ヨンジュさん
2月26日(火)
たしか、ヨンジュさん、という名前だったと思う。
韓国のある分野で、「孤高の天才」「学界の異端児」といわれた人。
前の職場の同僚だったOQさんの親友だった。「異端」の二人だっただけに、おたがいに共感するところがあったのかも知れない。
ものすごい頭のいい人だ、と聞いていたが、いささか、というか、かなり常識に欠ける人だった。ま、えてして天才とは、そういうものである。
そんなヨンジュさんに、OQさんはいつも振りまわされていた。ヨンジュさんが日本に来るたびに、OQさんは忙しいにもかかわらず、彼のきまぐれな注文につきあい、彼との予定を最優先させていた。
私とこぶぎさんも一度、ヨンジュさんに振りまわされたことがある。
OQさんがゼミの学生を引率して韓国に行った、最後の実習(2005年)でのこと。
初日の夜、ソウルでヨンジュさんにお会いすると、OQさんは「どこか美味しい夕食の店を紹介してよ」と、ヨンジュさんに頼んだ。なにしろ、初めての海外旅行だという学生がほとんどなのだ。食事の印象が悪ければ、その後の旅の印象も悪くなる。地元のヨンジュさんならば、きっと美味しい店を見つけるだろう、と思ったのである。
しかしヨンジュさんは、いまから考えれば、「食」に関して無頓着な方だったのだろう。なにしろ天才なのだから。
美味しい店などまったく知らないヨンジュさんは、探し回ったあげく、ある食堂に私たちを連れていった。だがそこは、とても美味しい店とはいえなかった。学生たちからも、大ブーイングである。
韓国には美味しいお店がたくさんあるのに、よりによって何でこんな店を選んだのだろう。だがハズすことも、それはそれで一つの才能なのだろうと、私は自分に言い聞かせた。
そんな浮世離れしたヨンジュさんだったが、7年前のOQさんの告別式に、ヨンジュさんは韓国から駆けつけた。それは、突然のお別れだった。
告別式が終わったあと、こぶぎさんとヨンジュさんと、私と妻、そしてOQさんの研究仲間の方の5人で、OQさんが生前によく通っていた喫茶店に行って、思い出話をすることになった。
そのとき、ヨンジュさんはこんな思い出を語った。
OQさんと最後に日本で会ったとき、二人で映画を見に行った。その映画は、「博士の愛した数式」という映画だった。
だが、見ているうちに、OQさんはグーグー寝てしまった。結局彼は、その映画をちゃんと見なかったのだ、と。
OQさんらしいエピソードだと、そのときは笑ったが、OQさんが映画を見ながらグーグー寝てしまった、というのは、もともと忙しいOQさんが、親友のヨンジュさんとの予定を最優先したために、かなり無理をした結果ではないだろうか、と、あとで思った。
もう一つ思ったのは、「博士の愛した数式」は、OQさんが劇場で見た最後の映画だったのではないだろうか、ということ。その映画は、当時公開されたばかりだった。
それからというもの、映画「博士の愛した数式」をくり返し見るたびに、寺尾聰演じる「博士」が、OQさんとタブって見えてしまう。全然似てはいないんだけど。
だから「博士の愛した数式」は、私にとって特別の映画なのだ。
| 固定リンク
「思い出」カテゴリの記事
- これぞゴールデンヒストリー(2024.04.06)
- 今年の新語流行語大賞(予想)(2023.09.16)
- サイケデリックトレイン殺人事件(2023.09.03)
- 続・忘れ得ぬ人(2022.09.03)
コメント
2.26は北極みたいな豪雪が積もる中、地元の冷麺屋で軽く焼肉を焼いたのですが、あの時のメシより、よっぽどうまかったですな。
でもね、見た目も地味だが味だって素材の味しかしないあの料理は、当時の韓国で流行っていた「ウェル・ビーイング」という健康食ブームの最先端のメニューだったと思いますので、よかれと思って連れてかれたのではないかと。
あと、国楽院で土曜名品舞台を見た後に、散々歩いてやっと着いた、ボロッチいけど大統領も食べに来るといわれている冷麺屋には、新しい女性大統領もちゃんと来たんでしょうかねえ。
投稿: こぶぎ | 2013年3月 2日 (土) 02時23分
そうそう、思い出しました。「ウェル・ビーイング」のお店でしたね。彼なりの気の遣い方だったんですね。
来週後半は韓国に行きます。その話はまたいずれ。
投稿: onigawaragonzou | 2013年3月 2日 (土) 19時40分