マイナスをゼロにする仕事
3月16日(土)
たぶん誰にも理解されないと思いますけど、偉そうなことを書きますよ。
ここ数年、「マイナスをゼロにする仕事」というものが、自分のやるべき仕事ではないかという気がしてきた。
たとえば、「ゼロをプラスにする仕事」は何か、というと、「ハコ物を建てる」とか、「大きな事業を立ち上げる」とか、「華やかな表舞台に立つ」とか。
それに対して、「マイナスをゼロにする仕事」とは?
たとえば学校で問題になっている「いじめ」とか「体罰」とかは、学校にとってはマイナスの出来事である。これを、少しでもなくそうと努力したり、ゼロに近づけるシステムを作ったりする仕事。
これが私のイメージする、「マイナスをゼロにする仕事」である。
しかしこの数年私が痛感したことは、ほとんどの人は、「ゼロをプラスにする仕事」にばかり注目し、誰もが「ゼロをプラスにする仕事」をしたい、と思っている。
「マイナスをゼロにする仕事」は、誰もやりたがらない。誰かがそれをやったとしても、誰も注目しない。日の目は見ないし、損することばかりなのだ。業績にもならないし。
しかしだからこそ尊いのではないか、と、自分に言い聞かせながら、日々、職場では「マイナスをゼロにする仕事」について、考えている。誰にも理解されないんだけどね。
「日の目を見る」「表舞台に立つ」仕事は、それにふさわしい人に任せればよいだけの話だ。
同じように、2年前の震災以降、仲間たちと一緒に続けてきたボランティア活動も、言ってみれば「マイナスをゼロにする仕事」である。失われかけたものを、取りもどそうという作業なのだから。
だとすればこれは、私がやるべき仕事である。
ほら、やっぱり偉そうでしょう?軽く死にたくなるね。
…ま、そんな理屈をつけながら参加し続けて2年。この日は年に1度、これまでの活動をふり返り、今後の活動を考える会合の日である。
この活動に参加を続けている一番大きな理由は、同い年の盟友、Uさんの存在である。
私とUさんは、私がこの地に来てから知り合い、同い年ということもあり、ことあるごとに張り合っている。
「あいつが出続けているんだったら、オレも負けられねえ」みたいな。
そんなUさんを突き動かしているのは、徹頭徹尾「人間に対する共感」である。
「むかしの仲間が困っているのを黙って見ているわけにはいかねえ」
「むかし仲間たちと一緒に勉強した場所が、いま立ち入り禁止だなんて、オカシイよ!」
言葉は荒削りだが、ストレートな言葉は、私のような理屈をつけながら参加している人間よりも、はるかに心に響く、と思う。
会合の後は、打ち上げである。
Uさんの職場仲間で、一緒にボランティア活動に参加していたAさんとYさんが、この4月から新天地で仕事をすることになった。Aさんは隣県、Yさんは東京にである。
Uさんにとってみれば、ボランティア活動に参加しているUさんのよき理解者であった2人の「若い衆」が抜けてしまうのは、大きな痛手である。職場で孤軍奮闘しているUさんを支えていたのは、この2人だったのだ。
「Uさん、両腕をもがれた感じだね」私はUさんに言った。
「その通りだよ」
しかしUさんは、うなだれているわけではない。「若い衆」2人が新天地で活躍することを、素直に期待していた。
「Y君が東京に行ったらさあ、AKBの握手券をもらってくるようにお願いしたんだ」
Uさんらしい、はなむけの言葉である。
「春は別れの季節」であることを、リアルに感じた1日である。
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