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「道ばたの猫」は冬を越せるか

11月21日(水)

職場に行く道すがら、歩いていると、こんな貼り紙を見つけた。

121121_1346010001 「犬のふんをさせたら持ちさる様に」。

住宅地などでよく見かける貼り紙である。

しかし驚いたのは、この貼り紙が、家の塀ではなく、道路の真ん中、つまり地べたに、直接貼られていたことである。

家の塀にこの種の貼り紙があるのはよく見かけるが、道路の地べたに直接貼ってあるのを見たのは、初めてである。

住民の方が、よっぽど腹に据えかねたのだろうな、と思う。だって、インパクトが強いもの。

「飼い主は犬の糞をちゃんと始末しろ」という趣旨の貼り紙の写真を撮るのが趣味、という人の話によると、ある場所を定点観測していると、貼り紙のメッセージが、だんだんエスカレートしていくのだという。

最初は、「犬の糞は飼い主が後始末をしてください」という丁寧な言葉を使っていたのが、だんだんヒートアップして、「犬の糞を後始末できない人間に犬を飼う資格はない!」とか、「犬の糞をそのままにしておくのは、テロ行為です!」とか、正確な表現は忘れたが、とにかく表現がヒートアップしていくのだという。

そこに住んでいる人たちからしてみたら、犬の糞をそのままにしておくのは迷惑この上ない行為なのだから、このようにヒートアップするのも、無理のないことである。

…それで思い出した。

数日前の夜、とても冷たい雨が降った。今にも雪に変わりそうなくらい、冷たい雨である。

夜、家に帰る途中、一匹の小さい野良猫を見つけた。

その野良猫は、私に気がつくと、ササッと道路に駐車している車の下にもぐり込んだ。

しばらく見ていたが、その野良猫は、車の下でジーッとしているのみである。

ふだん、野良猫のことなど考えたこともなかったのだが、考えてみれば、野良猫って、この寒い雨の中を、どうやって過ごすのだろう。

だって、すげえ寒いんだぜ。

あの車の下で、ずっと雨宿りするのだろうか。

それより何より、野良猫たちは、これからの寒い冬をどうやって乗り越えるのだろうか。

そう考えると、東京の家で家族と一緒に暮らしている、うちの猫なんて、恵まれているよなあ。だって、寒い冬の日でもぬくぬくと暖かいところで、三度三度食事が出てくるのだから。

そう思うと、野良猫が、とたんに哀れに思えてきた。

それに、「野良猫」という言葉の響きが、なんとなく好きではない。もっと他にいい呼び方はないものか。

韓国では、「野良猫」のことを「도둑고양이」という。直訳すると「泥棒猫」。なんともひどい呼び方である。

韓国では、猫はつい最近まで不吉な存在と考えられていて、ペットにするという発想がなかったと聞いたことがある。猫に対してあまりいいイメージを持っていないから、「泥棒猫」などという表現が使われているのだろう。

ところが最近になってようやく、猫をペットとして飼うようになる人が増えたのだという。だから最近では、「泥棒猫」ではなく、「길고양이」(道端の猫)という言い方がされるようになってきている。

日本だって、ほんの数十年前までは、猫は不吉な存在だった。戦前の大映の「化け猫映画」シリーズなんて、ほとんどの人は知らないだろう。

それに、楳図かずお先生の描く1970年代の怪奇漫画の中にも、猫は不吉な存在として登場する。

むかし「恐怖劇場アンバランス」(1973)という怪奇ドラマシリーズがあった(今でいう、「世にも奇妙な物語」みたいなドラマ)のだが、そのエンディングの映像は、黒い猫が歩きまわる、というものだった。当時はそれが不吉なイメージを暗示させていたのだが、いま見ると、猫の動きがとてもかわいい。

「野良猫」という言葉も、そんな時代のイメージがつきまとっているような気がする。本人、というか、本猫には罪もないのに、何ともかわいそうである。

私が出会ったあの「道ばたの猫」は、無事に冬を越せるのだろうか。

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