私がかなり妄想の激しい人間だということは、私をよく知る人ならば誰でも知っている。
たいていの人は、私の妄想力に舌を巻くか、呆れるかのどちらかである。
「自分は妄想が激しい」と思っている人からですら、呆れられるほどである。
最近も、身のまわりで起こるいろいろなことを分析したあげく、
「ああ、俺ってやっぱり、遠回しに避けられているんだ」
とか、
「ああ、結局、ご縁がなかったんだな」
とか、結論づけて、勝手に落ち込んだりするのである。
こういう時の私を人は、「妄想の翼を広げる」と評する。
こういう妄想に縛られているから、まわりに呆れられるのである。
私が映画「男はつらいよ」の寅次郎に共感するのは、この「妄想力」の部分である。
映画「男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎」に、こんな場面がある。
資金繰りに困った裏の印刷工場のタコ社長が、思いつめた表情で「金策に行ってくる」と出かけようとしたところに、寅次郎がフラッととら屋に帰ってくる。
寅次郎はタコ社長を見かけるなり、「この前、竜宮城におとひめ様に会いに行く夢を見たんだが、お前そっくりのタコが出てきて大笑いした。お前の工場はとうとうつぶれたか」などと軽口をたたいたことがきっかけで、寅次郎とタコ社長は大げんかをする。タコ社長は寅次郎の言葉に傷ついたまま、金策に出かける。
ところが、夜遅くになっても、社長は帰ってこない。心当たりのところに連絡をとってみるが、タコ社長はどこにもいない。とらや一家は、寅次郎が社長をからかったばかりに、社長をますます追いつめたのではないか、などと、話しはじめる。
「一つの言葉が、人間を死に追いやることだってあるからなあ」とおいちゃんがつぶやく。
それを聞いた寅次郎。
「…警察に届けたか?」心配そうに聞く。
「…さ、ご飯にしよう」とおばちゃん。どこかでビールでも飲んでいるんだろ、と、とら屋一家は高をくくっているのである。
それに対して、慌てて外に出ていこうとする寅次郎。
「お兄ちゃん、どこ行くの?ご飯よ」妹のさくらがひきとめる。
「お前たちはよくそうやってメシなんか食ってられるなオイ!今ごろ社長は……、そうだ、江戸川だ!」
何か思い立ったように再び外に出ていく寅次郎。弟分の源公(佐藤蛾次郎)と、提灯を持って江戸川一帯の捜索をはじめるのである。
「社長!早まるなよー!」提灯を持ちながら江戸川の土手をさがしまわる寅次郎と源公。
「オイ源公、おまえな、「矢切の渡し」で向こう岸に渡り、対岸をずーっと下って東京湾で落ち合おう!」
かくして、江戸川一帯の大捜索が始まるのである。
しかし実際のところ、タコ社長は、金策がうまくいき、酒を飲んでいた。
そうとも知らず、江戸川の大捜索から寅次郎が戻ってくる。
「お前生きてたのか」脱力する寅次郎。
「生きてますよ。冗談じゃねえよ。そう簡単に死にやしねえよ。オレは」
酔っぱらって気分が良いタコ社長に、寅次郎が激怒する。
「なんだこの野郎!酒なんか飲みやがって!」
「オレが酒飲んで悪いかよ!」
「あたりめえだ!てめえは江戸川の水でも飲んでろ!」
ここでまた大げんかが始まる。
「無事で帰ってきたんだから、『社長よかったな、みんな心配してたんだぞ』ってどうして素直に言ってあげられないの!」さくらが寅次郎をたしなめる。
それを聞いた寅次郎はうなだれて、語りはじめる。
「そうかいそうかい。オレが悪かったよ。オレは早っとちりでおっちょこちょいだからな。…てっきり社長は江戸川に身を投げて土左衛門になったものだと思ってな。あの江戸川をどんどんどんどん、月明かりを頼りに下っていったんだ。
…塩崎水門まで行くと、…社長、お前と同じ姿の白いものがぽっかりと浮かんでるんだ。…オレは竹竿でもってな、突っついてみたんだ。…そしたらおめえ、腹にガスのたまった、子ブタの死骸だったの。
…それからどんどん下がって江戸川大橋だ。あそこまで行くと、川幅がぐーんと広くなる。向こう岸の、浦安の灯が心細くチラホラチラホラ見えるんだ。暗い川の面(おもて)を見ていると、…そうだ、今ごろこの底の方で社長は…ボラの餌になってんのかなあと思うと、何だかオレは悲しい気持ちになってなあ(涙ぐむ寅次郎)…。
『社長!社長さーん!』お前の名前を呼んでるうち、涙がポロポロポロポロこぼれてきてなあ…。
『そうだ、オレの言葉のせいで社長は死んだんだ!だったらオレも死のう!南無阿弥陀仏』江戸川に身を投げようとするこのオレを、源公が袖をつかまえて、『アニキ!早まっちゃいけねえ!』『いいから離せ!』、『早まっちゃいけねえ!』『離せ!』」
「それでどうなった?」おばちゃんが身を乗りだして聞く。
「ドボーン!とそのままオレは…そうなったらオレはここにいねえんだな…」
「ほんとだ。ああ、よかった」
「ほんとに、無事でよかった」とつぶやいて、寅次郎は自分の部屋に戻っていく。
自分の言葉がきっかけで、親友を死に追いやってしまったのではないか、という妄想にとらわれ、江戸川の大捜索に走る寅次郎。恐るべきマイナス思考だが、そこに垣間見られるのは、実は親友に対するいたわりである。
マイナス方向の妄想だけではない。「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」では、「オレにふんだんに銭(ぜに)があったら、リリーを大舞台に立たせてあげるのに」と、不遇の歌手、リリーを思いやるあまり、リリーが歌手として大成功する「妄想」が語られる。「寅のアリア」と言われた、シリーズ屈指の名場面である(採録したいところだが、疲れたのでまたの機会に)。
寅次郎は、マイナスの方向にもプラスの方向にも、極度の妄想を働かせるのである。
私にとって映画「男はつらいよ」は、「妄想の教科書」ともいうべきものである。
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