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長恨歌

11月15日(木)

職場で開催されている「書」の特別展に、期間中は何度か足を運んだ。

展示会場の一番奥には、6枚の屏風に仕立てられた、「長恨歌」の書が、凛としたたたずまいで立っている。

「長恨歌」とは、中国唐代の詩人・白居易(白楽天)が、玄宗皇帝と楊貴妃のエピソードを歌った長編の漢詩である。七言のフレーズが120句からなる、七言古詩の形をとる。

縦長の和紙6枚に書かれた840字にもおよぶ長恨歌は、私の背丈ほどある六曲半双の屏風に仕立てられており、その迫力は、見る者を圧倒する。

展示の解説パネルによれば、地元出身の書家のS氏が、昭和23年(1948)に制作し、日展で入選した作品であるという。

当時、「奇をてらうことなく、ストレートな表現の書である」と、この作品は高く評された、という。

私は「書」のことはド素人でまったくわからないが、たしかに、まったく無駄のない、それでいて力強い文字である。

しかも、最初から最後まで、まったく緊張感がとぎれることなく、筆の勢いは、衰えることを知らない。

恐るべき集中力によって書かれている。

私は何度か、しばらくこの屏風の前に立って、ぼーっと、この「長恨歌」を眺めた。

見ているうちに、なにかこう、頭の中がスッキリとしていく感じになるのである。

解説パネルの説明で、私の注意を最も引いたのは、この作品が、彼の43歳の時の作品である、ということである。

つまり、いまの私と同じ年齢の時に、この「長恨歌」は制作された。

「これは、最初から最後まで、一気に書き上げたもののようです」と、「書」に詳しい方が言う。

「休むことなく、ということですか?」と私。

「ええ。墨の色を見ればわかります」

「つまり、最初から最後まで、まったく緊張感がとぎれることなく、この『長恨歌』を書き上げた、ということでしょうか」

「そういうことです。最初から最後まで、まったく乱れることがない」

「そうですね。たしかに、筆の勢いはまったく変わっていません」

「それに、この作品には、欲がない」

「欲、ですか」

「ええ、無欲だ、ということです。だからこれだけストレートな表現ができる」

「なるほど」

「43歳…。ちょうど、書家として脂がのりきった時期です。この年齢だからこそ、これほど無欲に『書』に取り組めたんでしょうな」

「……」

私は言葉を失った。

自分の今の仕事に置きかえてみる。

今の自分はこれほどまでに、集中力と緊張感を持続させて、研究をしているだろうか?

自分の研究を、つまらぬ「欲」が邪魔をしていないだろうか?

この「長恨歌」は私に、そう語っているように思える。

制作されて60年以上たつこの作品がこうして日の目を見るのは、今回で2回目だという。

つまり60年のうち、この屏風が開いたのは、たったの数十日しかないのだ。

しかしこの「長恨歌」は、確実に今も、多くの人の胸を打つ作品である。

たとえ日の目を見る機会がごくわずかであっても、それが確実に人の心に形見を残している。

作品とはまさに、一期一会である。

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