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駅前の北京

10月7日(日)

昨日、1回目の公開講座を終え、夕方6時の新幹線で東京に向かう。翌日、東関東県のK町で行われる、母方の祖母の3回忌法要に出席するためである。

以前にも書いたが、K町は、陸の孤島のような田舎町で、東京の隣の県にあるにも関わらず、都内から鉄道で2時間以上もかかる。私が小学生の頃は、祖母の家にお正月とお盆休みに必ず遊びに行ったのだが、K町の様子は、その頃から今まで、まったく変わっていない。

変わったのは、私を含めた親族一同である。

私より15歳くらい年上の、2人の従姉妹がいて、私が子どもの頃は美人姉妹としてひそかに憧れていたのだが、いまではすっかり老けこんでしまっていて、ちょっとショックだった。

「昔は美人だったのにねえ…」私と同世代の従兄弟がぼそっと呟いていたが、たぶん私と同じことを考えていたのだろう。

私は学生時代、その2人の従姉妹のうちの1人の息子(当時中学生)の家庭教師をしたことがある。

「その節はありがとうね」と、その従姉妹。もう20年も前のことなのだが。

「いま、どうしているんです?」私はそれ以来、その息子に会っていないのだ。

「結局、3浪したんだけど、大学に行けずに、4歳年上の人と結婚しちゃった」

「そうだったんですか…」

結局、私の家庭教師は、何の役にも立たなかったようである。

「あんた、ますますおじさん(私の父のこと)に似てきたねえ」と従姉妹。

そんなこと、言われなくてもわかる。最近は、咳払いひとつまでも、父に似てきたのだ。

11時に始まった法要は、30分ほどで終わり、お墓参りを済ませた後、みんなで会食である。

「お昼はどこで食べるの?」私は母に聞いた。

「駅前の北京よ」

「駅前の北京?」

駅前の北京、という表現が、なんとなく可笑しい。

よくよく聞いてみると、k駅の駅前に「ぺきん亭」という中華料理屋さんがあって、そこで会食をするというのである。というより、k町には、会食ができる場所がこの「ぺきん亭」くらいしかないらしい。

総勢17名の親族たちでの会食である。両親や妹にも久しぶりに会った。

父が私の向かいに座る。

「飲み物は何にしますか?」と、今回の法事をとりしきってくれたおじさんがみんなに聞く。

ほとんどの人は、車を運転したり、お酒が飲めなかったりで、ウーロン茶を頼んだ。

父が手をあげて言う。

「俺、生ビール」

父はもともとお酒が好きだったが、退職後はお酒をやめた、と聞いていた。とくに昨年大病を患って大きな手術をしてからは、まったく飲んでいなかったのではないだろうか。

私は、父と一緒にお酒を飲んだという記憶がない。実家に住んでいたころ、私が父の晩酌につきあったことは、一度もなかった。

まあ、そんなことは別にたいしたことではない、と思っていたが、この年齢になると、なぜか、そんなことが気になってくる。

「じゃあ俺も、生ビール」私は手をあげた。あまり昼間からビールを飲む気分ではなかったのだが、父が飲むというのだから仕方がない。

中ジョッキ2杯が、運ばれてくる。

お昼だから、晩酌というわけではないが、こうして父のお酒につきあう機会は、この先もほとんどないであろう。

調子に乗って、中ジョッキを三杯も飲んでしまった。

「おばあさんの住んでいた家、取り壊したのよ」と母。

子どもの頃によく遊びに行っていたあの家は、もうなくなってしまったのだ。

この町を訪れる機会は、あとどのくらいあるのだろうか。

夕方、帰りの電車の中で、そんなことを考えながら、窓の外に広がるK町の田園風景を眺めていたら、昼間のビールが効いたのか、いつの間にかうつらうつらと眠ってしまった。

3時間かかって、東京の家にもどった。

「大阪に行くよりも、遠く感じるよね」と妻。

本当にK町は、時間の止まった、陸の孤島である。

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