「おすすめの店」と「ここだけの話」
先週の疲れが全然とれないので、とりとめのない雑感を二つほど。
1.
「こんど○○に行くので、そのあたりのどこか美味しいお店を紹介してください」と、いろいろな人によく聞かれる。
仕事柄、けっこういろいろなところに行くので、そんなふうに聞いてくれる人がいるのは、素直にありがたいことである。
ただ、聞かれた時点では調子に乗って答えるのだが、後になって、激しく後悔する。
なぜならその人の味覚と、私の味覚は、同じではないからである。もちろん、私と近しい人間は、私の好みをよく知っているからまだ安心だが、そうでない場合は、私の味覚とその人の味覚が同じである保証は、どこにもない。
そんなわけで、私の「おすすめのお店」はたいてい、すすめられた人にとって、残念な結果に終わる。
すすめられた方にしたら、すすめられたとおりに行ってみて、さほど自分の口に合わなかったりすると、これはかなり不幸である。
すすめた方にしても、すすめた店が、他人にとってはそうでもなかったことを知ると、なんとなく落ち込んでしまう。
つまり、双方にとって、不幸な結果をもたらすのである。
先日も、こんなことがあった。
一流企業に勤める遠い親戚から、突然メールが来た。今まで数回しか会ったことのない親戚である。
「こんど、仕事でそちらにうかがいます。午後には別のところに行くので、滞在時間はほとんどありませんが、ランチには、同行の者を、地元ブランド牛の美味しい店に連れていきたいと思っています。ついては、地元ブランド牛の美味しい店を紹介してください」
おまえは地元だから美味しい店をよく知っているだろう、ということなのだろう。同行の人には「地元に住んでいる親類に聞いたのだから、間違いない」とかなんとかいって、そのお店に連れていくつもりなのだろう。
しかし、たぶん地元の人間は、地元のブランド牛など、ほとんど食べない。とくに私は貧乏なので、そういう店にも、行ったことがないのだ。
以前、東京の出版社の編集者がわざわざやってきて、地元のブランド牛のステーキを食べさせる店に連れていってもらったことがあったが、それだって、東京の編集者が、インターネットのグルメサイトで見つけてきた店である。
だから一番安心できるのは、インターネットのグルメサイトなのだ。
メールの返事に、「私は、地元のブランド牛をほとんど食べないので、わかりません」と前置きしたあと、インターネットのグルメサイトで紹介されているお店を、2つ3つ紹介してお茶を濁した。
これからは、「おすすめの店」を聞かれても、「本当におすすめの店」は、答えないようにしよう。
「本当におすすめの店」は、他人におすすめしてはいけない。自分の中に大切にしまっておくべきものである。
これは、「おすすめの音楽」「おすすめの本」「おすすめの映画」「おすすめの日本酒」についても、言えることかもしれない。
2.
「ここだけの話」とは、多くの場合、信頼できる人にのみ話す話のことである。
以前、こんなことがあった。
私は、自分が信頼するkさんという人に「ここだけの話」をした。
Kさんは、自身が信頼するNさんという人に、その話を「ここだけの話」として話した。
Nという人は、自身の上司であるHさんという人に、その話を「ここだけの話」として話した。
あるとき、さほど親しくないHさんという人に言われた。
「あの○○という話、本当ですか?」
私はHさんという人に向けて「ここだけの話」をしたわけではなかったのだが、すでに「ここだけの話」は、私の手を離れて、一人歩きをはじめたのである。
そのルートをたどっていくと、それぞれが、信頼できる人に「ここだけの話」をしているのだ。つまり、各人は、まったく悪気がなかった、ということになる。
こうして「ここだけの話」は、私のあずかり知らぬところで、共有されてゆく。
まあ、こんなことはよくあることで、とくに驚くに値しないし、たいていは、そんなこともおりこみ済みで「ここだけの話」を話すことにしている。
私自身は、「ここだけの話」と言われて聞いた話は、絶対に「ここだけ」にとどめることにしているが、わが身をふり返ってみると、それが貫徹されているかどうかは、自信がない。
ここでも痛感するのは、「本当にここだけの話」は、誰にも話してはいけない、ということである。
「本当にここだけの話」は、自分の胸にしまっておくべきである。
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コメント
ここだけの話ですけど、お薦めの店があるんです。
それは、こちらの街にある「古書店みたいな新品タイヤショップ」です。
中心街から離れた郊外にあって、木造の古い店なのですが、店内に入る前からもう、ガレージの作業員がこちらを睨みつけてきます。
店には白髪に金ぶちメガネの老店主と、その番頭みたいな店員が座っていて、店内に入っても、当然「いらっしゃいませ」の一言もありません。
ただ、埃をかぶった陳列棚の向こうから、客を値踏みするかのような鋭い眼光を投げかけてきます。長年、走り屋の兄ちゃんを商売相手にしてたからなのか、無言ながらの強烈な威圧感に、思わずあとさずりして帰りたくなります。
おそるおそる話しかけると、帳簿をめくり、パソコンと電卓を叩いてタイヤの値段を計算してくれます。が、ここで気をつけなくてはいけないのは、老店主と番頭で言い値が異なるということです。確かに他店より圧倒的に安い価格を提示してくるのですが、それで油断してはなりません。老店主の方が高めにふっかけてくるのです。
普通は店長の方が値引き権限を持っているので、それを目当てに交渉するものですが、ここでそんなことしたら、まんまと余分にとられてしまいます。
日を置いて、2回その店に通って両者に値段を聞いて初めて本当の価格が明らかになるシステムを知った時の驚き、というか面倒くささと言ったら!
ね、鬼瓦好みでしょ? 今シーズンのタイヤ交換は、ぜひ当店でいかがです?
投稿: こぶぎ | 2012年11月 6日 (火) 23時39分
判じ物のような私の文章を、コメントにより「笑い」に変えてしまうとは、さすがはこぶぎさん。
すげえ行ってみたいです、そのタイヤショップに。私だったら、どんなやりとりになるかなあ。ちょっと勇気がいりますね。
投稿: onigawaragonzou | 2012年11月 7日 (水) 00時02分
注文していたタイヤが届いたので、取りに行くか。
お、今日は老店主がいないようだ。これは店に入りやすい。
わっ。ブルドックみたいな店員がデスクに座って、こちらを睨んでるぞ。
でも、ここでひるんではいけない。何しろ、既に「手付金」を1万円も払わされているからだ。
あ、番頭さんが会釈した。さすがに3回も通っていると顔を覚えてもらえるな。でも「いらっしゃい」とは、相変わらず言わないけど。
残金を払ったら、ブルドックが立ち上がったぞ。こ、ここで一生の終わりか... と思ったら、タイヤ交換するために表に出ていったのだった。
うーむ。タイヤ交換に30分かかるのだが、デスクに向かい合って座っているのに、番頭さんとの会話が全くない。
幸い、ほどなくして宅急便が来たので、席を譲る。
あらあら、今度は宅急便の人と一緒に番頭さんも外に出ていっちゃった。店内には僕一人。これじゃ店番だよ。
しかし、コーヒー一杯どころか、ストーブさえつけてくれないのは、逆にセイセイするねえ。
改めて店内を見回すと、所狭しと積み上げられたタイヤ以外は、日焼けした骨董品まがいの商品ばかりだぞ。
この「カーテレビがよく映る機器」って、地デジ化したら使えないと思うんだけど、いつからつり下げられてるんだろ。それに、棚に置いてある家庭用VHSビデオデッキって、車のどこに据え付けるのだろうか。
るるるるる るるるるる
ほーら、電話がなってるけど、店内に誰もいない。
るるるるる るるるるる
僕が出なくちゃいけないのかなあ。客なんだけど。
投稿: こぶぎ | 2012年11月23日 (金) 01時11分
イッセー尾形のひとりコントみたいですなあ。
投稿: onigawaragonzou | 2012年11月26日 (月) 00時56分