スウィングする人
11月30日(木)
年明けの1月、職場を会場にしたイベントを開催することになり、広く参加を呼びかけようとしている。
私なりに、けっこう本腰を入れて企画したイベントである。
企画協力者というべきか、仕掛け人というべきか、世話人代表のKさんと一緒に、色々なところに呼びかけているのだが、
「こうしてみると、我々って、思ったより友だちが少ないですねえ」
と、ため息をつくばかりである。
そうだよなあ。たしかに「知り合い」は多いが、こういうときに「来てください」と言って本当に来てくれそうな人って、指折り数えてみると、いないものだ。
こんなとき、いつも思い出すのは、むかしのドラマ「高原へいらっしゃい」(1976年)のワンシーンである。
八ヶ岳にある高原のホテルを立て直そうと、東京から集められた若者たちが、ホテルの従業員として住み込みで働いている。
しかし無名の小さなホテルなので、まったく宿泊の予約が入らない。
ホテルで下働きをしている、地元のおばちゃん(北林谷栄)が、若者たちを見かねて、彼らを集めて言う。
「おまいら、東京に友だちいねえのか?」
「…そりゃあいますけど」
「だったら1人ずつその友だちに電話かけて、このホテルに泊まってもらえるようにお願いしてみたらいいでねえか!それくらいの友だちは、いるだろ!」
「そんなこと、できるわけないでしょう」
「やってみなけりゃ、わからねえでねえか!」
おばちゃんにハッパをかけられた若者たちは、ひとりひとり電話の前に立つ。
しかし、ことごとく失敗する。結局、誰ひとり友だちをよぶことができないまま、終わるのである。
細部は忘れたが、たしかこんな感じだった。
このシーン。子供の頃にはよくわからなかったが、大人になってみると、けっこう身につまされる。
さて夕方、いつものように「丘の上の作業場」に行く。
「1月にお招きする方は、『この人のお話を聞かなかったら、いったい誰の話を聞くのだ?』というくらい、重要な方ですからね。こちらとしても、本気を出さなければなりません」世話人代表のKさんが言う。
そう、そうなのだ。
「この人のお話を聞かなかったら、いったい誰の話を聞くのだ?」という人を、お招きすることにしたのだ。
しかし私には、トラウマがある。
2年ほど前、「職場環境の改善」というテーマで、ある有名な先生を職場の講演会にお呼びすることにした。「この人のお話を聞かなかったら、いったい誰の話を聞くのだ?」というくらい、有名な先生である。まさに、満を持してお呼びしたのである。
しかし結果は、ほとんど聴衆が集まらず、さんざんな結果に終わった。
そのときのことは、このブログにも書いた。
ほとんどの人が無関心だったのである。現状に多少の窮屈さがあっても、一見物わかりのよさそうな者同士が集まって、ささやかなうわさ話に興じながら暮らしている方が気楽だからだろう、と私は解釈した。
これ以後私は、「打てば響く人」と「そうでない人」という目で、人間を見るようになった。
映画「スウィングガールズ」の中で、私の大好きなセリフに、
「全ての人間は二つに分けられる。『スイングする人』と『スイングしない人』に!」
というのがあるのだが、このセリフを私は、世界には、「心を揺さぶられる人」と「心を揺さぶられない人」がいる、と解釈している。
できれば私は、「スウィングする人」でいたい。ジャズも好きだし。
でも、どうせ周りの知り合いに声をかけたってムダなんだろうなあ。そんな悲観的なことばかり、頭の中をぐるぐる回っていたのだが、「丘の上の作業場」で、世話人代表のKさん、同い年の盟友Uさん、卒業生のT君などと話しているうちに、だんだん心がほぐれてきた。
「せっかくですから、講演会の会場は、もっと大きな教室をおさえたらどうです?」
卒業生のT君が提案する。
「それもそうだな。…じゃあ、会場を大きな教室に変更することにしようか」
いっちょやってみるか。明日、会場の変更の手続きをとることにしよう。そして少しずつでも「スウィングする人」を見つけていこうではないか。
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