映画の中で口ずさまれる歌
黒澤明監督の映画「酔いどれ天使」(1948年)は、初期の代表作である。三船敏郎を黒澤作品に初めて起用した映画としても知られる。
この映画の中で何度か、志村喬演じる反骨の貧乏医師・真田が「港の見える丘」という歌を口ずさむ。1947年に平野愛子のデビュー曲としてリリースされたこの曲は、戦後最初のヒット曲であるといわれる。つまり映画が撮影された当時のヒット曲である。
このほかに、志村喬が劇中で口ずさむ歌が、もう1曲ある。居間で酒を飲みながら口ずさむ歌である。
「じいさん さ~け飲んで よ~っぱらって こ~ろんだ ばあさん そ~れ見て びっくりし~て…♪」
するとそこにばあさんがあらわれて、
「ビックリなんかしてないよ!」
と言う。
この歌、どこかで聴いたことがあるなあ、と記憶をたどったら、映画「男はつらいよ 知床慕情」(1987年)の中で、寅次郎(渥美清)が、三船敏郎演じる知床の老獣医の家で酒を飲み、箸を指揮棒のように振りながら、
「じいさん さ~け飲んで よ~っぱらって 死んじゃった ばあさん そ~れ見て びっくらし~て 死んじゃった♪」
と歌っていたことを思い出した。
この映画を見たとき、渥美清の歌い方がとても可笑しくて、それ以来、この歌が頭の中にこびりついて離れなくなったのだ。
この歌は何という歌なのか?
インターネットで調べれば簡単にわかることだが、ドイツの歌劇「マルタ」の中の第1幕で歌われる「農民たちの合唱」という歌を、戦前に「エノケン」こと榎本健一が「浅草オペラ」で替え歌として歌ったものだという。それが、戦前の東京の子どもたちの間で、大流行したそうなのである。
戦後すぐに公開された1948年の「酔いどれ天使」で、志村喬が歌った当時は、誰もが知っている有名な替え歌だったのだろう。
だが驚くべきことは、それから40年たった、1987年の映画「男はつらいよ 知床慕情」でも、同じ歌が口ずさまれているという事実である。
しかしこれも、よく考えれば驚くには値しない。
1928年に生まれた渥美清は、当然、この歌をリアルタイムで知っていたはずである。しかも、「浅草オペラ」でエノケンが歌っていた歌である。渥美清が、ついアドリブで、口をついて出た歌だと考えて不思議ではないのである。
もう一つ、因縁深いのは、渥美清がこの歌を、三船敏郎の前で歌っているということである。「酔いどれ天使」で黒澤作品にデビューした、三船の前で、である。
はたして渥美清は、映画「酔いどれ天使」を意識して、三船敏郎の前でこの歌を歌ってみせたのであろうか?
いささか、妄想にすぎる仮説かも知れない。
しかしここにもまた、映画をめぐる不思議な因縁を、感じずにはいられない。
…とここまで書いて、「DVDマガジン 男はつらいよ 知床慕情」(2011年刊行)の付録の解説を念のため調べてみたら、
「「爺さん酒飲んで酔っぱらって死んじゃった」と、黒澤明監督・三船敏郎主演作の「酔いどれ天使」(48年)で、熱血漢の医師を演じた志村喬が酔っぱらって歌っていた。原曲はドイツのオペラ作曲家フロトーの歌劇「マルタ」の第1幕第4場に歌詞をつけたもの。寅さんが順吉(三船敏郎)の家で箸を振りながら歌っている」
と書いてあった。なあんだ。有名な話だったのね。ただ、ここまでの妄想は書かれていない。
いずれにしても、この歌を口ずさんでいる映画が、この2作品しかない、というのがやはり興味深い。
せっかく書いたので、消さずに残しておく。
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コメント
たーぶん これだよ 集まって 聞きな
http://www.youtube.com/watch?v=9cajJQAwTXo
投稿: オペラこぶぎ | 2013年4月11日 (木) 13時20分
その通り!しかしこの日本語訳の歌詞には、「爺さん酒飲んで酔っぱらって死んじゃった」が出てきませんねえ。やはりエノケンによる替え歌なんでしょうな。
この替え歌の全貌が知りたいものです。
投稿: onigawaragonzou | 2013年4月12日 (金) 00時20分
この歌三谷幸喜さんの舞台「ベッジ・パードン」の中で野村萬斎も歌ってるんですよね。この歌が頭から離れなくて調べたらこのブログにたどり着きました(*^-^)
野村万斋 夏目濑石「ベッジ・パードン」
4分37秒頃から
https://goo.gl/BNhh9Y
投稿: どやちゃん | 2018年1月12日 (金) 19時09分
情報ありがとうございます。たしかに野村萬斎が歌ってますね。三谷幸喜は、どうしてこの歌を選んだのだろう?やはり、不思議と耳に残る歌だったからでしょうか。ただ、夏目漱石の時代にこの歌はまだ生まれてなかったと思うんですけどね(笑)。
投稿: onigawaragonzou | 2018年1月13日 (土) 01時29分