人の上に立つ器
4月20日(土)
おかしいなあ。
子どもの頃は、大人になったら週末のたびにゴルフに行くとか、会社が終わったらスナックに飲みに行くとか、そういう毎日を送るんだろうなあ、とばかり思っていたが、全然そんな感じになっていない!
ゴルフをいままで一度もしたこともなければ、行きつけのスナックがあるわけでもない。
話題といったら、大林映画の話とか手塚漫画の話とか、高校生のころとちっとも変わっていないじゃないか!
…と、またひどく落ち込んだ。
以前、私と同世代のラジオDJが、「最近よく、オレは人の上に立つ器ではない、ということを考えて落ち込むんだ」と前置きして、こんな話をした。
自分の冠番組の収録が終わったあと、収録に参加していた若手芸人たちと打ち上げをしたいと思った。自分以外は、全員後輩である。
しかし、大勢いるので全員を連れて行くわけにもいかない。といって、そういうときの人選を、どのようにしたらよいかわからない。
「飲みに行こうよ!」というときに、「お前とお前とお前、飲みに行こうよ!」と仮に言った場合、「お前とお前とお前」以外の人は、オレのことをどう思うんだろうか?そう思ったら、そんな言い方は、とてもできない。
それが第一波。
結局、人選できずに、「時間ある人、飲みに行こうか」と、全員を飲みに誘うことにする。
そういう言い方をすると、先輩に言われたからといって、後輩たちはほとんど全員が来るわけ。
で、第二波は、「このうち何人が、来たくもないのに来ているんだろう?」とはじまっちゃう。
(うわ、こいつ、もう帰りたいんじゃないかな)
と、飲み食いしている間も、ずーっと思ってしまう。
困ったことに、第三波が来る。夜遅くなってきたころ、
(こいつ、終電大丈夫なのかなあ)
と、後輩のことを心配する。だが、逆に言うと、
「お前、終電大丈夫なのか?」
と、その後輩に聞くことで、
「お前は帰れ」
と言われているんだと、後輩に思われたらどうしようか…。それもかわいそうだよなあ。
といって、
「じゃあお開き」
としてしまっても、「中途半端な時間にお開きにしやがって」と思われたらどうしよう、とか。
いろんなこと考えているうちに訳がわかんなくなって、しまいには
「何お前ら、後輩のくせにオレに気を遣わせてんの?お前ら全員、いなくなればいいのに」
って思っちゃう。
「だからオレは、人の上に立つ器ではないんだよなあ」と、そのラジオDJ。
…この話を読んで、「わかるわかる」と思っただろうか?それとも、「何それ?」と思っただろうか?
ちなみに私は、学生たちと飲みに行くときは、これとまったく同じ心の動きをする。「自意識過剰だ」といわれてしまえば、それまでだが。
たぶん、こういうことをまったく思わない人が、世間で言うところの「人の上に立つ人」なんだろうなあ。そのラジオDJも、そういうことを言いたかったんだろう。
でもどうだい?
「人の上に立つ器」として本当の意味でふさわしいのは、どっちだろう?
考え出すと、またわかんなくなっちゃう。
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