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原稿零枚週末

博士の愛した数式』でお馴染みの小川洋子さんの小説に、『原稿零枚日記』という小説があって、最近読んだのだけれど、これがとても面白い。長編小説の原稿を抱えている作家が、肝心の原稿が一枚もかけないまま、日々のさまざまな出来事を書きつづる、というもの。

なぜ面白いと思ったかというと、まさに今の私がそうだから。まるでこのブログのようではないか!

とにかく原稿が全然書けない。

11月24日(土)

昨日は久しぶりに実家に泊まる。早めに帰ろうと思ったが、つい長居をしてしまい、お昼ごろ実家を出る。

お昼は、学生時代によく通った神保町のカレー屋さんで、久しぶりにカツカレーを食べる。店員の世代はすっかり変わってしまったけれど、店の作りとカレーの味はまったく変わらず、お店も繁盛していて、安心する。

昼食後、久しぶりに神保町の古本屋街をうろうろする。今やインターネットで古本も注文できる時代になったので、古本屋をまわる体力や根気も、すっかりなくなってしまった。時間が有り余っていた大学院時代は、それこそ丸1日歩いたものだが。

福永武彦『風土』(新潮文庫)が200円で売っていたので、思わず買ってしまう。

福永武彦の小説は、学生時代に耽読した。

廃市」という短編小説が好きで、何度も読み、小説の舞台となった福岡県の柳川にも足を運んだ。短編小説でいうと、「未来都市」も好きで何度も読み返した。長編小説では、『風のかたみ』『海市』などが好きだった。とくに『風のかたみ』の構成力には、舌を巻いた。

『風土』は、福永のデビュー作である。まだ読んでいなかった。

福永武彦の小説は、ひと言でいえば「甘っちょろい小説」である。いま読むと、なんとも面はゆいセリフばかりが並んで、「(自分が読む)柄の小説ではないなあ」と、いつも思う。

ではなぜ福永の小説が好きなのか?それは、小説の技法を徹底的に追及しているからである。私は彼の小説の技巧性が好きなのだ。

折りしも最近、福永武彦が戦後すぐに書いた日記が公刊された(『福永武彦戦後日記』新潮社)。

この日記がすばらしい。「愛」や「孤独」といった心情がこれほどまでに克明に綴られた日記があるだろうか。

最近、ポツリポツリとこの日記を読み、また福永の小説が読みたい、と思うようになったのである。

目下『神聖喜劇』も読んでいるところで、こちらもやめられない。困った。

神保町の喫茶店で、しばし『神聖喜劇』と『風土』を交互に読む。

夕方の新幹線で、帰宅。

11月25日(日)

今日は、やることが多い。

洗濯する、背広をクリーニングに出す、新しい背広を買う、散髪に行く。

それだけではない。

今日で最終日の美術展があり、その近くの博物館でも、特別展をやっているので、見に行かなければならない。

ということで、美術展を見に行くことにする。

「冷泉為恭」という人の作品が出品されているのに、目がとまった。

冷泉為恭は、幕末に生きた京都の絵師である。御所に出仕している一方で、京都所司代にも通じていたことから、最後には攘夷派の長州藩に暗殺されてしまう。

昔のドラマ時代劇「新選組血風録」(NET、現テレビ朝日、1965年)に、「刺客」と題するエピソードがある。司馬遼太郎の原作にはないエピソードだから、たぶん、脚本家の結束信二が書いたオリジナル作品である。

このエピソードの主人公は、冷泉為恭である。彼は御所にも京都所司代にも通じ、幕末の政治的混乱を「食い物」にして生きている「唾棄すべき」人物として、描かれている。結束信二の脚本や、冷泉為恭を演じた小柴幹治、女中お清を演じた御影京子、新選組の大石鍬次郎を演じた林彰太郎の演技はいずれもとてもすばらしく、私はこのエピソードがとても好きだったのだ。たぶん、冷泉為恭がこれほどクローズアップされるドラマは、後にも先にもこれだけだっただろう。

「これが、あの冷泉為恭か…こんなところで、あの冷泉為恭の作品に出会えるとは…」

ドラマのことを思い出しながら、しばし感慨に浸っているうちに、あっという間に時間が過ぎてしまった。

(いかんいかん、岩盤浴と散髪屋と、スポーツクラブにも行かなくては!)

スポーツクラブにも行かなければならないと思った理由は、一昨日、50㎏も激やせした友人を見たのがショックだったということもあるが、もう一つ、理由がある。

それは、昨日の朝、実家で見ていたテレビで、激太りしたグルメレポーターが出ていたからである!

大昔、アイドルとしてデビューした彼は、途中からグルメレポーターとして活躍するようになり、いまや、かつての面影がまったくないくらい激太りしてしまった。しかも私とほぼ同い年!

これにもショックを受け、「運動しよう!」と誓ったのである。

あれ?せっかく買ってきた『風土』を読む暇がないぞ!

仕方がないので、スポーツクラブでエアロバイクをこぎながら、『風土』を読むことにする。

たぶん、『風土』を読むのに、いちばんふさわしくないシチュエーションである。

だって『風土』は、「芸術と愛と孤独」について書いた、純文学作品だぜ。

それを、体を鍛えながら読むというのは、まったくもって失礼な話である。

洋服を買って、展覧会を見て、散髪をして、岩盤浴に行って、スポーツクラブに行く、という休日の過ごし方。

このように書くと、まるで世間でよくいわれる「自分へのご褒美」みたいな休日である。

しかも、どんだけ自分にご褒美をあげてるんだよ!みたいな。

そんなこんなで、あっという間に夜になってしまった。

週末の原稿、零枚。

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