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男の背広

作家・浅田次郎の語る「あるべき男性像」は、定型化された「武士道」の延長線上にあるような気がしていて、どうにも抵抗感があるのであるが、そのことをさし引いても、彼の語り口は読んでいて引き込まれるものがあり、文章に共感する部分も少なからずあり、悔しいがついつい、読み耽ってしまう。

短いエッセイ「男の背広」(『ま、いっか』集英社文庫所収)を読んで、思わず笑ってしまった、というか、考えさせられてしまった。

浅田次郎によれば、男は、何でもかんでも背広やズボンのポケットに持ち物を入れてしまう。財布、手帳、携帯電話、名刺入れ、車や家のカギ、等々。

男が何でもかんでもポケットに持ち物を入れるのは、とっさの有事に対していつでも対応できるように、手ぶらで歩くことが美徳とされているからだ、と、浅田次郎は言う。

そういえば、「マスターキートン」(漫画の主人公)も、何でもかんでもポケットにモノを入れていたなあ。彼の場合は、イギリスの特殊部隊にいた経験を持っている、という設定だから、文字どおり、有事に対する即座の対応が求められていたのだろう。

私自身はべつに、武士でも特殊工作員でもないので、そんなことは求められてはいないのだが、それでも、やはり、背広やズボンのポケットに何でもかんでも入れるタイプである。

妻は、私がポケットに何でもかんでも入れているのを見ると、必ず、ポケットにモノを入れないようにと注意する。理由は「かっこ悪い」からだという。ポケットに財布とか汗ふきタオルを入れておくと、ポケットがふくらんで、外見がとても不細工に見える、というのだ。

しかし、これは私の父の「教え」なのである。

私の父は、私に対して教訓めいたことは何も教えてはくれなかったが、2つだけ、教えてくれたことがある。

ひとつは、無駄な散財をしてしまったなあ、と思ったときには、「競馬で負けたと思え」。

もうひとつは、「財布はズボンの尻ポケットに入れろ」。

この2つである。

いまでも私は、この2つの教えを守っているのである。

しかし妻からしてみたら、ポケットにモノを入れる、というのは、どうも許されないことのようなのである。

一時期、黒い色のセカンドバッグを持ってみたことがあるが、かなり怪しい。まるで借金の取り立て人のように見えてしまう。

腰に巻きつけるタイプのウエストポーチも考えてみたことがあるが、どうもあれをしている人を見ると、あんまり信用できない人のように見えてしまうので、やはり抵抗がある。

結局、肩からかけるタイプの小さなバッグに落ち着いたが、妻の見ていないところでは、相変わらずポケットにモノを詰め込んでいる生活である。

その上に私は、背広を着て出張に出かけたりするときには、つねにリュックを背負っている。それも、ビックリするくらい重いリュックである。

「いったいその中に何が入っているのか?」と、出張先に行くと、先方の人にいつも聞かれるくらい、重たいリュックである。

浅田次郎はそのエッセイの中で、「背広姿にリュックを背負って歩く姿」は、「論外」「最悪」であると書いている。つまり、「男」として、もう最低最悪だ、というのである。

背広やズボンのポケットにいっぱいモノをつめた上に、リュックを背負って歩く。

つまりこの姿は、私の妻から見ても、浅田次郎から見ても、どちらから見ても、「最低最悪」の姿なのである。

ポケットにモノを入れることなく、しかもリュックサックを使わずに、手ぶらで歩くには、どうしたらいいか?

答えは一つしかない。

持ち物を風呂敷につつんで、それを頭の上にのせて、ほっかむりすることである。

しかし想像してみたまえ。

頭の上に風呂敷包みをのせてほっかむりしながら、背広姿で歩いている男の姿を。

それこそが、最低最悪な姿ではないか!

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