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2013年4月

帰れない二人

4月30日(火)

午前中の雨が夕方にはすっかり上がり、夜、まだやや肌寒いが、歩いて帰るにはちょうどよい気候になった。

こんなとき思い出すのは、忌野清志郎と井上陽水が共作した「帰れない二人」である。

アルバム「氷の世界」(1973年)という井上陽水の「名盤中の名盤」 に収められているが、このアルバムの中で、私がいちばん好きな曲である。

「思ったよりも 夜露は冷たく

ふたりの声も 震えていました

『僕は君を…』と言いかけたとき

街の灯りが消えました

もう星は帰ろうとしてる

帰れない二人を残して」

メロディは、井上陽水っぽいバラードともいえるし、忌野清志郎っぽいバラードともいえる。どちらが歌っても、その人の曲のように思える。それが、この曲のすばらしいところである。

細野晴臣がベースで参加している。何と贅沢な1曲だろう。

この曲を聴いたのは、リアルタイムではなく、「東京上空いらっしゃいませ」(1990年)という映画の主題歌として流れていたのを聴いたのが最初である。

もう帰りなさい、と言わんばかりに、街の灯りは消えてしまうのに、お互いの気持ちをはかることもできないまま、なかなか帰るきっかけがつかめない二人。この二人の関係性を表現した歌詞は、秀逸である。

矢野顕子のライブを聴いて以来、忌野清志郎のことが思い出されるので、書いてみた。

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師と呼んだら怒られるかもしれない

前回の続き。

大竹まことのエッセイ集『結論、思い出だけを抱いて死ぬのだ』(角川書店、2004年)の中に、「師と呼んだら怒られるかもしれない」というタイトルのエッセイがある。

引退した芸人、上岡龍太郎について書いた文章である。

本文中には、上岡龍太郎のことを「師」と呼んでいる箇所は一箇所もない。だが、このタイトルだけで、大竹まことが上岡龍太郎を師と仰いでいることがわかる。

芸人・上岡龍太郎の繰り出す「屁理屈」と「話術」は、ほとんど天才的ともいうべきものであった。私はどれほどその「屁理屈」に笑い、「話術」に魅了されたことだろう。

上岡龍太郎と大竹まことを、リアルタイムで追いかけていた私にとって、大竹まことが上岡龍太郎を師と仰ぐ過程が、テレビを通じて手にとるようにわかった。

大竹まことが上岡龍太郎と番組で共演するようになったのは、1990年頃からだったと思う。大竹まことは当時、40歳をすぎたばかりであった。

テレビを通して見ている私にも、大竹まことが上岡龍太郎を尊敬のまなざしで見ている様子が、よくわかるほどだった。

それ以降、芸能界における大竹まことの「立ち位置」は、明らかに変わっていった。上岡龍太郎のような「立ち位置」をめざしていったように思えたのである。

それは、2000年に上岡が芸能界を引退して以降、ますます顕著になっていった。

上岡の引退以降、テレビで「屁理屈」と「話術」を武器に、「反骨精神をうまく笑いに変える」芸人は、不在となった。私がテレビに興味を持たなくなったのも、この頃からである。

大竹まことは、かなり意識して、テレビやラジオにおける上岡龍太郎の「立ち位置」を、継承しているように思える。

その意味でやはり、二人は師弟関係なのである。

大竹まことは四十をすぎて、新たな師を得たのである。師と思える存在に出会えたのである。

私がすごいと思うのは、そこである。

それで思い出した。

今から10年ほど前、私が今の職場に赴任したときのことである。私がこの職場で初めて受け持つことになった学生は、3,4年生合わせて7,8人くらいいた。

その中に、当時3年生だったK君がいた。バスケ部に所属している彼は、スポーツに打ち込む一方、学業にも真面目に取り組んでいた。

…なんか、むかしっから何かとバスケ部に縁があるなあ私は。まあそれはよい。

K君は、自分がやりたい専門分野の教員とそりが合わず、私のところにやってきた。

一生懸命勉強して、ある有名な大学の大学院に進学して、研究者になりたい、という。彼の父が研究者であることも、影響していたのかもしれない。

ずば抜けて優秀な学生だったので、彼なら大丈夫だろう、と思った。私もできる限りお手伝いしたが、ただなにぶん専門分野が異なるので、あまり適切なアドバイスができないのが、申し訳なかった。

結果、大学院入試は不合格であった。

私は、自分の非力を恥じた。もしこの職場に、彼にとって「良き師」がいたならば、もっと彼に実力をつけることができたかもしれない、と悔やんだ。

申し訳ない気持ちになり、その後、なんとなくK君とは話しづらかった。

卒業式が終わったあとくらいに、K君から、卒業後は高校の教員になるための勉強をするという決意と、これまでの感謝の気持ちが書かれたメールが送られてきた。大学院入試に落ちて、踏ん切りがついた、とも書いてあった。

私は返事に、次のようなことを書いた。

「卒業して社会に出たら、良き師にめぐり会いなさい。あなたにとっての本当の師は、これから出会うのだと思います」

根拠はなかったが、少なくとも私自身は、彼にとっての良き師ではなかったという思いだけはあった。

1年後、猛勉強の末、K君は地元の高校の教員として採用された。それは、彼自身が実力で勝ち取ったものだった。

K君からはその後、毎年年賀状が送られてきた。就職してからほどなくして結婚し、子どもも生まれたという。彼が充実した生活を送っている様子が想像できた。

昨年、やはり地元の教員になることが決まった卒業生が、卒業祝賀会の席で私に言った。

「Kさんに教育実習でお世話になったんですよ。いま僕の母校で先生をされていますから」

「へえ、K君にかい。元気そうだった?」

「ええ。先生のお話を、懐かしそうにされていましたよ」

私はK君が卒業してから、一度も彼に会っていない。だがその話を聞いただけで十分だった。

ときどき、ふと思う。

彼は、本当の師を見つけただろうか、と。

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結論、思い出だけを抱いて死ぬのだ

ふと思い立ち、家の本棚の奥から1冊の本を取り出して、久しぶりに読むことにした。

410zpsnaepl__sl500_aa300_タレント、大竹まことのエッセイ集『結論、思い出だけを抱いて死ぬのだ』(角川書店、2004年)である。買ったことすら忘れていた、ということは、以前はちゃんと読んでいなかったのだろう。

水道橋博士が『本業』(文春文庫)という本の中でこの本の書評を書いていたと記憶するが、こちらの方は本棚のどこにあるのか、見つからない。

昔、「シティボーイズ」(大竹まこと、きたろう、斉木しげる)という3人組のコントユニットが好きで、よくライブを見に行っていた。

「シティボーイズ」をひと言で表現すれば、「ダメな大人たち」である。

もし、世の「ダメな大人たち」を、「大竹まこと」「きたろう」「斉木しげる」の3つのタイプに分けるとしたら、私自身は誰にあたるか?

そんなことをまじめに考えていた時期がある。

考えたあげく出した結論は、「大竹まこと」であった。

今回、エッセイを読み直して、その意を強くした。

「文は人なり」という。この人のダメさ加減、そしてそれを冷静にとらえる観察力、さらにそれを表現する抑えた文体。

私がこのブログでめざしている「世界観」というか、「ファンタジー」そのものである。

「好きで戦うか」というエッセイでは、「誰も悪くない」ことに、腹を立てる様子を書いている。

たとえば、飛行機が気流の関係で大きく揺れたとき、後ろの席にいた小さい子どもが、火がついたように泣き出すことがある。

子供は悪くない。では母親が悪いのか?いや、母親も、子供を何とかなだめようと必死である。

「誰も悪くない。誰も悪くないから余計に腹が立つのだ」

普通なら見過ごしてしまいそうなことに気づき、分析し、煩悶する。この人は、何でも気づいてしまい、いったん気づいてしまったことに呪縛される人なのだ。

私もまったく同じである。

「シティボーイズ」の日常を描いた「敵は外にいなかった」「ダメな人の前をメザシを持って移動中」は、きたろう、斉木しげるといった、おかしなキャラクターを、卓越した観察力とシュールな文体で読ませていく。そこはかとなく可笑しい世界観である。

これは、以前私が韓国の語学学校の様子を書いたときにめざしていた文体である。私は、こういう文章をめざしていたのだ。

マルセ太郎の葬式に訪れた時のことを書いた「家などいらんが」も印象的で、その文章構成がやはり、私がこのブログでめざしている文体なのだ。

最近私が読んでいる、浅田次郎、伊集院静、内舘牧子、といった、「エッセイの名手」といわれる作家のエッセイよりも、はるかにしっくりくる。まなざしも思考も文体も、私に最も近いのだ。

「あとがき」の、「私などが物を書いてよいのかの迷いは常にある」という一文は、大竹まことの人間性をあらわしている。

(そうか、俺はやはり大竹まことだったのか…)

しかし残念なことに、このエッセイ集はたぶん、全然売れなかったのだ、と思う。

文庫化されていない、というのが、それを物語る。

一般には受け入れがたいエッセイ集だったようである。

つまりは私の思考も、一般には受け入れがたい、ということなのだろう。

出版社はなぜこの本を文庫化しないのか、理解に苦しむ。

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「さわやか」路線は無理

やっぱり無理無理。

ふだんの「不快なマイナス思考の文章」を反省して、「さわやか路線」に変更しようと思ったが、「さわやか」シリーズは、2回で終了。

出張講義の高校におじゃましたときに感じたのは、実はそんなに「さわやか」なことではない。

校舎の中を歩いていて、急に自分の高校時代のことを思い出したのである。

高1の時から3年間同じクラスだったK田君、という友達がいて、

前にもこのブログで書いたことがあるのだけれど

まあ何でも相談するような間柄だった。

K田君は、背が高く、人望が厚く、クラスの級長もつとめていた。

だが一見飄々としているようにみえて、実はとても思い悩む性格だった。

最初に相談を受けたのは、知り合ったばかりの、高1の1学期のことである。

K田君は、中学時代までずっとバスケ部に所属していた、という。

身長が180㎝以上あったから、中学時代にバスケ部で活躍していたという話は、当然だと思った。

ところが、高校に入学して、激しい運動をすることを医者に止められてしまった、という。

そのことにK田君は思い悩んだ。

「俺、本当は、バスケを続けたいんだ。でも、バスケ部に入ることはできない」

どうすればよいか、ということだった。

「医者に止められているんだったら仕方がない。バスケは趣味で続けるとして、他の部活に入ったらどうだ?」

「うーん。思い浮かばない」

「たとえば、全然人気のない文化系の部活とか…Kちゃんが地味な文化部に入ったら、きっとウケるぜ」

「そうか…。じゃあ、生物部に入る!」

ということで、当時まったく部員のいなかった、「生物部」という部活に入ることになった。

「お前も入部しろよ」

と言われ、K田君が部長、私が部員(もちろん幽霊部員)となった。

ほとんど活動らしい活動はしなかったが、高校の卒業アルバムには、K田君と私が「生物部員」としてしっかりと写っている。

だが「生物部」でどんな活動をしていたか、まったく覚えていない。

まあ、そんな感じで、早弁(2時間目と3時間目の間の休憩時間に弁当を食べてしまうこと)をしながら、K田君といろんな悩みを話し合った。

いま思えば、K田君の方が、私以上に妄想力が強かったのではないだろうか?

いまの私の妄想力は、K田君によって培われたのかも知れない。

あるときK田君は、友達のA君について、私に相談してきた。

A君も、K田君と仲の良い友達だったのだが、どうも最近のA君の言動にはついていけない、というのである。

K田君は、A君の言動と、自分の心の動きを、じつに細かく話した。

…男子高校生だって、そんな人間関係に思い悩むことがあったのだ。女子だけの専売特許ではない。

私は、A君とはそんなに親しい間柄ではなかったが、なんとなく、k田君がA君の言動をそのように受け取る気持ちがわかった。

「ちょっと距離を置いてみたら?」と私は言った。

「そうだな、そうするよ」とK田君は言った。

K田君は、以前のようにA君と親しく話す、ということはしなくなった。

それから少したって、今度は、K田君が私に対して、距離を置くようになった。

早弁の時も、一緒に弁当を食べなくなったりしたのである。

さらには、いっさい口も聞かなくなってしまった。

私も私で、意地になるところがあって、私から話しかける、ということもしなかった。

そんなことが、しばらくの間、続いた。

何が原因なのか、しばらくわからなかったが、大人になって、というか最近になって、その原因が何となくわかった。

私のことだから、たぶんK田君に、親しいことへの気安さから、よかれと思って饒舌に語った言葉が、彼をカチンとさせたりしたのだろう。あるいは、信頼を損ねるような軽口をたたいたのかも知れない。彼はそういうことに、敏感だったのだ。

ちょうどA君がK田君にそのような言動をしたのと同じように、である。

つまりK田君は、A君の言動に対して感じたことと同じようなことを、私にも感じたのではないだろうか。

それで、「ちょっと距離を置いてみたら?」という私のアドバイスを、私に対して実践したのではないか。もしそうだとしたら、まったく皮肉な話である。

いま思えば、私自身も彼に対して配慮すべきだったのだ。

その後、しばらくして、K田君とは何事もなかったように仲直りし、高3の時に、例の「獣医大学受験」という衝撃的な相談を受けることになるのである。

ま、他愛もないといえば他愛もない話なのだが、私はK田君とのあの一件が、大人になったいまでも、何となく尾を引いているような気がする。

無神経な饒筆が災いして、親しい友人を不快にさせているんじゃないだろうか、と、いまでもときどき思うことがあるのだ。

お互い地方に住んでいることもあって、K田君とは、いまでは年賀状のやりとりをするのみである。今年の年賀状には、「昨年、肺炎で3週間入院しました。体に気をつけて下さい」と書いてあった。

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さわやかな高校生たちと会いました!

4月26日(金)

出張講義で、隣県の高校におじゃましました。

バスを乗り継いで2時間半、閑静な住宅街の中にある高校です。

あいにくの雨でしたが、教室で授業するので、天気は関係ありませんね(笑)。

50分授業を2コマ担当して、たくさんの高校2年生に授業を聞いてもらいました。

高校生たちの、キラキラした目が印象的でした。

呼んでいただいた進路指導の先生、ありがとうございました。

めったに隣県に行く機会もないので、訪れたついでに名物料理を食べました!

とても美味しかったです!

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さわやかな季節になりました

さわやかな季節になりましたね。

今年は忙しくて、全然桜の花を見に行く機会がなかったので、せめて職場の桜だけでもと思って、一昨日(4月23日、火曜日)の空いた時間に、職場の桜を見てきました。

ちょうどこの日はお天気もよく、桜の花も満開でした!

絶好のお花見日和だったでしょうね。

来年こそは、お花見に行きたいと思います!

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ひとり飯エレジー

4月25日(木)

今日、ふと思い立った。

最近ひどく鬱状態なのも、饒舌ならぬ饒筆のせいで人間関係をしくじったりしているのも、みんな「ひとり飯」のせいではないか、と。

当地に移り住んで10年以上経つが、そのほとんどを、ひとり飯で過ごしてきた。朝はもちろんだが、昼も夜もである。

ひどいときになると、昼も夜も、コンビニ弁当で済ませたり。最近もまたそうなりつつある。

ひとり飯にはすっかり慣れているつもりでいたが、どうも、そうではないらしい。

今日の昼も、仕事が立て込んでいて、コンビニのおにぎりをほおばっただけである。

(夜もひとり飯か…)

そう考えるとますます鬱になった。こうなるともう、すべての原因をひとり飯のせいにしてしまうようになる。

原稿が書けないのも、「ひとり飯」のせいだ。「食育」という言葉があるが、そのあたりとちゃんと向き合ってこなかったから、規範意識が未成熟な大人になってしまったのだ。

といって、本当に気軽に食事に行けるような知り合いは、ほとんどいない。

そもそもそんなに心を開いていない人に対しては、こっちから食事に誘ったことはないし、食事に誘われたこともない。

たとえ気が合った人でも、ご家族がいたりすると、おいそれと誘うわけにもいかない。

ひとり飯につきあってくれそうな人は…と考えて、まず頭に浮かんだのが、「前の職場」の同僚だったKさんやこぶぎさんだが、何しろ50㎞も離れているので、無理である。あくまで「気軽に食事をする」ということでなければならない。

そうだ、学生か!

しかし私の主義として、こちらから学生を誘って食事に行ったり飲みに行ったりすることは、できないのだ。それに、いまの学生は、私などよりはるかに忙しい。

…とすると、卒業生のT君か。

だがT君は、いま仕事がとても忙しいと聞いている。それに、困ったときにいつもT君を頼るのは、私の悪い癖である。

うーむ。困った。

そこでハタと気づいた。

そうだ!今日は夕方に「丘の上の作業場」で、今年度第1回のボランティア作業があるんだった。

そこに行けば、作業のあとに夕食でも一緒に食べてくれる人がいるかも知れない。

夕方、「丘の上の作業場」に行ったが、今日はいつもより人数が少なかった。

同い年の盟友・Uさんや「丘の上の作業場」のリーダー、Yさんは、ご家族がいるしなあ。

残るは世話人代表のKさんだが、作業が終わったあと、

「このあと私、用事がありますんで」

と、どこかへ行ってしまった。

結局、ひとりで定食屋でカレーを食べて、残っている仕事を片付けるために職場に戻ると、たくさんの学生たちを引き連れた同僚と遭遇した。どこかから戻ってきたような雰囲気である。

「今日は楽しかった~」

といいながら別れていたから、あれは絶対、どこか食事にでも行ってきたんだな。いや、ひょっとすると花見か?

ますます落ち込んだ。

仕方がないので妻に電話でもするか、と思ったが、そういえば妻も、今日は職場の新人さんの歓迎会で焼き肉を食べに行くと言っていた。

こういうときは、どうあがいてもダメである。

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矢野顕子、忌野清志郎を歌う

矢野顕子からのYMO

4月24日(水)

作業仲間のSさんが、「地元で矢野顕子がライブをしますよ」と教えてくれた。Sさんは、矢野顕子の大ファンだそうである。

420130125_news_yano「矢野顕子、忌野清志郎を歌う」

というタイトルのCDが、今年の初めに出た。矢野顕子が、忌野清志郎の曲をカバーしたアルバムである。そのツアーとして、この地元にやってくるのだ。

この機会を逃す手はない。

私にとっては、初めての「生」矢野顕子である。ということで、雨の中、職場から歩いてライブ会場に向かった。

200人ほどが入る小さなホール。舞台の背後にはスクリーン、そして中央にはグランドピアノが置かれていた。

6時半開演。

会場が暗くなると、舞台の後ろのスクリーンに、過去のライブ映像が映し出された。

忌野清志郎と矢野顕子の2人が歌う名曲「ひとつだけ」である。私が動画サイトで何度も見たことのある映像だった。

もうこの時点で、涙腺が緩む。

スクリーンの2人が「ひとつだけ」の1コーラス目を歌い終わったあたりで、「本物の」矢野顕子が舞台に登場した。

ピアノの前に座った矢野顕子は、おもむろにピアノを弾き始める。いつの間にかスクリーンの映像は消え、舞台では「雑踏」という歌がはじまっていた。もちろん、清志郎の曲である。

「会いたい人がいるんだ

どうしようもなく

会いたい人がいるんだ」

まるで忌野清志郎に向かって歌いかけているように思えて、ここで号泣である。

不思議である。

忌野清志郎が紡いだ歌なのに、矢野顕子が歌うと、忌野清志郎に対する思いを歌った歌のように聞こえてしまう。

途中のMCで、矢野顕子はこんなことを言っていた。

「RCサクセションや忌野清志郎のファンなら誰でも知っている歌。

そういう歌は、これからもいろいろな人に歌い継がれるでしょう。

でも、あまり知られていない歌のなかにも、

絶対に絶やしてはいけない歌があります。

私はそういう曲を選びました」

たしかに、矢野顕子がカバーした曲の多くは、誰もが知っている曲というわけではない。

そこにまなざしを向け、これほどまでに思いを込めて歌いあげる矢野顕子にとって、忌野清志郎は、どんな存在だったのだろう?

友情、という陳腐な言葉では、表現できないような、深いところでの信頼関係、とでも言おうか。

スクリーンに映し出された2人のライブ映像を見れば、それがよくわかる。

最後の曲は、「ひとつだけ」だった。この曲をデュエットするなら、忌野清志郎しかいない、と決めていたという。

「離れているときでも わたしのこと

忘れないでいてほしい ねえお願い

悲しい気分の時も わたしのこと

すぐに呼びだしてほしいの ねえお願い」

何度もくり返し歌っていたこの部分は、やはり忌野清志郎に向けて歌っていたのかも知れない、と思った。

私はこの「ひとつだけ」を、「生」で聞けただけでも、もう思い残すことはない。

アンコールで、

「私にとって世界でいちばん優しい歌です」

と前置きして歌ったのが、忌野清志郎の「セラピー」である。

「本当の心は 言い出せずじまい

いつでも感じすぎる 孤独なため息

そんな奴も たまにいるものさ

頭のなかは 大変だろうな

果てしない夜 おびえる靴で

どこまで歩けるか また試してる

そんなに 心配するなよ

頭の外も 大変なだけさ」

最初から最後まで号泣しっぱなしのライブだった。

ライブが終わって外に出ると、雨はあがっていた。

「雨あがりの夜空、だな」

私は夜空に向かって、そうつぶやいた。

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こぢんまり、こじんまり、こじんまる、こぢんまる

どーでもいい話。

たまたま同じ日に2人の友人から来たメールに、

「こぢんまり」

という言葉が入っていた。

ところが、1人の友人のメールは

「こぢんまり」

と書いてあり、もう1人のメールは、

「こじんまり」

と書いてあった。

どっちが正しいんだっけ?

調べてみると、「こぢんまり」が正しい。

しかし、ふつうは「こじんまり」と書いてしまうよなあ、と思い、ハタと気がついた。

「こぢんまり」と書いた友人は、PCからメールを送ってきた。おそらく、「こじんまり」と打つと、ワープロソフトがやかましいくらいに「こぢんまりが正しい表記ですよ!」と教えてくれるのだ。だから間違えることなく「こぢんまり」と書けるのである。

「こじんまり」と書いた友人は、携帯からメールを送ってきた。携帯が「こぢんまりですよ!」と教えてくれることはないので、「こじんまり」のまま、送ってきたのだろう。

…という、ただそれだけの話。超どーでもいい話である。

ちなみに韓国語で「こじんまる」と発音すると、「嘘」の意味。この場合は、「こぢんまる」なのか?「こじんまる」なのか?

これもまた、超どーでもいい話である。

「こぢんまる」は、「こぢんまりとする」という新たな日本語のような気がしてきて、なんか面白い。

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大人こそ読め、ジュニア新書

4月21日(日)

原稿がいきづまると、全然関係のない本が読みたくなる、というのは、いつものことである。

500639江川紹子著『勇気ってなんだろう』(岩波ジュニア新書、2009年)を読み出したら、涙が止まらなくなってしまった。

たぶんいま、心がアレだからだとは思うのだが、それにしても、今年前半期に読んだ本のベスト1かも知れない。

これは、ジャーナリストの江川紹子さんの取材を通して語られた5人、そしてイスラエルの人々の「生き方の記録」である。

アルピニストの野口健さん、元衆議院議員の山本譲司さん、拉致被害者家族のお一人である蓮池透さん、元愛媛県警の警察官である仙波敏郎さん、ボランティア活動家の高遠菜穂子さん、そしてイスラエルの人々。

ここに登場するほとんどの人々は、ある時期、かなりのバッシングを受けた人たちである。

「秘書の名義借り」という罪で実刑判決を受けた山本譲司さんが、その後に歩んだ人生。

拉致被害者の奪還だけを望んできた蓮池透さんにやがて訪れる、心の変化。

誰よりも警察の仕事を愛し、警察の裏金問題を告発した仙波敏郎さんが、組織ぐるみの過酷な「いじめ」を受けながらも、決して警察を辞めなかった生き方。

「自己責任」という言葉で当時の権力者からも罵倒された、高遠菜穂子さんの勇気。

とくに私は、仙波さんの壮絶な人生と、強烈な信念に、思いを致さずにはいられない。

この人たちは、決して、出世したわけでもなければ、多くの人の理解を得られたわけでもない。

しかし誰よりも、自分に向き合い、人間に向き合おうとしている。

取材する江川さんのまなざしは、じつにあたたかい。「こんな文章を書いてみたい」と思わせる、心にスッと入り込む文章である。

この本を読めば、私が日頃いだいている信念なんて、じつにちっぽけなことだということに気づかされる。

まだまだ、やるべきことがあるのだ、ということに気づかされるのだ。

この本は、大人こそが読むべき本である。

この「読みやすい本」すら、手にとらないのだとしたら、いったい何を読むのか?

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四月の雪、しかもリアルな

えー、ただいま、日付変わって、4月21日(日)の午前1時過ぎでございやす。20日(土)の深夜1時と言った方がいいのかな。

今月中に仕上げなければならない4つの原稿のうちの、1つが何とかめどが立ったんで、今日は店じまいということで、仕事部屋のある建物を出たら、ビックリ。

ゆ、ゆ、ゆ、雪が降ってる!

しかもけっこうな勢いで!

もう4月も後半ですよ。

しかも当地は、いまがちょうど桜が満開。

桜の花が満開な時期に、雪なんか降ったっけ?

当地に10年以上住んでいるが、こんなことがあったか、記憶にない。

…ということで、記録にとどめておく。

(追記)

えー、ただいま、4月21日(日)の午前9時半過ぎでございます。

朝起きたらあまりの大雪だったので、慌てて職場に来まして、雪を纏った桜の写真を撮りにまいりました。

今日こそ、絶好の花見日和ですよ!

だって、満開の桜に雪が積もるなんて、生きているうちにそうそうは見られませんぜ。

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上の2枚並べた写真。左は2日前の19日(金)に撮影したもの。右は本日(21日)に撮影したもの。

CGではありません。

(さらに追記)

えー、ただいま21日(日)の夜7時過ぎでございやす。

「前の職場」の元同僚のKさんから、携帯メールが来たので、「雪はどうでしたか?」と返信したところ、仕事部屋の窓から見える写真を送っていただきました。

当地よりも、「前の職場」のある町の方が、雪が降りますからね。

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「写真に撮ると雪山がこぢんまりしてしまって、迫力が伝わらないですね」とKさん。

いやいや、でもわざわざ様子を知らせていただいたのは、ありがたいことです。

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人の上に立つ器

4月20日(土)

おかしいなあ。

子どもの頃は、大人になったら週末のたびにゴルフに行くとか、会社が終わったらスナックに飲みに行くとか、そういう毎日を送るんだろうなあ、とばかり思っていたが、全然そんな感じになっていない!

ゴルフをいままで一度もしたこともなければ、行きつけのスナックがあるわけでもない。

話題といったら、大林映画の話とか手塚漫画の話とか、高校生のころとちっとも変わっていないじゃないか!

…と、またひどく落ち込んだ。

以前、私と同世代のラジオDJが、「最近よく、オレは人の上に立つ器ではない、ということを考えて落ち込むんだ」と前置きして、こんな話をした。

自分の冠番組の収録が終わったあと、収録に参加していた若手芸人たちと打ち上げをしたいと思った。自分以外は、全員後輩である。

しかし、大勢いるので全員を連れて行くわけにもいかない。といって、そういうときの人選を、どのようにしたらよいかわからない。

「飲みに行こうよ!」というときに、「お前とお前とお前、飲みに行こうよ!」と仮に言った場合、「お前とお前とお前」以外の人は、オレのことをどう思うんだろうか?そう思ったら、そんな言い方は、とてもできない。

それが第一波。

結局、人選できずに、「時間ある人、飲みに行こうか」と、全員を飲みに誘うことにする。

そういう言い方をすると、先輩に言われたからといって、後輩たちはほとんど全員が来るわけ。

で、第二波は、「このうち何人が、来たくもないのに来ているんだろう?」とはじまっちゃう。

(うわ、こいつ、もう帰りたいんじゃないかな)

と、飲み食いしている間も、ずーっと思ってしまう。

困ったことに、第三波が来る。夜遅くなってきたころ、

(こいつ、終電大丈夫なのかなあ)

と、後輩のことを心配する。だが、逆に言うと、

「お前、終電大丈夫なのか?」

と、その後輩に聞くことで、

「お前は帰れ」

と言われているんだと、後輩に思われたらどうしようか…。それもかわいそうだよなあ。

といって、

「じゃあお開き」

としてしまっても、「中途半端な時間にお開きにしやがって」と思われたらどうしよう、とか。

いろんなこと考えているうちに訳がわかんなくなって、しまいには

「何お前ら、後輩のくせにオレに気を遣わせてんの?お前ら全員、いなくなればいいのに」

って思っちゃう。

「だからオレは、人の上に立つ器ではないんだよなあ」と、そのラジオDJ。

…この話を読んで、「わかるわかる」と思っただろうか?それとも、「何それ?」と思っただろうか?

ちなみに私は、学生たちと飲みに行くときは、これとまったく同じ心の動きをする。「自意識過剰だ」といわれてしまえば、それまでだが。

たぶん、こういうことをまったく思わない人が、世間で言うところの「人の上に立つ人」なんだろうなあ。そのラジオDJも、そういうことを言いたかったんだろう。

でもどうだい?

「人の上に立つ器」として本当の意味でふさわしいのは、どっちだろう?

考え出すと、またわかんなくなっちゃう。

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雨ふり小僧は見えるか

4月19日(金)

先日、職場の会議で、「憂慮すべき重大なこと」に気づき、発言したところ、その場にいた数十人の誰からも、何の反応もなかった。

(あれえぇぇぇ??オレだけにしか見えないのか??)

私しか問題にしなかったということは、それほどたいした問題じゃないのか?と不安になり、あとで妻に電話で話してみたところ、妻も私と同意見だったので、一安心。

まあこんなことはよくあることなので、今さらどうということはない。

それで思い出した。

手塚治虫先生の短編漫画に、「雨ふり小僧」という作品がある。

田舎の分校に通う中学生の「モウ太」といういじめられっ子の少年がいた。あるとき橋の下で、傘をかぶった妖怪「雨ふり小僧」に出会う。

雨ふり小僧と友達になったモウ太。だが雨ふり小僧は、モウ太にしか見えない。ほかの誰にも、雨ふり小僧は見えないのである。

雨ふり小僧は、どこへでも雨を降らせることができるという、不思議な力を持っている。

こうしてモウ太は、自分にしか見えない雨ふり小僧という友達を得ることになる。

3つの願いを叶えてくれることとひきかえに、モウ太は、雨ふり小僧に長靴をあげることを約束するが、その約束を忘れたまま、遠くの町に引っ越してしまう。

それから40年の月日が流れる。

すっかり立派な大人になったモウ太は、あるとき突然、あのときの約束を思い出す。

長靴を持って急いであの橋の下に駆けつけると、そこにはボロボロになった雨ふり小僧がいた。

「四十年もここで待ってたのかい!?」

「ウン」

雨ふり小僧は長靴を受け取ると、すっかり大人になってしまったモウ太の前から姿を消し、二度と姿を現すことはなかった。

したり顔の大人にも、いじめっ子にも見えないが、モウ太にだけは見える「雨ふり小僧」。

手塚先生にも見えていたんだろうな、と、このごろ思う。

この「雨ふり小僧」は、落語家・立川談志が生涯愛してやまなかった作品でもある。

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絶対に薦められない大林映画

アラフォーのオッサンたちにとって、これは「あるある」ネタなのかどうか、わからないが。

「大林宣彦監督の映画は、他人に薦められない」

大林映画のファンなら、そう思った経験があるのではないだろうか。

私も大林監督の映画のファンなのだが、かといって、他人に薦めたいとは思わない。

事実、妻はまったく理解を示していないし、私も、妻に理解してもらおうとは思っていない。

要は、監督のキャラクターも含めて、あの世界観に浸れるかどうかである。

ギリギリ薦められるものとしては、以前このブログにも書いた「青春デンデケデケデケ」か、「異人たちとの夏」くらいであろう。

あとは、とても薦めることはできない。

私が大林映画の中で個人的にいちばん好きな作品は、

Okasina日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群」

という映画なのだが、この作品こそ、もっともお薦めできない作品である。

三浦友和、永島敏行、南果歩、竹内力、といった豪華メンバーが出演しているこの作品は、もともとは、人気漫画を原作にした商業用映画として企画されたものだった。だが、同時上映を予定していた映画の製作が頓挫したため、この映画も製作中止の事態に追い込まれた。ところが大林監督は、「映画を途中でやめてしまうことは、人の人生を変えてしまうことだ」といって中止にはせず、予算を縮小して、当初のストーリーとはまったく異なる、きわめて個人的な趣味の映画に、作りかえてしまったのである。

当時、ほとんど劇場公開もされなかったのではないだろうか。

これほど、大林監督の個人的な想いがストレートにあらわれた作品は、ほかにないだろう。

この映画に登場する人々はみな、可笑しく、いとおしく、狂おしく、哀しい。

私はある時期、この映画をビデオで何度も見た。

それほど、好きな映画である。

だが、絶対に人に薦めることができないのである。

それが、大林映画の本質なのだ。

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驚きのサリ麺

4月17日(水)

「ひとり暮らしにハモノは危険!」

これは高校時代の後輩で、今は外資系の会社に勤めるエーシマの言葉である。ひとり暮らし歴20年の大ベテラン。

「ハモノ」とは、「刃物」ではなく、「葉物」のことである。

つまり、うっかり葉物を買ってしまうと、食べきる前に傷んでしまうケースが多い。

だから、ひとり暮らしの人間が葉物を買うときには気をつけろ!という意味なのである。

「茹でて冷凍しておいたらいいじゃん」

という意見も当然あるが、まあそれはさておきですよ。

先日うっかり、でっかい白菜を買ってしまった。

仕方がないので、葉物を消費するために、ここのところ、家では毎日ひとりで「唐辛子鍋」をひたすら作って食べる。

韓国で買った「粉唐辛子」と、「ダシダ」(粉のだし)をベースにした鍋料理で、あとはテキトーに葉物を入れたり、豚バラを入れたりするだけである。

ジャガイモも、うっかり放っておくと、芽が出てきてしまう。

2 そういうときは、ジャガイモも放り込む。そうすると、「カムジャタン」みたいな料理になって、これはこれで美味しい。

さて最近、地元にある、輸入物のお酒とか輸入食料品を扱っているYというチェーン店のスーパーに行ってみたところ、そこに「サリ麺」を売っているのを見つけた。

「サリ麺」は、韓国の「鍋用のラーメン」である。

Photo_2 韓国にいたころ、「ブデチゲ」というのを、よく食べた。

「ノルブのブデチゲ」といったらあーた、韓国で暮らしたことのある人ならば知らない人はいない、ブデチゲのチェーン店である。

何?「カムジャタン」も「ブデチゲ」もわからない?

説明するのが面倒なので、自分で調べなさい!

その「ブデチゲ」という鍋によく入れて食べていたのが、この「サリ麺」なのである。

Image1c_l 5袋1セットで売っていたので、さっそく買って、ブデチゲ風の鍋を作ってみた。

懐かしい味だなあ。それに、粉唐辛子のスープの味が「サリ麺」によくからんで、ビックリするほど美味い!

すっかり、やみつきになってしまい、うっかり、さらに5袋買ってしまった!

「サリ麺」は鍋用のインスタントラーメンなので、当然、「粉末スープ」のようなものはついていない。

つまり、「サリ麺」がある限り、鍋料理を食べ続けなければならないのだ!

葉物はだいぶ減ったが、サリ麺は、まだだいぶ残っている。

サリ麺を消費するために、また、葉物を買い足さなければならない。

かくして、葉物とサリ麺の、果てしないイタチごっこが続くのである。

私を殺すのに刃物はいらない。

葉物とサリ麺があればよい。

(写真はすべて資料画像です)

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神様に会いにいく、再び

神様に会いにいく

ナベサダさん

My Dear Life

4月16日(火)

2週間ほど前だったか、卒業生のTくんからメールが来た。

「ナベサダさんが今年もライブをやるそうですよ」

私がナベサダさんのファンであることを知っていたTくんが、わざわざ教えてくれた。ありがたいことである。

昨年と同じ場所で、ナベサダさんがライブをする。

これは行かねばなるまい。

だって私にとっては、神様みたいな存在なのだから。

そして今日がそのライブの日である!

自由席だったので、開場する前から並び、前から2列目を確保した。

夜7時、開演。

最初の曲は…

「TOKYO DATING」だ!

高校生の時、この曲が入っているLPを買った。当時の「帯」のキャッチコピーに、

「男にも女にも、時間にも気分にも、オープンなのが、ナベサダのジャズです!」

と書いてあった。その通りだと思う。それは今も変わらない。

80歳になったナベサダさんのライブは、演奏が進むにつれ、次第に伸びやかになってゆく。

音色も、音量も、アドリブも、ぜんぜん衰えを見せない。

今回はMCがほとんど入らず、1時間40分、ほとんどぶっ続けである。

バンドのメンバーがまた、すばらしい。

小野塚晃さんの才能溢れるピアノは、ナベサダさんの音楽の魅力をさらにパワーアップさせている。まさにナベサダさんの演奏に寄り添うように、変幻自在にピアノを操る。

コモブチキイチロウさんのベースは、抜群の安定感の中にも、豊かな表情を見せてくれる。

石川雅春さんのドラムスと、ンジャセ・ニャンさんのパーカッションの掛け合いには、鳥肌が立った。

何よりメンバーのみなさんが、楽しんで演奏している。

ライブというより、超一流のミュージシャンのスタジオセッションにおじゃました、という感じなのである。

ナベサダさんの演奏を聴いていると、しだいに心が解きほぐされていく。

それは、ナベサダさん自身が、気負っていないからだ、と思う。

気負わずに、どんな人々をも包み込む。

決して押しつけることなく、人々の心を解きほぐす。

それが、ナベサダさんの音楽だと、ライブを見て、そんなことを感じた。

そんな生き方ができたら、どんなにすばらしいだろう。

…うーむ。言葉とは無力である。ナベサダさんのライブの感激を、ぜんぜん伝えることができない。ぜんぜん伝わってないだろうなあ。

「ただ春の夜の夢のごとし」である。

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2つの疑問

世の中、疑問だらけである。そんな話を2つほど。

1.

昨日立ち寄った牧場には、さまざまな「ゆる~い」アトラクションがあって、その中の1つに、

「バンジートランポリン」というものがあった。

ふつうのトランポリンではなく、腰のところに両側からゴムのロープをつけて、飛ぶというもの。

うまくいけば、空中で一回転することもできる。

1人あたり何分かの時間制限で、小さい子どもたちが1人ずつトランポリンに乗って、楽しそうに跳ね回っている。

(楽しそうだなあ、大人もできるのかなあ)

看板を見ると、対象年齢が「8歳~80歳」とある。

ということは、オレも大丈夫か?と思って、その下を見ると、

「制限体重 80㎏以下」

とあって、諦めた。

しかしその看板をよく見ると、もともとその看板には、

「制限体重90㎏以下」

と書いてあって、その「90」の上にマジックで×と書いて、「80」に書き直している。

なぜ、制限体重を10㎏減らしたのか?

いったい何があったのか?というか、どんな「事故」があったのか?

興味は尽きないが、たぶん、答えてくれる人はいないだろう。

2.

地元の駅ナカの喫茶店で原稿を書いていると、右隣の席には、イマドキの若いカップルが向かい合って座っている。

2人とも、「スマホ」をいじりながら、あまり目を合わせることなく、意味のない会話を応酬して笑いあっている。

たぶんこれが、イマドキの若いカップルなんだろうな。

左隣の席には、制服を着た高校生の男女が向かい合って座って、何か喋っている。

女子は、ごくふつうの、かわいらしい高校生。男子の方も、まだあどけなさが残る、「好少年」といった感じの高校生。2人とも、真面目で素直に高校生活を送っている、といった感じである。

最初は気にならなかったのだが、だんだんその2人に釘付けになる。

2人とも、スマホや携帯を出すことなく、基本的には女子の方が一方的にずーっと何かを喋っていて、男子の方はただ、じーっと、その女子の話を真剣に聞いている。男子はたまにその話に相づちを打ったり、コメントを言ったりする程度である。

内容は、ほとんど聞こえないが、どうも人間関係に関する悩み、とか、自分自身の性格に関わる悩み、といったようなものである。といっても、女子がそれを深刻に語っているわけではなく、楽しそうな表情で喋りまくっている。そしてそれを、ただじっと聞いている男子。

(この2人は、いったいどういう関係なのだ?)

ま、他人のことを詮索するなんて、悪趣味もいいところなのだが、人間観察が趣味でもあるので、つい、そういうことを考えてしまう。

同じクラスとか、同じ部活とか、そういう関係なのかもしれない。

だがそれ以上に気になったのは、

(2人はつきあっているのか?)

ということである。

高校時代、そういう経験がいっさいない私には、そのあたりのことがまったくわからない。

悩みとか愚痴をぶっちゃけるのは、相当に心を開いている証拠ともいえるのだが、かといって、2人の会話や態度は、つきあっている、という雰囲気でもない。男子も、ただ単にじーっと話を聞いて、適切なタイミングでコメントを言う、という役割に徹しているのだ。

(お前、すげーいいヤツだな)

いつの間にか私は、その少年を応援していた。

女子は最後の方で、「大学に入ったら~」と、自分の夢を語っていたようだった。

「こんなに喋りすぎたの、久しぶりかも」と女子。

「もう2時間も経ってるね。そろそろ行きますか」と男子。

2人が席を立ち、飲んでいたコーヒーの紙カップをゴミ箱に捨てて、喫茶店を出て行く。

それを目で追っていくと(悪趣味だなあ)、去って行く2人の後ろ姿は、2人の間が微妙に離れていて、その距離からは、つきあっているのかどうかは、判別しがたい。

後ろから追いかけていって、

「おい!君たちはつきあっているのかっ!!」

と聞きたい心境だったが、それをやると完全な変態オヤジになるので、思いとどまった。

果たして2人は、つきあっているのか???

それが2つめの疑問である(長いな)。

ただ、そのとき私が思ったことは、

「青春っていいなあ」

ということと、

「その少年に幸多かれ!」

ということである。

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反省温泉

4月13日(土)

最近、自己嫌悪である。

口を開けば、「妬(ねた)み」「嫉(そね)み」「恨(うら)み」「辛(つら)み」「僻(ひが)み」しか言っていない。

そのために、いろいろな人々にかなり迷惑をかけているんじゃないだろうか。

それに、「てめえ、いい加減にしろ!ふざけんじゃねえ!」と編集者の人に言われている(もちろん、編集者はそんなことは言っていない。私の勝手な妄想である)にもかかわらず、まったく進んでいない原稿も抱えている。

このままではいけない、ということで、深く反省して、温泉で合宿することにした。

鉄道とバスを乗り継いで3時間半。初めて行く温泉である。

鉄道の駅を降りると、温泉に向かう交通手段は、駅前から出る1時間に1本のバスだけである。

深い渓谷の横に見ながらバスは山道を登っていく。やがてその温泉に到着した。

到着したのが4時で、それからすぐに露天風呂に入ると、6時から夕食である。

ビールを飲むと、確実に眠くなってしまうので、アルコールは一切飲まなかった。

だが、夕食の量が思いのほか多かったので、おなかがすでにきつい。

(ちょっと休んでから書くことにしよう)

1時間ほど横になってうとうとしていると、すでに夜の8時半過ぎである。

(いかん、名物の洞窟風呂は、夜10時以降は女性専用になってしまうんだった!いまのうちに入っておかないと!)

慌てて洞窟風呂に向かう。

9時半近くに、部屋に戻った。

(さあ、原稿を書こう)

ようやく原稿を書き始めたが、肝心の資料を持ってこなかったので、なかなかはかどらない。

(これでは、家にいるのと同じではないか…)

メールのチェックをして、返事を書いたりするうちに、すっかり夜更けになり、合宿1日目は終了した。

翌朝(14日)。

朝8時、朝食時間のぎりぎりに起きて、朝食をすませたあと、露天風呂に入ることにする。何しろ、せっかく温泉に来たんだから、翌朝も温泉に入ることは鉄則である。

あっという間にチェックアウトの時間である。

「お世話になりました」

「これからバスで駅にお戻りになるのですか?」と番頭さん。

「ええ」

「じゃあ、途中下車されて、有名な吊り橋をご覧になるといいですよ。それからまたバスに乗って駅に向かうと、途中に大きな牧場があります」

「そういえば、昨日来るときに、バスの中から見えました」

「そこで昼食をとられて、駅に向かうといいでしょう」

「ありがとうございます」

2番頭さんの言われたとおりに、大きな吊り橋のあるバス停で途中下車して、吊り橋を渡る。たしかに、ビックリするくらい大きな吊り橋である。

1時間後にやってきたバスにまた乗り、今度は牧場に向かう。

Photo_2 「ジンギスカン料理」の看板に誘われ、「ラム肉の定食」を食べあと、牧場定番の、ソフトクリームを食べた。

ちょうど、桜の花びらが、桜吹雪のように散っている。

あっという間に午後1時半となり、バスで駅に向かった。

鉄道を乗り継いで、夜、家に戻った。

あらためて思う。

この週末、いったい私は、何を反省したのか?

そして私は、果たしてどこに行ったのか?

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心がときめく研究

4月12日(金)

職場の定例会見に出た。通算5回目である。

式次第を見ると、私の発表は3番目。

2番目は、老練な理科系の同僚の発表である。

基礎研究の結果、何かを発見したらしいが、あまりに中身が難しすぎて、説明を聞いてもまったくわからない。

「これは簡単に言いますとねえ。○○ということです」

と言うが、ぜんぜん簡単ではないのだ。

だが、とても楽しそうに話していることは、伝わる。

最後にその老練な同僚は言った。

「研究にはねえ、『人類に貢献するための研究』と、『心がときめく研究』というのがあるんです。私の研究は、『心がときめく研究』なんです。直接には役に立たないのかも知れないが」

老練な同僚は続ける。

「私は、こういう地道な研究も進められているんだということを知ってもらうことで、この職場に貢献したいと思っています」

聞いていてふいに涙が出てきた。

その老練な同僚が言った言葉は、私自身がすっかり忘れていたことだ!

「心がときめく研究」か。

「誰もがふりむく研究」ばかりが、研究ではない。

誰にふりむかれることがなくとも、「心がときめく研究」をしている人は、強いのだ。

とても印象的だったので、書きとどめておく。

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おろそかには食わんぞ

4月12日(金)

職場の掲示板に、授業料納入のお知らせが貼ってあった。

半期で26万7900円、1年で53万5800円か。

「払う側からすると、あっという間にお金が消えてなくなる、って感じなんですよ」

親として授業料を払った経験のある同僚の言葉。たしかに、表面的には、それで何かを得たわけではないので、「お金が消えてなくなる」という感覚なのだろう。

「そう考えると、おろそかにはできませんねえ」と私。

このとき私が思い出したのは、映画「七人の侍」の一場面(また始まった)。

百姓たちは勘兵衛(志村喬)という侍に、白い飯をたらふく食わせるから、どうか村を野武士から守って欲しい、と懇願する。

「ただ飯を食わすだけではな…。いや、よほどの物好きでないかぎりこれはつとまらぬ」

百姓の依頼に難色を示す勘兵衛。

横で見ていた人足が、たまらず勘兵衛に言う。

「おい、お侍、これを見てくれ!」人足は、白い飯の入った椀を勘兵衛に向ける。「こいつは、お前さんたちの食い分だっ!ところが、この抜け作どもは何食ってると思う?…稗(ひえ)食ってるんだ!自分たちは稗(ひえ)食って、お前さんたちには白い飯食わせてんだっっ!!百姓にしちゃ精一杯なんだっ!何言ってやんでぃ!」

「わかった… もうわめくな」勘兵衛は人足にそう言ったあと、人足から白い飯の椀を受け取り、それを百姓たちに向けて言う。

Photo 「この飯、おろそかには食わんぞ」

かくして勘兵衛は百姓の願いを聞き入れ、命がけの戦いをすることを決心する。

この映画で、いちばんカタルシスを感じる場面である。

たしかにそうだよなあ。1年で53万5800円は、おろそかにできない。

「おろそかには食わんぞ」

この言葉を忘れないようにしないと。

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春の嵐に吠える

4月11日(木)

今日は新学期のオリエンテーションの日である。

昨日から今日にかけて、職場で腹の立つことが2つほどあったのだが、久しぶりに会った学生たちの顔を見たら、かなり救われた。

この仕事を続けていられるのは、このおかげである。

先日、薬をもらいに行った病院の待合室のテレビでたまたま国会中継をやっていて、ある政治家が、

「最近は若者のモラルの低下が著しい」

とか何とか言っていた。

バッカじゃねえの?

モラルが低下しているのは、政治家の方だろ!

世話人代表のKさんとよく話すことなのだが、

「Mさん(つまり私)、もし我々が学生だったときに震災が起きたら、ボランティア活動に行きました?」

「いえ、たぶん行かなかったと思いますよ。学生時代は自分のことしか考えてませんでしたから」

実際、阪神淡路大震災の時に学生だった私は、何もしなかったのである。

「そう考えると、いまの若者たちは、私たちの頃よりもはるかに立派ですよねえ」

政治家たちは、若者たちの、いったいどこを見ているのか?

妻から聞いた話で、私がとても印象に残った話があって、

東野圭吾、という作家が、『手紙』という小説を書いて、直木賞の候補になったことがあった。

この小説は、死刑囚が自分の弟に向けて獄中から書いた手紙をめぐる物語である。その内容は多くの人の感動を呼ぶところとなり、ベストセラーとなり、映画化もされた。

だが、結局この小説で、彼は直木賞は取れなかった。

選考委員の1人であるWという作家は、この小説を、次のように評して、この小説を直木賞にふさわしくないと断じたのである。

「…なによりも不満だったのは「手紙」というタイトルをつけながら、殺人を犯した兄からの手紙が、ほのぼのとしすぎて実感に欠けることである。

私の小説の愛読者にSという死刑囚がいるが、

彼からの便りは「ひたすら女とやりたい」と一点に尽きる。

小説を書く以上、この程度のリアリティは確保しておくべきだろう」

つまり、この小説に登場する死刑囚は、俺の知っている死刑囚とは違い、リアリティに欠ける、というのである。

「ね?ヒドイ話でしょう?」

「これはヒドイねえ」

「このWという作家は、自分自身がその程度のモラルの人間であるってことに気づいていないんだよ。自分の小説の愛読者だというその死刑囚が、作家のWがその程度の人間だということをわかっているから、そういう接し方しかしていないんだってことに、作家のWは気づいていないんだよねえ」

つまり、Wという作家自身が、死刑囚をそういった偏見の目で見ていることを、死刑囚は敏感に感じ取っているから、その作家に対してそういう接し方しかしないのである。

おそらくその政治家も、これに近い偏見をもって若者たちを見つめているのであろうことは、容易に想像できる。

若者が大人の鏡である、というのは、そういうことである。

…何だかわかりにくい話になっちゃったな。話を戻そう。

さて、オリエンテーションが終わってから、4年生のSさんがある用件で私の仕事部屋にやってきた。

Sさんは私の直接の教え子ではないが、私の授業は欠かさずとっている。まじめでひたむきで、責任感のある学生である。教師をめざして勉強しているという。

ひととおり用件が終わり、Sさんが言った。

「あのう、…ずっと気になっていたんですけれど」

「何です?」

「先生たちが毎週続けておられるボランティア、…私も来週参加してもいいでしょうか?」

「もちろんですとも」

「ずっと参加したいと思っていたんですけれど、いままでなかなか機会がなくって…。ようやく時間の調整がつきそうなので」

「ぜひ来てください」

そうか。あらためて気づく。

そうした活動に参加したくても、なかなかその一歩が踏み出せなかったり、その機会を逃したりする若者たちが、まだまだたくさんいるのかも知れない。

そうした若者たちの肩をたたき、背中を押すのが、大人たちの仕事ではないだろうか?

そして、若者にとって一番必要なもの。

それは、「居場所」である。

若者たちの居場所を奪うようなことがあってはならない。

大人たちは、若者たち(学生たち、子どもたち)の居場所を確保するために、全力を尽くさなければならない。

それが、オジサンオバサンの使命である。

…今日はちょっと変なテンションだな。きっと、春の嵐のせいだ。

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映画の中で口ずさまれる歌

黒澤明監督の映画「酔いどれ天使」(1948年)は、初期の代表作である。三船敏郎を黒澤作品に初めて起用した映画としても知られる。

この映画の中で何度か、志村喬演じる反骨の貧乏医師・真田が「港の見える丘」という歌を口ずさむ。1947年に平野愛子のデビュー曲としてリリースされたこの曲は、戦後最初のヒット曲であるといわれる。つまり映画が撮影された当時のヒット曲である。

このほかに、志村喬が劇中で口ずさむ歌が、もう1曲ある。居間で酒を飲みながら口ずさむ歌である。

「じいさん さ~け飲んで よ~っぱらって こ~ろんだ ばあさん そ~れ見て びっくりし~て…♪」

するとそこにばあさんがあらわれて、

「ビックリなんかしてないよ!」

と言う。

この歌、どこかで聴いたことがあるなあ、と記憶をたどったら、映画「男はつらいよ 知床慕情」(1987年)の中で、寅次郎(渥美清)が、三船敏郎演じる知床の老獣医の家で酒を飲み、箸を指揮棒のように振りながら、

「じいさん さ~け飲んで よ~っぱらって 死んじゃった ばあさん そ~れ見て びっくらし~て 死んじゃった♪」

と歌っていたことを思い出した。

この映画を見たとき、渥美清の歌い方がとても可笑しくて、それ以来、この歌が頭の中にこびりついて離れなくなったのだ。

この歌は何という歌なのか?

インターネットで調べれば簡単にわかることだが、ドイツの歌劇「マルタ」の中の第1幕で歌われる「農民たちの合唱」という歌を、戦前に「エノケン」こと榎本健一が「浅草オペラ」で替え歌として歌ったものだという。それが、戦前の東京の子どもたちの間で、大流行したそうなのである。

戦後すぐに公開された1948年の「酔いどれ天使」で、志村喬が歌った当時は、誰もが知っている有名な替え歌だったのだろう。

だが驚くべきことは、それから40年たった、1987年の映画「男はつらいよ 知床慕情」でも、同じ歌が口ずさまれているという事実である。

しかしこれも、よく考えれば驚くには値しない。

1928年に生まれた渥美清は、当然、この歌をリアルタイムで知っていたはずである。しかも、「浅草オペラ」でエノケンが歌っていた歌である。渥美清が、ついアドリブで、口をついて出た歌だと考えて不思議ではないのである。

もう一つ、因縁深いのは、渥美清がこの歌を、三船敏郎の前で歌っているということである。「酔いどれ天使」で黒澤作品にデビューした、三船の前で、である。

はたして渥美清は、映画「酔いどれ天使」を意識して、三船敏郎の前でこの歌を歌ってみせたのであろうか?

いささか、妄想にすぎる仮説かも知れない。

しかしここにもまた、映画をめぐる不思議な因縁を、感じずにはいられない。

…とここまで書いて、「DVDマガジン 男はつらいよ 知床慕情」(2011年刊行)の付録の解説を念のため調べてみたら、

「「爺さん酒飲んで酔っぱらって死んじゃった」と、黒澤明監督・三船敏郎主演作の「酔いどれ天使」(48年)で、熱血漢の医師を演じた志村喬が酔っぱらって歌っていた。原曲はドイツのオペラ作曲家フロトーの歌劇「マルタ」の第1幕第4場に歌詞をつけたもの。寅さんが順吉(三船敏郎)の家で箸を振りながら歌っている」

と書いてあった。なあんだ。有名な話だったのね。ただ、ここまでの妄想は書かれていない。

いずれにしても、この歌を口ずさんでいる映画が、この2作品しかない、というのがやはり興味深い。

せっかく書いたので、消さずに残しておく。

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見ず知らずの人のために戦う

前にも少し紹介したことがあるが、三谷幸喜脚本のテレビドラマに、『合い言葉は勇気』(2000年)という作品がある。

東京の西隣の県にある、のどかな村に、ある大企業が産廃処理場を建設することを計画する。村の人たちは、村の自然が破壊されることに反対し、建設差し止めの訴訟を起こそうとする。

村の青年(香取慎吾)は、東京に行って弁護士を探すが、弁護士たちは、大企業を相手にたたかうことに尻込みし、誰も引き受けようとはしない。

うちひしがれた青年は、あるとき、弁護士の役を演じていた売れない役者、暁仁太郎(役所広司)の姿をテレビで目にし、青年は、この役者を弁護士ということにして、村に連れてきてしまう。ひょんなことから弁護士のふりをすることになった仁太郎は、村の人たちとふれあっていく中で、大企業と法廷で争う決意をする。…そんな内容である。

民事裁判をテーマにした、とても地味なドラマだったが(視聴率も悪かった)、三谷作品の中でも、最高傑作の部類に入るのではないだろうか。

それに、法律に疎い私も、このドラマを見て、民事裁判とはどういうものかを、勉強したものだった。

このドラマのシナリオが文庫本になっていて、今でも読めるのであるが、興味深いのは、作者自身が書いた「まえがき」である。

この中で、プロデューサーから「感動できる話にしてください」とだけ注文をつけられた作者が、「自分にとって感動できる話とはどういうものだろう?」と考えたあげく、これまで見た映画や小説をふり返り、次の4つの要素が盛り込まれている話が、自分にとって感動する話だった、としている。

・ニセモノが本物以上に活躍する話。

・自分とは関係ない人たちのために命を賭ける話。

・仲間を集めていく話。

・知恵くらべ -できれば法廷が望ましい。

そしてこの4つの要素を1つにまとめてできあがったのが、「合い言葉は勇気」であった、と述懐している。

さて、お気づきと思うが、この4つの要素を満たす映画は、いうまでもなく、「七人の侍」である!(また始まった)。

三谷幸喜自身はそうは書いていないが、このドラマは明らかに映画「七人の侍」を意識して書かれたものなのだ。

「ニセモノが本物以上に活躍する」、これは三船敏郎が演じた菊千代そのものである。農民出身でありながら、侍のふりをして、侍以上の活躍をする菊千代。つまりドラマの暁仁太郎は、菊千代なのだ。

「仲間を集めていく話」、これは「七人の侍」の前半の見せ場である。

「知恵くらべ」、これは、映画の後半で、侍が知恵を絞りながらいくさをする、という場面にあたる。

そして最も重要なのは、

「自分とは関係ない人たちのために命を賭ける」。

これこそが、「七人の侍」の全体を貫くテーマである。

ひょんなことから、行きがかり上、百姓の村を守る羽目になってしまった七人。

同じように、縁もゆかりもない村に連れてこられて、大企業を相手に裁判でたたかうことになってしまったニセ弁護士・暁仁太郎。

暁仁太郎は、縁もゆかりもない村の人たちと、次第に心を通わせ、やがて、自分のことのようにその村を思うようになる。

最終回、最後の裁判で、仁太郎が、原告代理人の弁護士(杉浦直樹)の「代理」で、最終弁論を読み上げる羽目になる。

「…人はみんな、生まれ故郷を持っています。誰にでもお袋がいて、親父がいて、誰にでも名前があるように、みんな、生まれた場所がある。それは一生つきまとうもんだ。だからこそ俺たちは、それを守る権利がある。子どもの頃に遊んだ山を、川を、池を…。この裁判はこの村だけの問題じゃない。人間の本質の部分を、根っこの部分を守る戦いなんだ。だから、それを踏みにじる奴らを俺は許せない。どんな人間にも生きる権利がある。どんな人間にも故郷を守る権利が。だから俺は戦った。そして、これからも。…確かにこの村は、俺の村じゃない。…でも、この村に住む奴らは、俺と何も変わらない。だから俺は…。だめだ、言葉が出てこねえや。だって何も書いてねえんだもんなあ」

白紙のノートを突然渡された仁太郎が、自分の言葉で述べた最終弁論。

「この村に住む奴らは、俺と何も変わらない」

「自分とは関係のない人たちのために命を賭ける」ことの意味が、ここで初めて明らかにされる。

「自分とは関係ない人たちのために戦う」とは、「自分と何一つ変わらない人たちの存在」に気づくことなのだ。

作詞家・阿久悠は、

「ひとりひとりが思うことは 愛する人のためだけでいい」

と歌に書いたが、愛する人のために戦うことの尊さは、誰でも容易に気づくことである。

「見ず知らずの人のために戦う」ことが、時にはそれ以上に尊いこともあるような気がする。

震災以降、漠然と感じてきたことである。

さてその後、「自分とは関係ない人たち」のために戦った人たちはどうなったか?

野武士との戦いでは、七人の侍のうち、三人だけが生き残った。勘兵衛は

「勝ったのは百姓たちだ。わしたちではない」

と、結局いつもと同じ「負け戦だった」と述懐する。

暁仁太郎は、裁判で村が勝訴したあと、東京に戻って、今まで通り売れない役者を続ける。

結局、何も変わることのない生活に戻るのである。

「見ず知らずの人のために戦う」とは、そういうものなのだろう、と思う。

今年度も、見ず知らずの人のために、自分のできる範囲で頑張ろう。

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ジェットストリームの勝ち組感

4月8日(月)

ここしばらく、また「憂鬱モード」に入ってしまった。

最近、いちばんテンションが上がったことといえば、次のようなことである。

先日、職場の宴会の出欠を問い合わせる書類が来ていたので、「欠席」に○をしようと、職場の共用スペースに置いてあったボールペンを使って書いたところ、そのボールペンがビックリするくらい書きやすかった。

あまりに書きやすいので驚いていると、たまたま近くにいた同僚が言った。

「あ、これは三菱のジェットストリームですね。しかも4色だ」

「へえ、そうですか。ビックリするくらい書きやすいですよ」

「そうでしょう。書きやすさは有名ですからね。…それにしても、4色というのは珍しいなあ。しかも、シャーペンの機能もついているんですよ。ここをこうすると、ほら」

「ほう、なるほど」

「これ、けっこう高価ですよ。よく共用スペースなんかに置いているなあ」

その同僚は車に詳しいだけでなく、ボールペンにも詳しいとは知らなかった。

そういえば思い出した。

以前、「消せるボールペン」を買ったときに、一瞬、テンションが上がったのだが、そのあとすぐに、何ともいえない「敗北感」にさいなまれて、それ以降、「消せるボールペン」を使うのを、ぱったりとやめてしまった。そのときの心情については、以前に書いたことがある

そのときこぶぎさんから、ジェットストリームの1ミリのボールペンがいい、というコメントが来て、すぐに買ってきて仕事用に使ったのだった。そのときもたしかに使いやすいと感じた。

ちょうどまた、ボールペンが必要な仕事が新たにはじまった。やはりここはジェットストリームに登場願わねばなるまい。

ただし今度は、1ミリではなく、0.5ミリのボールペンが必要になった。

急いで0.5ミリのジェットストリーム買いに行き、使ってみると、やはり書きやすい!

ボールペンが書きやすいと、仕事がはかどるような気がするなあ。

もう、「消せるボールペン」なんて使わないぞ。これからは、ジェットストリームである。

…ま、これが、最近でいちばん、私の中でテンションが上がった出来事である。

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ホテルものにハズレなし

覚えてますかねえ。

ちょっと前に、浅田次郎の「面白そうな小説」を紹介されたんだが、あまりにも漠然としていて何の小説かわからなかった、というお話。

あれが少し波紋を呼んだようで、気になって推理してくれた人が何人かいました。

ある人は、

「その本は、『プリズンホテル』じゃないでしょうか?」

と推理してくれたが、いやいや、ブログにも書いたように、あくまで『プリズンホテル』みたいなテイストの小説であって、『プリズンホテル』そのものではない。

またある人は、

「書店で平積みされていたということは、『一路』という最新刊ではないでしょうか。参勤交代をテーマにした小説ですが、上下巻ですし」

と推理してくれたが、テイストがちょっと違うし、何より最新刊なので文庫本がまだ出ていない、というところが、条件とは異なる。

極めつけはこぶぎさんである。

先日の「ガスト会議」でも議題に上がり、ふだん小説をまったく読まないこぶぎさんが、インターネットを駆使して推理してくれた。

おかげで、浅田次郎のたいていの小説は、タイトルを聞いただけであらすじがわかるようになったという。

そもそもこぶぎさんは、このブログにコメントを書くたびに、新たな分野を開拓する。「泣ける映画」について書いたときには、「泣ける映画」を懐石料理風に紹介する内容のコメントを書くことを思いついちゃったために、「懐石料理」に関して一定の知識をものにしたし、いまは、コメントを落語風に書くために、落語を猛烈に勉強している。

さて、そのこぶぎさんが「ガスト会議」の席で、たしかこう言った。

「まさか、『きんぴか』じゃないよねえ。あんな有名な小説を知らないはずはないだろうしねえ」

そのまさかですよ。たぶん、正解は『きんぴか』です。

といっても、正解を確かめたわけではないのでわからないのだが、たぶん、『きんぴか』で間違いないと思う。

袖すり合うも多生の縁、というから、試しに『きんぴか』を読んでみることにした。ついでに、実はまだ読んだことのない『プリズンホテル』も読んでみることにした。

「浅田次郎って、なんかあざといよねえ」とは、妻の弁。妻の鑑識眼を信じる私からすれば、それはそうだろう、と思う。だがその「あざとさ」は嫌いではない。浅田次郎が希代のストーリーテラーであり、人情話の名手であることは、認めざるを得ないのだ。

たしかに読んでみると、『きんぴか』も『プリズンホテル』も、「笑いと涙の群像劇」、という点で、同じテイストである。しかも悔しいことに、私好みのテイストである。

『プリズンホテル』を読んで思ったのは、

「ホテルものにハズレなし」

ということである。

というか私は、「ホテルもの」が好きなのだ。

日本だと「高原へいらっしゃい」、韓国だと「ホテリアー」。

これらの「ホテルもの」を見て、それに『プリズンホテル』を読んで、「ホテルもの」を面白くするために欠かせない条件があることに気づいた。

1.単なるホテルのドラマではなく、「ホテルを再建する」ことがテーマになっていること。

ドラマ「高原へいらっしゃい」も、「ホテリアー」も、まさにホテルを再建する話である。『プリズンホテル』も言ってみれば、やくざがホテルを再建する話である。

2.総支配人が、異端児だが誠実、といったような、クセのある人物であること。

「高原へいらっしゃい」の田宮二郎、「ホテリアー」のキム・スンウは、まさにそんな感じだった。『プリズンホテル』の花沢も、そんな人物である。

3.料理長もワケアリの人物だが、その腕は超一流であること。

「高原へいらっしゃい」の益田喜頓は、料理の腕は超一流だが、一流ホテルの経営方針と合わずにケンカばかりしている伝説のシェフ。『プリズンホテル』の服部料理長も料理の腕は一流である。

どうも、この3つの条件が、「ホテルもの」を面白くするために必要なようだ。

逆に言えば、この3つのセオリーで「ホテルもの」の小説や映画を作れば、面白いこと間違いなし!である。

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コートはいらない

4月5日(金)

4月に入ってから、コートを着ていない。

北国にも、ようやく春が来たようである。

「コートはいらない」というフレーズが、ユーミンの「返事はいらない」みたいで気に入ったので、タイトルにつけてみた。春らしいタイトルでしょう?

新年度を迎えて、私の周りもいろいろな人たちが、新しい生活をはじめた。そして最初の週末を迎える。

夕方、この3月に卒業したばかりのCさんからメールが来た。

この5日間の研修が終わり、配属先が決まったらしい。

メールにはこんなことが書いてあった。

「慣れないことばかりで気疲れする毎日ですが、先生が以前おっしゃっていた、

『新人は《こんなもんか》という気持ちでいるくらいがちょうどいい』

というお言葉を常にそばにおいて、気楽に前向きに真面目に仕事に向き合っていきたいと思います!」

はて?

「新人は《こんなもんか》という気持ちでいるくらいがちょうどいい」なんて、オレ、言ったっけ?

…覚えていない。

同じようなことは以前にもあって、ずいぶん前のことだが、卒業生からやはり、こんなメッセージをもらったことがある。

「卒論発表会の後の追いコンで、私が『質問に答えられなかったのが悔しいです』といったときに、『悔しいと思うくらいがちょうどいいんですよ』と言ってくださったことで、私の4年間がすべてすくわれた気がします」

はて?

「悔しいと思うくらいがちょうどいいんですよ」なんて、オレ、言ったっけ?

これも全然覚えていなかった。

どうやら私は、「……するくらいがちょうどよい」というのが口癖のようだ。

ただ、私の座右の銘は、映画「七人の侍」の中に出てくる

「おのれのことばかり考える奴は、おのれをも滅ぼす奴じゃ!」

という勘兵衛のセリフと、同じく映画「七人の侍」に出てくる

「話すというのはいいものでな、どんな苦しいことでも話をすると少しは楽になる」

という平八のセリフなんだけどなあ(また始まった)。

こういう言葉はよく覚えているのだが、自分の言った言葉は、いっさい覚えていないのだ。

また忘れそうなので、ここに書きとどめておく。

さて、Cさんからのメールには、追伸が添えられていた。

「4月1日に早速とんでもないミスをしてしまいました。

なんと、スーツの上着を忘れて出社してしまったんです!!

自分でも信じられません…。

職員の方は笑って許してくれましたが、

でも、これで同期にもすぐ名前を覚えてもらったのよかったのかな?とも思います(笑)いや、良くないですよね!!

この詰めの甘い性格直したいです…」

スーツの上着を忘れたって、どういうことだ???

コートは着ていたけれど、スーツの上着を着てこなかったということか??

「コートはいらない」が、スーツの上着はいるだろうに。

新しい門出を迎える人たちに、幸あれ!

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ルサンチマン

映画「サニー」版「七人の侍」というのを考えたが、こうなるともうナンダカワカラナイので、妄想はいったんこれくらいにして。

 

「居心地の悪い飲み会」というのがある。

 

正確に言えば、その飲み会自体が決して悪いわけではなく、「オレの性に合わない」という飲み会のことである。

 

それで急に思い出したんだが。

 

ずいぶん前に、同世代の「新進気鋭」といわれる人たちが集まる飲み会に誘われて参加したことがある。

 

その頃は、そういう人間関係を築くのも大人として必要、なんて思っちゃったんでしょうな。

 

最初は、その「新進気鋭」の人たちの会話に必死でついていこうと頑張ったんだが、所詮こっちは愚鈍な人間なので、ついていけるはずもない。

 

そのうち、AさんとBさんの会話が、私の目の前でくり広げられた。

 

「Bさんって、ルサンチマンでしょう?」

 

「そんなことありませんよ」

 

「いや、絶対そうだよ。Bさんはねえ、ルサンチマンなんだよ」

 

「そうですかあ?」

 

Bさんはまんざらでもない、という顔をした。

 

「ボクにはわかりますよ。Bさんの根底にはね、ルサンチマンの血が流れているんだよ」

 

「そうですかねえ、Aさんこそルサンチマンじゃないですか」

 

「ええぇ?ボクは違いますよ~」

 

Aさんもまた、まんざらでもないという顔をした。

 

(こいつら、いったい何言ってんだ?)

 

いまなら、

 

「しゃらくせえ!」

 

とか、

 

「いけすかねえ!」

 

とか、素直に思うところだが、当時はその会話を聞いて、なんとなく心がざらざらして、その場の居心地がとても悪くなったのだ。

 

この居心地の悪さは何だ?といまになって考えてみると、Bさんは、私の見たところ、全然「ルサンチマン」ではなかったからだ!

 

正確に言えば、表向きは「ルサンチマン」のポーズをとりながら、実は強者の論理に生きる人だったのだ。それが、私の心をなんとなくざらざらにしていたのである。

 

Bさんのことを「ルサンチマン」と言ったAさんも、その言い方が、なんか「上から目線」だし、とにかく、AさんとBさんの「ルサンチマンの安売り」みたいな言葉の応酬が、いけすかなくて、居たたまれなかったのである。

 

というか、Aさんは覚えたての「ルサンチマン」という言葉を、たんに使ってみたかっただけなんじゃないだろうか?ダウンタウン風に言えば、「おまえ、『ルサンチマン』って言いたいだけちゃうの?」

 

「ルサンチマン」なんて言葉を使いながらも、会話じたいが幼稚に思えたのは、そのせいかもしれない。

 

幸いにして、というべきか、AさんともBさんともお会いすることはなくなり、そんな「いけすかねえ」会話を聞くこともなくなった。

 

ところでAさんとBさんは、いまでも「ルサンチマン」なのだろうか?

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韓国バラエティ版!「七人の侍」

(さらに妄想は、歯止めがきかなくなる)

韓国映画業界のみなさん!

前回提案した韓国版「七人の侍」は、出演者が豪華すぎて、製作費がかかりすぎますかな?

では、こんな「七人の侍」はどうでしょうか。題して「韓国バラエティ版!『七人の侍』」。

話は簡単です。KBSの人気バラエティ番組「1泊2日」の出演者をキャスティングするというものです。

「1泊2日」は、アラサー、アラフォーのおっさんタレントたちが、韓国内の各地を1泊2日で、ミッションをクリアしながら旅をしていくという人気バラエティ番組です。

何と都合のよいことに、出演者は7人!この7人を当てはめていけばよいのです。

まずリーダーの勘兵衛。もちろん、勘兵衛はこの人しかいません!

勘兵衛(志村喬)…キム・スンウ

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メンバー最年長のキム・スンウ。韓国を代表する俳優ですね。ドラマ「アイリス」における演技は本当にかっこよかった!硬軟をバランスよく使い分ける人間性は、俳優だけでなくバラエティ番組でも力を発揮しています。私と同い年のおっさんのなかで、私が最もあこがれているおっさんです。

続いて、参謀役の五郎兵衛ですが、これもこの人しかいません!

五郎兵衛(稲葉義男)…イ・スグン

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韓国お笑い界には欠かすことのできないイ・スグン。彼は番組の中で、リーダーであるキム・スンウの参謀として、絶大の信頼を得ています。まさに五郎兵衛を地でいくような人です。

一番若い勝四郎は、当然この人です。

勝四郎(木村功)…チュオン

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メンバー最年少のチュオンは、若手俳優として注目を集めていますね。

続きまして、ムードメーカーの平八!これはもう、この人しかいませんね。

平八(千秋実)…チャ・テヒョン

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映画「猟奇的彼女」「過速スキャンダル」など、コメディ映画には欠かせない俳優ですね。彼の軽やかな芝居は、まさに平八そのものです。

孤高の求道者・久蔵は、この人でしょう。

久蔵(宮口精二)…ソン・シギョン

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寡黙なバラード歌手のソン・シギョンには、どこか求道者の趣があります。

勘兵衛に忠誠を尽くしている律儀な七郎次の役は、この人しかいません。

七郎次(加東大介)…キム・ジョンミン

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歌手のキム・ジョンミンは、「1泊2日」ではちょっと間抜けなキャラクターを演じていますが、律儀で義理堅い性格は、画面から伝わってきます。

となると…、菊千代は…?

そう、もうこの人しかいません!

菊千代(三船敏郎)…オム・テウン

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あふれ出るエネルギー、農民出身の悲哀、といった菊千代のアクション性と人間性を演じることができるのは、いまや韓国を代表する俳優であるオム・テウンしかいません!

いかがでしょうか。前回よりはいくぶん製作費を抑えられるでしょう?

これ、韓国で絶対ヒットすると思うんだけどなあ。

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改訂!韓国版「七人の侍」

こぶぎさんにコメントをいただき、韓国版「七人の侍」のキャスティングを再検討することにしました。

まず、以下のキャスティングは、前回考えたのと同じです。異論のないところでしょう。

島田勘兵衛(志村喬)…アン・ソンギ

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菊千代(三船敏郎)…イ・ビョンホン

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平八(千秋実)…ソン・ガンホ

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久蔵(宮口精二)…ソル・ギョング

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七郎次(加東大介)…ユン・ジェムン

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こぶぎさんが指摘するように、ユン・ジェムンは、ほかの出演者にくらべるとやや地味ですが、七郎次にはうってつけの俳優だと思います。あと、個人的に好きな役者だし。

さて、問題は次からです。

勝四郎と五郎兵衛は、たしかに、差しかえる必要があると感じました。なかでも、こぶぎさんの推すチョ・インソンは、まさに卓見と言うべきでしょう!

勝四郎(木村功)…チョ・インソン

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若くて理想に燃えていて剣の道にあこがれる一方で、農民の娘に対する恋心をおさえられない勝四郎の役どころは、チョ・インソンをおいてほかにはありません!

さて、最後まで頭を悩ませたのが、五郎兵衛です。

地味な役どころですが、温厚な参謀役として、安定感を与える人物です。ソン・ジルだと、こぶぎさんの指摘するように、ほかの共演者とのバランスが取れないかなあ、と思い直し、差しかえることにしました。

候補は、次の3人です。

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右上はコ・チャンソクです。映画「映画は映画だ」の映画監督役、映画「義兄弟」のベトナム人役など、脇役として強烈な個性を発揮しています。抜群の安定感を誇りますが、どうしてもコミカルな感じにみえてしまう点は、五郎兵衛のイメージとはやや異なります。

左下はリュ・スンヨン(スンニョン)です。映画「王になった男」では王(イ・ビョンホン)の側近役をつとめていました。いまや引っ張りだこの役者です。

右下はイ・ウォンジョンです。KBSドラマ「海神(ヘシン)」で、チャン・ボゴの剣術の指南役を演じていたのが、とても印象的でした。やはり抜群の安定感を誇る役者です。

さて、この中から私が選んだのは…

五郎兵衛(稲葉義男)…リュ・スンヨン

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イ・ウォンジョンも捨てがたかったのですが、今が旬の役者であることと、私のイチ押しの役者であることから、リュ・スンヨンを投入することにしました。

さて、次は女優です。

「七人の侍」には、「志乃」という農民の娘が出てきます。女性であることを侍たちに知られないために男装するのですが、やがて勝四郎に知られ、若き勝四郎は志乃に恋をするのです。

こぶぎさんの指摘するとおり、この役は、ハ・ジウォン先生をおいてほかにないでしょう。

志乃(津島恵子)…ハ・ジウォン

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さて、こぶぎさんがキャスティングを熱望するオム・テウンですが…。

ふさわしい役がありました!

土屋嘉男が演じた農民・利吉です!

野武士に自分の妻を殺された悲しみや、野武士に対して炎のように燃えたぎる復讐心は、オム・テウンが演じてこそ輝くものです。

利吉(土屋嘉男)…オム・テウン

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いかがでしょうか。 このキャスティングが実現すれば、韓国での大ヒットは間違いありません!

監督は…もちろん、ポン・ジュノ監督です!

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韓国版「七人の侍」・妄想篇

イ・ビョンホンは芸達者である。

D4137420d71f7c9dd8 映画「王になった男」を見て、あらためてそう思った。

重厚な演技からコミカルな演技に至るまで、実に巧い。

ふと思った。

映画「七人の侍」を韓国の俳優でリメイクするとしたら、三船敏郎が演じた菊千代は、間違いなくイ・ビョンホンだな。

また始まった。例の妄想が。

ということで、韓国版「七人の侍」を考えてみた。

島田勘兵衛(志村喬)…アン・ソンギ

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菊千代(三船敏郎)…イ・ビョンホン

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岡本勝四郎(木村功)…チュオン

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片山五郎兵衛(稲葉義男)…ソン・ジル

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七郎次(加東大介)…ユン・ジェムン

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林田平八(千秋実)…ソン・ガンホ

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久蔵(宮口精二)…ソル・ギョング

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ちょっと解説。

勘兵衛=アン・ソンギは、志村喬のイメージとはちょっと違うかも知れないが、「華麗なる休暇」(邦題は「光州5・18」)では、勘兵衛のような役どころを演じていた。

勝四郎は、勘兵衛に憧れる、若くてひ弱な役どころだが、韓国の若手俳優がまったくわからず、KBSのバラエティ番組「1泊2日」に出演しているチュオンくらいしか知らないので、とりあえずあげてみた。

五郎兵衛は温厚な参謀役、七郎次は寡黙で忠実な人間というイメージから、選んでみた。

平八は、7人の中のムードメーカー。ソン・ガンホを平八にするのは贅沢なキャスティングだが、あの飄々とした感じは、ソン・ガンホ以外にはあり得ない。ソン・ドンイルだと、ちょっとギラギラしすぎる。

久蔵は剣の道を究める達人。ルパン三世でいえば五右衛門である。ソル・ギョングはまさに適役である。

…ということで、まったくワカラナイ話でございました。

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嵐のようなあいつ

3月30日(土)

「今日は、ちょっと遅れてエーシマが来ますよ」

「へえ、エーシマが来るのか!」

エーシマは、高校時代のブラスバンド部の1学年下の後輩で、同じ楽器パートだった女子である。大学卒業後は外資系の企業に就職し、いまは北関東にある工場に配属されている。

エーシマは、個性的で、やかましくて、おもしろいやつである。3年に一度くらい、ふらりと飲み会に姿を見せる。前回会ったのが2010年の5月だったから、やはり3年ぶりくらいである。連絡先もわからないので、ふだんは連絡を交わしたこともない。

遅れてやってきたエーシマは、私の隣に座ったかと思うと、「久しぶり」と声をかけるまもなく、まくし立てるように話しはじめた。といっても、「ガールズトーク」的な話とは、正反対の話である。

「職場では英語しか使ってはいけないので、タイヘンですよ」

「高校時代は、英語そんなに得意じゃなかったのにな。語学で必要なのは?」

「もちろん、『ガッツ』です!」

そこからひとしきり、語学の上達法の話になる。

「いまでもアルフィーとボンジョヴィのコンサートには行ってるんだろ?」

「当然です。こんどの7月も、ボンジョヴィのコンサートのためにボストンに行くんですよ。1枚400ドルのチケットですよ!」

外資系の企業に勤め、独身貴族を謳歌しているエーシマだからこそできることである。

「先輩、いまだに妄想癖が強いんでしょう?」

「よくわかってるなあ」

「そりゃあ、むかしからそうでしたやん」

本当の友達とは、何十年ぶりに会っても、昨日の話の続きのように話のできるような人のことだ、とある人は言ったが、まさにそんな感じである。

「最近見た映画は?」

「『レ・ミゼラブル』ですよ」

「あれ、見たか?」

「当然ですよ」

ほかの連中が「見てない」というと、

「絶対見た方がいいって!」とエーシマが力説する。

「そうだよな。絶対見るべきだよな」と私。「ちなみに、いちばんよかったのは?」

エポニーヌですよ」

「やっぱりエポニーヌだよな!」

ほんと、久しぶりに会ったとは思えないほど、すがすがしい会話である。

夜10時。一次会が終了した。

「これから北関東まで帰らなきゃいけないんで、これで」

コーラしか飲んでいないのに、エーシマのテンションは、最初から最後まで高校時代と同じだった。

嵐のようにやってきて、嵐のように去っていく。

エーシマの生き方のスタイルは、高校時代から変わっていない。

「不思議だよなあ」

「ミヤモトさんサミット」の議長ことSが、走り去るエーシマの後ろ姿を見ながらつぶやく。

「あいつ、高校時代から、顔かたちがまったく変わってないんだよなあ」

「そうだな。あんなに高校時代のままってやつも、めずらしい」

これは、エーシマに関する、最大の謎である。

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いよっ!アベック!

3月30日(土)

高校時代のブラスバンド部の飲み会に、結局参加することにした。

場所は新宿の高層ビル街にあるビルの29階にある、少しこじゃれたお店である。

東京の夜景が一望できるように、窓に向かって座るカウンター席がしつらえていて、そこには若いカップルたちが座っている。

その店の奥まったところにあるスペースが、我々の座席である。

店に到着すると、すでに5人ほどがいた。私を含めて全部で8名が、今日のメンバーだという。

この8名のなかで、私と同期はSだけである。あとは、私の1学年下の後輩たち。

Sは、ここでもたびたび登場する「ミヤモトさんサミット」の議長である。

彼は本当にフットワークが軽いというか、こういう飲み会には、必ずといっていいほど参加する。ヒマなのか?とも思ったが、そうではない。彼は誰よりも高校時代にノスタルジーを感じている。それにそもそもが「義理堅い」人間なのだ。ここ最近、Sと飲む機会が増えて気づいたことである。

だから最近はSと飲むととても安心するのだ。

8名でいろいろと話していると、突然、店の電気が消えた。店全体が真っ暗になったのである。

何だ何だ?停電か?

さにあらず。

店員が、窓に向かって座っている1組のカップルに、ろうそくに火をともしたホールケーキを持ってきたのである。

まあ、若いカップルの男の方が、今日は彼女の誕生日だというので、夜景の見えるこのお店を予約して、それだけでなく、誕生日のケーキも準備して、彼女を驚かせようとしたんだろうな。

その演出に、我々も巻き込まれた、というわけである。

われわれオッサンオバサン連中からしたら、こっぱずかしいことこの上ない演出なのだが、見方によっては微笑ましくもある。

ケーキを受けとった2人に、お店中の客が拍手をした。

そのとき、Sがその2人に向かって大声で叫んだ。

「いよっ!アベック!」

アベック???

「おいおい、『アベック』って、死語だぞ!なんだい、いまどき『アベック』って!」

私がツッコむと、みんなが大笑いした。

「たしかに『アベック』って、いま使わないな。あれってそもそも、何語なんだ?」Sが言う。

「あれはフランス語だよ」と私。「英語でいう『WITH』の意味だ。つまり、『~といっしょに』という意味」

「本当かよ、俺たちが知らないと思って、テキトーなこと言ってんじゃないか?」みんなが私を疑う。

「本当だよ。むかし坂本龍一が『アベック・ピアノ』というカセットブックを出して、そのタイトルの意味が『ピアノと一緒に』という意味だ、と聞いたことがある。それで覚えたんだ。だからフランスでは、カップルのことを『アベック』とは言わないんだぜ」

「じゃあ、なんて言うんだ?」

「『ル・クプル』じゃないか?むかしそんな歌手がいただろう?」

「なるほどねえ。『アベック』で思い出したんだが」Sが続けた。「むかし、いまのカミさんとつきあっていた頃、新宿の、そう、ちょうどこの近くの公園をデートで歩いていてね」

「ほう」

「そうしたら、陸橋の上から、知らないオッサンに『いよっ!アベック!!』と、大声で声をかけられたことがあってね」

「へえ」

「それをいま急に思い出してね。それで俺も、同じように彼らに声をかけてみたんだ」

「なるほどねえ」

いまや俺たちは、若いアベック、いや、カップルを冷やかす側にまわってしまったか。

Sも私も、若いカップルをつい「アベック」と呼んでしまう、普通のオッサンである。

久しぶりに、2次会まで行って、2人で焼酎をガンガン飲んだ。

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