神聖喜劇
ボージョレーヌーボーを飲んでいて、思い出した。
正確に言うと、ボージョレーヌーボーを飲みながら、映画「戦争と人間 完結編」を見返していて、思い出した。
むかし、高校の同学年だったKさんに言われたことがある。
それが、いつ言われたことなのかは、覚えていない。高校時代か、あるいは、大学4年の時に、母校での教育実習で再会したときに、打ち上げの席で言われたことなのか、いずれにしても、もう20年以上も前のことである。
正確な表現は覚えていないが、
「鬼瓦君って、大西巨人の小説『神聖喜劇』の主人公みたいな人だね」
だったか、
「大西巨人の小説『神聖喜劇』を読んでいたら、主人公が鬼瓦君みたいな人だった」
だったか、たしかそんな感じのことを言われたのだと思う。
20歳前後の男子が、女子にそんなことを言われたら、気にならないはずがない。
(俺って、どう思われているんだろう…)
さっそく、大西巨人の『神聖喜劇』なる本を買って読んでみることにした。
しかし、この小説はビックリするくらいの長編小説だった。それに、当時の私にとっては難解であった。
苦労して読み進めてみたが、どうも今ひとつ、どこがどう私と似ているのか、わからない。
小説だから、外見でないことだけは、たしかである。
Kさんとは高校時代、部活や委員会などで一緒になる機会が多かったので、私という人間を比較的よく知っていた。そのKさんに言われたということは、何か意味があるに違いない。
眼を皿のようにして小説を読むが、それでもよくわからない。
ただ、主人公がどんな人物であるか、というのはわかる。
『神聖喜劇』は、太平洋戦争中の日本軍を舞台にした小説である。主人公の陸軍二等兵・東堂太郎は、「こんな世界は生きるに値しない」というニヒリストでありながら、軍隊で不条理な支配関係に巻き込まれ、「抵抗」がまったく許されない軍隊という組織に対して、孤独な戦いを挑むことになる。
彼は驚くべき記憶力で軍規や軍法を暗記し、軍隊内の理不尽な支配関係に対して、軍規や軍法を逆手にとって、徹底的に抵抗していく。つまり、「理屈」を武器に合法的に抵抗していくのである。
…と、よく言えば、理不尽な組織に抵抗する「反骨精神」の持ち主だが、つまりは「理屈っぽいひねくれ者」ということである。
(へえ、俺はこんなふうに思われていたのか…)
ただこの小説を読んだ時点では、高校時代を思い返してみても、理不尽な権威に対して理屈を武器に抵抗した、などという記憶はなかったので、そう思われていることを、少し意外に感じた。だいいち私は、東堂二等兵のような抜群の記憶力など、持ち合わせていない。
しかしその後、いまの仕事をするようになって、業界の権威にかみついたり、職場の不条理な問題に関して会議で発言したりと、たしかに東堂二等兵がやっていたようなことと似たようなことをやっている。
ということは、Kさんはもう20年も前から、私の性格を見抜いていた、ということなのか?
それにしても、当時20歳前後だった女子が、長編戦争文学の金字塔である『神聖喜劇』を、読破するものだろうか?そのほうが、よっぽど奇特である。
Kさんは、都立高校の国語の先生をしていると、風の便りで知った。私に対して言ったことなど、とっくに忘れているだろう。
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