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「レ・ミゼラブル」からの「飢餓海峡」

1月13日(日)

最新作の映画「レ・ミゼラブル」(トム・フーパー監督)、もちろんご覧になりましたよね?

え?まだ見てない?!絶対に見るべきですよ。

かくいう私は、まったく何の予備知識なく、この映画を地元の劇場で見た。

そしたらあーた。この映画、ミュージカル映画だったのね。それだけで度肝を抜かれました。

私は過去に、1957年版のジャン・ギャバン主演の映画「レ・ミゼラブル」をテレビで見たことがあり、1989年版のリ-アム・ニーソン主演の映画「レ・ミゼラブル」を劇場で見ている。とくに1957年版の印象は強く、私の中では、ジャン・バルジャンは完全にジャン・ギャバンなのである。

しかし不思議なことに、「レ・ミゼラブル」の細かなストーリーは、すっかり忘れていた。

覚えているのは、次の3つの場面だけであった。

1.教会から銀器を盗んだジャン・バルジャンが警察につかまると、教会の司祭は、「それは盗まれたのではなく私がさしあげたものです。さあ、いちばん大事な銀の燭台を忘れていきましたね」と、司祭が銀の燭台をジャン・バルジャンに与える場面。

2.市長になったジャン・バルジャンが、馬車の下敷きになった市民を助けようと、馬車を持ち上げたのを見て、ジャベール警部が、かつて見た怪力の囚人、ジャン・バルジャンを思い出す場面。

3.物語の最後のほうで、ジャン・バルジャンが誰かを担いで、地下の排水路の中を逃げまわる場面。

…なんか「落語リハビリ」みたいだな。それはともかく。

とくに1は、映画「男はつらいよ 寅次郎恋愛塾」の中に、寅次郎のポン友である「ポンシュウ」(関敬六)が教会の銀器を盗んで警察につかまったが、神父さんが「それは盗まれたのではなくさしあげたものです。さあ、いちばん大事な銀の燭台をお忘れですよ」とポンシュウに高価な銀の燭台を与える、という場面があり、「レ・ミゼラブル」とまったく同じエピソードをパロディとして盛りこんでいることでも有名である。

今回の映画でも、この3つの場面は当然描かれていた。

それにしても、俳優陣はみな歌唱力がすばらしい(ラッセル・クロウは微妙だが)。この歌を聴くだけで価値がある。とくにアン・ハサウェイ演じるファンティーニの歌声には感動する。考えてみれば、一流のミュージカルが、映画なみの料金で見られるのだから、絶対に見るべきなのである。

しかし、この映画の中で特筆すべきは、

そう!エポニーヌである!

ストーリーをすっかり忘れていたので、こんな登場人物がいたことじたい、忘れていたが、エポニーヌは、じつに切ない役柄であることに気がついた。エポニーヌを丁寧に描いたこの映画は、やはりすばらしいのだ。

さて、罪を犯した者が、その後ひそかに悔い改め、名前を変えて生まれ変わり、人々のために尽くす、しかし、その人物を刑事が執拗に追う、というジャン・バルジャンとジャベールの物語と似た物語が、日本にもある。

水上勉の小説『飢餓海峡』である。

『飢餓海峡』こそは、日本版『レ・ミゼラブル』といってよい。犬飼多吉(のちの樽見京一郎)が、ジャン・バルジャンで、弓坂刑事が、ジャベール警部なのである。ただし、「レ・ミゼラブル」のジャン・バルジャンは、改名後は完全な善人になるが、『飢餓海峡』の犬飼は、改名後も邪悪な心の持ち主のままである。

私はこの小説の映像化作品を、これまで3本見ている。

一つは、有名な内田吐夢監督、三國連太郎主演の映画「飢餓海峡」(1965年)。犬飼多吉(樽見京一郎)を三國連太郎、弓坂刑事を伴淳三郎が演じた。

二つめは、1978年にフジテレビで放映された連続ドラマ「飢餓海峡」。浦山桐郎などが演出した。犬飼多吉(樽見京一郎)を山崎努、弓坂刑事を若山富三郎が演じた。

三つめは、1988年にフジテレビで放映された単発ドラマ「飢餓海峡」。犬飼多吉(樽見京一郎)を萩原健一、弓坂刑事を仲代達也が演じた。

1965年版の三國連太郎は、1957年版「レ・ミゼラブル」のジャン・ギャバンを思わせる風格である。ひょっとしたら1965年版の「飢餓海峡」は、1957年版の「レ・ミゼラブル」を意識していたのではないか、と想像したくなる。

意外とよかったのは、1978年版のドラマである。何たって、寡作で知られる浦山桐郎が演出していますからね。浦山監督は、「キューポラのある町」とか、「青春の門」とか、戦後のゴチャゴチャした雰囲気を、かなりリアルに描くことに関しては秀逸で、このドラマでも、それが遺憾なく発揮されているのだ。犯人を執拗に追い続ける若山富三郎はもちろん、杉戸八重を演じた藤真利子も、かなりよかった。ちなみに杉戸八重は、「レ・ミゼラブル」でいうところの、ファンティーニとエポニーヌを合わせたような、切ない女性である。

ただ、1978年版で唯一不満なのは、犬飼多吉が最後、青函連絡船から海に飛び込んで自殺するのではなく、留置場で毒を飲んで自殺するというふうに、原作から改作している点である。この場面だけは、興ざめだった。

あれ?「レ・ミゼラブル」の話をしているつもりが、いつの間にか「飢餓海峡」の話になってしまったぞ。

そういえばむかし、テレビで放映していた1957年版の「レ・ミゼラブル」をビデオ録画していたはずだ。家の中にあるビデオテープを探して、久しぶりに見ることにしよう。

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