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2012年12月

おくさんくにさんおくにさん

12月29日(土)

高校時代の吹奏楽部の1学年下の後輩、モリカワさんの呼びかけで、新宿で忘年会を行うことになった。

午後6時半、やや遅れて、新宿の居酒屋に到着する。

子育てが一段落したモリカワさんは、よっぽどヒマをもてあましているからこういう忘年会を企画したのだろう、と思っていたが、どうもヒマではないらしい。聞いてみると、本業のカウンセリングの仕事や、大学の時間講師などを掛け持ちしていて、忙しい1年だったという。

同期のSとW、1学年下のアサカワオオキ夫妻、三重県からNさん、2学年下のSさんなど、すでに7人が集まっていた。

同期のSは、かの「ミヤモトさんサミット」の議長である。こういう飲み会には欠かせない存在である。Wは、心に残る名曲「ブラックサム」の編曲者である。2人はこのブログでもたびたび登場している

必然的に、「ミヤモトさんサミット」の話になる。

「ミヤモトさんサミット」とは、かいつまんで書くと、次のようになる。

私たちが高2のとき、1学年下にミヤモトさんという、それはそれはかわいい女の子が、入部してきた。

それからというもの、帰り道の喫茶店で連日のように、高2の男子たちによる「ミヤモトさんサミット」が開催された。議長はSである。

ところがミヤモトさんは、1年後、つまり高2のときに、福岡の高校に転校してしまったのであった。

だがその後も、「ミヤモトさんサミット」は続き、会議が盛り上がると、ミヤモトさんの福岡の自宅に電話をかけて声を聞く、という、いまから思えばなんともはた迷惑なことまでしていたのである。

「俺、いまでもその電話番号、覚えているぞ」議長だったSが言った。

「本当かい?だってあれから25年くらい経っているぞ」私は驚いた。

「覚えやすい番号だったんだよ」

「覚えやすい番号?」

「おくさんくにさんおくにさん」

「何だいそれ?」

「ミヤモトさんの電話番号だよ」

人間の記憶力、というのはじつに不思議である。25年も前の電話番号を、「おくさんくにさんおくにさん」という形で覚えていたのだ。

「そういえば、2次会からマイケルが合流するぞ」とS。

マイケルとは、同じ吹奏楽部でトランペットを吹いていた同期の1人である。マイケル・ジャクソンに似ているからという理由で、1学年上の先輩が「マイケル」というあだ名をつけたのだった。実際には、それほど似ているわけではない。

高校時代のマイケルは、私の中のイメージでは、トランペットの道を究める「求道者」である。まじめで、硬派で、少し近寄りがたい雰囲気があった。

「マイケルかあ…。もう20年以上も会ってないなあ」と私。

「マイケルに、聞いてみるかい?」

「聞いてみるって、何を?」

「何をって、福岡に転校したミヤモトさんに会いに行った話をだよ」

硬派でまじめなマイケルが高校時代、転校したミヤモトさんを追って、夜汽車に乗って福岡まで会いに行った、という話が、私たちの間では伝わっていた。だがそれは、なにぶん本人に確かめたわけでなく、なかば都市伝説化していたのである。

「そりゃあ聞いてみたいが、怒られるかもなあ」

「とにかく、タイミングを見はからって聞いてみようよ」

夜8時に1次会がお開きになり、続いて2次会である。同期のマイケルと、2学年下のジローが合流した。

20年ぶりに会うマイケルは、ちっとも変わっていなかった。相変わらず、音楽の話をすると、熱くなる。

「この前さあ、うちの大学のオーケストラのコンサートに行ってきたんだよ。そこで、ブラームスの交響曲1番を演奏していたんだが、あの曲はトランペットがあんまり活躍していないような気がしたんだが…」

私は、先日にこのブログで書いたようなことを、マイケルにぶつけてみた。すると、

「それは違うよ。目立つからいいってもんじゃあない。いかに弦楽器に調和した音を出すかが腕の見せどころなんだ」

「なるほど」

「マイケルは、昔からブラームスが好きだったもんな」と、同期のWが言った。「ブラームスの話になると、夢中になる」

「そういえば、ブラームスの1番では、ホルンはけっこう見せ場があったじゃん」と、こんどはWに言った。Wは、いまでも社会人のオーケストラでホルンを吹いている。

「ブラームスはいい。本当にいい」Wはしみじみと言った。

「そろそろあの話を…」こんどは議長のSが、私に小声で言う。

タイミングを見はからって、マイケルに聞いてみた。

「おくさんくにさんおくにさん、覚えてる?」

「え?」

「おくさんくにさんおくにさん」

「…なんか、覚えているような気が…」マイケルは思い出したようだった。

「じつは聞きたいことがあるのだが」そう切り出して、例の「福岡に会いに行った話」の真相を聞いてみた。

「ああ、あれはねえ。大学1年の時、夏休みに1ヵ月ほど九州を旅行して、その旅行の最後に、ミヤモトさんに会いに行ったんだ。誤解してほしくないのは、ミヤモトさんに会うためだけに九州に行ったのではなくて、あくまでも九州旅行のついでに会いに行った、ということだ」

会いに行った、というのは、どうも事実らしい。

しかし、いくつか疑問が残る。

どうやって、ミヤモトさんと連絡をとったのか?

「電話をした覚えはない。たしか手紙を書いたと思う」とマイケル。

ではいつの時点で手紙を書いたのか?九州に旅立つ前か、それとも、九州を旅行している最中なのか?

もし九州旅行の最中にふと思い立ち、手紙を出したのだとしたら、ミヤモトさんからの返事を受けとる方法がない。もちろん、当時、携帯電話などというものはない。

ということは、九州旅行の前に手紙を書いた可能性が高い。つまりは九州旅行の計画段階で、すでにミヤモトさんに会う予定を組み込んでいたことになる。

「その話、おかしいです」モリカワさんが、突然口をはさんだ。

「どういうこと?」

「私がその話を聞いたのは、私が高2のときですよ」

「どうしてそれがわかるの?」

「高2の夏休みに合宿を長野でやったとき、ミヤモトさんが福岡からわざわざ合宿先まで遊びに来てくれたんです。そのときに、『実はこの前、マイケル先輩が、福岡までわざわざ会いに来てくれたの』とミヤモトさん本人が私たちに話してくれたんです。私たち、それを聞いて、そりゃあビックリしたんですから。本人から聞いたのだから、間違いありません」

「ちょっと待って。話を整理しよう。マイケルの話だと、マイケルが大学1年の夏休み、つまり、ミヤモトさんが高3の夏休みに、九州旅行のついでに会いに行った、ということになる。でもモリカワさんの話だと、ミヤモトさんが高2のとき、つまり、マイケルが高3の時に、ミヤモトさんに会いに行く目的で福岡に行った、ということになる」

マイケルもモリカワさんもそれぞれ、自分の記憶には絶対の自信がある、という。

はたしてどちらの言い分が正しいのか?

人間の記憶、というのは、じつに面白い。

それより何より、この一連のやりとりじたいが、ミヤモトさんについて延々と語る「ミヤモトさんサミット」そのものではないか!

かくして、約20年ぶりに、「ミヤモトさんサミット」が開催されたのであった!恐るべし、ミヤモトさん!

気がつくと夜11時。2次会はお開きとなった。

「おくさんくにさんおくにさん」

帰り道、この言葉だけが妙に、頭の片隅に残った。

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ごくろうさんでした!

12月28日(金)

『週刊文春』で小林信彦が連載しているエッセイで、小沢昭一について書いていたのを読んで、久々に思い出して、渥美清のことを綴った小林信彦『おかしな男』(新潮社)を手にとった。この本の中に、小林信彦と小沢昭一が渥美清について語っている対談が載っているからである。

『おかしな男』は、渥美清と交流のあった作家・小林信彦の目から見た、渥美清評伝である。小林信彦には、やはり小林自身の目から見た横山やすし評伝『天才伝説 横山やすし』があり、この2冊は名作である。

『おかしな男』の最後は、渥美清と小林信彦が最後に言葉を交わした時のことを綴っている。渥美が世を去る、10年ほど前のことである。

銀座で偶然、旧友の小林に会った渥美は、次のように小林に語りかける。

「朝、起きる前から身体が痛いんだよな、節々が。そンでもって、外を歩ってて、子供がちょろちょろしてるのを見ると、妙に腹が立つの。…で、ふっと考えるとさ。こっちが餓鬼のころ、町内に、なんだか知らねえけど、気むずかしくて、おれたちを怒鳴りつける爺さんがいたよ。ああ、あの爺さんが今のおれなんだって気づいた時には、なんか寂しいものがあったね」

渥美が自身の「老い」を語るこの場面を初めて読んだときは、ちょっとショックだった。

喜劇を演じなければならない渥美が、自分でも制御できない「苛立ち」と格闘しなければならなかった、という事実にである。

人間は老いると、誰でもそうなるのだろうか、という意味でも少しショックだった。

たしかにいま見ると、このころから映画「男はつらいよ」の寅次郎は、急激に衰えていったようにみえる。だがそれは、このころから渥美清が実は病に冒されていた、という事実を知った目で見ているからである。それでも十分、スクリーンから渥美清の「おかしみ」は伝わっているのである。

最終作では癌の痛みに気力をそがれながらも撮影をこなした、というエピソードは、すでにこのブログでも紹介したことがある

そのとき、不遜にも私の持病の痛風になぞらえたが、痛風による足の痛みもまた、気力を根こそぎそいでしまう力をもつことには変わりない。

足の痛みが、ときには精神的な「苛立ち」をもたらすこともある。心をボッキリと折ってしまうこともある。

しかし、職場ではできるだけふだん通り通常の仕事をこなし、人とも接しなければならない。

たまたま私にとってはそれが「痛風」だが、誰もが、何かしらの「痛み」をかかえている。肉体的な痛みであったり、精神的な痛みであったり。

そんな「痛み」をかかえながら、人は日々を暮らしているのである。そんな中にあっては、私の個人的で肉体的な痛みなど、しょせん自分自身の問題なのだから、たいしたことではない。

さて、読者諸賢。

「この1年間、痛みに耐えてよく頑張った!」

…どこぞの総理大臣のセリフみたいで、この言葉で締めたくないなあ。

「ごくろうさんでした!」

これは、映画「男はつらいよ 紅の花」(最終作)での、寅さんのラストのセリフである。こっちの方が締めの言葉としてふさわしい。

(付記)

…とここまで書いてきて、伊集院静『大人の流儀』(講談社)を読んでいたら、こんなフレーズがあった。

「『いろいろ事情があるんだろうよ…』

大人はそういう言い方をする。

なぜか?

人間一人が、この世を生き抜いていこうとすると、

他人には話せぬ事情をかかえるものだ。

他人のかかえる事情は、当人以外の人には

想像もつかぬものがあると私は考えている」

「人はそれぞれ事情をかかえ、平然と生きている」

私が漠然と考えていたことは、すでに伊集院静氏が胸にストンと落ちる言葉で書いていた。

来年は、伊集院静『大人の流儀』みたいなブログをめざそう。

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ドキッ!オッサンだらけのクリスマスパーティー(しかも1日遅れ)

12月26日(水)

昨晩、携帯電話の着信音が鳴った。見ると、「前の職場のKさん」からである。電話をとると、

「どーもー、こぶぎです」

こぶぎさんからである。こぶぎさんは携帯電話を持っていないので、Kさんの携帯電話を借りたのであろう。

「いま、Kさんと一緒にいるんです」

なんと、クリスマスの晩を、同世代のオッサン2人で過ごしているというのだ。

「いま決まったことなんですけどね」とこぶぎさん。「明日、3人でクリスマスパーティーをやることにしましたから」

「3人?」

「ええ、わたくしめと、Kさんと、おじさんの3人で」

「おじさん」とは、私のことである。みんなおじさんなのだが。

「あれ?あんまり驚いていませんね」とこぶぎさん。

「いや、…あんまり出し抜けだったもので…しかし、この大雪ですよ。どうするんです?」

「前の職場」は、日本でも有数の豪雪地帯にあるのだ。私の勤務地が相当な大雪だということは、「前の職場」は大変なことになっているはずである。

「そっちに行きますよ」とこぶぎさん。「いつものガストで集まりましょう。もし、大雪で通行止めにでもなったらまた連絡します」

おいおい、ガストでオッサン3人がクリスマスパーティーかよ!しかも1日遅れの!

だが、そのためにわざわざ大雪の道を50㎞も運転してくるのだから、文句は言えない。

さて、今日の夕方。

いつものガストで待ち合わせることになっていたので、少し早めに来て駐車場で待機していると、電話がかかってきた。

「予定変更です。醤油スパゲティーの美味しいパスタ屋に来てください」

ということで、車で10分ほどかかる、醤油パスタ屋さんに移動した。午後7時過ぎ、店に到着すると、すでにこぶぎさんの車は到着していた。

「死ぬかと思いました」とこぶぎさん。「まるでリアル・インディージョーンズですよ」

豪雪地帯の町から、50㎞の道のりを、決死の思いでやってきたのだ。

そこまでして会いに来てくれる友人は、そうはいない。私は2人に感謝した。

「今日はクリスマスパーティーですから、醤油パスタとケーキセットを注文しましょう」

なんだか女子会みたいでキモチワルイが、まあ3人が集まると、いつもこんな感じになるのだから仕方がない。

だが話題は、「ガールズトーク」とはまったく逆のものばかりである。

まずはブログの話題である。

こぶぎさんもブログをやっているが、こぶぎさんのブログの書き方というのが、なかなか面白い。

それは、あらかじめ半年分のブログ記事を一気に書いておいて、それを定期的に自動更新する、というやりかたである。

言ってみれば、いま公開されている記事は、すでに数カ月前に書いた記事なのである。

「どうしてそんなことをするんです?」

「だって定期的に更新するのが面倒でしょう。あらかじめまとめて書いておけば、定期的に更新する必要もない」

なんだかわかったようなわからないような説明である。

「じゃあ、新たに何か記事を書きたくなった場合はどうするんです?」

「そのときは、途中にその記事をはさんで、あらかじめ書いてある記事の公開時期をずらすんです。これがけっこう面倒くさい」

なんだ、結局面倒くさいんじゃないか。

次に話題になったのが、先日亡くなった、小沢昭一さんについてである。

「今日はこの人の話題をしないとねえ」とこぶぎさん。

3人のいずれもが、小沢昭一さんに、一定の思い入れがあるのだ。

ラジオの「小沢昭一的こころ」を昔から聞いていたせいかもしれない。

しかし、3人にはそれぞれの思い入れというのがある。

ラジオのパーソナリティーとしてリスペクトしているこぶぎさん。

「放浪芸」など、芸能史の語り部として尊敬しているKさん。

若いころの、役者としての怪演ぶりが印象深い私。

こぶぎさんが言う。

「知ってる?小沢昭一さんが亡くなったあとも、ラジオの『小沢昭一的こころ』は続いていたんだよ」

「どういうことです?」

「小沢昭一さんが亡くなったのが水曜日。同じ週の金曜日に車を走らせながらラジオを聞いていたら、まだ『小沢昭一的こころ』を放送していたんだ。過去の名作選だけどね」

「なるほど」

「そこで知ったんだ。『虎は死して皮を残し、小沢昭一は死してラジオを残した』のだと」

いい言葉だ。今日いちばんの名言である。

「小沢昭一的こころ」は、これからも生き続けるだろう。

まあ、そんな感じで、あれやこれやと話しているうちに、店員さんがやってきた。「そろそろ閉店です」

時計を見ると、午後10時である。会計をすませてお店を出ると、ビックリするくらいの冷え込みである。

「どうします?」いつもなら、日付が変わるくらいまで話し続けるのだが、今日はこの天候である。

「今日は帰ります。たぶんこれ以上遅くまでいると、帰り道で死んじゃいますから」

こぶぎさんとKさんは、車に乗り込んだ。

「帰り道、気をつけてくださいよ」

「万が一私が死んでも、ブログはその後も自動更新されますからね」とこぶぎさん。

「『虎は死して皮を残し、こぶぎさんは死してブログを残す』ですね」

「そのとおり。じゃあよいお年を」

「よいお年を」

凍えるような夜の雪道を走り、2人は豪雪地帯の町に帰っていった。

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とんだホワイトクリスマス

12月25日(火)

お昼に終わるはずの午前中の会議が、昼食休憩をはさんで午後2時まで続いた。

また一つ、仕事が増えることになるらしい。仕事というのはこうやって増えていく、という見本のようなものだ。

会議が終わると、外はすっかり大雪である。

(まったく、とんだホワイトクリスマスだ…)

仕事部屋に戻り、2時からは、来訪する学生への対応が続き、あっという間に夕方である。

(いったい自分の仕事は、いつになったら始められるんだ?)

だんだん憂鬱になってきた。

今日はクリスマスか…。

クリスマスといっても、何の感慨もないが、若い頃、毎年クリスマスの日にやると決めていたことが、1つあったことを思い出した。

Df748f1bそれは、毎年この日には、「YENレーベル」というレーベルが出した「We Wish You A Merry Christmas」(1983年)というアルバムを聴く、という習慣である。この習慣は、若い頃の、ある時期まで続いた。

このアルバムは、「YENレーベル」に所属している細野晴臣、高橋幸宏、越美晴、立花ハジメ、戸川純、上野耕路、それに他のレーベルの大貫妙子、ムーンライダース、伊藤銀次、ピエール・バルーなどが参加した、クリスマスアルバムである。

参加しているミュージシャンだけでもすごいが、さらにすごいのは、このアルバムは、単に各ミュージシャンの過去に発表した楽曲の寄せ集めではなく、このアルバムのために、「クリスマス」をテーマにしたオリジナルの楽曲を提供している、という点である。

おそらく日本で、クリスマスをテーマにしたアルバムとしては、これを越えるレベルのものはないであろう。それくらい、奇跡の1枚、といってよい。収録曲は次の通り。

1..25Dec. 1983/細野晴臣

2..銀紙の星飾り/ムーンライダース

3.BELLE TRISTESSE/越美晴

4.Prelude et Choral/上野耕路

5..降誕節/戸川純

6.Ce jour La・・・・・/ピエール・バルー

7.祈り/大貫妙子

8.ほこりだらけのクリスマス・ツリー/伊藤銀次

9.WHITE AND WHITE/立花ハジメ

10.ドアを開ければ/高橋幸宏

どれも素晴らしい。何が素晴らしいって、「クリスマス」に対して、誠実に向き合った楽曲ばかりである。概してマジメな曲が多いのである。

このアルバムが発売された1983年は、バブル経済がはじまる以前である。クリスマス歌謡は、バブル経済期以降、大衆を煽動する役割をはたしたと思われるが、このアルバムは、それらとは一線を画しているように思う。だから、クリスマスの時期になっても、これらの曲が巷に流れることは、全然ないのである。

その点、すごいのは、ユーミンの「恋人がサンタクロース」である。この曲が作られたのは1980年だが、1987年の映画「私をスキーに連れてって」の挿入歌に使われてから、バブル期以降のクリスマスの定番曲となった。ユーミンの「時代を先読みする力」には、舌を巻くほかない。

ちなみに、ユーミンの「恋人がサンタクロース」と、このアルバムに収録されている大貫妙子(ター坊)の「祈り」を、聴きくらべてみるとよい。同じクリスマスをテーマにした歌でも、こうも切り口が違うものか、と驚かされる。「ユーミンの大衆性、ター坊の抽象性」「体育会系のユーミン、文化系のター坊」という対立が、これほど鮮やかにあらわれた事例はない。

たぶん、こういうのを「隠れた名盤」という。

久しぶりに、CDを探しだして聴いてみるか。

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プレゼント力がない!

12月24日(月)

姪が、12月15日(土)に、1歳の誕生日を迎えた。

伯父としては、誕生日プレゼントを用意しなければならない。

その数日前、地元のデパートのおもちゃ売場に行くと、そのほとんどをアンパンマン・グッズでしめられている。

「アンパンマンは人気なのですか?」と店員さんに聞くと、「そうです」という。

私はアンパンマンにとくに思い入れがあるわけではなかったが、「おいかけっこアンパンマン」というおもちゃを買った。アンパンマンのぬいぐるみの頭をポンとたたくと、アンパンマンがぐるぐると回りながら移動するので、さながら追いかけっこをする気分になれる。「対象年齢1.5歳以上」とあるから、ちょうどよいのではないか、と思ったのである。

誕生日の前日にプレゼントしたのだが、ところが姪は、ぜんぜん見向きもしない。私はなんべんもアンパンマンの頭をポンとたたくのだが、アンパンマンは、姪に追いかけられることもなく、むなしく床の上をぐるぐる回るだけである。

それどころか、アンパンマンの顔を見て、怖がって泣き出す始末である。

「どうもあのオレンジ色の鼻とほっぺが、気に食わぬようです」と、姪の母である義妹が言う。

うーむ、失敗だったか。

そしてほどなくして、今日のこのクリスマスイブである。リベンジの機会と思い、「姪にクリスマスプレゼントをあげなくていいのかなあ」と妻に聞くと、

「いいんじゃない。誕生日プレゼントをあげたばかりだし」と言う。

それもそうだな、と思って何も用意しないでいると、クリスマスイブのこの日、韓国に住む妻の友人のへジョンさんから、東京の家に航空便が届いた。

中を開けてみると、姪へのクリスマスプレゼントが入っているではないか!しかも、非常にかわいらしい洋服である。

「まあ、よかったわねえ」家族は大喜びである。

私は、居たたまれなくなった。はるばる韓国から、プレゼントを贈ってくれる人があるかと思えば、私などは昨日今日と、三度三度、タダ飯を食べては合間にグーグー寝ているという生活である。

「本当に、クリスマスプレゼント、いいのかなあ?」

「いいんじゃない」

結局何も買わずに、夕方、勤務地にもどることになった。

だが、やはり何となく後ろめたくて仕方がない。

いまから、姪にクリスマスプレゼントを贈る手はないだろうか?

新幹線の中で考えたあげく、「クリスマスカード」というのを思いついた。

インターネットで、クリスマスカードのフリー素材を見つけて、それをダウンロードして、そこに、今日撮った姪の写真をうまくレイアウトしてクリスマスカードを作り、それをメールに添付して送る。

そうすれば、クリスマスにも間に合うし、喜ばれるのではないか?

家に着いて、さっそくクリスマスカードのフリー素材をダウンロードして、今日撮ったばかりの姪の写真をレイアウトして、妻のメールアドレスに添付して送った。

突然こんなのを送ったら、サプライズ・プレゼントみたいで喜ぶだろうなあ。

しばらくして、妻から携帯にメールが来た。

「ダウンロードに3分もかかりました」

メールの第一声がこれである。この短い表現の中に、面倒くさいことをしやがる、手間をかけてダウンロードしたわりにはたいしたことはない、というか私には何もないのかよ!といった、さまざまなニュアンスがこめられているようだった。

嗚呼、よかれと思ってすることが、いつも裏目に出るんだな。

ほんとうに私には、プレゼント力がない。

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福岡の大人飯

12月22日(土)

昨日の居酒屋の席で、「ソウル・イントロからザ・チキン」の話になった。

その曲の思い出については、数回前のブログに書いたのだが、コバヤシはまだそれを読んでいなかった。

その話をすると、コバヤシが言った。

「そういえばつい最近、いま俺が所属しているビッグバンドで、『ソウルイントロからザ・チキン』を演奏したぞ」

「へえ」

「俺がぜひやりたいと頼み込んだんだ」

「テナーサックスのソロは?」

「最初の『ソウル・イントロ』のソロだけは、ぜひ自分にやらせてくれと頼み込んで、やらせてもらった」

なんとコバヤシは、高校時代に私に譲った「ソウル・イントロ」のソロを、25年経って、ようやく自分のものにしたのだった。

「おい、明日の昼飯だけどな」とコバヤシ。明日(土曜日)は午後3時の飛行機で東京に向かうことになっていた。昼飯を一緒に食べよう、ということになっていたのである。

「水炊きの店、予約できなかった」

福岡は水炊きが有名で、昼は水炊きを食べようということになっていたのであった。だがいまは忘年会のシーズンで、予約がいっぱいだったというのである。

「その代わり、といっては何だが、俺の家で美味い魚でも食わないか?」

「いいねえ」

ということで、今日(22日)のお昼は、コバヤシの家で、コバヤシの手料理をごちそうになることになった。

ホテルをチェックアウトして、お昼ごろ、コバヤシの家に行く。

「ちょっと待ってくれ、もうすぐできあがるから。待っている間に、このぐい飲みの中から、気に入ったものを選んでいてくれ。料理と一緒に、九州の地酒も少し飲んでもらうから」

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すべて唐津焼である。写真で一番手前のぐい飲みを選び、これで少しだけ九州の地酒をいただくことにした。

音質のいいスピーカーから流れる、ナベサダさんの音楽を聴きながら待っていると、

「おまちどうさま」

と、いよいよ料理の登場である。

いずれも、すべて唐津焼の皿に盛りつけられている。

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サバと鯛の刺身盛り合わせ。サバは長崎、鯛は福岡でとれたものである。サバは魚屋で1匹をさばいてもらったのだという。

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サバをちょっと炙ったもの。唐津焼の皿もすばらしい。

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熊本産の馬刺し。くどいようだが、皿もすばらしい。

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カブとブリの煮付け。カブがめちゃくちゃ美味しかった。ブリも脂がのっていた。こんど自分でも作ってみよう。もちろん器(うつわ)は唐津焼である。

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カブの葉っぱの部分と皮の部分、つまり、煮付けで使わなかった部分を浅漬けにしたもの。このあたりの細かな気遣いが、コバヤシの真骨頂である。

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そして最後。サバの刺身をゴマであえたもの、つまり「ごまさば」を、ごはんの上に乗せて食べる。

「すげえなあ」

味も最高である。

考えてみれば、手料理をふるまってくれる友人なんて、まわりを見渡しても、コバヤシくらいなものだ。

もっとも、これだけの料理の腕を持つ友人が、そもそもいない。

もちろん、焼き物と料理が趣味である、という要素が大きいのではあるが、こいつに美味いものを食わせてやろう、こいつと一緒に美味いものを食おう、という思いがなければ、成り立ち得ない関係である。

親しい関係、というのを突きつめていくと、最終的には美味しい食事に対する価値観の共有、というところに行きつくのではないか、と思う。

最後のサバめしを食べ終わると、あっという間に出発の時間になった。

「もう少し時間があれば、唐津に案内できたんだけどな」地下鉄の駅まで見送ってくれたコバヤシが言った。

「また来るさ」

地下鉄は空港に向けて走り出した。

ということで、今回も、唐津観光は、お預けである。

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ディープな福岡

12月21日(金)

午後、無事に調査が終わり、調査団が解散した。

夕方、天神に向かう。

高校時代の親友で、今は福岡に住んでいるコバヤシと久しぶりに会うのである。

コバヤシといえば、このブログの読者なら、もうすっかりおなじみであろう。

昨年8月の福岡では、コバヤシが、1次会の美味しい居酒屋、2次会の雰囲気のいいバー。3次会の屋台という、完璧なコースを計画してくれ、大満足の夜だった。

そのことを、いつだったか、高校時代の1年後輩のモリカワさんに話すと、

「すごいですねえ。先輩のためにコバヤシ先輩がそこまでするなんて、まるでデートコースみたいじゃないですか!」

そういわれるとキモチワルイが、たしかにそこまでもてなしてくれようとする友人は、そうはいない。

今回の1次会は、天神駅から春吉通りという道に入ったところにある、ごくふつうの居酒屋である。家族3人(夫婦と、高校生の息子)で切り盛りしているような、地味な居酒屋であった。

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左上:タイラギ酢、右上:刺身盛り合わせ、真ん中左:鶏の塩焼き、真ん中右:あらかぶの煮付け、下:おでん(牛すじを含む)。

さて問題です。この中で、痛風によくないのはどの料理でしょうか?

答え、全部悪い!!

昨日、居酒屋で料理を控え、お酒を1滴も飲まなかったのも、今日のこのためである!料理があまりにも美味しかったので、私は焼酎を少しだけ飲むことにした。

…すみません。摂生しようとしたけれど、ムリでした。

いろいろと話をしていると、コバヤシの携帯にメールが入った。1年後輩のモリカワさんからである。

モリカワさんからは、めったにメールが来ないが、来るときは決まって、飲み会をしましょう、という誘いである。今回も、「忘年会をしたいので、コバヤシ先輩の予定を教えてください。M先輩(私のこと)がコバヤシ先輩に会いたがっていたので、ぜひ来てください」というメールだった。

「東京でやるんだろ?行けるわけないじゃん」とコバヤシ。

「おい」私がひらめいて言った。「いま、俺が福岡で一緒に飲んでいるところを、写メで撮って、モリカワさんに送ってやろうぜ。きっとビックリするぜ」

「そうだな」

コバヤシは、自分の携帯で、私とのツーショットを撮って、モリカワさんに送った。これが世にいう「自分撮り」というやつか?客観的に見れば、居酒屋にいるオッサン2人がツーショットを自分撮りしているのだから、かなりキモチワルイ。

ほどなくして、モリカワさんから「ビックリしました」という返信が来た。

「そろそろ出よう」会計を済ませようと、レジに向かうと、レジのところに、談志師匠とお店の人が一緒に写っている写真が飾ってあった。

「談志師匠、いらっしゃったことがあるんですか?」私は驚いて、お店のおかみさんに聞いた。

「ええ。以前、よく来られてました。あと、よく華丸さんもふつうに来られます」

地味な店だが、なかなか侮りがたいではないか。

2軒目にコバヤシが案内したのは、春吉通りから少し路地を入ったところにある、「ホルモン串」の店である。

カウンターだけの狭い店で、メニューは「ホルモン串」しかない。

「どうだい、ディープだろう」

観光客だったら、絶対に入らないようなディープな店である。そりゃあそうだ、お店じたいが、風が吹いたら吹き飛ばされそうな感じなのである。

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そこで、ホルモン串を食べながら、焼酎のお湯わりを飲む。当然、痛風には最悪の料理だが、これがなかなかおつなのである。

「お前と会った仲見世の

煮込みしかないくじら屋で

夢を語ったチューハイの

泡にはじけた約束は

明かりの消えた浅草の

こたつひとつのアパートで」

ここは福岡だが、ビートたけしが歌ったこの「浅草キッド」を思わせるようなホルモン屋である。

「これぞ、B級グルメの極みだ」コバヤシが言った。じつはコバヤシには事前に、「1次会は魚の美味しい居酒屋、2次会はB級グルメの店」と、注文をつけておいた。彼はそのリクエスト通りの店に案内したのである。

ここまでですでにお腹いっぱいになり、3次会は、これまたディープなジャズ喫茶に行って、いろいろと話をする。

相変わらず唐津焼に凝っているようで、いまも月に1回、唐津に通っているのだという。

「趣味というのはなあ」とコバヤシ。「下手に知識を入れてしまってはダメだ。自分の感性を磨く上で、知識はときにじゃまな存在になる」

「知識がなければ理解できないような趣味の世界は、閉鎖的でよくない。ジャズにしても焼き物にしても、知識がなくても入ることができなければ意味がない」

「人間は、ヘタに成長しない方がいい。成長すると、妥協することばかり覚えてしまい、周りに流されてしまう」

酔っぱらって聞いていたので、正確な表現ではないかも知れない。だが、コバヤシの話を聞きながら、ああ、俺は高校時代、こいつの感性に影響を受けたんだなあ、と実感した。そしてオッサンになった今でもそれが変わらないことに、少し安堵した。

「それからなあ」とコバヤシ。「ブログをたまに読んでいるが、相変わらず『どうでもいいこと』と『愚痴』ばっかり書いているな」

「愚痴なんか書いていないよ」私は反論した。「ブログには愚痴を書かないことに決めているんだ」

「何言ってんだ。愚痴と弱音ばっかりじゃないか。お前、愚痴とか弱音を書いて、人の気を引こうとしているんだろ」

「そんなことはないよ」

「だいたい、『軽く死にたい気持ちになる』ってのが、その最たるもんだ」

たしかに、私はこのブログでよく「軽く死にたい気持ちになる」という表現を使っている。

「あのフレーズはけっこう読者に気に入られているんだぞ。今年の流行語大賞にしてもいいくらいだ」

「何くだらないこと言っているんだ」

結局、最後はいつものように私に対するダメ出しで終わった。

「そろそろ帰ろう」時計は11時半をまわっていた。

地下鉄天神駅へ向かって歩きながら、コバヤシが言う。

「不思議だよなあ」

「何が?」

「出会って30年近く経って、福岡で、お前と相変わらずこんなバカな話をするなんて、考えもしなかったよなあ」

「そうだなあ」

午後11時47分。私とコバヤシはそれぞれ反対方向の地下鉄に乗って帰った。

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目の前を生ビールが行き交う

12月20日(木)

鎮痛剤を飲んでも、左足の痛みがひかない。

最も恐れているのは、痛風の発作が起こったことを、調査団のメンバーに知られることである。

「どうしたんですか?」と聞かれて説明するのが面倒くさいし、なにより「大丈夫ですか?」と心配していただいても、どう答えていいかわからないのだ。

面倒くさいので「大丈夫です」と、とりあえず答えることにしているが、本当は大丈夫でも何でもない。とにかく痛いのだ。

できるだけ悟られないように、ふつうに歩くことを心がけた。

朝9時、調査先に集合すると、私の歩き方を見るなり調査団長がおっしゃる。

「なんだ?また痛風か」すぐにばれてしまった。

「はあ」

「大丈夫か?」

「ええ、まあ」

やがて、調査団のメンバーが次々に気づきだした。

「大丈夫ですか?」「足、どうしたんですか?」

いちいち説明するのが面倒くさい。

「ええ、大丈夫です。こんなの、どうってことはないです」

そうは言いながらも、じつはとても痛いのだ。

「どんな感じで痛いの?」同世代の研究仲間のTさんが私に聞いた。

「たとえて言えば、足のくるぶし、ありますよね」

「うん」

「足のくるぶしのところの皮膚と骨との間に、親指大の小石がずーっとはさまっているような感覚です」

「うわぁー、そりゃあ痛いね」

「とにかく発作が起きると、痛くて痛くて、何事においてもがふだんの3分の1くらいのやる気しか起きなくなります」

「そりゃあ、困るね」

実際、いままでふつうに歩いていた廊下や階段を歩くのが、極端に億劫になるのだ。ちょっと移動するだけでも、他の人よりかなり後れをとりながら歩くことになる。これが私に、ある種の屈辱的な感覚をもたらすのである。

それでも、何とか今日の調査を終えた。

終わってからは、恒例の宴会である。早く帰りたかったが、そう言い出せる雰囲気でもなかった。

入った場所が、地元の料理の美味しい居酒屋である。

「今日は、お酒を飲みなせん!」と宣言した。

他のメンバーたちは、そんな私の宣言など、知ったこっちゃないというばかりに、どんどんビールだの、お酒だの、焼酎だのを注文する。

私の目の前を、何杯の生ビールが行き交ったことだろう。

やはり痛風は、私に屈辱的な感覚を与えているのだ!

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鎮痛剤をさがす旅

12月19日(水)

先週末のイベントの翌日から、左足が痛みはじめた。例の病気である。

土曜、日曜と、あれだけの量の生ビールを飲めば、そりゃあ、足も痛くなるさ。

週末の国際シンポジウムには、夏に韓国の調査でお世話になったI先生もいらしていた。「日本に来たら生ビールを思う存分飲みたい」と言っていたので、私もおつきあいしたのである。

月曜、火曜と、だんだんと痛みがひどくなってゆく。だが今日は、朝イチの授業を早めに切り上げたあと、出張のため福岡に向かわなければならない。

まず羽田空港に向かうために東京行きの新幹線に乗らなければならない。だが、月曜から始まった足の痛みは、ますますひどくなるばかりで、歩くのもかなり億劫になる。ここは何としても早めに手を打って、鎮痛剤を買わなければならない。

その鎮痛剤は、かつては医者の診察がなければもらえなかったが、いまでは薬局で、薬剤師の処方を受けて買うことができるようになったのである。

朝10時。足を引きづりながら、駅ビルの中にある薬局に向かう。

レジの後ろに、目的の鎮痛剤があった!

しかし、である。

「薬剤師が不在なので、お売りすることはできません」という貼り紙が貼ってあるではないか。

たしかにレジにいるのは、ごくふつうの女性であり、薬剤師っぽくない。

(困ったなあ…)

そこに、白衣をきた小柄の青年がやってきた。

(薬剤師が来た!)

その青年に聞いてみた。

「あのう…鎮痛剤がほしいんですが」

「申し訳ありません。この鎮痛剤は薬剤師の処方がないとお売りできないんです。11時半にならないと、薬剤師が来ませんので」

「え?あなた、薬剤師じゃないんですか?」

「僕は違いますよ」

「だって、白衣を着ているじゃないですか」

「これはただ、白衣を着ているだけですから」

まぎらわしいなあ!薬局で白衣を着ている人を見たら、誰だって薬剤師と思うじゃないか!

「急を要するんですが…」と私。

「そう言われましても…」

仕方がないのであきらめた。

さて、新幹線とモノレールを乗りついで、羽田空港に到着した。

チェックインをすませたあと、痛い足を引きづりながら、空港内の薬局を探す。

ようやく見つけた薬局は、店の構えが小さかった。

はたして鎮痛剤があるかどうか不安に思ったが、レジの人に聞いてみた。

「あのう…鎮痛剤、置いてありますか?}

「ございますよ」

よかった!これで買える!

「ただ、申しわけありません。いまちょうど、薬剤師が休憩中でして…1時間後にならないと戻ってこないんです」

ええええぇぇぇぇぇっ!!!

薬剤師って、そんなに余裕のある勤務形態なのか???

「すいません。急を要するんですが」

「それでしたら、地下1階にもう1軒、ドラッグストアがありますので、そこならば薬剤師がおります」

「地下1階ですか?」

「ええ。ここは2階ですから、エスカレーターで降りていただくと、地下1階に着きます」

ということで、痛い足をまた引きずって、ようやく地下1階のドラッグストアに到着した。

薬剤師の処方を受けて、ついに鎮痛剤を手に入れたのであった!

そして再び、痛い足を引きずりながら、出発ロビーのある2階へと戻った。

…なあんだ。それだけのことか、と思うかも知れないが、足の痛い人間にとっては、かなりの大移動である。

夕方、福岡に到着した。はたして、仕事は無事に終わるのか?

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ソウル・イントロからザ・チキン

12月18日(火)

たまたま職場の掲示板で、本日夕方にジャズ研のライブが構内の建物で行われるというポスターを見かけたので、聴きに行くことにした。

本当はそんなことをしている時間はないのだが。

例によって知っている学生は1人もいないのだが、先日、映画「青春デンデケデケデケ」を見返したばかりだったので、学生のジャズバンドに、強く惹かれたのである。

ライブ会場はこぢんまりしていて、演奏も微笑ましい感じがするものばかりだったが、とつぜん「ザ・チキン」の演奏がはじまったときは、なつかしくて思わず涙が出てしまった。

思い出すなあ。「ソウル・イントロからザ・チキン」。

もともと「ザ・チキン」というジャズの曲に、伝説のベーシスト、ジャコ・パストリアスが「ソウル・イントロ」というイントロ部分をつけたのが、「ソウルイントロからザ・チキン」である。だから私にとっては、本来の「ザ・チキン」ではなく、ジャコ・パストリアスがアレンジした「ソウル・イントロからザ・チキン」として、体に染みついているのである。

この曲を初めて聴いたのは、高2の時である。吹奏楽部で一緒だった親友のコバヤシが、ラジオか何かで放送したジャコ・パストリアスのライブをカセットテープに録音したものを、聴かせてくれたのである。

「どうだい、めちゃめちゃカッコイイだろう?」

「カッコイイねえ」たしかに、身震いするくらいカッコイイ曲である。

このあと、コバヤシが驚くべき提案をする。

「この曲を、こんどの4月の定期演奏会でやりたい」

「え?これを?でも、楽譜がないだろう?」

「俺が編曲する!」

これは、無茶な提案であった。

まず、ひとつめの問題点は、この曲はそもそもビッグバンドの曲なので、吹奏楽用にアレンジする必要があるということである。しかも音源となるのは、ラジオで放送されたライブをカセットテープに録音したものだけで、今と違って、音質はめちゃめちゃ悪かった。そうとう耳のいい人でなければ、編曲はかなりむずかしい。

第二の問題点は、コバヤシには編曲の経験がまったくなかったということである。

そして第三の問題点は、仮に編曲して楽譜ができたとしても、定期演奏会の1曲として選ばれるかどうか分からない、ということであった。

うちの吹奏楽部には、「選曲委員会」というのがあって、ここで定期演奏会の曲目が決定される。選ばれるかどうかは、選曲委員のメンバーしだいなのである。

だが幸いなことに、私は、選曲委員の1人だった。

私はコバヤシに言った。

「こんどの選曲委員会で、このカセットテープをみんなに聴かせて、この曲を推薦するよ。その代わり、『ソウル・イントロ』のソロの部分を、俺に吹かせてくれ」

「ソウル・イントロ」のサックスのソロは、めちゃめちゃカッコイイので、ぜひ吹きたいと思っていたのだ。

「わかった」コバヤシが言った。「イントロ部分のソロはおまえに譲る。その代わり、絶対にこの曲を推してくれよ」

「わかった」

私は選曲委員会でこのテープを聴かせ、編曲はコバヤシがすべて担当するので問題ない、だからこの曲をぜひ演奏会の1曲に加えてほしい、と説得した。

今でいう、プレゼンですな。

たぶん、私があまりにも熱っぽく語ったのだろう。「ハイハイわかった」という感じで、定期演奏会の1曲に選ばれた。

まさか実現しない、と思っていた「ソウル・イントロからザ・チキン」が、定期演奏会で披露できるとは!

コバヤシも、「ちからわざ」で編曲を仕上げたのであった。

いまとなっては、あのむずかしい曲をどうやって演奏したのか、まったく覚えていない。だが演奏のレベルなど、この際どうでもよい。実現したこと自体が、私とコバヤシにとっては重要だったのだ。

いまから思えば、「その気になれば、たいていの夢は実現する」という思いは、この体験がルーツだったように思う。

それから20年以上たって、「ソウル・イントロからザ・チキン」のことを思い出し、あの時、コバヤシが編曲する際に参考にしたライブ音源を、もう一度聴きたい、と思うようになった。

なにしろ、ラジオで放送されたライブをカセットテープに録音したものだったから、それがいつのライブなのかも分からない。コバヤシからテープを借りてダビング録音したカセットテープも、いまやどこかに行ってしまった。

ジャコ・パストリアスの「ソウル・イントロからザ・チキン」は、ライブ音源がいくつかソフト化されている。私はそれらを見つけては、その曲が入ったCDを買ったり、iTuneストアで買ったりしたのだが、どれも、あの時の音源とは異なる。テナーサックスのソロが、まるで違うのである。

私がカッコイイと思ったのは、高2の時に初めて聞いた、あの音源なのである。だからほかのライブ音源を聴いても、なんだかしっくり来ないのだ。

(もう、あの音源はないのかなあ…)

あきらめていたのだが、さきほどインターネットで検索したところ、動画サイトで見つけることができた!

これだこれ!

「オーレックス・ジャズ・フェスティヴァル'82 イン・ジャパン」で、ジャコ・パストリアス・ビッグ・バンドが演奏したものだということが判明した。このライブは、当時、テレビで放映されたようである。コバヤシは、このときに放送されたテレビかラジオの音源を、カセットテープに録音したのだろう。

25年ぶりに聴く、「ソウル・イントロからザ・チキン」。

やはりめちゃめちゃカッコイイ!たぶん私が今まで聞いた数多くの曲の中でいちばんカッコイイ曲だ!

あの時、この曲をやろう、と言ったコバヤシの提案は、間違っていなかったのだ。

そして、25年たったいま、若者たちがこの「ザ・チキン」をかっこよく演奏しているのを見ると、なんだかとても感慨深い。

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ホール・マジック

12月15日(土)

この週末2日間はなんとも気が重かったが、一つだけ楽しみにしていたのは、会場となるホールのことであった。

都心のど真ん中にあるこのホールは、観客を500名収容できる立派なもので、しばしば落語会なども行われているホールである。

子供の頃、テレビで落語の中継などを見ると、「○○○ホールにて収録」というテロップが出ることがあり、それでこのホールの名前を知ったのだった。

「名人」と呼ばれた落語家が演じた舞台と同じ舞台に立てる、というのは、めったにあることではない。

1日目が終わり、夕方からはレセプションである。

私よりかなり年上の、S先生が近づいてきた。

「あなた、話が上手いねえ」

会うなり私に言った。

私はこの日40分間、壇上で話したのだ。

「ありがとうございます」

「本当に上手いよ。ふだん、こういう場所ではあなた、おとなしいでしょう。でもお話しはわかりやすかったし、話すスピードも速すぎず遅すぎずで、聞きやすかったよ。ああいう場所で話すの、慣れているんだねえ」

「とんでもないです。そんなことはありません」

ひたすら恐縮した。

それにしても不思議である。こんなにほめられたことは初めてなのだ。

それに、S先生は、私の発表を、これまで何度も聞いたこともあるはずなのだが、今までそんなことを言ってくれたことはなかった。

S先生は、レセプションに同席していた妻にも、私の話のことをほめたらしい。

「不思議だねえ」と妻。「いつもと同じ調子で話しているのに、どうしてこんなにほめられるのかねえ」たしかにそうである。

そればかりではなかった。何人かの人にも、同じようにほめられたのである。

…と書くと、まるで自慢話をしているようだが、それにつけても不思議なのは、なぜ、ふだんと同じように話しているにすぎないのに、そんなにほめられるのか?まったくもって、よくわからない。

しかし、2日間このホールにいて、なんとなくその理由がわかってきた。

私だけではない。舞台に上がった人、みんな、話が上手なのである。

正確に言うと、上手に聞こえるのである。

ひょっとして原因は、音響設備にあるのではないだろうか。

伝統ある都心のホールだから、音響設備も一流である。音質管理や音量調節は、すべて舞台裏でプロが行っている。つまり最高の環境のもとで、私たちは喋っているのである。

たしかに、こんな環境のもとで落語を聴けば、より面白く聞こえるだろうなあ。

結論。上手に話す秘訣は、最高の音響設備のもとで話すことである。

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債権者、全員集合

12月15日(土)

ある漫才コンビの1人が、あちこちからお金を借りているが、いっこうに返す気配がない。

業を煮やした債権者たちが、「劇場に行けば、彼は舞台で漫才をしているから、確実につかまえることができる。舞台袖で待ちかまえていて、漫才が終わって舞台袖に戻ったら、彼の身柄を拘束して、お金を取り立てよう」ということになった。

さて、その漫才師は、舞台で漫才をしている最中、舞台袖に債権者たちが集まっていることに気づいた。

そこで漫才が終わると、その漫才師は、舞台袖に戻らずに、そのまま舞台から客席に降りていって逃げていったという。

…むかし聞いた話である。

今日から2日間、東京の大きなホールで、国際シンポジウムのパネラーとして出演することになった。

開始前、控室で待っていると、私を呼ぶ声がした。

「どうもごぶさたしております。Mです」

Y社のMさんである。

「今日のシンポジウムのお話、楽しみにしております」

まいったなあ。Mさんには、数年越しの原稿を待ってもらっているのだ。

「今日あたり、お原稿をいただけるものと思ってまいりました」Mさんが続ける。

「いや、その…このシンポジウムのことで頭がいっぱいでして…」

「そうですか。いずれにしても、ここに来ればお会いできると思いまして…。お原稿の方も、首を長くして待っております」

「わかりました。年末年始返上でがんばります」

ドッと汗が出た。

開始時刻が近づいたので、控室を出て会場となるホールに向かうと、こんどはHさんが来た。

「どうもご無沙汰しております」じつに久しぶりである。

「今日来たらお会いできると思って」とHさん。「1月、よろしくお願いします」じつは1月に、Hさんが主催するシンポジウムで発表することになっていたのだ。

「原稿の方もお願いします」Hさんが続けた。

「す、すみません…。原稿がまだ…」と私。「たしか締切は…」

「今日です」とHさん。「なるべく早く出してください」

「わかりました。なるべく早く出します」

「今日のお話、楽しみにしております」

まいったなあ、と思い、会場となるホールに入ると、こんどは、S社のSさんが来た。

「ご無沙汰しています」私は挨拶した。

「あのう…。こんなときにこんなことを申し上げるのは心苦しいのですが…」

だいたい予想はついた。

「例の原稿、今月末までにお願いします」

「わ、わかりました」

かくして、シンポジウムで登壇するプレッシャーに加えて原稿催促のプレッシャーが重なり、生きた心地のしないシンポジウムが始まったのであった。

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ヒートテックの錯覚

12月13日(木)

たまに思い出したようにメールをくれる卒業生がいて、「生きてます!けっこう元気です!」と送ってきた。新天地でも元気にやっているらしい。

私が「今週末に研究発表があって気が重いです」と返事を書くと、

「先生いつも学会があると、軽く重く鬱々になりますもんね!笑」

と返ってきた。さすが、私の性格をよく知っている。「軽く重く鬱々になる」という表現が気に入ったので書きとめておいた。

さて、かなり精神的に追い込まれているので、短めの話です。

「ヒートテック」ってあるでしょう?

いわゆる「ズボン下」のことです。

あれは暖かくて、ここ最近、とくに重宝している。

私が太っているせいもあるが、ヒートテックのズボン下を履いていると、足に密着して、かなりピッチピチなのである。

寒い朝、ボンヤリとした頭のまま、ヒートテックのズボン下を履いて、通勤する。

そのまま、ふだんの流れで教室に行き、朝の1コマの授業を始めると、喋っている最中に、

はっ!!!

もしや、ズボンを履き忘れてきたのではっ???

あわてて下を見ると、ちゃんとズボンを履いている。

そんな錯覚に陥ったことはありませんか?

…つまりどういうことかというと、

ヒートテックのズボン下は足に密着しているので、「ズボン下を履いている」、という意識はある。

だが、その意識があまりにも強すぎるため、今度はその上にズボンを履いている、という感覚が、なくなってしまうのだ。

それで、ズボンを履き忘れたのではないか、と、錯覚してしまうのである。

…言ってること、わかります?

妻に電話でこのことを話したら、「それ、よくわかる」と言ってくれた。

この感覚が分かる人とは、友だちになれます。

「でもねえ」妻が続ける。

「私の高校のときの先生で、コートは着てきたけど、スカートをはいてくるのを忘れて、コートを着たまま授業をした、という伝説を持つ先生がいたよ」

「……」

そういう人とは、友達になれません。

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野暮な解説

いつも判じ物のような文章ばかりを書いているが、昨日は、とりわけそんな感じの文章になってしまったので、いたく反省した。

解説すると野暮になるが、昨日の文章でいちばん書きたかったのは、最後の一行、

「どなたか、私と『一匹狼の会』を結成しませんか?」

である。

こういうのを、落語でいうところの「考えオチ」というのだと思う。

このオチを、いちど書いてみたかったのだ。

ちなみに「一匹狼の会」とは、先代の三遊亭円楽師匠の言葉だと、談志師匠がテレビで言っていたのを聞いたことがある。

若い頃、円楽師匠は談志師匠に、「おい、俺たちで『一匹狼の会』を作ろうぜ」と、よく言っていたという。

「何だい、結局、徒党を組むんじゃねえか」と、談志師匠はあきれて笑ったという。

そんな円楽師匠は、あるとき、落語協会を飛び出して「円楽党(円楽一門会)」を立ち上げ、談志師匠もやはり落語協会を飛び出して「落語立川流」を立ち上げた。結果的に2人は、それぞれ新たな徒党を組んだのだ、ともいえる。

それでも2人は、同志と言うべきか、盟友と言うべきか、戦友と言うべきか。

「おい、俺たちで『一匹狼の会』を作ろうぜ」と言った言葉に、二人の関係がよくあらわれていて、好きなエピソードである。

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大雪の憂鬱

この冬初めての大雪が降ったせいか、先週末からひどく憂鬱である。

大雪のせいばかりでなく、今週末に、気が重いイベントに参加しなければならないことも、大きな原因である。

こんな時は、いろいろなことを考えて、ひどく落ちこむ。

私は、派閥、というか、徒党を組むのが苦手である。

しかし、ではまったくの一匹狼か、というと、そんなわけでもない。

本業にしろ職場にしろ趣味にしろ、ありがたいことに少しばかり仲間がいる。

それぞれ、自立している個人が力を出しあっているかぎりにおいては、実に心地よいのだが、それがひとたび特権化したり、そこまで行かなくともそんな雰囲気を感じとってしまうと、とたんに、居心地が悪くなるのである。それはもはや「仲間」ではなく「派閥」である。

自分は徒党を組まない。そう誓っても、知らず知らずのうちに、特定の派閥に身を置いたりして、そこで自分も一緒になって、自分たちの正しさと、自分たち以外に対する批判を行っていたりすることに、ふと、気づいたりしたとき…。

こんなときが、いちばん落ち込むね。

どうしてこんなことを思ったかというと、先週土曜日に学生のオーケストラの演奏会を聴いていて、私が楽団に入っていた昔のことをふと思い出したからである。

ありがちなことだが、楽団の運営の仕方をめぐって、けっこういろいろと些細ないざこざがあった。

それもまた、今から思えば「派閥」に起因するものだったかもしれないのだが、「あいつのやり方は間違っている」とか、「俺たちのやり方の方が正しい」とか、有志が集まるとそんな話をよくしていた。

仲間が集まると、威勢のよい批判がはじまるのだが、批判をしているうちに、それが本当に自分の意見なのか、それとも同じ仲間であることの意思を確認するための手段としての批判なのか、よくわからなくなってくる。

そうなるともう居心地が悪くなる。だから高校時代から、そういう場に顔を出すのが、苦手になってしまったのである。そういうところから逃げ続けて、今に至るわけです。

そのせいで、友だちがあんまりいないのである。

どなたか、私と「一匹狼の会」を結成しませんか?

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青春デンデケデケデケ

前回の記事を書いたあと、一つ思い出した。

田舎町の高校生が、ラジオから流れてくるロックを聴いて、とつぜん音楽に目ざめ、家族を説得して楽器を手に入れ、バンドを結成し、さらに練習場所を確保するためにあちこち奔走して、やがてバンド演奏を実現していく、というお話。

そう!芦原すなお『青春デンデケデケデケ』である!1990年の直木賞受賞作!

大林宣彦監督によって映画化もされた(1992年)。大林監督にしては珍しく「男子生徒」を主人公にした映画だが、実は「大林映画」の中で、「異人たちとの夏」とならんで、私がいちばん好きな映画である。

舞台が、香川県観音寺市、というのも、ちょうどよい。

地方に住んでいる高校生が、ラジオから流れてくるロックに目ざめたときの高揚感。

バンドのメンバーを集める様子は、さながら「七人の侍」を思わせる。

家族を説得して、楽器を手に入れることに知恵を絞り、練習場所を確保するのに頭を悩ませる。

当初はほとんど相手にされなかった彼らが、まわりの人たちに後押しされて、しだいに注目されてくる。そして夢の舞台が実現する。そこには、大人たちの温かいまなざしがあった。

「夢の舞台」が終わった後、高校卒業を控えて、バンドは解散し、仲間たちはそれぞれの道を歩みはじめる。その寂寥感。

そのすべてが、「身に覚えのあること」だ。

私はこの映画に、どれほど自分を重ね合わせたことだろう。

…そんなことを、とつぜん思い出した。

体育会系だけではない。文化系だって、それなりに青春していたのだ!

高校時代、文化祭とか体育祭の前日に、ワクワクした思い出のある人、「高校時代」と聞いて「青春」という言葉を連想する人は、絶対に読むべきである、そして見るべきである。『青春デンデケデケデケ』を!

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妄想オーケストラ

12月8日(土)

(ラジオのフリートーク風に)

ぜんぜん原稿が進みませんでね。

夕方、うちの職場の学生たちがやっているオーケストラの定期演奏会を聴きに行ったんですよ。前回に続いて2回目ですけど。

最近、招待されないところに顔を出す、というのがマイブームでして。昨日のモギ裁判もそうだったんですけど。今回も、ビックリすることに、知っている学生が1人もいない。

ああいう演奏会って、招待券をもらったから行くっていうのがふつうなんですよ。とくに教員の場合はたいていそうです。でも僕の場合、誰からも招待券をもらってないから、ふつうにひとりで当日券を買って入るんです。しかも、職場に貼ってあるポスターを見て知ったっていう。いませんよね?そういう人。でも、それがなんか楽しくなっちゃって。

演奏がはじまって、ずっと舞台の演奏者を見ていたんですけど、コントラバスを演奏している人の中に、一人だけ、見覚えのある男子学生がいたんです。

コントラバスってわかります?バイオリンはわかりますよね?バイオリンを、人間の背丈ぐらいの高さまで大きくしたやつです。ほら、むかしマギー司郎が「こんなにおっきくなっちゃった」っていうギャグで使っていたやつです。

…あれは「耳」だったかな。とにかく、低い音を出す弦楽器です。

その学生は、眼鏡をかけていて、…うーん。失礼な言い方になるかもしれないけど、いってみれば素朴でまじめな田舎の青年、という雰囲気なんですね。

で、なんで見覚えがあるかというと、2ヵ月くらい前だったか、歩いて通勤をしていると、職場の裏門のところで、車からコントラバスを出している2人の男性がいて、そのうちの1人がその青年だったんですね。

で、もう1人は、その青年のお父さん。

なんでわかったかというと、ビックリするくらい顔がそっくりだったんですもん。絶対お父さんだな、と。つまりお父さんの車にコントラバスを積んで、学校にやってきたんですね。

で、そのお父さんというのは、、やはり素朴というか、クラシック音楽とはまるで無縁な感じの雰囲気な人で…。

で、そのとき思ったのは、「この青年は、どうしてコントラバスという楽器をやろうと思ったんだろう?」と。お父さんの影響とかではなく、たぶん自分で「コントラバスを演奏したい」と思ったんだと、思うんですよ。

最初に「俺、コントラバスをやりたい」と家族に切り出したときは、家族は驚いただろうなあ、と。

「父ちゃん、俺、コントラバスをやりたいんだ」

「コントラバスって、何だ?」

「オーケストラで使う楽器だよ」

「おめえ、オーケストラに入りてえのか?」

「うん」

「そうか。おめえが初めて自分からやりたいと言い出したことだ。おめえがやりたいならやるがいい」

「ありがとう、父ちゃん」

数日後、コントラバスが家に届く。

「コントラバスって、こんなに大きいのか!」

家族中でコントラバスの置き場所をめぐって大騒ぎ!

家でコントラバスを練習しようとすると、

「うるせえ!」

といわれる始末。

…なんて妄想がふくらみまして。というのも、僕自身も高校のとき、そうだったんですよ。

高校1年になって、吹奏楽団でアルトサックスを演奏したい、って思って、親にいきなり言ったんだ。

「アルトサックスがほしいんだよ」

「何それ?」

「吹奏楽部で使う楽器だよ」

「おまえ、吹奏楽なんてやるの?」

「うん。だから何も言わずに25万円出してくれよ!」

うちは決して裕福な家でもないし、音楽一家でもないんですよ。親も、まああいつが言い出したことなんだから仕方がないと、買ってくれましてね。

休みの日なんか、家の中で練習しようとすると、近所迷惑になるくらいでかい音が出るわけですよ。「うるせえ!」と。

まあそんな感じで、自分と重ね合わせながら、(今日は、その青年にそっくりなお父さんも聴きに来ているんだろうなあ)なんて想像しているうちに、1曲目が終わっちゃった。

あと思ったのは、トランペット。トランペットですよ。

トランペットとかコルネットといった金管楽器を担当している学生が4人、舞台のいちばん後ろにいたんですけど、ベートーベンとかブラームスって、トランペットとか、ほとんど活躍しないんですよね。

これが吹奏楽だったら、トランペットは花形楽器ですよ。主旋律を奏でる楽器です。

でもクラシックでは、僕の勝手な見方ですけど、トランペットは、持てる力の10分の1も出していないんじゃないかなあ。

何というか、力をもてあましている、という感じ。

で、そういうときに、クラシックでトランペット吹いてる人の心境ってどうなんだろう、と思ったり。「本当は吹奏楽じゃあ俺たちは花形なんだ。やればできるんだ。今は君たち弦楽器を引き立てるために押さえてやってるけどね!」みたいな感じなのかなあ。

そこへ行くと、同じ金管楽器でも、ホルンはいいよねえ。吹奏楽でも、管弦楽でも、オイシイところをちゃんと持っていくもんなあ。

演奏を聴いていても、どうしても、地味なところとか、マイナーな楽器とかに目が行っちゃうんだよね。孤軍奮闘しているティンパニーとかね。そういうのを見ていると、「頑張れ!」って思っちゃう。

久しぶりに演奏を聴いて、また吹奏楽がやりたくなったなあ、と、思ったり思わなかったり。

ま、そんな感じでした。ではここで1曲。昨日、ドラマ「合い言葉は勇気」の話をしましたんでね。「威風堂々」です。

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モギ裁判は、歌舞伎だ!

モギ裁判

モギ裁判のカタルシス

12月7日(金)

昨日に引き続き、職員のSさんに手伝ってもらいながら、朝からポスターとチラシ作り、そして発送作業である。

夕方5時過ぎ、ようやく終わり、仕事部屋に戻ると、携帯の「緊急地震速報」がなり、少し長い揺れが続き、やがておさまった。

沿岸部の津波が心配になったが、何もないことを祈りつつ、夕方から行われる「モギ裁判」会場に向かう。

職場の学生たちが行っている、年に1度の「モギ裁判」には、2年ほど前から見に行っている。理由は二つほどある。

ここ最近、自分で職場のイベントを企画するようになって、何よりも望むことはお客さんが入ることである。自分の企画したイベントの客の入りばかりを心配するのではなく、頑張っている催しには、自分もまたお客として、少しでも観客数に貢献しよう、というのが理由の一つ。

もう一つは、素直に、「モギ裁判」は見ていて面白いからである。知っている学生は1人もいないので、当日券を買って見に行っているのは、たぶん私くらいなものである。

うちの学生たちが行う「モギ裁判」は、芝居仕立てになっていて、裁判をとりまく様々な人たちの人間模様も描き出す。

今回は、「過労自殺」をめぐる訴訟がテーマである。前回2回が刑事裁判だったので、民事裁判を見るのは、これが始めてである。

前にも書いたが、演じる学生たちは、日常で喋る言葉とは違い、相当ゆっくり、はっきりと喋っていて、そのセリフ回しは、かなり仰々しい。歌舞伎のセリフ回しのような感じである。

これは考えてみれば当然の話で、出てくる用語は難しい法律用語なので、相当ゆっくりと話さなければ、観客に伝わらないのである。

見はじめた最初の頃は少し違和感をおぼえたが、これは歌舞伎なのだ、と思って見るようになってからは、むしろ心地よいものになっていった。

そう、モギ裁判は歌舞伎なのだ!

とくに、今回裁判長を演じた2年生のM君は、声がよく通り、歌舞伎役者のような整った顔立ちで、セリフ回しも完全に歌舞伎みたいになっていたもんな。思わず「中村屋!」とか、声をかけたくなってしまったくらいだ。

今回は総じて、学生の演技力が素晴らしかった。とくに過労自殺した会社員の妻を演じたAさんの演技は胸を打ち、不覚にも涙を流してしまった。原告側証人や被告側証人を演じた学生も、迫真の演技だった。

そんな中で、私の心をガッチリとつかんだのは、2年生のS君が演じた、被告代理人(弁護士)である。

熱演していた他の学生たちとくらべると地味な役回りだったが、企業の顧問弁護士にありがちな「慇懃無礼さ」「冷酷さ」を、見事に演じていた。この役を引き受け、しかも嫌味なく演じられたのは、喝采ものである。

だいぶ前に放映された三谷幸喜脚本のドラマ「合い言葉は勇気」(フジテレビ、2000年)の中に、私の大好きなセリフがある。

やはり民事訴訟をテーマにしたドラマなのだが、ドラマの最後の方で、原告代理人の弁護士・赤岩一孝(杉浦直樹)と、被告代理人の弁護士・網干頼母(津川雅彦)が法廷で論戦するシーンがある。

実は赤岩は、若い頃は有名な人権派の弁護士で、網干のかつての恩師だった。やがて網干は師である赤岩と袂を分かち、今では大企業の顧問弁護士となったのである。この法廷は、その2人の、久しぶりの再会の場だった。

公判が終わり、赤岩が網干に語りかける。

久しぶりに法廷の君を見たよ。

相変わらず、君の言葉は冷たいな。正確だが、実に冷たい。

だから、大企業の顧問弁護士どまりなんだ

このセリフを杉浦直樹が語ると、実にかっこよい。かっこよいのだ!たぶん三谷幸喜がこれまで書いた数あるセリフの中で、一番好きなセリフかもしれない。

とくに、「だから、大企業の弁護士どまりなんだ」という部分がしびれるねえ。

(ちなみにこのあと、言われた網干は苦笑いしながら「…『どまり』か…」とつぶやく。)

「だからあなたは、○○の○○どまりなんだ」ってセリフ、一度誰かに言ってみたいもんだねえ。

そんなことはともかく、S君の演技を見ていて、このセリフを思い出したのである。

ということで、約2時間半、楽しませていただきました。

…とまあ、こんなに一生懸命に感想を書いたところで、誰に伝わるわけでもないのだが。(原稿零枚)

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気分はタコ社長

12月6日(木)

朝イチの会議が終わった10時半、そのまま印刷室に向かう。

今日は、1月に職場で開催するイベントの、ポスターとチラシを印刷することになっていた。

デザインは、いつものように職員のSさんにお願いし、期待通りの素敵なデザインに仕上げてくれた。手作りのポスターでこれほどのデザインのものは、この職場のどこをさがしてもないだろう。それだけは断言できる。

そのSさんも、印刷をお手伝いしてくれるという。あやうく私ひとりで、途方に暮れるところだった。

ところがいくつかの困難が襲いかかる。

一つは、うちの職場にある大型印刷機(ポスター作成用)が、かなり「きまぐれ屋」で、指示どおりに動いてくれず、すぐにオムズカリになるのである。

大型印刷機と何度も格闘し、30分以上かけて、ようやくスムーズに印刷できるようになる。

もう一つは、チラシをプリントアウトするための複合機が、印刷室の隣の会議室にあり、折しも10時半から、重要な会議が始まってしまったことである。

重要な会議なので、その一角にある複合機を借りて、脳天気にチラシをプリントアウトすることなどできない。しかもこういう時にかぎって、重要な案件があるらしく、お昼休みに入っても会議が終わる様子がなかった。

ということで、チラシの方はお昼休み以降に印刷することにした。

そんなこんなで、あっという間に午後1時。授業の時間である。

作業を一時中断し、昼食抜きで授業に行く。

授業が終わり、その後研究室で、「結局誰も来なかったオフィスアワー」を過ごしたあと、夕方になり、ふたたび印刷室で作業を再開する。

今日の目標は、ポスター100枚、チラシ1500枚を印刷することである。

チラシはいいとして、大変なのはポスターである。大型印刷機でプリントアウトされたポスターは、余白部分が多く、天地左右をカッターで裁断しなければならない。

延々と、カッターを持って、次々と刷り上がってくるポスターの余白を切り取る作業を行う。

印刷室に入れ替わり立ち替わり入ってくる同僚たちの冷ややかな視線が突き刺さる。

(そんなことをやっているヒマがあったら、ちったあまともな仕事をしろよ!)

例によって被害妄想がはじまった。

だって「ポスターを100枚印刷して、その余白部分をカッターで延々と切る」という仕事は、自分の本業とは何の関わりもないんだもの。同僚たちからすれば、まったくもって無駄な時間、と映ったのではないだろうか。

私が過剰なまでに今度のイベントを成功させようと思って、これほど意固地になっているのは、拙いながらも私なりの「思い」とか「覚悟」があることによるが、まあそんなことは、ほとんどの人にとっては関心のないことである。

そうなったら、たとえ1人になっても続けていくしかないか、と思っていたが、幸いにも、職員のSさんが何の得にもならない仕事をずっと手伝ってくれたのが、私にとっての救いであった。

これだけ思いをこめて準備をして、人の心を動かせなかったら、私にはもう、なすすべがない。

午後の授業で、私は学生たちに言った。

「もし1月のこのイベントにお客さんが100人集まらなかったら、私は見切りをつけて、やめます!今度こそ本気です!」

学生たちは、またはじまった、という顔をした。(原稿零枚)

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「寛永通宝 拾う」で検索

12月5日(水)

最近、こぶぎさんからコメントが来ないなあ、と思っていたら、本業の方であちこちと飛びまわっていて、忙しくてコメントを書くヒマがないらしい。

…という話を、前の職場の同僚のKさんから聞いた。

だから最近はもっぱら、所用と称してKさんに電話をかけ、それとなく、このブログの感想を聞くことにしている。

冷泉為恭の話、面白かったです」とKさん。

「そういうところに気づいてくれるのは、Kさんだけですよ」と私。「あの話、誰にもわからないだろう、と思って書いたんですから」

「思わぬところで話が結びつく感じがいいです」Kさんは、本当に良質の読者である。

「あと、『スウィングする人』もおもしろかったです」

「そうですか。たんなる愚痴だったので、書こうかどうか迷っていたんですけど」

「いや、おもしろかったです。とくにトラウマになった話のところが」Kさんには、何か感ずるものがあったらしい。

「こぶぎさんと昨日、夕食を食べているときに、『ぜひコメントを書きたい記事があるのだが、忙しくて書けない』と言ってました」

「ほう、何の記事についてです?」

寛永通宝を拾った話です」

「それはまた何でです?」

「『寛永通宝 拾う』で検索をかけると、寛永通宝って、けっこう今でも拾われているみたいだ、と言ってました」

「ほう。…つまりこぶぎさんは、忙しいにもかかわらず、『寛永通宝 拾う』で検索をかけて、落ちている寛永通宝を拾ったという事例を、集めたわけですね」

「そういうことですね」

まったく、忙しいんだかヒマなんだか、よくわからない。

「しかし面白いですねえ」Kさんが続ける。「あの話がきっかけになって、どんどん話が発展していくんですから」

よく分からないほめ言葉である。

だがたしかに、「寛永通宝を拾った」という事例を集めて、その「点」と「点」をむすびつけていけば、なにかとてつもない「闇の真実」が分かったりして。

Kさんとの電話を切ったあと、またそんな妄想がはじまった。

…いかんいかん。原稿を書かなければ。(原稿零枚)

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続・味のしない芋煮

12月5日(水)

夕方、職場で行われるある寄り合いで、芋煮会をするというので、行くことにした。

なんと!今年最初にして最後の芋煮会参加である!

ようやく、大きな鍋から芋煮をすくう醍醐味にありつけたのである。

しかも、ビックリするくらいの芋の量である。芥川龍之介の「芋粥」なみの、芋の量である!

おかげで、今年分の芋を、十分に食べることができた。

しかし、つくづく思うのは、自分は座持ちが悪い、というか、職場の同僚と、どんなことを話していいのか、皆目見当がつかないのである。中途半端な年齢であることも関係しているのだろうか。

たとえば、少し離れたところで若手グループが楽しげに話しているが、そのノリには、まったくついていけそうにない。ベテラングループの話の輪には、なおさら加わる勇気がない。

幸い、前に座っていた同世代の同僚が、切れ味鋭く、とても座持ちのいい人だったので、その軽妙な話をひたすら聞いてうなずくばかりだった。後半は、ベテランの先生のお話をひたすら伺うという練習。

でもなあ。

みんな別世界で活躍されている人たちだなあ、と思ってしまった。

みんないい意味で前向きというか、別の言い方をすると野心的、というか、私にはとうてい及ばない境地である。私がいま考えていることなんて、実に些細なことで、たぶん誰にも伝わらないのだろうなあ、と思うと、自分からもう何も言うことはできなくなってしまった。

間が持たないので、芋煮を何度もおかわりし、ビックリするくらいの量の芋を食べるが、例によって、ぜんぜん味がしない

つくづく自分の度量の狭さをのろったのでありました。

結論。芋煮は私の心をどんよりさせる。

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傘運がない

12月4日(火)

むかしから、傘運がない

私の場合、「傘をすぐになくす」のではなく、「傘がすぐに壊れる」場合が、圧倒的に多い。

いつも私の周りには、ホネの部分が折れたこうもり傘とか、貧相なビニール傘とかしか、ないのだ。

昨年、それを見かねた卒業生たちが、誕生日に「こうもり傘」をプレゼントしてくれた。いままでで一番嬉しい誕生日プレゼントである。

私はこのこうもり傘がとても気に入っていて、大切に使っていたのである。

ところが、今日。

雨が降っている。いつものように、お気に入りのこうもり傘をさして職場の構内を移動する。

建物に入り、傘をたたもうとするが、何度たたもうとしても、すぐに開いてしまう。

(おかしいなあ…)

仕方がないので、強引に紐でくくることにした。

しかしその後も、何度たたもうとしても、傘がすぐに開いてしまうのである。

(どうしたんだろう…)

傘をよく見てみて、驚いた。

傘をすぼめるときには、傘の中央の棒(中棒)にとりついているプラスチックの部品を手元の方向にスライドさせて、取っ手付近にある金属のでっぱった部分に引っかけるでしょう。金属のでっぱった部分のことを、「下(した)ハジキ」といい、上下にスライドさせるために中棒にとりついている部品のことを「下ロクロ」というのだそうだ。

まあ、そんなことはどうでもよい。

で、問題は、その傘を開閉するときにスライドさせる部品が壊れて、「下ハジキ」にひっかからなくなってしまったのである。

本来はそのプラスチックの部品の穴の部分が、アルファベットの「O」の形に空いていなければ、「下ハジキ」に引っかけることができないのに、なぜか一部分がとれてしまい、穴の部分がアルファベットの「U」の字の逆の「∩」みたいな形になってしまったのである。これでは、いくら頑張っても「下ハジキ」に引っかけることはできない。

どこをどうしたら、こんな地味な部分が壊れるのか、まったくわからない。

かくしてこうもり傘は、「閉じない傘」になってしまったのである。

…なんだか、わかりにくい説明だな。

とにかく、卒業生たちにプレゼントでもらったお気に入りの傘が、2年もたたないうちに、壊れてしまったのだ!

これほどショックなことはない。卒業生たちよ、申し訳ない!

これでふたたび私の周りには、まともな傘が1本もなくなってしまった。

明日から、どうやって雨をしのいでいこうか。

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ディズニーしぃデビュー

11月30日(金)

正直に書きますよ。

東京ディズニーシーに行ってきましたよ!

この日、19時半から22時半まで、ディズニーシーが貸切営業をするという。ある企業が、お客さんを招待する「特別な日」なのである。

その招待券を2枚、妻が親戚からもらってきたというのである。

本当はそんなところに行ってる場合ではないくらい忙しいのだが、招待券をもらったんだったら仕方がない。

そもそも私は、ディズニーシーに行ったことがないのだ。いや、ディズニーランドも、15年くらい前に一度行ったきりである。

数日前、話の流れでそのことを同僚に話すと、その同僚は2年前に行ったらしく、いろいろとレクチャーをしてくれた。

「つけ耳とかかぶり物とかつけないと、園内では居心地が悪いですよ」

「そうですか…」

「あと、ダッフィーとシェリーメイというのを覚えておいた方がいいです」

「ダッヒーですか?」

「いえ、ダッフィーです」

今日のお昼、その同僚と職場の階段ですれ違う。

「今日、ディズニーシー行くんですよね!ディズニーシー!(大声)」

折りしも授業が終わったばかりで、階段は多くの学生でごったがえしていた。学生の何人かが、その大声に反応していた。

「声が大きいですよ!『しぃ』でお願いします。『しぃ』で!(小声)」

私は人差し指を唇の前にあてる仕草をした。

「ああ、『ディズニーシー』だけに『しぃ』ですか(大声)」

「そういうことじゃなくって!(小声)」

かなり周りにまる聞こえである。

ふり返ると、2年生のC君がいた。

「先生、ちょうどよかったです。レポートが完成したので提出します」

C君は半笑いだったから、絶対に聞かれていただろうな。

さて、夕方5時過ぎに東京駅に着き、妻と合流して、ディズニーシーに向かった。

(やっぱり、つけ耳とかかぶり物とかしなくてはいけないのだろうか…)

そのことばかりが不安である。

19時半、いよいよ開園である!

ビックリすることに、ほとんどの人が、つけ耳をつけてもいなければ、かぶり物もかぶっていない!

考えてみれば、今日はある企業の招待客ばかりなのだ。だから、つけ耳をつけるとか、かぶり物をかぶるといったテンションの人は、ほとんどいなかったのだろう。

(なあんだ。心配して損した)

すべてのアトラクションが、なんとたったの「5分待ち」で乗れるのだ!どうだ!まいったか。

しかし、もう一つ、不安なことがあった。

それは、私自身が、ジェットコースターが大の苦手だ、ということである。

しかし、せっかくのディズニーシーで、妻の楽しみを削ぐわけにもいかない。

いちばんの懸案は、「レイジングスピリッツ」というジェットコースターである。このジェットコースターは、360度回転するというのだ。

とりあえず、「海底2万マイル」と「インディージョーンズ・アドベンチャー」「フライングカーペット」をまずクリアしてから、考えることにしよう。

この三つは、とくにアクティブなものではなかったが、それでも、すでに車酔いみたいな感じになった。

さて、「レイジングスピリッツ」の前を通りかかる。

「どうする?やめとく?」と妻。

見上げると、一見してボロボロのレールの上を、ジェットコースターがグルグルと走りまわり、「ぎゃあああぁぁぁ~」とさけぶ声がしている。

「せっかく来たんだから、そりゃあ…、乗るさ(ブルブル)」

意を決して、乗ることにした。

ぎゃああぁぁぁぁ~!!!

殺す気かあああぁぁぁ~!!!

ということで終了。

次の懸案は、「センター・オブ・ジ・アース」である。外から見ると、真ん中の火山のところから、一瞬、トロッコみたいなものが滑り落ちて、「きゃあああぁぁぁぁ~」という声が聞こえる。

「どうする?」

「レイジングスピリッツだってクリアできたんだ。たぶん大丈夫だと思うよ(ブルブル)」

ということで、これにも挑戦。

ぎゃああぁぁぁぁ~!!!

殺す気かあああぁぁぁ~!!!

ということで終了。

残った大物は、「タワ・オブ・テラー」という、廃墟みたいなビルのてっぺんからエレベーターごと落っこちるというアトラクションである。

外から見ると、廃墟みたいなビルに、とつぜん稲妻みたいな閃光が走ったかと思うと、ビルの上から下にめがけて、エレベーターが真っ逆さまに落ちる。その瞬間、乗っていた人々の「ぎゃあ~」という声が聞こえるのである。

「どうする?」と妻。

「これだけは勘弁してくれ(ブルブル)」

ということで、これは断念。

そんなこんなで、あっという間の3時間だった。

この日にクリアしたアトラクション。「海底2万マイル」「インディージョーンズ・アドベンチャー」「フライングカーペット」「レイジングスピリッツ」「シンドバッド・ストーリーブック・ヴォヤッジ」「センター・オブ・ジ・アース」「アクアトピア」「エレクトリックレールウェイ」、以上。

翌朝早く、私たちは、関西で2日間行われる学会に向けて出発しましたとさ。(原稿零枚)

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