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過剰なまでに感傷的に

2月15日(金)

興味のない人にとっては、興味のない話。

妻から「水道橋博士の『藝人春秋』(文藝春秋)って本、あったら持ってきて」とメールが来た。

私自身は、『お笑い男の星座』をはじめとして、水道橋博士が書く研ぎ澄まされた文体が心地よく、これまでも何冊か耽読していた。妻はそのことを知っていて、たぶん私が買っているのではないか、と思ったのだろう。

もともとこのブログをはじめようと思ったのも、「博士の悪童日記」という、水道橋博士のインターネット上の日記に影響されたところがある。

しかし、ビートたけしだの、立川談志だのにまったく思い入れのない妻が、なぜこの本に注目するのか。

まあいい。さっそく買って、今日の夜、東京に向かう新幹線の中で読んだ。

これは『お笑い男の星座』と同じく、芸人ルポルタージュである。自らを「お笑いルポライター」と位置づけているように、芸人の世界を、内部から、一方的な愛情と温かいまなざしで描き出す。その豊かな表現性は、健在どころか、ますます磨きがかかっている。

おもしろいことに、著者自身が心酔するビートたけしについての叙述は、読者(少なくとも私)には、それほど響かない。おそらく、著者の思い入れと、それを受けとめる読者との間に、バランスをとりがたいほどのギャップが存在するからだろう。

それにくらべ、石倉三郎、ポール牧、稲川淳二、児玉清といった人々とのエピソードは、読む者の胸を打たずにはいられない。これを読み、思わず笑い、思わず涙を流したのも、私だけではあるまい。

たとえば小林信彦の芸人論の文体が、冷静なまなざしで貫かれているのに対し、水道橋博士のそれは、過剰なまでに感傷的である。これもひとえに、対象との距離が関係しているのだろう。

考えてみれば、私が身を置いている業界も、芸能界と同じようなものである。

虚飾に身を飾る人もいれば、常人には理解できないような伝説を持つ人もいる。

私も、自分が身を置く業界で、私が見聞きした愛すべき人々の伝説を、なるべく書き残しておきたい、と思う。

そんな思いもあって、最近はT先生とのエピソードを書いたりしているのだが、考えてみればこれは、「お笑いルポライター」である水道橋博士の芸人に対するまなざしに、私自身が憧れていたからであることに、この本を読んで、あらためて気づいたのである。

つい最近書いた「M氏の宝物」は、言ってみればそんなようなものである。もっとも、水道橋博士の筆力には、及ぶべくもないが。

ということは、私もまた、「業界ルポライター」に憧れているんだな。

もう一つ、この本を読んで驚いたことがある。

著者が「いじめ問題」に書いた文章(2006年)で、つい先日私が思い出してこのブログに書いた、ラジオDJの発言(正確に言うと、ピエール瀧と伊集院光のやりとり)が、引用されていることである。何たる偶然であろう。

著者は、「いじめ問題」についていろいろと書いた最後に、このときのラジオのやりとりを引用して、次のように述べる。

「この放送、最近のいじめ問題を語る“言霊”の中で一番、しっくりきた。

いじめを、“爆笑”問題として最も腑に落ちる言葉で説いたのは、この二人だった。

今回、長々と書きつらねたが、結局は最後のラジオのやりとりを引用し、伝えたかっただけだ。

決して教科書には載らないような会話だけど、伊集院と瀧の話が、今、この文章を読む何処かの誰かの目に触れればいい。

あのころのボクに、ラジオからビートたけしの言葉が届いたように」

ほら、感傷的でしょう?

でも、私もリアルタイムでこのラジオを聞いていて、やはりこのやりとりには、少し身震いしたのである。だから私も、この言葉を、紹介したいと思ったのだ。

たんに、同じ世代のオッサンだから共感することなのかもしれない。

そう思うなら、思うがよい。

冒頭に、「興味のない人にとっては、興味のない話」と書いたのは、そういうことである。

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