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脳の中

11月18日(日)

昨日、大西巨人の『神聖喜劇』のことを書いたら、久しぶりに読みたくなり、市内の本屋を探し回って手に入れ、近所にできた喫茶店で読みはじめることにした。

もう、完全に現実逃避だな。書かなければならない原稿をほっぽり出している。軽く死にたい気持ちになる。

だが読み進めると、これがじつに面白い。

20代の頃に読んだときは、難解に思えたのだが、いま読むと、主人公・東堂太郎二等兵の感情の動きが、手にとるようにわかる。

『神聖喜劇』は、主人公・東堂二等兵の一人称という形がとられている。軍隊の中における東堂のそのときどきの思考や行動が、余すところなく書かれている。余すところなく、である。

いってみれば、東堂の「脳の中」を覗いているといっていいくらい、東堂自身の感情の動きに関する叙述は精緻を極めているのだ。だからこれほどの長編小説になるのである。

そして東堂の感情の動きは、ほぼそのまま、私自身にもあてはまる、と感じた。

つまりこの長編小説は、私自身の「脳の中」がさらけ出されている、ともいえる。

小説の冒頭、軍隊の内務班に配属された東堂が最初に受ける試練は、軍隊における「返答の仕方」に関することであった。

東堂ら数名の新兵が、朝の呼集に遅れた。東堂は呼集の時間を聞いておらず、上等兵に「知りませんでした」と答える。だが、軍隊で「知りません」という言葉を使うことは許されない。「忘れました」と、答えなければならない。そのことを東堂は、このとき初めて知るのである。

なぜ「忘れました」と答えなければならないのか?理由は明白である。「忘れました」と答えれば、それは下級の兵たちの責任となり、「知りません」と答えれば、それは監督責任者たる上級の兵の責任になるからである。軍隊では、いかなることも、「下級の兵に落ち度がある」世界なのである。

だから下級の兵は、何でもかんでも「忘れました」と言っていれば、組織の中では波風が立たない、というわけである。

しかし東堂は、これが腑に落ちない。なぜなら、朝の呼集の時間を「知らなかった」わけであり、断じて「忘れた」わけではないからである。

東堂は、かたくなに「忘れました」とは言わず、「知りません」と言いつづける。上司もこれにいったんは目くじらを立てるが、うやむやのまま、この問題は雲散霧消してしまう。

東堂はこれにも腑に落ちない。いったい私の「知りません」という発言は、上司にどのように処理されたのか?

東堂は意を決して、あるとき上司に質問する。

「東堂たちは、入隊して今日まで、まだ一度も、部隊の日課に関する纏まった教えを受けていません。……東堂たちは、教えられもせず実行もしてこなかったから、知らなかったのであります。仁多軍曹殿は、『朝の呼集時間を、お前は忘れたのか』と何度も東堂にたずねられましたけれども、東堂は、忘れたのではなく知らなかったのでありますから、まっすぐにそう答えました。それから、内務班を外出する兵に行き先を告げさせる目的の一つは、その不在中に何事かが起こった場合、緊急の連絡を可能にするにある、これはそのとおりであるのかどうかをおたずねします。終わり」

質問の後半、「外出する際には、必ず行き先を告げなければならない」という規則に対しても、東堂は腑に落ちない。そこで、その規則の根拠を合わせて尋ねたのである。

ひるがえってみるに、いかなる組織においても、根拠なき規則や慣習は存在し、組織の構成員たちの多くは、その慣習の根拠を考えることなく、従うのみである。

しかしひとたびその根拠や不条理性を追及されると、上司はうろたえるのみである。実際、東堂のこの質問を受けた神山上等兵は、回答がしだいにしどろもどろになっていく。

東堂の質問とそれに対する上司のうろたえぶりは、私も職場の会議で何度も経験してきたので、よくわかることなのだが、この小説で大事なのは、そこではない。

実際の小説には、この質問をするに至る東堂の感情の動き、そして、この質問をしている最中、さらにはその後の感情の動きが、じつに微に入り細を穿ち記述されている。

東堂は、決して上司に対して堂々と抵抗しているのではない。発言の言い回し1つ1つについて吟味し、逡巡しながらも発言し、発言したあとも、その表現の妥当性について再検証し、ときに反省し、後悔するのである。その感情の動きこそが、私に共感をもたらすのである。

といっても、まだ読みはじめたばかりである。これから少しずつ、東堂二等兵の脳の中を覗いていくことにしよう。

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