、つくづく思う。子供よりも、大人の方が、面倒くさくて厄介な人種なのだ。自分を見れば、一目瞭然である。

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夢と現(うつつ)の322番教室

10月22日(月)

月曜日の授業は、久しぶりである。

先週は開学記念日、先々週は体育の日だったので、3週間ぶり、2回目の授業である。

教室に着いて、思わず笑ってしまった。

(ここは、昨日ライブをやった教室だ!)

そう、322番教室は、昨日私がバンド演奏した教室だったのだ!

そして今日は、現実に戻り、昨日と同じ場所に立って、授業をする。

夢と現(うつつ)は、紙一重なのだ、と、しみじみ思った。あるいは、夢の続き、というべきか。

久しぶりの授業で、いろいろなアクシデントがあったが、私の授業にはめずらしく、笑いが起こったり、「おもしろかった」と感想を書いてくれたり。

昨日の余韻を、まだ引きずっているのかもしれない。人間は知らず知らずのうちに、何かがきっかけになって、肩の力が抜け、楽に生きることができるようになるのかも知れない。そんなことを思った。

もう一つ、嬉しいことがあった。

夕方のクリーニング作業で、新人の学生が2人、来てくれた。見慣れない学生である。しかも、2人は友人同士ではなく、たまたま今日、ひとりひとりでやって来たのである。

この時期に、新たにボランティア作業に関心を持ってくれる学生がいるとは、めずらしい。

「どうやってこの活動があることを知ったの?」私が2人に聞いた。

「掲示板に貼ってあったチラシを見たんです」

「掲示板?掲示板にそんなの貼ってあったっけ?どこの掲示板?」

「学部の建物の玄関の前にある掲示板です」

「私は、学部の建物の2階にある掲示板で見ました」と、もうひとりの学生。

はて、記憶がない。

…必死に記憶をたどって、ようやく思い出した。

先週、担当した展示に客がまったく入らないことにくさっていた私に対して、見かねた同僚が「こんなに頑張っているんだから、(意固地にならずに)もっと宣伝した方がいいですよ」とアドバイスしてくれたことがあった。

その言葉に奮起して、掲示板を担当する職員の方に、展示のポスターをうちの部局の掲示板に貼ってもらうようにお願いした。

そしてそのついでに、ボランティアのクリーニング作業への呼びかけのチラシも、貼ってもらうことにしたのである。

今までは、非公式の活動だったということもあり、うちの部局の掲示板に貼ってもらうことをためらっていたのだが、せっかくの活動も知られなければ意味がない。同僚のアドバイスは、私の偏狭な思考回路を、ときほぐしてくれた。

そして結果的に、そのチラシが2人の学生の目にとまり、自分も参加してみよう、と、彼らの心を動かしたのである。

たぶん掲示板に貼ったあのチラシは、ほとんどの人の目にとまらぬまま、素通りされているに違いない。しかし、それ以上に、2人の目にとまったことの意味は大きい。

同僚のアドバイスがなければ、掲示板にチラシを貼ることはなかったし、掲示板にチラシを貼らなければ、2人の学生の目にとまることもなかった。些細なきっかけは、ときに不思議なつながりをもたらすものである。

(まるで、ドラマ「高原へいらっしゃい」そのものだな)

まったく客の来ない高原のホテル。支配人の面川(田宮二郎)をはじめとする従業員たちは、何とかして、ホテルの存在を知ってもらおうと奮闘する。

むかしビデオ録画したこのドラマを、最近、また見返しているのだが、彼らの奮闘ぶりを見ていると、どことなく最近の私と重なっているような気がしてならない。

いや、ひょっとしてこのドラマを最初に見た子どもの頃から、そういう生き方にあこがれていたのかもしれない。

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バンド名は「キョスニムと呼ばないで!」

10月21日(日)

思い起こせば、今年の4月のことであった。

ナベサダさんのライブを聴きに行って、久しぶりにアルトサックスを吹きたくなった。

そして5月の連休のこと。滞在先の高原で、素人のオジサンたちが、デキシーランド・ジャズを演奏していたのを見て、15年ぶりに、アルトサックスを本格的に練習しよう、と思った。

あれからほぼ半年。大学祭2日目。今日はそのライブの本番である。

まさか、本当にバンド演奏が実現するとは思わなかった。

ベース担当の3年生のAさんが、人集めをしてくれて、ギター、ドラムス、キーボードをやってくれる学生をさがしてくれた。

全員で練習をしたのは、9月に2回。10月に1回の、計3回だけである。

不安だったので、今日の午後1時。1時間だけ、個人練習をした。

しかし、ぜんぜん自信がない。

本番では緊張して、指使いを全部忘れてしまうのではないか、と思った。

うちのバンドは、3時半頃、演奏開始予定である。

3時頃に会場の教室に着くと、ギターのO君が、

「ちょっと時間が押してます。うちらは、次の次です」

と、扉の前に貼ってあるタイムスケジュール表を指さした。

見ると、「キョスニムと呼ばないで!」というバンド名が書いてあった。

「せっかくだから、中で聞いているよ」と、会場となる教室の中に入って、出演中のバンドの演奏を聞いていた。

しかし、緊張で、まったく余裕がない。

それに加え、若者たちの演奏は、かなり盛り上がっているではないか。

(ああ、出演しようなんて考えるんじゃなかった)と、ひどく後悔した。

出番が近づくにつれ、知り合いが次々とやってくる。

今回私は、自分が信頼する人だけに、「聞きに来てください」と声をかけた。かなり押しつけがましかったので、迷惑だったかもしれない。

せっかく貴重な休みの日に来ていただいた人たちの前で、ヘンな演奏はできない、と、さらに緊張が高まる。

前の出演バンドの演奏が終わり、いよいよ私たちの出番である。

__0008ステージのところで音出しをしていると、前から数列目の席に、サングラスをかけた、明らかに怪しい不審者のようなおじさんが、こっちをじっと見て、ノートパソコンの画面をこちらに向けている。

こぶぎさんだ!

こちらに向けられたノートパソコンの画面を見ると、その画面には、

「교수님 짱!」(キョスニム、最高!)

と、メッセージが書いてあるではないか!

くだらない!くだらなすぎる!

本番直前、思わず笑ってしまい、これで緊張が少しだけ和らいだ。

そして、ベースのAさんのMCにより、いよいよ演奏開始である。

演奏した曲目は、以下の通り。

1,ナイス・ショット(渡辺貞夫)

2.スウィート・マジック(MALTA)

3.モーニング・フライト(MALTA)

どれも、私が高校時代に、日の目を見ないだろうなあ、と思いながら練習していた曲である。

1曲目はもう、ガッチガチである。緊張のあまり過呼吸みたいな感じになって、とてもまともに吹くことはできなかった。

2曲目のスウィート・マジックあたりから、少し余裕が出てきた。

アドリブ・ソロが終わり、客席の方を見ると、こぶぎさんが、相変わらずノートパソコンの画面を私の方に向けて、

「MALTA 짱!」(MALTA、最高!)

とか、

「よっ!ジャズ大名!」

などというメッセージを私に見せている。

どうも見ていると、こぶぎさんは、ノートパソコンの画面に映しだすメッセージを毎回変えるのに一生懸命で、曲なんか聴いちゃいないようであった。

緊張が続いたまま、3曲が終了。

この間のことを、夢を見ていたような感じがして、あまりよく覚えていない。

みんなは、どんなふうに聞いたんだろう?怖くて、確認することもできない。

場違いな演奏で、退屈で、居心地が悪くて、それでそのまま帰っちゃったんじゃないだろうか、とか、さまざまな妄想が頭をよぎった。

ともあれ、私のわがままにつきあってくれた学生たち、聴きに来てくれた方たちには、感謝してもしつくせない。

夕方、東京に帰る妻を車で駅まで送ったあと、一人で運転して帰る車の中で、市川森一脚本・西田敏行主演のドラマ「淋しいのはお前だけじゃない」の、ラストシーンのセリフを思い出した。

大衆演劇に打ち込んでいた主人公の沼田(西田敏行)をはじめとする面々が、最終回で、それぞれ現実の社会に戻っていく。そのとき、沼田はしみじみとつぶやく。

(いい夢、見たなあ)

さあ明日からまた、現実がはじまる。

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キョスニムがリユースされた日

10月20日(土)

展示最終日。

この日は同時にホームカミングデーであり、そこでボランティア活動のパネル展示を担当することになっていた。

「ホームカミングデー」とは、大学を卒業したOBたちに、もういちど大学に来てもらおう、という職場の企画である。折りしもこの日は、大学祭の1日目でもあり、職場にたくさんのお客さんが来るので、それを見込んでの、言ってみれば「抱き合わせ企画」である。

つまり、この日は2つの展示に同時に関わることになったのである。

前日の金曜日(19日)。

展示職人のSさんが、仰天提案をする。

「明日は、いよいよ展示の最終日ですよね」

「はい」

「大学祭だから、お客さんもたくさん来ます」

「ええ」

「お客さんを呼ぶには、目立たなければなりません」

「そうですね」

「あれを使いましょう。『キョスニム』の看板」

「何です?」

1 「ほら、昨年の大学祭の屋台で、学生たちが作ってくれた看板があったでしょう」

「ええ」

「あれを、宣伝用の看板に使うのです」

なんと!昨年一昨年と大学祭の屋台で使った看板を、展示の宣伝のためにリユースする、というのである。

こんどは私が提案する。

「展示の入口のところ、あれ、わかりにくいですよね。入口のところに、横断幕みたいな看板を作ったらどうでしょう」

Photo 「やってみましょう」

…ということで、この日は、展示最終日のためだけの、宣伝のテコ入れが行われたのであった。

さて、翌土曜日。

朝9時半に、職場に集合する。ホームカミングデーのパネル展の準備をするためである。

東京から妻も駆けつけ、お手伝いしてもらうことにした。

3号館5階の教室一部屋分が、パネル展示スペースである。3つの団体が、1つの教室の中で、パネル展示を行うことになっていた。

Photo_2 卒業生のT君が思いを込めて作ったポスター大のパネルを、9枚並べていく。

しかし、何か、パネルだけではなく、もう一つインパクトがほしいものである。

「また、ひとつ思いついちゃった」と私。

「なんです?」とT君。

「ボランティア活動をしている写真のデータ、たくさんあるよね?」

「ええ」

「職場からパソコンとプロジェクタを借りてきて、その写真を延々とスライドショーにして壁に映しだす、っていうのはどう?」

「やってみましょう」

Photo_3 …ということで、急遽、職場からパソコンと携帯用プロジェクタを借りて、設置してみる。

壁に投影してみると、これがなかなかいい。

「やってみるもんですねえ」

あとは、お客さんを待つばかりである。

さて、午前11時。大学祭とホームカミングデーが始まる時刻である。

ここからが、忙しい。

2 「最終日の展示」の様子を見に行ったり、、ホームカミングデーのパネル展示の様子を見に行ったり、と、別々の建物の1階と5階を何度も往復する。

また、合間を見て、知っている学生のいるサークルの出し物に顔を出す。

手芸サークル、茶道部、文芸部、書道部、アカペラサークル、国際関係論ゼミの屋台、など…。

まるで、政治家の地元まわりのような感じである。おそらく、これほどこまめにまわった教員は、ほかにいないだろう。

昨年、一昨年と、大学祭で屋台をやった者の経験からすると、知り合いが来てくれる、というのは、それだけで嬉しいものなのだ。

3 さて、展示の方はどうか?

客足はなかなか伸びなかったが、嬉しかったのは、卒業生が数名、見に来てくれたことである。スカイプで卒論指導をした学年だ。それだけで、私は満足した。

では、5階のパネル展示はどうか?

…お客さんが、まったく来ない。まったく来ないのである!

それもそのはずである。ホームカミングデーは、1号館の1階で行われていて、パネル展示は3号館の5階で行われているからである。つまり、まったく離れた場所で行われているのだ!

どう考えても、わざわざパネル展示を見に、1階にいたお客さんが別の建物の5階の部屋まで足を運ぶことはない。

しかも、ホームカミングデーの行事が進行している最中、ずーーーっと、「放置プレイ」である。だーれも様子を見に来ない。

私たちはまだいい。可哀想なのは、「模擬裁判」のパネル展示をしていた学生たちである。

ホームカミングデーの日にパネル展示をしてくれと上から依頼されて、前日から、かなり凝った準備をして、当日も、10人ほどの学生たちが、ずーっと、待機していた。なかには、頑張りすぎて鼻血を出した学生までいたぞ!

私は、学生たちに聞いた。

「お客さん、来た?」

「いえ、まったく来ません」学生たちは、悲しそうに答えた。

せっかく、あんなに準備をしたのに、なんだかとてもせつなくなってきた。

さらに、である。

午後4時。パネル展示の終了時間。私たちは、卒業生のT君や3年生のTさんと一緒に、撤収をはじめる。

驚いたのは、「模擬裁判」の学生たちが、自分たちの展示物を撤収するのみならず、誰に頼まれたわけでもないのに、教室をもとの状態に戻すことまでしてくれたことである。

せっかく準備した展示に客が誰も来なかったにもかかわらず、文句ひとつ言わずに、黙々と、自分たちの管轄以上の後片付けをしてくれている。

こいつら、なんていいやつらなんだ!

私は泣きそうになった。

(君たち、12月の模擬裁判の公演も頑張れよ!俺は予定が入っていて今年は見に行けないけど)

と、心の中で応援した。

午後5時すぎ、すべての行事が終わり、ドッと疲れが出た。

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高原へいらっしゃい

10月18日(木)

結局、今週は展示の対応にかかりきりである。

今日はうちの社長や副社長にも見に来ていただいて、それだけでも、励みになった。人間は、というか、私は、単純な人間である。

芳名帳を見ると、このブログを読んで来てくれたとおぼしき人もいて、ああ、ブログであんな愚痴なんか書くんじゃなかった、あれでは見に来いと脅迫しているようなものではないか、と、自分の愚かさを心から反省した。

とくに恐縮してしまったのは、卒業生のT君である。

隣の市で働いているT君は、仕事が忙しい時期にもかかわらず、わざわざ平日の昼間に見に来てくれたのである。

このブログを読んで、大慌てで来てくれたのではないか、と思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいである。

なにもブログでぼやかなくとも、今日は多くの人が見に来てくれた。この展示を楽しみにして見に来ていただいた町の方々や、授業の課題で最初は仕方ないと思いながらも、見ているうちに楽しんでくれた学生。そして、先生に引率されてきた近くの高校の生徒たち、それに、私が信頼する同僚や職員さん。

昨日から今日にかけての「宣伝」とはまったく無関係だったが、これも「イニシャルKの奇跡」というべきか。

「こうなったら、最終日の土曜日に向けて、宣伝を強化しましょう」

夕方、展示職人のSさんが提案する。

土曜日は、大学祭とホームカミングデーが重なり、多くの集客が見込まれるのではないか、ということからである。

どのようにしたら、効果的に人を呼び込むことができるか、について、担当の職員さんも交えてミーティングを行った。

話し合いを続けているうちに、あるドラマを思い出した。

TBSで、そのむかし放送していた田宮次郎主演「高原へいらっしゃい」(1975年)である。私が日本のドラマの中で一番好きなドラマである。

Imagescant53jf 信州の八ヶ岳高原に、何度も人手に渡り、経営が難しいとされるホテルがあった。このホテルの支配人をまかされた面川(田宮次郎)は、このホテルを限られた予算内で経営し、軌道に乗せようと、人を集め、ホテル再建に乗り出す。しかし、なかなかお客は集まらない。

方々からホテルのメンバーを集める様子は、黒澤明監督の映画「七人の侍」にも通ずるものがある。面川は、自分が集めたメンバーを大切にしながら、ホテル経営を続けていこうとするが、なかなかうまくいかない。

このメンバーの中に、面川のお目付役として派遣された、経理担当の大貫(前田吟)という男がいた。合理主義者で敏腕の大貫は、「情」を重んじる面川と、当初は対立し、面川のなまぬるいやり方を見下していた。

しかし時がたつにつれて、大貫は次第に面川の人間性に惹かれていく。

あるとき、面川は、ホテル経営がまったくうまくいかいことで破れかぶれになり、泥酔してホテルに戻ってくる。ホテルのメンバーたちが、そんなぶざまな面川に嫌気がさし、みんなでホテルを辞めよう、と言い出す。

そのときの大貫のセリフは、このドラマの中でも、屈指の名シーンである。

「わかったよ! 君たちは何時だってそうなんだよ! ちょっと具合が悪いことになると、すぐそうやって逃げ出しちゃうんだよ」

「・・・・」

「君たちはね、いつだって損得だけで生きているんだよ。そういう生き方はな、最低なんだぞ。たとえどんなに損をしたって、一つのことをやりとげなくっちゃ駄目なんだよ。一つのことができなくてな、何ができるって言うんだよ!」

「・・・・」

「七郎、お前は人間の出会いをどういうふうに考えているんだ」

「出会いですか?」

「そうだよ出会いだよ。俺とお前が、こんな山の中で会って、出会うっていうことは大変なことなんだぞ」

「そんなに大変ですか」

「あたりまえだよ。出会いを大事にしなくて何を大事にするっていうんだよ」

「言いたいことはそんなことですか」

「そんなことだと? 出会いってのは一番大事なことなんだぞ。ホテルを棄てて出て行くっていうことはな、その一番大切なものを全部棄ててでていってしまうということなんだぞ」

「・・・・」

「君たちは一生後悔するぞ。60歳くらいになって思い出して後悔するぞ」

「俺たちは後悔しませんよ」

「大貫さんは後悔しないようにすればいいじゃないですか」

「あたりまえだよ! 後悔しないよ! 俺は君たちとは違うんだよ。最後までやりぬくんだよ。一人になったってやりぬくんだよ!」

かつて面川と対立していた大貫は、すっかり心が折れてしまった面川を立ち直らせようと、辞めようとするメンバーたちを説得するのである。それはおよそ合理主義者の大貫には似つかわしくない、ヒューマニズムであった。

面川は、その大貫の心に打たれて、もう一度奮起しようと決意する。

「人間的な弱さをみせる面川」「人間味の溢れる大貫」…これは、それまでの面川や大貫のキャラクターを、裏切る描き方である。

しかしだからこそ、この場面は胸を打つ。

大貫に支えられる面川とは、まわりの友人たちに支えられている、この私なのではないだろうか。ときどき、そんなことを思う。

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幸運のイニシャルK

10月17日(水)

朝、展示会場に行くと、芳名帳に「前の職場の同僚」のKさんの名前があった。

昨日の夕方、片道50㎞をかけて、展示を見に来てくれたようである。

昼休みに、Kさんにお礼の電話をかけた。

「わざわざ来ていただいて、ありがとうございました」

「展示、とてもよかったです。ああいうことができるって、うらやましいですねえ」

昨日は、この日記に少し愚痴を書きすぎた、と思い、反省した。

午後、こんどは「今の職場」のKさん。

意固地でひねくれた私の性格を察したのか、

「せっかくこんなに頑張っているんだから、もっと宣伝した方がいいですよ」

と、客の入らない展示のことを心配して、アドバイスしてくれた。

そうだよな。何もこっちが意固地になる必要はないのだ、と少し心が軽くなる。

職場の掲示板にポスターを貼ってもらったり、職場のフェイスブックで宣伝してもらうようにお願いしたり、と、自分のできる限りで、宣伝活動に力を入れることにした。

フェイスブックが大嫌いなこの私が、とうとうフェイスブックで宣伝してください、とお願いしたのには、苦笑するほかなかった。

もはや、客の入りなどどうでもよい。

こういう方たちに支えられていることこそを、誇るべきである。

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意地の力

10月16日(火)

中年まっただ中の人気ローカルタレントが、最近発売された人気テレビシリーズのDVDの副音声で、「最近は、誰からも評価されず、自分がどれだけ苦労をしているかを誰も知らなくとも、自分だけが納得できてやれる、という状況が心地よい」、みたいなことを語っていて、(オレもそういう境地に達したいよなあ)と思って聞いていた。

しかし、やはりまわりの評価、というのは気になるものである。

…と、こんなことを書いたのは、ビックリするくらい、自分の手がけた展示に客が入らないからである。すがすがしいくらいにお客さんが来てくれない。

ふつう、義理でも来てくれるようなものだと思うのだが、それすらない。

「袖すり合うも多生の縁」といって、ご縁があってお仕事を一緒にした人とか、ふだんから敬意を表している人とかに対しては、私自身も、できるかぎり、関心を共有しようと努力しているつもりだが、逆に私に関しては、そういう関心を持たれることがないらしい。

この忙しい世の中、やはりみんな自分のことで精一杯、ということなのだろう。

学生に受付を手伝ってもらっているのだが、様子をうかがいに行くたびに、

「お客さんは誰も来ていません」

という。

その上、昨日せっかく受けた取材も、その日の夕方のニュースで放送されなかった、という話を聞いた。

あの苦労はいったい何だったのか?

性格の歪んでいる私は、完全にひねくれてしまった。

なんか私自身も、努力して周囲に関心を持とうとすることが、バカバカしくなってしまった。

誰も関心を持ってくれないんだったら、いっそ自分が楽しんでしまえばよい。例の「つまらない意地」に火がついた。

…ということで、展示のバージョンアップ、というのを思いついた。

職員のSさんの全面的な協力を仰いで、あるアイデアを形にすることにした。

やらなければならない仕事は山ほどあるのだが、午後の時間のほとんどを、この作業に費やすことにした。もう、こうなれば意地である。

見に来ていただいた方にどれほどの印象を与えるのかはわからないが、それよりも重要なのは、自分のアイデアを形にすることである!

幸いにも3年生の2人に手伝ってもらい、少しだけバージョンアップした展示となった。

まさしくこれは、「意地の力」である。

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実感の湧かない日

10月15日(月)

今日という1日をひと言であらわせば、「実感の湧かない日」である。

午前中、地元民放局の取材を受けた。今週から始まった展示への取材である。

質問に対していろいろと答えたあと、記者兼カメラマンの方が、「インタビュー映像を取りたいと思うのですが、よろしいでしょうか」という。

「いいですよ」

記者兼カメラマンの方は、カメラをセッティングしはじめた。

「では、インタビューをはじめまーす」

と、カメラをまわそうとしたとき、

「あれ?あれ?」

と、三脚に取りつけたカメラをいったんはずして、カメラを確認しはじめた。

「…すみません。カメラに不具合が生じまして…いったん社に戻って、出直してきます」

えええええぇぇぇぇぇっ!!!

私が見たところ、カメラのバッテリーがなかったのだと思うのだが、記者兼カメラマンの方は、「カメラの不具合」としか言わなかった。

まるで、「買い物しようと町まで出かけたが、財布を忘れて愉快なサザエさん」状態ではないか!

30分ほど待ち、記者兼カメラマンの方が戻ってきた。

そんなこんなで、午前中は地元民放局の取材で終わってしまった。

しかし残念なことに、私はテレビを持っていない。

だから、あれだけ長い時間取材されていても、それが夕方のニュースで放映されたのかどうか、まったくわからないのだ。

だから私にとっては、まるで実感の湧かない取材である。

さて午後。

所用があって別の部署に行くと、職員のSさんが言う。

「さっきまで、ミステリーハンターが来ていたんですよ!」

聞いてみると、民放全国ネットの長寿番組で活躍するミステリーハンターのTさんが、うちの職場にやってきて、同僚に取材していたのだという。

「一緒に写真を撮ってもらっちゃいました。それに、サインももらっちゃいました」

と、ツーショットの写真とサインを見せてもらった。

「ロケに同行していたカメラマンの方に撮ってもらいました」

つまり、プロのカメラマンに撮ってもらった、ということである。

午前中の地元民放局の取材は、ひとりの方が、記者からカメラマンから、すべてを兼ねていたが、こちらはさすが全国ネットの人気長寿番組。何人ものスタッフがいたんだろうな。

「うらやましいですねえ」と私。

「どうしてです?」

「だって私は、Tさんがミステリーハンターになる前からの、ファンだったんですよ」

「そうだったんですか?!!」

Tさんは、1980年代半ば頃に、NHK教育テレビの若者向け番組「YOU」で、女性司会者をつとめていた。たしかそれが初レギュラー番組だったのではないかと思う。私はその頃からのファンである。Tさんがミステリーハンターになったのは、その後のことである。

Tさんは、じつにかっこいい。少し小さめのリュックを背負いながら世界を駆けまわる姿は、とくにかっこいいのだ。

「私にとって好感が持てる女性とはですねえ」と私。「ミステリーハンターになる素質がある人なんですよ」

これはちょっと言いすぎた、と、あとで反省した。

「ほんとうに嬉しかったです。まさか一緒に写真を撮ってもらえるとは」とSさん。

しかし、いくら写真やサインを見せてもらっても、ミステリーハンターのTさんが、本当にうちの職場に取材に来たのかどうか、全然実感が湧かない。それもそのはずである。だって、私自身が会っていないんだもの。

そうか!と、はたと気づく。

私が、ミステリーハンターの取材を受けるくらい有名になれば、ミステリーハンターに会うことができるのか!

…何とも浅はかな考えである。ま、ムリだろうな、と思い直した。

分相応に生きよう。

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内弁慶ブルース2012

内弁慶ブルース

続・内弁慶ブルース

10月13日(土)

この日って、うちの市で、なんかあったの?

東京にいる両親が急遽、週末にこちらに来るという。

数日前、宿を予約しようと思ったら、市内のどのホテルも満室である。

以前、缶詰になって仕事をした、市内にあるレトロな旅館に電話をかける。

「13日、宿泊の予約をしたいんですが」

「すみません。あいにくその日は満室です」と、おかみさんらしき人が答える。

この旅館が満室である、ということは、よっぽどのことである、…というのは、失礼な話か。

「あのう、この日、何かあるんでしょうか?」私は思わず聞いた。

「さあ、実は私どもも、調べがついておりませんで…」旅館のおかみさんも、不思議がっている様子である。

ということで、20㎞ほど離れた隣の市のホテルを予約することにした。

しかし13日(土)の午後は、職場で公開講座のため、半日出かけなければならない。

この日は、「午後は仕事だから」とだけ言って、背広の着替え、両親をアパートに置いて、職場に出かけた。

私のいつもの悪いクセで、何の仕事かを、いっさい言わない。

まったく、厄介な息子である。

両親もそういう私の性格を知ってか、まったく聞こうともしない。

さて翌日(14日の日曜日)。

朝8時半、隣の市のホテルまで迎えに行く。

両親が泊まっているホテルの、すぐ向かい側には、浮世絵の美術館がある。

その美術館には、ふだん一緒にボランティア活動をしている仲間の、Tさんが勤めている。

私はまだ行ったことがなかったが、ホテルの目の前にあることを知り、この機会に両親を連れていくことにしたのである。

しかもこの美術館は、朝8時半という早い時間から開館している。朝イチで美術館に行くことにした。

「浮世絵の美術館?」美術に関心のない両親が訝しむ。

「一緒にボランティア活動をしている知り合いが勤めているんで、この機会に見に行こうと思って」と私。

「ボランティア活動?知り合い?」

両親の頭の上には、大きな「?」(はてなマーク)が浮かんでいるようである。

そういえば、震災で被災した資料のボランティア活動をしている、なんてことも、まったく両親に言っていなかった。

説明するのが面倒くさいので、結局、説明しないまま美術館に入った。

受付にTさんがいらっしゃったが、こっちは野面(のづら)で、しかも両親を連れている、というので何とも恥ずかしくて仕方がない。

しかしそんなことはどうでもよい。美術にまったく関心がない両親が、浮世絵の版画をじっくりと見ながら「すばらしいねえ」と感嘆していたから、やはり連れてきて正解だったのだ。

私たちは、Tさんに感謝をして、美術館を出た。

お昼の時間になり、ラーメン屋に連れて行く。

インターチェンジの近くにある、「K」というラーメン屋である。先日、ひとりでお昼にラーメンを食べようと思って、店の前まで来たのだが、あまりに混んでいたので諦めてお店にはいるのをやめた店のうちの1つである

今日も少し行列ができていたが、ほどなくして入ることができた。

名物の「トリゴボウラーメン」を食べる。両親は、「こんな美味しいラーメンを食べたのは久しぶりだ」と感激していた。私も久しぶりにこの店のラーメンを食べたが、たしかに、行列ができるだけのことはある。

しかもこの店のラーメンどんぶりは、なんといったらいいか、むかしの蓄音機のスピーカーというか、麦わら帽子というか、とにかくそんなような形をしていて、どんぶりの底の方に、麺がたっぷり詰まっている感じなのである。つまり、意外と量が多いのだ。

両親も私も、たちまちお腹いっぱいになる。

あまりにお腹いっぱいになって眠くなったので、午後はアパートに戻り、しばしの時間、昼寝をする。

気がついたら夕方近くになった。

そうだ、今日は夕方5時から、大学祭のライブのバンド演習があるんだった!

「ちょっと出かけてくる」と私。

「どこに行くの?」と母が聞くが、

「ちょっとね。7時過ぎには戻る」

とだけ言って、出かけた。

実は大学祭でバンド演奏をすることになっていて、その練習に行く、という説明も、面倒くさいので、説明しなかった。

何だかんだで、7時半にアパートに戻る。

「まったくもう…帰ってこないかと思った」と両親は待ちくたびれた様子。

昔から私は、何も言わずに家を出て、何も言わずに家に帰ってくる子供だった。それは、いまでも変わらないんだな。

夕食は、以前にも両親を連れていったことのある回転ずし。ネタが大きいことで有名である。

結局、朝イチの美術館、行列のできるラーメン屋、ネタが大きい回転ずし。

ま、内弁慶の私としては、まずまずの親孝行である。

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大賞選定委員会

10月13日(土)

2回にわたる、荷が重い公開講座が終了した。

構成と出演をすべてひとりで行ったため、面白くなるのも、つまらなくなるのも、すべて自分の責任である。

ひとり語り、というのは、やはり相変わらず慣れないものである。

自分の不勉強な部分が白日のもとにさらされたのはもちろんだが、その語りの方向性、というか、ストーリーテラー的な部分というか、そういうところが、いつも独りよがりで終わってしまっているのではないか、という不安に襲われる。

「語り」だけではない。文章の場合もそうである。

言葉を慎重に選んで、相手、もしくは不特定多数の人に伝えたとしても、それが、かえって煩わしい感じになっているのではないか?あるいは言葉を尽くしすぎて空回りしているのではないか?完全な一人相撲なのではないか?だとしたら、わざわざそのために言葉を尽くすことなど、無意味なのではないか?と不安に襲われることは、しばしばである。

まあ、ここで「ひとり反省会」をしても仕方がない。

昨晩、こんなことがあった。

ある用事で、「前の職場の同僚のKさん」に電話をかけた。

ひととおり用事が済むと、Kさんが言った。

「全然関係ない話ですけれど、よろしいでしょうか」

「どうぞ」

「いま、こぶぎさんと一緒なんです」

「そうですか」

こぶぎさんは運転中とのことで、これから夕食に出かけるらしい。

「あのう…大賞はどうなりました?」

「何です?」

「ですから、ブログの大賞です」

前の職場の同僚であったKさんとこぶぎさんは、このブログのヘビーリーダーである。先日、このブログの記事が千本目を突破したことを記念して、これまでの大賞を決めよう、という記事を書いたのである。

「ああ、…実は何も考えてませんでした」と私。

「昨日も、こぶぎさんと2人で、大賞について話していたんですよ」

「そうだったんですか」

話題にしてくれただけでもありがたい。

「でも、難しいですねえ」

「そうでしょう」

「読んでもすぐに忘れてしまいますからねえ」

やはり、ヘビーリーダーの2人でも、そんなものか。

「でも『ハートウォーミング部門』は決まりました」

「何です?」

「『特急のすれ違う駅』です!あれ、けっこう好きだったんですよ」

こぶぎさんも同意見だったようである。

私は、違うエピソードを大賞に考えていたのだが、ま、いいか。

…ということで、「エピソード大賞・ハートウォーミング部門」は、「特急のすれ違う駅」に決定しました!

「あと、『料理部門』というのもありましたよねえ」Kさんが続けた。

「ええ」

「大賞は、『世界の料理ショー』について書いた記事はどうか、と」

グラハム・カー的こころ」のことである。しかし、あれは「料理番組」をテーマにした話であって、料理そのものの話ではないのだが…。

ま、いいか。ということで、「エピソード大賞・料理部門」は、「グラハム・カー的こころ」に決定!

「ほかの部門はどうですか?」調子に乗って、私はKさんに聞いた。

「いや、まだそこまでは考えていません」

私が提案する。

「じゃあこうしましょう。お二人に、大賞の選定委員になっていただきます」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。そんなのムリですよ」

ムリだぞー、というこぶぎさんの声が、電話の向こうから聞こえてくる。

「しかし、お二人しかいないんですよ」

実際、この「お遊び」に反応してくれたのは、この2人しかいないのだ。

「どんな話があったかなんて、覚えてないぞー」と、また電話の向こうからこぶぎさんの声。

こぶぎさんをして、そう言わしめるのだから、他の読者は推して知るべし、である。

やはりこの「お遊び」はムリだったか。

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みんなで力を合わせて、列品!

みんなで力を合わせて」シリーズ

10月12日(金)

昨年に引きつづき、今年も展示のイベントを行うことになった。来週の月曜日から土曜日までの6日間である。

今日の午後は、その準備である。

午後1時に会場に集合し、準備を開始する。その道の専門家のダブルSKさん。担当部局の職員さん、そして学生たち。

やはり、10名+αの人たちが集まってくれた

いちおう、私は総監督。しかし、私はほとんど何もしていない。構成を考えただけ。

それを形にしてくれたのは、私以外の人たちである。

資材を調達してくれた職員さん、プロの技術で展示に生命を吹きこんでくれたSKさん(1号)、私の原稿を、やはりプロ顔負けの鮮やかな解説パネルにデザインしてくれたSKさん(2号)。そして、ダブルSKさんの指導のもとで実働部隊として力を発揮してくれた学生たち。

それぞれが、持てる力を発揮して、展示を作り上げてゆく。

展示品の1つ1つ、解説パネルの1枚1枚を、どのようにしたら、いちばん美しく見せられるか。

試行錯誤をくり返しながらも、午後6時過ぎ、ようやく展示が完成した!

一室だけのささやかな展示である。

しかし、思いは込めたつもりである。

さて、どれほどの人々に、この思いは伝わるか?

私としては、みんなで力を合わせて完成させたことだけで、十分に満足である。

もしよかったら、見に来てください。15日から20日までです。

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つまらない意地

つまらない意地、で思い出した。

高校時代、仲のよかった同じクラスのK君がいた。

高校に入学したときから意気投合して、いつも一緒に早弁(弁当を、お昼休みではなく、2時間目と3時間目の間の15分間で食べてしまうこと)をしたりしていた。

ところが、あるとき、些細なことで、ほんとうに些細なことで、カチンと来たことがあって(いまとなっては、そのきっかけを全然覚えていない。たぶん、はっきりとした理由なんてなかったんだろう)、お互い、まったく口をきかなくなってしまった。

それまで一緒に早弁をしていたのに、それから、別々に早弁をすることになった。

私は、K君くらいしかクラスでは親しい友人がおらず、仕方がないのでひとりで早弁をした。

(こうなったら、向こうが口をきいてくるまで、口をきいてやるもんか…)

この、「こうなったら…」という言葉が出たら、私の意地に火がついた、ということを意味する。

それから、びっくりするくらい、お互い、口をきかなくなってしまった。

いま考えたら、何ともつまらない意地の張り合いなのだが、人間の意地というのは、ひょっとしたら岩をも通す強さなのかもしれない。

その後しばらくたって、なんとなく話をするようになり、以前のような仲のいい友人関係に戻った。そして以前よりも何でも話せる関係になったような気がする

あの「意地っ張りな自分」は、何だったんだろう?

その後、私もK君も東京を離れてしまったので、もう15年くらいK君とは全然会っていない。

そんなものなのかなあ。

恥ずかしいことに、私は同じようなことを何度もくり返す。高校の部活で親しかったS君と、やはりある時期、ひとことも口をきかないことが続いた。理由は忘れてしまった。

(こうなったら、向こうが口をきいてくるまで…)と、また例の調子である。

その後、またふつうの友人関係に戻り、大学時代には一緒にお酒を飲みに行ったり、彼の就職が決まったときには、ひとりで引っ越しの手伝いに行ったりした。

だがそのS君とも、もう15年以上も会っていない。

そんなものなのかなあ。

大学時代に仲のよかった友人のT君とも、卒業旅行で日本海側を鈍行列車で旅したときに、まだ旅が始まったばかりの段階で、ふとしたきっかけで険悪な雰囲気になり、旅行中、ほとんど口をきかなかった。おかげで、最悪の卒業旅行になってしまった。

(こうなったら…)また始まった。

旅行の最後あたりで、T君とはなんとなく仲直りし、大学卒業後は、彼の結婚式にも呼ばれた。

だがそのT君とも、やはり15年近く会っていない。

やっぱり、そんなものなのかなあ。

…と、ここまで書いてきて、くらーい気持ちになってきた。

どうも原因はすべて、つまらない意地をはるという私の性格にある。

それをなおせば、もう少し楽に生きられるのだが。

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私の意地に火をつけて

10月11日(木)

夕方6時半過ぎ、やや遅れて「丘の上の作業場」に行く。

書き忘れていたが、10月から「丘の上の作業場」の作業が再開したのだ。

さすがに夜になると肌寒くなるので、夜空の下の作業、というわけにはいかない。屋内での作業となったが、それでも、やはり「丘の上の作業場」はいい。とくに今日みたいに何もいいことがなかった日は、なおさらそれが骨身に染みる。

今日は通常のクリーニング作業のあと、月に一度の定期会合である。

「今日は震災から1年7カ月が経ちました」と世話人代表のKさん。この作業も、1年5カ月くらい続いている。

飽きっぽい私が、なぜここまで続いたのか?

ひと言でいえば、「意地」である。

子供の頃から、つまらない意地を張ることにかけては、右に出るものはいなかった。今でもそうである。

その「意地」に、火がついたのだ。

だが、事の本質は、そこではない。

集まってくる人たちが、それぞれの持ち場で頑張っているのを見て、惹かれたのである。

それは、ボランティア活動の中における持ち場で、それぞれが役割を分担しながら作業している、という意味ももちろんあるが、より本質的なことは、それぞれの本業を頑張りつつ、この活動に参加している、という事実である。

それぞれが、自分の持ち場でギリギリの状況で仕事をしながら、この活動のことを考えている。

だから、活動に常に参加していることだけが、尊いのではない。

たとえば、私と同い年の盟友・Uさん。

彼は今、本業がとても忙しく、こちらの活動になかなか顔を出せない。彼はことあるごとに私に、「出られなくて申し訳ない」という。自分が参加できなくとも、自分の職場のほかの誰かが参加できるよう、呼びかけてくれたりもしている。つまり、手を尽くしてくれている。

だが重要なのは、いま彼は、自分の持ち場で頑張っている、という事実である。

それだけで私は、勇気づけられる。

それぞれの持ち場で頑張っている人間が、知恵を出し合い、時間と力をやりくりしながら、この活動を続けようとしている事実。

その事実こそが、尊いのだ。

それぞれの持ち場で頑張っている人間は、それだけで美しい。

うちの職場でもそうだが、リーダーシップを発揮できる人材を育てるべきだ、という意見が喧しい。

リーダーシップ?

冗談じゃない。各自がそれぞれの持ち場で頑張ることの尊さをこそ、教えるべきなのだ。

何度でも書く。

この活動で救われているのは、私の方である。

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俺は「すぎちゃん」か?

10月10日(水)

職場の広報誌に、短い文章を書いた。

ある授業を担当しての感想文なのだが、タイトルを「教員だって悩むぜ!」とつけた。

私のことだから、その授業を担当して、いかに悩み続けたかを延々と書く、という、例によってマイナス思考の文章である。

私の文章の下には、その授業を受けた学生の感想文が書かれているのだが、これがじつに立派な文章である。本来、教員である私が書くべき内容ではないか、というくらい、しっかりした文章である。

これでは、どっちが教員でどっちが学生なのだかわからない。

事務室に行くと、職員さんが私に言う。

「広報誌、読みました」

今日、その広報誌が教職員全員に配られたようである。

「あ、そうですか」と私。

その職員さんが、その場にいた別の職員さんに聞いた。

「M先生の文章、読みました?読まなきゃダメですよ」

「当然読んだよ。オレ、M先生のだけは読むことにしてるんだ。他のは読まないけど」

社交辞令とはいえ、「読んだ」と言ってくれただけでもありがたい。だって、ふつうはそれほど関心をもって読んでくれることなんてないもの。

少し嬉しくなったので、つい、種明かしをした。

「あのタイトル、実はある歌の歌詞をもじったものなんですよ」と私。

「そうだったんですか?」

…さて、話は数年前にさかのぼる。

私が広報誌の編集担当をしていたとき、ある同僚に原稿を依頼したことがあった。

その同僚が書いた文章には、「作品は君に語りかける」とタイトルがつけてあった。

その同僚が言った。「あのタイトル、あるバンドのアルバムのタイトルからつけたんだ」

それを聞いて、私は必死になってさがした。そして見つけた。

「サンボマスターは君に語りかける」

これですね?と聞くと、その通り、と答えが返ってきた。

私が驚いたのは、その同僚のイメージからして、およそサンボマスターを聞くとは思えなかったことである。

そして、もし今度私が原稿を依頼されたら、同じように、自分の好きな歌の歌詞をもじったタイトルをつけよう、と考えたのである。

…話を戻す。

「さて、何という歌の歌詞でしょうか?」と私。

「歌の歌詞ですか…」

「そうですよ」

「さっき、ここで話題になっていたんですよ。あのタイトル」

「そうだったんですか」

「絶対に『すぎちゃん』のギャグをもじったんだろうって、みんなで言ってました」

す、す、す、すぎちゃん????

すぎちゃんって、「○○だぜえ」って言うお笑い芸人のことか?

私は昨年以来テレビを見ていないので、すぎちゃん、という人をテレビで見たことがないのだが、「○○だぜえ」とか「ワイルドだろう?」とか言う人、というくらいは、知っていた。

読者の多くは、私が「すぎちゃん」の流行のギャグをもじってタイトルをつけた、と思っている、ということかぁぁぁぁ!!!

かなりさむいぞ。エド・はるみのギャグ「グ~」を言うくらい、さむすぎる!

これではまるで私が、若者の歓心を買おうと流行におもねったタイトルをつけたと思われるではないか!

まさか「すぎちゃん」のギャグだと思われていたとは、考えもしなかった。

「違いますよ!」私は反論した。「あるバンドの歌に出てくる歌詞をもじったんです!」

「はあ、そうですかぁ」

ああ、せっかく凝ったタイトルをつけたつもりだったのに、「すぎちゃん」だなんて!

あ~、もういいや。もう「すぎちゃん」でいいです。たぶん、正解がわかる人なんて、いないと思うし。

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火曜日の憂鬱

10月9日(火)

午前中、いくつか家の用事を済ませて、職場に行く。

部屋で少し雑用をしていると、10時半過ぎである。

ああああぁぁぁぁぁぁ!!!!

(今日は9時から作業があった!)

すっかり忘れていた。

あわてて作業しているところに行くと、お手伝いしてくれている職員のSさんが、

「もう終わりました」

もう、こういう時って、本当に死にたくなる。

しかも、私がお願いしてお手伝いしていただいている作業である。

(社会人として、いや、人として、本当にダメだな。完全にダメ人間だ)

いくら最近、忘れっぽくなったといっても、許されることではない。

それでなくとも、学期中の火曜日は、なぜか茫漠たる寂寥感、というか、疎外感にさいなまれているのである。

しかし、気を病んでばかりいてはいけない。こういうときは、全然違うことを考えるに限る。

…ということで、全然違う話。

妻の職場の同僚のAさんとBさんは、高校時代の同級生である。大学も同じ研究室だった。私より10歳ほど上のオジサンである。

妻によると、妻と同じ部署のAさんのところにBさんが訪ねてくるとき、

「ブッチャー、いる?」

と声をかけるという。

「ブッチャー」とは、どうやらAさんの高校時代のあだ名らしい。

しかし、である。

私はAさんのことをよく知っているが、どこからどう見ても、プロレスラーのブッチャーには、似ていない。というか、性格もスタイルも真逆といってもよい。「ブッチャー」要素が、ゼロの人なのだ。

学生時代にプロレス研究会に所属していたわけでもない。

では、「ブッチャーブラザース」の「ぶっちゃあ」さんに似ているか、といえば、それも全然違う(どうだ、わからないだろう)。

いったい、どこをどう見たら、Aさんのあだ名が「ブッチャー」になるのだろう?

「高校時代に、何かとんでもない事件でもあって、それがきっかけになってあだ名が『ブッチャー』になったんじゃないの?」

というのが妻の説だが、それにしても、高校時代に何があったのだろう?

それで思い出した。私の高校時代のあだ名についてである。

私の高校時代のあだ名は、「ゴルゴ」だった。

高校の部活の先輩たちが、当時入部したばかりの私を見て、「おまえ、ゴルゴ13に似ているなあ」と言われ、それ以来、先輩たちは私のことをおもしろがって「ゴルゴ」と呼ぶようになった。

もう1人、私の同期のO君は、やはり先輩に「おまえ、マイケル・ジャクソンに似ているなあ」といわれ、以来、彼は「マイケル」と呼ばれるようになった。

だが、そう呼んでいるのは先輩たちだけで、同期の連中はバカバカしいと思ったのか、私やO君のことを、ふつうに名前で呼んでいた。

それから、卒業して、OBたちで楽団を立ち上げたときも、先輩たちは私に会うと「ゴルゴ」と呼んだ。

だが、かなり下の後輩たちにとっては、なぜ私が「ゴルゴ」と呼ばれているのか、わからない。なぜなら、私はゴルゴ13に似ても似つかないからだ!

「どうして上の先輩は、先輩のことを『ゴルゴ』って呼ぶんです?」後輩たちは一様に不思議がった。

「さあ、なぜか知らないけれど、高校時代からそう呼ばれているんだ」

もともとそんなに似ていのに、年を重ねて、オッサンになるにつれて、ますますゴルゴ13からは遠ざかる。というか、私はいまやゴルゴ13とは顔もスタイルも、真逆の人間なのだ!

最近は先輩たちにまったく会っていないが、もし今会ったとしても、先輩たちは私のことをかたくなに「ゴルゴ」と呼び続けるだろう。

もはやなぜ私が「ゴルゴ」と呼ばれるのか、呼んでいる当人もわからないのではあるまいか?

Aさんがかなりのナイスミドルになっていても、高校時代の友人にいまだに「ブッチャー」と呼ばれ続けているのは、案外、それと同じようなことなのかも知れない。

さあ、読者ヨロブン(みなさん)、高校時代のあだ名は、何でしたか?

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和っちゃん先生

むかし、市川森一脚本の単発ドラマに、「ゴールデンボーイズ - 1960笑売人ブルース」(1993年、日本テレビ)というのがあった。1960年代のお笑い芸人たちの悲喜こもごもを描いた群像劇である。

かなり印象に残ったドラマなのだが、現在ソフト化されておらず、詳しいデータも残っていないようである。

1960年代、当時売れっ子放送作家だったはかま満緒のもとに集まってくるお笑い芸人たちの群像を、当時駆け出しの放送作家だった市川森一の目を通して描く、という設定のドラマで、はかま満緒の役を三宅裕司が、市川森一の役を仲村トオルが演じていた。

当時活躍した芸人たちも数多く登場した。いちばん印象的だったのは、ラッキー7(セブン)というコンビで、ポール牧の役を陣内孝則が、相方の関武志の役をビートたけしが演じていた。コント55号では、萩本欽一の役を小堺一機が、坂上二郎の役を片岡鶴太郎が演じていたと思う。

ドラマの内容じたいは、ほとんど忘れてしまったが、ひとつだけ、印象に残っている場面がある。

むかし、泉和助、というコメディアンがいた。ドラマの中では、堺正章が演じていた。

ほとんど知られていないコメディアンだったが、後輩芸人たちからは、「和っちゃん先生」といわれ慕われていた。彼は後輩芸人たちに惜しみなくギャグを教え、彼からギャグを教わった後輩芸人たちは、次々とウケて、売れていくのである。

だが皮肉なことに、そのギャグを泉和助自身が披露すると、まったくウケなかった。彼には芸人としての華がなかったのだ。「華がない」というのは、芸人として致命的であった。不遇であったというべきであろう。

その泉和助は、50歳の時、持病の喘息が悪化して、自宅のアパートで孤独死してしまう。彼の死が発見されたのは、その数日後のことであった。

そのときの様子を、ドラマでは、たしか次のように描いていた。

泉和助の死を発見したポール牧(陣内孝則)は、死体の第一発見者として、警察に出頭する。

刑事が言う。「泉和助って、どのていどの喜劇役者だったの?うちの署じゃ誰も知らないんだが」

ポール牧がその刑事に言う。

「誰なら知っています?」

「そりゃあ、トニー谷とか、フランキー堺とかだったら、我々だって知っているさ」

「その人たちから、『先生』とよばれていた人ですよ。泉和助は」

たしか、こんな感じの場面だったと思う。

私は、泉和助がどんな人だったのかも、どんな芸を持っていたのかも知らない。そもそもドラマのこの場面が市川森一の脚色であることは、言を俟たない。

しかし、なぜかこのエピソードを、いまでもときどき思い出すのである。

それは、「不遇」であることを必ずしも嘆く必要はないということを、確認させてくれるエピソードだからだろう、と思う。

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千の風の便りになって

10月8日(月)

たぶん、この記事が記念すべき1000本目の公開記事である。

韓国留学日記としてはじめたこの日記が、ズルズルと1000回も続いてしまった。

毎回、かなり長い文章を書いている。本業とはまったく関係のない、どうでもいい文章をこれだけ書き続ける、という人間も、そうはいないだろう。このエネルギーを本業に傾ければ、もっといい仕事ができるだろうに、という意見もあるかもしれないが、自分にとっては精神のバランスを保つための拠り所みたいなものであり、こればかりは仕方がない。

毎回長い文章を書いているのは、なるべくこの世界観に共鳴してくれる人にだけ読んでもらいたい、と思うからである。共感できない人はすぐに飽きてしまうという仕組みになっている。

「文章を読んでいると、どこに連れていかれるかわからない」と感想を言ってくれた読者がいたが、まさにそう。「この話、読者をどこに連れていくんだろう?」というのが、この日記の筆法である。それに辛抱強くつきあってくれる人が、真の読者である。一見、無駄ともいえる文章も、実はひとつひとつ、私にとっては深い意味のあるもので、そのあたりをすべて理解できる人は、たぶん誰もいない。

ということで、自分にしかわからない判じ物みたいな文章ばかり書いているのに、いつも好意的に読んでいただいている方、本当にありがとうございます。

今回は、1000回記念、ということで、これまでの1000のエピソードから、部門ごとの、最優秀エピソードを選ぶことにしたいと思います!

唐突だなあ。…というか、1000の中から選ぶ、というのは、かなり乱暴である。そういうことをするなら、1年ごとの節目に選ぶとか、100本ごとの節目に選ぶとかすればよいのだが、今までそんなこと考えたこともなかったので、仕方がない。

「エピソード大賞・コメント部門」は、すでに決まっております。

(ガラガラガラガラガラガラガラガラ、ドン!)

節電川柳解説」によせられた、こぶぎさんのコメントです!

(パチパチパチパチ)

あとは、

「エピソード大賞・韓国語学院部門」

「エピソード大賞・オモシロ部門」

「エピソード大賞・ハートウォーミング部門」

「エピソード大賞・自虐ネタ部門」

「エピソード大賞・役に立つ話部門」

「エピソード大賞・役に立たない話部門」

「エピソード大賞・思い出部門」

「エピソード大賞・韓国文化部門」

「エピソード大賞・料理部門」

「エピソード大賞・映画評部門」

「エピソード大賞・テレビドラマ評部門」

「エピソード大賞・音楽評部門」

「エピソード大賞・書評部門」

「エピソード大賞・タイトル部門」

1000のエピソードの中から、各部門の大賞を決めなければならないのだが…。

さて、あなたが選ぶ各部門のエピソードは、何でしょうか?

そして、私が選んだ各部門のエピソードは、何だと思いますか?

すみません。こんなつまらないことを思いついたのも、「千の風の便りになって」というダジャレ的なタイトルを思いついてしまったからです。

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駅前の北京

10月7日(日)

昨日、1回目の公開講座を終え、夕方6時の新幹線で東京に向かう。翌日、東関東県のK町で行われる、母方の祖母の3回忌法要に出席するためである。

以前にも書いたが、K町は、陸の孤島のような田舎町で、東京の隣の県にあるにも関わらず、都内から鉄道で2時間以上もかかる。私が小学生の頃は、祖母の家にお正月とお盆休みに必ず遊びに行ったのだが、K町の様子は、その頃から今まで、まったく変わっていない。

変わったのは、私を含めた親族一同である。

私より15歳くらい年上の、2人の従姉妹がいて、私が子どもの頃は美人姉妹としてひそかに憧れていたのだが、いまではすっかり老けこんでしまっていて、ちょっとショックだった。

「昔は美人だったのにねえ…」私と同世代の従兄弟がぼそっと呟いていたが、たぶん私と同じことを考えていたのだろう。

私は学生時代、その2人の従姉妹のうちの1人の息子(当時中学生)の家庭教師をしたことがある。

「その節はありがとうね」と、その従姉妹。もう20年も前のことなのだが。

「いま、どうしているんです?」私はそれ以来、その息子に会っていないのだ。

「結局、3浪したんだけど、大学に行けずに、4歳年上の人と結婚しちゃった」

「そうだったんですか…」

結局、私の家庭教師は、何の役にも立たなかったようである。

「あんた、ますますおじさん(私の父のこと)に似てきたねえ」と従姉妹。

そんなこと、言われなくてもわかる。最近は、咳払いひとつまでも、父に似てきたのだ。

11時に始まった法要は、30分ほどで終わり、お墓参りを済ませた後、みんなで会食である。

「お昼はどこで食べるの?」私は母に聞いた。

「駅前の北京よ」

「駅前の北京?」

駅前の北京、という表現が、なんとなく可笑しい。

よくよく聞いてみると、k駅の駅前に「ぺきん亭」という中華料理屋さんがあって、そこで会食をするというのである。というより、k町には、会食ができる場所がこの「ぺきん亭」くらいしかないらしい。

総勢17名の親族たちでの会食である。両親や妹にも久しぶりに会った。

父が私の向かいに座る。

「飲み物は何にしますか?」と、今回の法事をとりしきってくれたおじさんがみんなに聞く。

ほとんどの人は、車を運転したり、お酒が飲めなかったりで、ウーロン茶を頼んだ。

父が手をあげて言う。

「俺、生ビール」

父はもともとお酒が好きだったが、退職後はお酒をやめた、と聞いていた。とくに昨年大病を患って大きな手術をしてからは、まったく飲んでいなかったのではないだろうか。

私は、父と一緒にお酒を飲んだという記憶がない。実家に住んでいたころ、私が父の晩酌につきあったことは、一度もなかった。

まあ、そんなことは別にたいしたことではない、と思っていたが、この年齢になると、なぜか、そんなことが気になってくる。

「じゃあ俺も、生ビール」私は手をあげた。あまり昼間からビールを飲む気分ではなかったのだが、父が飲むというのだから仕方がない。

中ジョッキ2杯が、運ばれてくる。

お昼だから、晩酌というわけではないが、こうして父のお酒につきあう機会は、この先もほとんどないであろう。

調子に乗って、中ジョッキを三杯も飲んでしまった。

「おばあさんの住んでいた家、取り壊したのよ」と母。

子どもの頃によく遊びに行っていたあの家は、もうなくなってしまったのだ。

この町を訪れる機会は、あとどのくらいあるのだろうか。

夕方、帰りの電車の中で、そんなことを考えながら、窓の外に広がるK町の田園風景を眺めていたら、昼間のビールが効いたのか、いつの間にかうつらうつらと眠ってしまった。

3時間かかって、東京の家にもどった。

「大阪に行くよりも、遠く感じるよね」と妻。

本当にK町は、時間の止まった、陸の孤島である。

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被害妄想の教科書

10月3日(水)

「寅次郎のメロン騒動」といえば、映画「男はつらいよ」のファンにとっては、有名なエピソードである。

最高傑作の呼び声が高い「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」での一幕。

登場人物は、寅次郎、妹のさくら、さくらの夫の博、そして、おいちゃんとおばちゃん。場面は、葛飾柴又のだんご屋「とら屋」、寅次郎の実家である。

寅次郎が、旅先で知り合ったサラリーマンから、御礼にといってメロンをもらった。

いまの若い人は知らないと思うが、むかしは「メロン」といえば、ビックリするくらいの高級品だったのだ。

寅次郎の外出中、「とら屋」の一家がメロンを切り分けて、いままさに食べようとしていた。

「いただきまーす」    

皆がそれぞれ美味しそうにかぶりついていると、店先で寅の声がする。寅次郎が帰ってきたのだ。  

おばちゃん「あらいけない!寅ちゃんの分、忘れちゃった!」

さくら「勘定に入れなかったの?」

おばちゃん「うっかりしちゃって…どうしよう…」

さくら 「どうしようって…」

博「隠しましょう!」

おいちゃん「隠すって、どこへ?」

博はお膳の下に自分のメロンを隠した。

そこへ、寅次郎が座敷にあがってくる。

寅「メロン美味しいかい?」                    

さくら「う、うん。」

寅「よし、じゃ、お兄ちゃんも一つもらおうか。じゃ、出してくれよ。オレの」

さくら「あ、お兄ちゃん。これ一口しか食べてないから…」

おばちゃん「あの、あたしのを…」

博「あ、僕のをどうぞ」

おいちゃん「これ食べろよ」

みんなが自分の食べかけのメロンを寅次郎にさしだす。

寅「……わけを聞こうじゃねえか。…どうしてみんなの唾(つばき)のついた汚ねえ食いカスを、オレが食わなくちゃならねえんだい?」

さくら「……」

寅「オレのはどうしたの?…、オレのぉ~!?」急に駄々っ子のようになる寅次郎。

さくら「あたしが悪かったの。お兄ちゃんのこと勘定に入れるの忘れちゃったの」

おばちゃん「違うのよ!あのね、あたしが悪かったんだよ」

おいちゃん「俺も気が付かなかったんだよ」

おばちゃん「ごめんよぉ」

博「僕もうっかりして…」

みんなで、寅次郎に謝る。

寅「いいんだよいいんだよ。どうせ俺はね…この家じゃ勘定には入れてもらえねえ人間だからな」

さくら「何もそんなこと言ってないじゃない…」

寅「しかしな。このメロンは誰のとこへ来たもんだと思うんだ?旅先でひとかたならないお世話になりましたと、あの男がオレのところへよこしたメロンなんだぞ!」

さくら「そうよ…」

寅「本来ならばこのオレがだ、『 さ、みんなそろそろ食べ頃だろう。 美味しくいただこうじゃないか 』 『 あら寅ちゃん、すまないわねえ、あたしたちもご相伴にあずかっていいの?』 『 もちろんだとも~ 』『 すいませんねえ兄さん、それじゃ頂きます』…そうやってみんながオレに感謝をしていただくもんなんだろう。それをなんだい!オレに断りもなしに」

とら屋一家「……」

寅「あいつのいないうちにみんなで食っちゃお食っちゃお食っちゃお。どうせ、あいつなんかメロンの味なんかわかりゃしないんだ。ナスのふたつもあてがっときゃいい。そうしようそうしよう。みんなでもって食おうとした時にオレがパタパタって帰ってきたんで、てめえら大慌てに慌てたろ なんだ、博テメエ、皿をこの下に隠したな。で、今出したろ!そっから!

博「い、いや…、あれは、あれはですね…」

寅「あれは、なんなんだい!」

さくら「お兄ちゃん、いい加減にしてよ…。勘定に入れなかったことは謝るから、ね。ごめんなさい」

寅「さくら、いいか、オレはたったひとりのお前の兄ちゃんだぞ。その兄ちゃんを勘定に入れなかった、ごめんなさいですむと思ってんのか!おまえ、そんなに心の冷たい女か!」

さくら「何よ!メロン一切れくらいのことで。みっともないわね、もう」

寅「何をぉ~~!?」

堪忍袋の緒が切れるおいちゃん、財布を取り出す。

おいちゃん「寅!おまえ、そんなにメロンが食いたかったらな、一切れとは言わねえ。これで買ってきて、頭からガリガリガリガリ、まるごとかじれ!」

財布からお札を取り出し、寅に向かってお札を投げつけるおいちゃん。

寅「バカヤロウ!オレの言ってるのはメロン一切れのこと言ってるんじゃないんだよ!この家(や)の人間の心のあり方についてオレは言ってるんだ!」

おいちゃん「一人前なこと言いやがって、おまえ!」

寅に向かって物を投げつけるおいちゃん。

寅「うあー!チキショウ!」

さくら「お兄ちゃん、やめてぇ!」

博「兄さんやめてくださいよぉ~!」

寅「よおし!!」

おばちゃん「んっもう~~~メロンなんか貰うんじゃなかったよ~ うえぇ~~~ん、うぇ~~~~ん」

…ご存じ、メロン騒動の一幕。

最後の最後に、「メロンなんか貰うんじゃなかったよ~」と嘆くおばちゃんのセリフが可笑しい。

寅次郎の被害妄想ぶりが招くこの騒動は、誰にでも思いあたるふしがあるからこそ、可笑しいのである。

とくに、「オレの言ってるのはメロン一切れのこと言ってるんじゃないんだよ!この家(や)の人間の心のあり方についてオレは言ってるんだ!」というセリフは、決してメロンが食べられなかったことを怨んでいるのではない、と、自己を正当化しているように聞こえて、たまらなく面白い。

私は、寅次郎の気持ちが、手にとるようにわかる。だからこの「メロン騒動」は、私にとっての「被害妄想の教科書」である。

子供の頃から私は、食い意地がはっていた。

いまでもたまに母親に、「あんた、小さい頃、うっかりあんたのおかずを食べてしまったら、『いま食べたもの、口から出せ!』と言ったわよね」と言われる。自分は覚えていないのだが。

大人になってからも、「ははぁん、さてはあいつら、俺のいないところで寿司食ってたな」と、妄想を膨らませることがある。食べ物に執着する性格は、いまも脈々と続いているようである。

…あれ?まだ芋煮のことを引きずっているのか?

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味のしない芋煮

10月2日(火)

雨で、やや気分がどんよりである。

午後、何かのついでに、職員さんと芋煮会の話になる。

「今日は、芋煮会をしているグループが多いみたいですよ」と私。

「そうですか、楽しそうでいいですねえ」

「そうでしょう。でも私は、芋煮会運がないんですよ」

と、かくかくしかじか、昨日この日記に書いたようなことを話すと、

「何もそんなに卑屈にならなくても…。たしか、私たちのグループでも10月×日に芋煮会をやることになっていたと思いますよ。よろしかったらご一緒にいかがですか?」

「10月×日ですか?」

「はい」

「その日は仕事です」

「そうですか」

「ほら、やっぱり芋煮会運がないでしょう」

「ほんとですねえ」

というより、そもそも私が他所様の芋煮会にほいほいと参加できるような人間ではない。

夕方の仕事の後、やや遅れて懇親会場に行く。

今日は、職場の偉い方たちと会食である。

はじめてお目にかかる方も多く、私が最も苦手とするタイプの宴会である。

それぞれ自己紹介なさるが、どの方もすごい業績をあげられた方ばかりで、ますます肩身が狭くなった。

ふだんの私なら、いたたまれなさに死んだような目をしてしまうのだが、今日は、大人としてとしてちゃんとふるまおう、と思い、終始、ピクニックフェイスを心がける。

ピクニックフェイス、ピクニックフェイス、と。

だがこういうときに、偉い方々にお酌してまわったり、お酌をしながら話しかけたりすることができない。そこが私の限界である。

目の前に出されたお椀のふたを開けると、芋煮だった。

(お、ようやく芋煮だ!芋煮にありつける!)

食べてみるが、ぜんぜん味がしない。

以前、味のしない鰻丼を食べたときと同じ感じだ。たぶん、この雰囲気に完全にやられてしまったのだな。

まったく、私は本当に芋煮運がない人間だな、と、苦笑した。

唯一、ふだんお世話になっている幹部職員の方が、「先生の研究、面白いですねえ」と言ってくれたことが救いだったくらいか。

(まったく、相変わらず座持ちの悪い人間だなあ、私は)

懇親会が終わり、途中まで、上司と帰る方向が一緒だった。

去り際、上司が言う。

「今日は忙しいのにありがとう。これからも手当以上の仕事、お願いしますよ!」

「はあ」

まったく、憎めない人だなあ。

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芋煮会運

10月1日(月)

頑張ろう、という気合いの言葉もないままに、新学期がなんとなく始まってしまった。

この時期、この地方では「大きな鍋を使って牛肉と芋を煮てみんなで食べる会」、略して「芋煮会」が、職場や学校のグループを単位として行われる(もう面倒くさいので、以下は「芋煮会」と書く)。芋煮会が行われる場所は、もっぱら河原である。

芋煮会は、自分が所属するグループの結束を確認する意味でも、かなり重要な行事と位置づけられている。いわゆる「同じ釜の飯を食う」というやつである。

とくに大学ではこの時期、新学期であることも相俟って、新学期も頑張りましょう、的な意味を込めて、ゼミや専門分野の単位で行われることが多い。

私のまわりの同僚たちも、今週は芋煮会ラッシュである。

とくに、いつも仲良しのKさんとNさんのゼミは、仲良く芋煮会をやるそうである。

かくいう私の学生たちも、芋煮会を企画してくれている。

しかし、である。

ここ数年、私は芋煮会に参加できていない。

昨年も、一昨年も、仕事の都合で、芋煮会には出席できなかったのである。

さて、今年はどうか。

先日、幹事の学生からメールが来た。

「すみません。本来ご相談すべきだったのですが、幹事の都合で、芋煮会を10月×日にすることにいたしました」

10月×日は土曜日だが、昼から仕事で、夜には東京に行かなくてはならない日である。

つくづく、私は「芋煮会運」がないものだ、と苦笑した。

「残念ながらその日は行けません。芋煮会のご盛会をお祈りします」と、私は返事を書いた。

すると数日後、こんどは、

「すみません。日程を11月×日の夕方に変更しました」

というメールが来た。私に気をつかってくれたのか、あるいはほかの同僚に気をつかった結果なのか、よくわからない。

しかし、11月の芋煮会は、間違いなく、冷える。それにこの日は、土曜日にもかかわらず職場で仕事が入っていて、しかも夕方の何時に終わるか、未定である。幹事さんは、我々の仕事が終わった夕方くらいからはじめる、というつもりらしい。

「私に気をつかうことはないので、ほかの先生方のご都合がよろしいんだったら、10月×日のほうがいいと、個人的には思います」と返事を書いたが、最終的に、11月に芋煮会が行われることになった。

はたしてこの日の仕事が順調に終わるかどうか、芋煮会に無事合流できるか、それは神のみぞ知る。

さてもう一つ、私のまわりで芋煮会が企画されている。

ボランティア活動をしている仲間が、10月末に、日ごろの労をねぎらう意味で芋煮会をすることになったのである。

しかしこの日も、日曜日であるにもかかわらず、私は仕事である。

ここまできたら、筋金入りの「芋煮会運」のなさである。

結局、私は芋煮会に縁がない人間なんだな。ま、たいしたことではないが。

…ということで、本日もまた「ヤケ岩盤浴」である。

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