« 千の風の便りになって | トップページ | 火曜日の憂鬱 »

和っちゃん先生

むかし、市川森一脚本の単発ドラマに、「ゴールデンボーイズ - 1960笑売人ブルース」(1993年、日本テレビ)というのがあった。1960年代のお笑い芸人たちの悲喜こもごもを描いた群像劇である。

かなり印象に残ったドラマなのだが、現在ソフト化されておらず、詳しいデータも残っていないようである。

1960年代、当時売れっ子放送作家だったはかま満緒のもとに集まってくるお笑い芸人たちの群像を、当時駆け出しの放送作家だった市川森一の目を通して描く、という設定のドラマで、はかま満緒の役を三宅裕司が、市川森一の役を仲村トオルが演じていた。

当時活躍した芸人たちも数多く登場した。いちばん印象的だったのは、ラッキー7(セブン)というコンビで、ポール牧の役を陣内孝則が、相方の関武志の役をビートたけしが演じていた。コント55号では、萩本欽一の役を小堺一機が、坂上二郎の役を片岡鶴太郎が演じていたと思う。

ドラマの内容じたいは、ほとんど忘れてしまったが、ひとつだけ、印象に残っている場面がある。

むかし、泉和助、というコメディアンがいた。ドラマの中では、堺正章が演じていた。

ほとんど知られていないコメディアンだったが、後輩芸人たちからは、「和っちゃん先生」といわれ慕われていた。彼は後輩芸人たちに惜しみなくギャグを教え、彼からギャグを教わった後輩芸人たちは、次々とウケて、売れていくのである。

だが皮肉なことに、そのギャグを泉和助自身が披露すると、まったくウケなかった。彼には芸人としての華がなかったのだ。「華がない」というのは、芸人として致命的であった。不遇であったというべきであろう。

その泉和助は、50歳の時、持病の喘息が悪化して、自宅のアパートで孤独死してしまう。彼の死が発見されたのは、その数日後のことであった。

そのときの様子を、ドラマでは、たしか次のように描いていた。

泉和助の死を発見したポール牧(陣内孝則)は、死体の第一発見者として、警察に出頭する。

刑事が言う。「泉和助って、どのていどの喜劇役者だったの?うちの署じゃ誰も知らないんだが」

ポール牧がその刑事に言う。

「誰なら知っています?」

「そりゃあ、トニー谷とか、フランキー堺とかだったら、我々だって知っているさ」

「その人たちから、『先生』とよばれていた人ですよ。泉和助は」

たしか、こんな感じの場面だったと思う。

私は、泉和助がどんな人だったのかも、どんな芸を持っていたのかも知らない。そもそもドラマのこの場面が市川森一の脚色であることは、言を俟たない。

しかし、なぜかこのエピソードを、いまでもときどき思い出すのである。

それは、「不遇」であることを必ずしも嘆く必要はないということを、確認させてくれるエピソードだからだろう、と思う。

|

« 千の風の便りになって | トップページ | 火曜日の憂鬱 »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 千の風の便りになって | トップページ | 火曜日の憂鬱 »