やっぱり無理無理。
ふだんの「不快なマイナス思考の文章」を反省して、「さわやか路線」に変更しようと思ったが、「さわやか」シリーズは、2回で終了。
出張講義の高校におじゃましたときに感じたのは、実はそんなに「さわやか」なことではない。
校舎の中を歩いていて、急に自分の高校時代のことを思い出したのである。
高1の時から3年間同じクラスだったK田君、という友達がいて、
前にもこのブログで書いたことがあるのだけれど、
まあ何でも相談するような間柄だった。
K田君は、背が高く、人望が厚く、クラスの級長もつとめていた。
だが一見飄々としているようにみえて、実はとても思い悩む性格だった。
最初に相談を受けたのは、知り合ったばかりの、高1の1学期のことである。
K田君は、中学時代までずっとバスケ部に所属していた、という。
身長が180㎝以上あったから、中学時代にバスケ部で活躍していたという話は、当然だと思った。
ところが、高校に入学して、激しい運動をすることを医者に止められてしまった、という。
そのことにK田君は思い悩んだ。
「俺、本当は、バスケを続けたいんだ。でも、バスケ部に入ることはできない」
どうすればよいか、ということだった。
「医者に止められているんだったら仕方がない。バスケは趣味で続けるとして、他の部活に入ったらどうだ?」
「うーん。思い浮かばない」
「たとえば、全然人気のない文化系の部活とか…Kちゃんが地味な文化部に入ったら、きっとウケるぜ」
「そうか…。じゃあ、生物部に入る!」
ということで、当時まったく部員のいなかった、「生物部」という部活に入ることになった。
「お前も入部しろよ」
と言われ、K田君が部長、私が部員(もちろん幽霊部員)となった。
ほとんど活動らしい活動はしなかったが、高校の卒業アルバムには、K田君と私が「生物部員」としてしっかりと写っている。
だが「生物部」でどんな活動をしていたか、まったく覚えていない。
まあ、そんな感じで、早弁(2時間目と3時間目の間の休憩時間に弁当を食べてしまうこと)をしながら、K田君といろんな悩みを話し合った。
いま思えば、K田君の方が、私以上に妄想力が強かったのではないだろうか?
いまの私の妄想力は、K田君によって培われたのかも知れない。
あるときK田君は、友達のA君について、私に相談してきた。
A君も、K田君と仲の良い友達だったのだが、どうも最近のA君の言動にはついていけない、というのである。
K田君は、A君の言動と、自分の心の動きを、じつに細かく話した。
…男子高校生だって、そんな人間関係に思い悩むことがあったのだ。女子だけの専売特許ではない。
私は、A君とはそんなに親しい間柄ではなかったが、なんとなく、k田君がA君の言動をそのように受け取る気持ちがわかった。
「ちょっと距離を置いてみたら?」と私は言った。
「そうだな、そうするよ」とK田君は言った。
K田君は、以前のようにA君と親しく話す、ということはしなくなった。
それから少したって、今度は、K田君が私に対して、距離を置くようになった。
早弁の時も、一緒に弁当を食べなくなったりしたのである。
さらには、いっさい口も聞かなくなってしまった。
私も私で、意地になるところがあって、私から話しかける、ということもしなかった。
そんなことが、しばらくの間、続いた。
何が原因なのか、しばらくわからなかったが、大人になって、というか最近になって、その原因が何となくわかった。
私のことだから、たぶんK田君に、親しいことへの気安さから、よかれと思って饒舌に語った言葉が、彼をカチンとさせたりしたのだろう。あるいは、信頼を損ねるような軽口をたたいたのかも知れない。彼はそういうことに、敏感だったのだ。
ちょうどA君がK田君にそのような言動をしたのと同じように、である。
つまりK田君は、A君の言動に対して感じたことと同じようなことを、私にも感じたのではないだろうか。
それで、「ちょっと距離を置いてみたら?」という私のアドバイスを、私に対して実践したのではないか。もしそうだとしたら、まったく皮肉な話である。
いま思えば、私自身も彼に対して配慮すべきだったのだ。
その後、しばらくして、K田君とは何事もなかったように仲直りし、高3の時に、例の「獣医大学受験」という衝撃的な相談を受けることになるのである。
ま、他愛もないといえば他愛もない話なのだが、私はK田君とのあの一件が、大人になったいまでも、何となく尾を引いているような気がする。
無神経な饒筆が災いして、親しい友人を不快にさせているんじゃないだろうか、と、いまでもときどき思うことがあるのだ。
お互い地方に住んでいることもあって、K田君とは、いまでは年賀状のやりとりをするのみである。今年の年賀状には、「昨年、肺炎で3週間入院しました。体に気をつけて下さい」と書いてあった。
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