ルサンチマン
映画「サニー」版「七人の侍」というのを考えたが、こうなるともうナンダカワカラナイので、妄想はいったんこれくらいにして。
「居心地の悪い飲み会」というのがある。
正確に言えば、その飲み会自体が決して悪いわけではなく、「オレの性に合わない」という飲み会のことである。
それで急に思い出したんだが。
ずいぶん前に、同世代の「新進気鋭」といわれる人たちが集まる飲み会に誘われて参加したことがある。
その頃は、そういう人間関係を築くのも大人として必要、なんて思っちゃったんでしょうな。
最初は、その「新進気鋭」の人たちの会話に必死でついていこうと頑張ったんだが、所詮こっちは愚鈍な人間なので、ついていけるはずもない。
そのうち、AさんとBさんの会話が、私の目の前でくり広げられた。
「Bさんって、ルサンチマンでしょう?」
「そんなことありませんよ」
「いや、絶対そうだよ。Bさんはねえ、ルサンチマンなんだよ」
「そうですかあ?」
Bさんはまんざらでもない、という顔をした。
「ボクにはわかりますよ。Bさんの根底にはね、ルサンチマンの血が流れているんだよ」
「そうですかねえ、Aさんこそルサンチマンじゃないですか」
「ええぇ?ボクは違いますよ~」
Aさんもまた、まんざらでもないという顔をした。
(こいつら、いったい何言ってんだ?)
いまなら、
「しゃらくせえ!」
とか、
「いけすかねえ!」
とか、素直に思うところだが、当時はその会話を聞いて、なんとなく心がざらざらして、その場の居心地がとても悪くなったのだ。
この居心地の悪さは何だ?といまになって考えてみると、Bさんは、私の見たところ、全然「ルサンチマン」ではなかったからだ!
正確に言えば、表向きは「ルサンチマン」のポーズをとりながら、実は強者の論理に生きる人だったのだ。それが、私の心をなんとなくざらざらにしていたのである。
Bさんのことを「ルサンチマン」と言ったAさんも、その言い方が、なんか「上から目線」だし、とにかく、AさんとBさんの「ルサンチマンの安売り」みたいな言葉の応酬が、いけすかなくて、居たたまれなかったのである。
というか、Aさんは覚えたての「ルサンチマン」という言葉を、たんに使ってみたかっただけなんじゃないだろうか?ダウンタウン風に言えば、「おまえ、『ルサンチマン』って言いたいだけちゃうの?」
「ルサンチマン」なんて言葉を使いながらも、会話じたいが幼稚に思えたのは、そのせいかもしれない。
幸いにして、というべきか、AさんともBさんともお会いすることはなくなり、そんな「いけすかねえ」会話を聞くこともなくなった。
ところでAさんとBさんは、いまでも「ルサンチマン」なのだろうか?
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