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タクシーの運転手と客の会話

昨年末、東京に帰省するときの話。

雪が降っているのと、足が痛いのとで、家からタクシーに乗って、駅に向かうことにした。

「帰省ですか?」と運転手さん。

「ええ。東京に」

「都内ですか?」

「いえ、都下の方です」

「そうですか。…完成したスカイツリーはご覧になりましたか?」

「遠くからは見ました」

「私も、建設途中のスカイツリーは見たんですがね。まだ完成した姿を見ていないんですよ」

「そうですか」

「むかしとくらべると、あの辺もずいぶん変わりましたよねえ」

「東京に住んでおられたんですか?」

「ええ、20代のころ、7~8年ほど、東京で会社勤めをしておりましてね」

「そうですか。どちらに住んでおられたんですか?」

「葛飾です」

「葛飾というと、柴又とか、亀有が有名ですね」

「私はそのあいだくらいのところに住んでいました」

「というと、金町ですか?」

「そうです!金町です。よくご存知ですね。あそこにむかし、○○という会社がありましてね。そこに勤めていました」

察するに、そのタクシーの運転手さんは、20代のころに地元から上京して東京の会社に勤めたが、何らかの事情で地元に戻り、いまタクシーの運転手をされている、ということらしい。

「いまでも、1年に1度くらい、東京に行くんですよ。建設中のスカイツリーも、そのときに見たんです」

「へえ、そうですか。なぜ1年に1度なんです?」

「会社勤めしていたころの管理人さんが、いま厚木に住んでおりましてね。会いに行くんです」

「管理人さんですか?」

「ええ」

管理人さん、とは、会社勤めのときに住んでいた社宅か何かの管理人さんだろうか。

「葛飾と厚木では、ずいぶん離れていますね」

「ええ。管理人をやめられてから、厚木に移られたんです」

「いまでも交流があるって、すごいですねえ」私は驚いた。「いま、おいくつくらいなんですか?その管理人さん」

「たぶん、70歳は超えていると思いますよ」

おそらくは10年以上は経っているのに、いまだに、当時東京でお世話になった管理人さんに会いに行く、というのは、なかなかできることではない。

「お別れするときに、『またお会いしましょう』なんて、たいていの人は社交辞令を言って、年賀状とかで済ませたりしますよね。でも私があるとき、遊びに行ったら、たいそう喜ばれましてね。で、1年に1度、カミさんと一緒に顔を見せに行くんです」

「そうですか。なかなかできることではありませんね」

「ただ、今年は忙しくってねえ。なかなか行くヒマがないので、せめて電話だけでもと思って電話したら、電話口で、管理人さん、泣いてたんですよ」

「そうですか…。よほど会いたかったんじゃないでしょうか」

「そうでしょうかねえ。もう年齢(とし)も年齢ですからねえ」

タクシーが駅に着いた。

「いい話を聞かせてもらいました。ありがとうございました」

タクシーを降りて、駅に向かう。

歩きながら、思い出した。

私が通っていた大学は、3年生になると、学部に進学して、それぞれの専門の勉強をはじめる。

3年生のときに、私と同じゼミに、1人のおじいさんが入ってきた。Mさんである。

Mさんは、長らく会社を経営されていたが、引退を機に、自分が若いころに勉強したかったことを勉強したいと思い、私のゼミの先生の門をたたいたのである。

つまりMさんは、私と机を並べて勉強した、同級生なのだ。

Mさんとたまにお酒の席で一緒になって、ことあるごとにお話を聞いた。それはそれはもう、壮絶な人生だった。

大学で勉強したい、という志もなかばに、学徒出陣で戦地に赴き、戦後はシベリアに抑留され、想像を絶する苦難を経験する。日本に戻ってからは、生きるために働き、会社を経営するまでに至る。

そして、引退後、ようやく、自分の好きな勉強ができたのである。

Mさんの人生にくらべれば、私など、なんと生ぬるい人生だろう。

Mさんは、それから10年以上、ゼミに出続けた。私が東京を離れたあとは、こんどは後輩である私の妻が、Mさんの話し相手になった。

そんなMさんも、もう80歳をとうに越え、かなり足腰も弱くなった、と聞いた。つい最近、奥さんを亡くされ、いまは1人で暮らしておられるという。いまはたまに、妻が手紙のやりとりをする程度である。手紙には、さびしい生活をしている、と書いてあったという。

妻と一緒に、Mさんに会いに行かなきゃなあ。

タクシーの運転手さんの話を聞いて、そんなことを、思った。

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