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「四」はいつから「よん」と読むようになったのか?

大西巨人の小説『神聖喜劇』を読みながら、高校時代のことを必死に思い出していた。

高校時代に、東堂二等兵と同じようなことを、したことがあっただろうか?

ひとつ、ぼんやりと、本当にぼんやりと思い出したことがある。

私は高校時代、クラス選出の図書委員をしていた。図書委員というのはたぶん、各種委員会の中で、いちばん地味な委員である。

そのとき、私に『神聖喜劇』の存在を教えてくれたKさんも、隣のクラスで図書委員だった。

Kさんが図書委員会の委員長で、私が副委員長だった、と思う。

委員会の仕事はといえば、図書館の広報誌を作ったり、読書会を企画したり、といったようなことだった。Kさんも私も凝り性だったので、広報誌はけっこう力を入れて作っていた。読書会は、たしか太宰治の作品をとりあげたように思うが、人が集まらずに、結局その1回で終わってしまったと記憶する。

さて、図書館には2人の司書の先生がいた。

1人は、ほとんど定年に近いと思われる老齢の女性の先生で、もう1人は、若い女性の先生だった。

2人のうち、老齢の先生の方は、かなり問題のある先生で、若い先生を理不尽なことを言っていじめたり、私たち図書委員にも、かなり高圧的な態度で接していたため、図書館の雰囲気は、あまりいいものとはいえなかった。

そのことを、いちばんに感じていたのは、図書委員長のKさんである。

Kさんは、その老齢の先生の言動を事細かに観察していた。それは、若い先生に対する理不尽な仕打ちであったり、生徒たちに対する高圧的な態度であったりした。時には委員長であるKさんに、直接に攻撃がおよぶこともあった。

「…ひどいでしょう?どう思います?」

Kさんは、その老先生の悪行をひととおり説明した後、私にそう言うのだが、同級生なのに、なぜか私には敬語を使っていた。たぶん私はその当時、まじめで近寄りがたい存在、と思われていたからかもしれない。

「ひどいねえ。それ、絶対に言った方がいいよ」

ただ、その先生にストレートに意見を言ったところで、相手はムキになるだけである。そこで、何かその先生がうろたえるようなことを考えて、言いに行ったような記憶がある。

その後もしばしば、理不尽なことを言う司書の先生と闘った。

高校時代の記憶を必死にたぐり寄せて、東堂二等兵に近い体験をさがすとすれば、それくらいだなあ。

Kさんはそれを見て、『神聖喜劇』の主人公と私をダブらせたのか?

まさか、そんな程度でねえ。私ですら、『神聖喜劇』を初めて読んだ20歳そこそこの時点で、すでに忘れていたことだもの。

…いや、今回書きたいのは、そんなことではない。

大西巨人の小説『神聖喜劇』の中に、次のような記述がある。

「『番号』は、さしあたり新兵たちを最も多く悩ましている事柄の一つに数えられた。というのも、砲兵の『番号』は一般のそれと少し違っていて、われわれ砲兵は、『砲兵操典』の『数ニ関スル称呼』規定によって、『四』を『ヨン』、『七』を『ナナ』、『九』を『キュウ』と発唱せねばならなかったからである。そのことがなくても、新兵のなかなかうまく行きにくかった『番号』を、この新規発唱法が、さらに困難にし、いっそう混乱させていた」(光文社文庫第一巻124頁)。

これによると、「四」を「よん」、「七」を「なな」、「九」を「きゅう」と読むのは、当時は一般的な読み方ではなく、この『砲兵操典』なる規則によって定められた、ということになる。新兵たちが、この番号の読み方に慣れておらず、混乱していたという記述からも、これらの読み方がぜんぜん一般的ではなかったことを示している。

ということは、「よん」「なな」「きゅう」という読み方は、軍隊における数字の読み方が、そのルーツである、ということになる。

これって、常識なのか?

大学時代、先生から、「『四』は『よん』と読んではいけない。『し』と読むべきである。『よん』と読むのは、本来の読み方である『し』の音が『死』に通ずることを忌避したことによる俗な読み方である」と教わり、それ以来、つとめて「四」を「し」と読んできた。私は今、学生たちにもそう教えている。

「四」を「よん」と読むのが一般的になったのは、いつからなのだろうか?大西巨人が書いていることが正しいとすれば、軍隊における数字の読み方が、しだいに一般化していったのだろうか?

重ねて問う。これって、常識なのか?

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コメント

私もその話は聞いたことがあります。亡くなった母方の祖父の話によると(祖父は外地の兵站担当の下士官だった時期があります)、「『四』は『死』に通じ、『七』は『死地』に通じ、『九』は『苦』に通ずる」から、口にしてはならない禁忌ということにされていたのだそうです。一種の精神論に端を発するものだったようです(それから点呼の際に発音が他の音に紛れないように工夫された、という話も聞いたことがあります。人員・物資の数量を口頭で確認する場合に、「し」と「しち」、「ろく」と「く」が誤解されて伝わることが多く、現場の混乱を避けて異なる発音が採用されたのだとか。こちらの方が説得力があるように思います)。それが郷里に戻った退役者たちによって全国的に使用されるようになって、巷間に流布、今現在の併用状況に至ったものであるらしいです。史家の加藤陽子さんが何かの本で言及されていましたが、「良きにつけ悪しきにつけ、軍隊経験が均質な知識・体験を共有させる作用をもたらした」のだそうで、この数字の発音の話も同様の類のものかな、と思いました。

投稿: 元教え子 | 2012年11月20日 (火) 10時38分

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