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2013年5月

K田君のこと

高校時代の友人で、今もつきあいのある者は何人かいるが、その後の友人関係を考える際の教訓となったという点では、3年間同じクラスだったK田君のことが、やはり思い起こされる。彼とはもう15年くらい会っていないのだが。

K田君については、前に書いたことがある。みんなに推薦されて級長をつとめたほど人望があり、飄々とした性格で、誰からも気安く話しかけられるような存在だった。

ただそうした表向きの印象とは裏腹に、K田君は誰に対しても心を開くといった性格ではなく、日ごろの悩みは、早弁(午前中の2時間目と3時間目の授業の間の15分休みに、弁当を食べてしまうこと)をしながら、もっぱら私に話していた。その意味では、何でも話せる親友、と呼ぶべき存在だった。

あるときK田君は、別の友人A君にちょっと違和感を感じるようになった、と私に相談してきて、私は「少し距離を置いたらどうか」とアドバイスした。

その後、K田君は私自身に対してもなぜか距離を置くようになり、しばらくの間、口をまったく聞かない状況になる。

なぜそのようなことになったのか、今となってはわからない。

前に書いたときも、その理由について思い出してみたのだが、最近になって、もう少し別の理由が思いあたったのである。

K田君がA君について私に相談したとき、私はA君のことをそれほど評価していなかったので、たぶんK田君の前で、A君の悪口か何かを、言ったのではないかと思う。

しかしK田君にとっては、そうはいってもA君も大切な友人の1人である。

私は、K田君と親しいことに慢心して、つい、A君を貶めるようなことを言ってしまったのではないだろうか。

結果的にはそのことが、K田君を不快にさせたのではないか。

親友であるならば、K田君をとりまく人間関係そのものを、まずは肯定すべきだったのだ。

今となっては「どうでもいいこと」かも知れない。もちろん、こんなことはK田君自身もすっかり忘れていることである。

しかし大人になった今でも、このような些細なところに人間関係を維持する本質があるのだ、ということに気づかないまま、過ごしてしまう自分がいる。

K田君のことをたびたび思い出すのは、そんな自分に対する、戒めなのではないか。

久しぶりに会ってみたいなあ。K田君に。

K田君をめぐる不思議な因縁についてはまだあるのだが、それはまた別の話。(つづく)

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台湾からのビデオレター

5月31日(金)

うちの職場では毎年夏休みに、学生が海外で2週間ほど語学研修をする実習がある。

今年も8月末からの2週間、台湾でその実習が行われる。

今日の夕方は学生を対象にした説明会があるというので、聞きに行くことになっていた。私は実施に直接関わっているわけではないが、関連する委員会の委員をしている。

何週間か前、実施担当の同僚に提案した。

「いま、せっかく留学している学生がいるんですから、留学中の学生からビデオレターをもらって、説明会で流したらどうでしょう」

「そうですね。留学から帰ったばかりの学生もいますし、その学生にもプレゼンしてもらいましょう」

「学生が実習に参加したくなるような説明会にしましょうよ。学生の目線で語ってくれたら、学生たちも共感してくれるはずです」

実施担当の同僚は、かなり思いを込めて凝ったポスターを作り、説明会のプログラムを工夫し、当日に臨んだ。

さて今日。

教室に行くと、その教室は学生で埋まっていた。めったにないことである。

「思いを込め、手間をかければ、それだけの反応がある」

という私の持論は、やはり間違っていなかったのだと思った。実施担当の同僚も、それを実感しただろう。

さて、その説明会は、これでもか、というくらい、「行きたい気にさせる」内容だった。

とくに、留学から帰ってきたばかりの学生Nさんによるプレゼンは、台湾での留学生活の楽しさが十二分に伝わるものだった。何より、楽しそうに話しているその姿が、聞いている学生たちにも十分に伝わったと思う。

そして最後に、現在台湾に留学中のSさんの「ビデオレター」がスクリーンに映し出された。

Sさんは、授業で教えたことのある学生で、留学前に、しばしば私のところにも留学に関する相談に来ていた。

Sさんは、海外で生活し、勉強することの楽しさを、ビデオカメラに向かって適切な言葉で語っていた。それは、体験に裏打ちされた、揺るぎない言葉だった。

帰国を1カ月後に控えているいまの気持ちは、「できればもう少し台湾で生活したい」というものだった。

それを見ているうちに、涙が出てきた。

(本当に、留学してよかったんだな)

説明会を聞いているうちに、私自身も実習に参加したくなってしまった。

台湾、行きたいなあ。中国語も勉強したいなあ。

…私がその気になってどうする!

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大貫妙子の贈り物

ちょっと真剣に考えてもらいたいのだが。

なぜ、大貫妙子はもっと評価されないのか?

決してマイナーな存在ではない。たとえば、「夏に恋する女たち」(ドラマ「金曜日の妻たちへ」の主題歌)とか、「宇宙(コスモス)見つけた」(NHK[おしゃべり人物伝」の主題歌)は、自分自身の世界観を貫きつつ、番組制作者の意図を汲んで、過剰なまでにサービスした楽曲に仕上がっている。

これをプロと言わずして、何と言おう。

61nqam8exgl__aa300_大貫妙子のベストアルバムは数多く出ているが、学生時代に買ったアルバム「CLASSICS」が、私にとっては最高のベストアルバムである。

1.黒のクレール

2.夏に恋する女たち

3.色彩都市

4.風の道

5.みずうみ

6.恋人達の明日

7.CARNAVAL

8.雨の夜明け

9.グランプリ

10.レシピ―

11.海と少年

12.突然の贈り物

ほら、名曲揃いでしょう。

大貫妙子の歌詞の魅力は、「全体を流れるストーリー」にあるのではない。

歌詞の中の断片的なフレーズが、聴く者の想像力を喚起するところにあるのだ。

たとえば、「突然の贈り物」という名曲がある。

「突然の贈り物

甘く香る花束

頬を寄せて抱きしめるぬくもり

別れも告げないで

独りぼっちにさせた

いつの間にか

六度目の春の日

置き忘れたもの

何もかもそのままにあるの

幸せでいたならそれでよかった」

これが1番の歌詞である。たとえばこの歌詞の中で、

「別れも告げないで

独りぼっちにさせた」

とか、

「置き忘れたもの

何もかもそのままにあるの」

とか、

「幸せでいたならそれでよかった」

とか、そのフレーズだけを切りとっても、聴く者は自らの体験になぞらえて自分なりのストーリーを想像することができる。

2番の歌詞も同様である。

「あなたの気まぐれに

つきあった仲でしょ

いつだって嘘だけは嫌なの

必ず待ち合わせた

店も名前を変えた

この町へ戻ってきたのね

初めて出逢った時のように

心がふるえる

訪ねてくれるまで待っているわ

みんなと始めた

新しい仕事にも慣れて

元気でいるから安心してね」

これも、歌詞全体のストーリーを追う必要はない。

「あなたの気まぐれに

つきあった仲でしょ」

とか、

「必ず待ち合わせた

店も名前を変えた」

とか、

「初めて出逢った時のように

心がふるえる」

とか

「訪ねてくれるまで待っているわ」

とか、

「みんなと始めた

新しい仕事にも慣れて

元気でいるから安心してね」

とか、こうしたフレーズだけを切りとっても、聴く者の想像力を喚起させ、自らの思い出と結びつけて物語を作らせるほどの力を、やはり持っているのだ。

「風の道」の歌詞もそうである。

「今では他人と呼ばれる二人に

決して譲れぬ生き方があった」

「お互い寄り添う月日を思えば

交わす言葉もないほど短い」

大貫妙子の提示した歌詞は、あくまでもかりそめのストーリーに過ぎない。

聴く側の感性や想像力によってストーリーをいかようにも紡ぐことができるような仕掛けが、歌詞の中にちりばめられているのである。

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師弟は似るのか、似ているから師弟なのか

4年生にもなれば、私がどんな性格なのかを、よく理解するようである。

だから4年生くらいになって、ようやく学生との会話も楽しめるようになる。

ここ最近、進路の関係でしばしば相談にやってくるSさんが言う。

「志望動機に○○、というのを書こうと思うんですけど」

「いいじゃないの」

「でも、公務員講座の先生に聞いたら、ちょっと首をかしげられてしまって…。本当に書いていいものかと…」

「そんなことないって」私は説明をはじめた。

「やっぱり書いてもいいですかね」

「むしろ書いた方がいいと思うよ」

「そうですか…。すみません先生。私、面倒くさい性格なんで、こんな些細なことをグジグジと考えてしまうんです」

もちろん私は、Sさんのそういう性格をよく知っている。

「大丈夫だよ。私だって面倒くさい性格だから、よくわかる」

その言葉に、Sさんは笑いだした。

「私なんか、面倒くさい性格、というより、厄介な性格だから、『やれやれ』と、親しい人も、さすがに嫌気がさしてくるみたいなんだ。この年齢になってもこんな性格だから、困ったもんだ」

その言葉に、Sさんはさらに腹を抱えて笑い続けた。

ひととおり笑ったあと、Sさんが言う。

「少し気が楽になりました」

もっと面倒くさい人間がここにいた、ということに、安心したんだろう。

「そういえば先生、疑り深い性格ですよね」

「うん。よくわかっているね」

「そんな場面を何度も見ましたから。私も疑り深い性格なんです」

これは自慢でも何でもないんですよ、と前置きしながらSさんが続けた。

「高校時代にテストで100点をもらったことがあったんですが、絶対にそんなはずはない、と思えて、先生に『この答案が100点なのはどう考えてもおかしい』と、食ってかかったことがありました。そうしたら、先生が、『100点の答案を疑うヤツはめずらしい』と呆れられたんです」

いかにもSさんらしい逸話である。

「試験の答案を見ているとね、『これは100点しかつけようがない』という答案に出くわすことが、たまにあるものなんだよ。あなたの答案は、まさにそうだったんだろう」

「そういうものですか…」Sさんは少し納得したようだった。

それにしても、私の指導学生たちは、程度の差こそあれ、こういうタイプの学生がほとんどである。

師に似るのか?

それとも、似ているから師に選ぶのか?

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ブログプレイバック「噛みつく野犬は吠えない」

大好評の「ブログプレイバック」シリーズ。

今回は、2013年5月9日(木)に書きました、「噛みつく犬は吠えない」からです。

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韓国の巨匠・ボン・ジュノ監督の映画に、「フランダースの犬」(原題)という映画があって、その邦題が「吠える犬は噛まない」というタイトルである。これは、「口やかましい者ほど、実行力・実力が伴わない」ということわざらしいのだけれど。

私は、

「噛みつく野犬は吠えない」

みたいな生き方がいいなあ、と思う。

よく、怒鳴る人っているでしょう。

私は怒鳴る人、というのが苦手である。

怒鳴っても何にも解決しないのになあ、と、いつも思うのだ。

「怒鳴らなければわからない人」というのは、「怒鳴ってもわからない人」だと思うからだ。

だからどんなに腹が立っても、人前で怒鳴るのだけはやめよう、といつも思っている。

「怒るときは敬語で」

これが、いつも私の心がけていることである。

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さて、この記事を書いたあと、ある読者からメールでこんなコメントをいただきました。許可をいただいておりませんが、印象的だったので紹介させていただきます。

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「怒るときほど敬語」というのは、大事ですよね。

子どものとき、夏木ゆたかだったと思うのですが、何かのインタビューで、言葉がとても大事だということ、怒っているときにそのままの勢いで言葉にするのではなく、そういうときほど丁寧な言葉で話すようにしている、という話をしているのを見て、とても感心し、気をつけるようにしています。

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自分自身への戒めとして、この記事を再掲させていただきました。

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綴じたい人

5月29日(水)

綴じる、で思い出した。

私は、何でもかんでも、何頁にもわたる「手引き」を作って、綴じるのが好きなようである。

いまはもう行われなくなったが、以前は年に1度、、大型バスを仕立てて、同じ分野の何人かの同僚とで学生を引率して、1泊2日の実習旅行を企画したことがあった。

その時、たいてい私が計画を立て、何頁にもわたる「旅のしおり」を作って、みんなに配っていた。さながら旅行業者のようである。

授業でもそうである。

専門課程の「演習」という形式の授業では、学期の始めに「演習の手引き」というのを配る。その手引きも、毎年改変を加えて、いまでは何とB5版の2段組縦書きで、40頁にもわたる「手引き」になってしまった。

こうなると、もう読む気が失せるというものである。

たぶん、こういうのを作るのを厭わないのは、「マニュアル世代」だからでしょうな。

つい最近では、昨年担当した授業の「記録」を残そう、と思い立った。

その授業というのは、入学したばかりの1年生を対象にした演習で、文章の書き方とか、プレゼンの仕方、といった、大学の勉強で必要な基礎的な能力を身につけさせる、という内容のものである。

数年に1度、担当がまわってくるのだが、「学生の主体性」を重んじる演習なので、どのように進めていったらいいのか、担当する同僚たちが、みな頭を痛めていた。もちろん私もである。

そこで、試行錯誤しながら、授業を進めていくことになる。

私はこの授業を、余すところなく記録しよう、と思いたった。授業が終わるたびに、その授業についての日記をつけ、その日に配付した資料を添付し、さらに毎回の授業の最後に出してもらう学生の感想も付けて、というような形で、毎回の授業記録をまとめていったのである。

そうしたところ、最終回の授業が終わった時には、その記録がなんとA4版横書きで、38頁にもなってしまった!

今年の2月、その授業のその年度の担当者と、次年度の担当者による研修会が開かれた。その授業を担当した者が、体験談を語り、次年度の担当者の参考になるようにする、という趣旨である。

私はその研修会の席で、恥ずかしかったが、その授業の記録を綴じて1冊にまとめ、その場にいる人たちに配布した。いってみれば、自分の日記をみんなに読んでもらうようなものである。

受け取った同僚たちは、呆れた様子だった。そりゃそうだ。38頁もある記録集なんて、読む気が失せるもの。

誰に望まれたわけでもないのに、「よかれ」と思って授業の記録集を作ってみたが、結局、いつものように自己満足にすぎなかったんだな、と、ひどく反省した。

さて、それから3カ月ほどたった5月はじめのことである。

印刷室で印刷していると、ある同僚が入ってきた。ふだんほとんど話をしたことのない同僚である。

その同僚は、私を見るなり言った。

「あなたには、足を向けて寝られませんよ」

「どういうことです?」私のイメージでは、ちょっと気難しそうな感じの方だったので、一瞬、何かの皮肉だろうか、と疑った。

「あなたが作った、あの授業の記録集、いま全面的に参考にさせていただいています」

「そうですか」私は意外に思った。私よりもベテランの同僚だからである。

「あの記録集のおかげで、何とか私もあの授業をやっていけてます。よくあれだけ準備されましたね」

あんなバカ長い記録集は、もらったとしてもありがた迷惑な話で、誰にも読まれずに捨て置かれるだろうと、現にそうした反応を身近に感じていたので、ひどく後悔していたのだが、ちゃんと読んでくれた人が、少なくとも一人はいた、ということに、少し感動した。

しかも、およそ読んでくれないであろうというイメージの人が読んでいた、ということの意外性にも、感動したのである。

たった一人の心に通じた、ということだけでも、「甲斐があった」というべきだろう。

見限られたとしても、気にせず綴じ続けよう。

どこかに、綴じたページを開く人がいるはずである。

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火曜日はいつも憂鬱

5月28日(火)

何だか知らんが、落ち着いて昼食が食べられないくらい、いろいろなことに時間がとられる。おかげで体と心のコンディションは最悪である。

冷静になって考えてみると、そのほとんどが、「頼まれてもいない仕事」に時間を割いているので、自業自得といえば自業自得である。本来やらなければいけない仕事が山ほどあるのに。

たとえば今日の午後、ある必要があって、不要になった折りたたみ机を職場中から探してきて、それをある建物からある建物まで運ぶ、という作業をした。

同世代の男性職員さんに手伝ってもらって運ぶのだが、これがけっこう重い。しかも外は夏のような暑さである。

汗をかきながら運んでいると、たまたま外を通りかかった同僚が、

「いったい何をしているんです?」と首をかしげている。

そりゃあそうだ。職員さんと私で、廃棄処分寸前の机をエッチラオッチラ運んでいるのだから。

少なくとも、私の本業とは関係のない仕事だ、ということは明らかである。

誰にも頼まれていないのだが、好きでやっているのだから仕方がない。

そもそも私は、頼まれていないことを、「よかれ」と思ってすることが多い。

だが、相手に対して「よかれ」と思ってした行為も、鬱陶しいと思われたり、逆にこっちが「甲斐がないなあ」と凹んだりすることもある。

「ああ、もう見限られているんだな。ずいぶんはやく見限られたものだ。ま、無理もないか」と、妄想することもしばしばである。

まあ、そんなものだろう、と思って生きていくしかないのだ。

今日の夕方は、卒業論文の中間発表会である。

昨日から、4年生たちがレジュメの相談に来がてら、いろいろな話をしてくれる。

それが私にとっては、今日の唯一の息抜きである。もっとも、向こうも息抜きだと思って喋っているのだろうが。

学生たちの話で楽しいのは、私のまったく知らない現代語を教えてくれるときである。

たとえばかつては、「フラグが立つ」というのがあった。

ディスる」も覚えた。

「リア充」という言葉も聞いたぞ。

最近ではこんなのもあった。

「あの二人、絶対にニコイチですよ」

「ニコイチ?」初めて聞く言葉である。

「二人で一人みたいに、すごく仲が良いという意味です」

「つまり、アベックということね」

「アベックって何です?」

この「ちぐはぐ感」がおもしろい。

さて、心配していたレジュメだが、公務員試験組は精神的にかなり追いつめられている時期にもかかわらず、13人が締め切りまでに提出してくれ、意外にみんな健闘していた。

彼らの努力に応えなければならない。

私は13人のレジュメ(一人あたりA3版1枚分、つまり13枚)を、40部ほどリソグラフで印刷する。

本来ならばそれを、そのまま学生たちに配布すればよいのだ。

しかしそれだけではつまらない。

表紙をつけて、1冊に綴じることを思いついた。

こじゃれたフォントで「卒業論文中間発表会」というタイトルと今日の日付と会場、さらには気の利いた写真の一つも添えて、表紙を作る。

午後、1時間ほどかけて、印刷室で印刷とソートとホッチキス綴じを一人でやった。

印刷室には、もともと2台のコピー機と1台のリソグラフがあり、かなりの高熱を発している。空調設備もないから、サウナのように暑い。

大汗をかきながら、黙々と一人で作業を行う。まるでタコ社長である。

もちろん、誰にも頼まれていない仕事である。

かくして、「卒業論文中間発表会」のレジュメ集が完成!

夕方4時半に始まった発表会も、3時間ほどかかって無事終了した。

終わってから学生たちが言う。

「てっきり、一枚ずつ印刷したレジュメがそのまま配られるものだと思っていました。まさか、表紙までついて、綴じてあるとは思いませんでした」

「そうでしょう。タイヘンだったんだから」と私。

「でもこうしていただいたおかげで、なくさずに保管することができます」

「表紙がついていれば、いつ、どこでやったという記録も残るでしょう」

「そうですね」

学生たちには好評だった。一緒に主催した同僚も「まさかここまでするとは思わなかった」と驚いていた。

「甲斐がない」ということはなかったのだ!

頼まれてもいない仕事。

それは、言いかえれば「思いを込める仕事」ともいえる。

「頼まれてもいない仕事」に思いを込める。

愚鈍だし、スマートではないし、もう若くはないし、汗だるまだし、何の取り柄もない人間だが、このスタンスだけは、これからも続けよう。

…と誓った、憂鬱な火曜日であった。

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私が間違っていたのか?

5月27日(月)

あまりに忙しく、1日があっという間に終わる。

それでも予定の仕事は全然終わらない。

禁じ手ですけど、完全な愚痴ですよ。

たまたま新聞を読んでいたら、うちの職場がこの4月から「社会人力」を育てる講座を始めた、という。

私はこの「○○力」という言葉が大嫌いである。

私の記憶では、この言葉を最初に用いたのは、たぶん赤瀬川源平の「老人力」という言葉だと思う。

その時点では、なかなか面白い言葉だ、と思った。老人、というマイナスイメージをプラスに変えるための「開き直りの言葉」だと、私は当時、そう理解した。

ところが、ガハハなおじさんたちが、使い勝手がいい言葉だってことに気づいちゃったんだろうね。調子に乗って「○○力」なんて言葉を得意気に使い始めた。

私は「○○力」という言葉を見るたびに、「これって、『老人力』のパロディなんだよな…本来のニュアンスとは全然違うんだけど!」と思うことにしている。

「社会人力」ともなると、もう何だか意味が全然分からない。

それはともかく。

その新聞記事を読んで驚愕した。

学生どうしで、グループワークをしながら、社会が抱えるさまざまな問題に対して、アイデアを出していく、という授業をしているという。

その授業形式じたいは全然かまわない。

だがその記事によれば、「アイデアを思いついたら取りあえず言う」「批判厳禁」「質より量」の三つが、その授業で心がけていることだという。

ええええぇぇぇぇぇっ!

私はショックを受けた。

なぜなら私は、ふだんの授業で、これとはまったく正反対のことを教えているからだ!

「批判精神」「熟慮すること」「量より質」

とくに1年生向けの授業では、肩書きのある立派な人が、如何にいい加減なことを言っているか、という事例を紹介し、「肩書きが立派な人の考えだからといって鵜呑みにしてはいけない。疑い深く生きよ!」と、口を酸っぱくして言っているのである。

おかげで授業の感想蘭には、「先生の授業を聞いて、いったい何を信じていいかサッパリわからなくなりました」「先生のおかげで、すっかり疑い深くなりました」という感想が目立つ。

だが、これでは「社会人力」はとうてい育たない、ということらしい。

そもそも、大学というところは、批判精神をはぐくむところだったのではないか?それを自ら封じてしまうことは、自殺行為になりかねないのではないか?

「そんなこと言ったって、批判ばかりしていたら、良いアイデアが出ないじゃないか」という反論があるかもしれない。

はたしてそうだろうか?健全な批判は、必ずしも事態を停滞させるものではない。むしろ、批判なきアイデアこそ危険である。大事なことは、揚げ足取りの批判にならないための、健全な批判精神を養うことではないか?

それとも、こんな考え方じたいが古いのか?

お互い批判などせず、誉め合いながら、その気にさせて、どんどんアイデアを出していきましょう。それが大人というもんです、ということらしい。

もう私には、何がなんだかわからなくなった。

とりあえず、私のような古い考えでは、「社会人力」が身につかない、ということだけはわかった。

そんなこんなで鬱々としていると、今日は仕事の合間に、4年生が入れかわりたちかわり話をしにやってきた。

例年のことだが、この時期の4年生は、公務員試験で精神的にかなり追いつめられている。今置かれている状況を、いろいろと話してくれた。

彼女たちは、精神的に追いつめられながらも、自分が置かれている状況を、かなり冷静に見ている。また、就職活動を通じて体験するさまざまなことに、批判的なまなざしを向けることも忘れない。

「そんなふうに考えるのって、ヘンでしょうか?」

「全然ヘンじゃないよ。私だってそう思うよ」

「そうですか。自分だけじゃないんですね。話してみて、少し楽になりました」

「話をするのはいいものでな、どんなに苦しいことでも話をすれば少しは楽になる」というのは、映画「七人の侍」の平八のセリフである。

彼女たちと話をしていると、十分に「社会人力」が身についているじゃないか、と思う。

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めざせ!映画評論家

ははーん。さてはみんな、読み飛ばしているな。

たとえば、前々回に書いた「誰もわからない映画評論」。ああいうのって、たぶん完全に読み飛ばされているんだろうな。

「だって仕方がないです」

「どうしてです?」

「ひとっつも見たことない映画なんですから、書いてあることがサッパリわかりません。せめてツタヤに置いてあるような映画にしてください」

そんな声が聞こえてきそうである。

たぶん、大林映画のマニアにも、まったく理解されない文章である。

じゃあいったい、何のための映画評論なんだ?

「いっそ、映画評論家になったらどうです?」

「そうでしょうか。しかし私の見る映画は、かたよってますから」

「たしかにそうですね。少しはみんながわかる映画を取り上げてください」

「はあ」

「それと、あれが必要ですよ。決めゼリフ」

「決めゼリフ?」

「『いやあ、映画って、本当にいいもんですね』とか」

「ああ、なるほど。

水野晴郎の「いやあ、映画って、本当にいいもんですね」

淀川長治の「ハイ、それではみなさん、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」

木村奈保子の「あなたのハートには、何が残りましたか?」

小森和子の「オバちゃまはね…」

おすぎの「おすぎです!」

みたいなヤツですね」

「そうです」

…ということで、映画評論家になるためには、まずはみんなに覚えてもらうための「決めゼリフ」を作らなければならない。

何かいい「決めゼリフ」はないものか…。

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惜しみなく技は伝う

5月25日(土)

以前、「みんなで力を合わせてビフォーアフター」という記事を書いた。

今日はその続編。

この石碑には、オモテ面と裏面に文字が刻まれている。

オモテ面の拓本が、一昨年、職場で発見された。明治時代、この石碑が建立された時にとられた拓本である。

しかし、裏面の拓本は存在していない。

今年に入って、裏面の拓本ををとらせていただきたい、と、東京のHさんから依頼が来た。

この事情を話せば長くなるが、Hさんは、拓本をとる職人さんである。

昨年9月、私が職場の公開講座でこの石碑について紹介したところ、Hさんは、石碑の裏面に書かれた石碑建立の発起人の一人の名前に、自分の先祖にあたる人の名が刻まれていたのを発見する。

自分の先祖の名が刻まれた石碑の拓本を、自分の手でとってみたい、というわけである。

拓本の職人さんによって、まだ作られたことのない裏面の拓本が作られる。

まるで、未完成の映画のラストシーンを撮るようなものではないか!(また始まった)。

せっかくだから、希望する学生たちにも、この職人さんの技術を間近に見てもらって、少しでもその技術を体得してもらおう。

…ということで、「拓本実習」を企画することにした。

またまた、われながら面倒な企画を考えてしまったものだ。

学生に希望を募ったところ、なんと8名の学生が参加してくれた。単位にも、アルバイトにもならないのに、ありがたいことである。それに卒業生で職員のT君と、この4月から職員になったOさんの2人も参加してくれた。

朝10時、作業開始。

午前中は、拓本の職人であるHさんによる講義である。実際に拓本を取りながら、拓本をとるための注意点を教えていただく。

1間近で見る職人技は、やはりすばらしい。

そもそも私は、職人技、というものに憧れているのだ。

どちらかといえば、芸術家肌の人よりも、職人肌の人に憧れる。

2学生たちも、じっとその職人技に見入っている。

若い時に「本物」を見ることは、その後の自分の進むべき道に大きな影響を与える、というのは、私の持論である。

4さて、お昼休みのあと、いよいよ午後からは、学生たちが拓本をとる体験をする。

公園内にある石碑を選んで、まずは「乾拓」と呼ばれる、水を使わない方法で採拓する。

2人がペアになっての作業。

5最初はぎこちなかったが、だんだんと手慣れてくる。

さすが、若いというのは、飲み込みが早い。

だが、「乾拓」というのは、いわば簡易に拓本をとる方法なので、やはり少し物足りなさそうである。

7一通り「乾拓」が終わったら、今度はいよいよ「湿拓」である。水を使った、本格的な採拓作業である。

午前中に見た一連の作業を、今度は自分たちの手でおこなうのである。

3つのチームに分かれておこなう。

3_2それぞれのチームは、個性が違っていて、その個性が、拓本に見事にあらわれていた。

まさに「拓本は人なり」である。

そんなこんなで、午後5時過ぎ、長かった「拓本実習」は終了した。

拓本職人のHさんは、「若い人のために」と、ご自身の持っている技術を、惜しみなく私たちに伝えてくれた。Hさんは、まる1日、本当に楽しそうに作業をされていた。根っから好きなのだろうな、と思う。

惜しみなく技術を提供する職人さんも、それを受け取る学生も、その間には、なんの利害関係もない。

「お金」とか「単位」とか、そういった世知辛いものとは、無縁の1日。

6職人Hさんの思いが、少しでも次の世代に伝わればいい、と思う。

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誰もわからない映画評論

絶対に薦められない大林映画第3弾は「告別」(監督:大林宣彦、2001年)である。

連続して書くつもりはなかったのだが、前回、峰岸徹のことを書いていたら、ついまた書きたくなってしまった。

Img_1159746_27311094_0峰岸徹は、名バイプレイヤーである。大林映画には、遺作となった「その日の前に」まで含めて、じつに28作品に出演している。

その峰岸が、大林映画で唯一主演をつとめたのが、この「告別」である。「麗猫伝説」からおよそ20年がたち、「ダンディな青年」ではなく、「くたびれた中年」を演じている。

舞台は長野県にある小さな町。小坂勇一(峰岸徹)は、転勤でこの町に来て、小さな会社でセールスマンをしていた。

ある日、セールスに疲れて、山を1つ越えたところにある村に車を走らす。自分が高校時代の一時期に過ごしたことのある村である。

ふと迷い込んだ山道で、古びた公衆電話を見つける。そこに置かれていた30年前の電話帳。見覚えのある名前。思わず電話をかけると、電話に出たのは、30年前の高校時代の親友、若井医院の御曹司、若井太だった。驚いたことにその電話は、30年前の高校生当時の親友につながっていたのだ。

この電話をきっかけに小坂勇一は、高校時代に思いを寄せていた同級生の女性、幸(さち)のことを思い出す。勇一と太と幸は、仲のよい友達だったが、勇一の誕生日に一度だけ、勇一は幸と二人っきりでデートをしたことがある。だがその日の夜、幸は死んでしまった。なぜ、幸は死んでしまったのか?

ここから小坂勇一は、30年前の記憶をたどっていくことになる。

脇を固める清水美紗(勇一の妻)、裕木奈江(勇一の会社の同僚)、津島恵子(若井太の母)、小林桂樹(幸の父)らの演技も、じつに素晴らしい。

Img_1235269_39285856_0原作は、赤川次郎の小説「長距離電話」だが、映画をあらためて見てみると、大林監督がかつて福永武彦原作の小説を映像化した「廃市」(1984年)と、とてもよく似ていることがわかる。

小坂勇一が、30年前の記憶をたどる旅の中で、親友の若井太の母親(津島恵子)から聞いた話は、小坂にとって衝撃的なものだった。

病院の御曹司である太は、その後大人になって医者の家業を継ぎ、子どもの頃からの許嫁と結婚するが、5年ほど前、不倫相手と心中してしまう。それにショックを受けた太の父も、それからほどなくして死んでしまう。かくして村の旧家である医院には、太の母親(津島恵子)だけが残される。

「結婚して、ほかの女の人を好きになって、あんな死に方をしましたけど、私はね、あの子は、本当は別の人を好きだったんじゃないかと、そう思われて仕方がないんです」

と、母は小坂に語った。太もまた、高校時代の友人の幸(さち)のことが好きだったのではないか、と母は思っていたのだ。

これとそっくりの設定が、「廃市」の中にある。

貝原直之が妻・郁代のもとを去り、不倫相手の秀(ひで)と心中する。だが、本当に直之が好きだったのは、自分でも秀でもなく、妹の安子だったのではないか、と郁代が疑うのである。この構図が、そっくりなのである。ちなみにこの映画で直之の役を演じたのは、峰岸徹であった。

さて、営業成績が不振の小坂は、会社から一方的にクビを宣告され、解雇される。

荷物をまとめ、会社を去る時、「戦友」ともいうべき会社の同僚、八代景子(裕木奈江)が、

「はい、これ」

と、自分の愛読書を荷物の中に放り込む。

「『稚なくて愛を知らず』…」石川達三の小説である。

「あなたもすぐに、私のことなんか忘れておしまいになるわ。…だから」

「…君は、これから…」

「居られるだけここに居ます。…でもね、ときどき考えるわ。どうして私、いまここに居るんだろうって。ここにいない私だって、どこかにいるはずなんじゃないかって」

「さよなら。元気で」

「あなたも」

このときの裕木奈江が、とてもすばらしい。ま、それはともかく。

これは、「廃市」の最後で、卒業論文を仕上げるために貝原家に滞在していた江口が、貝原家と別れを告げ、東京に戻る汽車を待っている間に、安子と交わす会話を彷彿とさせる。

-----------------

「これでお別れね」

「僕また来ますよ」

「いいえ、あなたはもういらっしゃらないわ。来年の春は大学を卒業して、お勤めにいらして、結婚をなさって、ね、そしてこんな町のことなんかすっかりお忘れになるわ」

「そんなことはありません」

「そうよ。それがあなたの未来なのよ」

「じゃああなたの未来は?」

「こんな死んだ町には未来なんかないのよ」

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小坂もまた、この「死んだような会社」を去り、八代景子は残るのである。

そして最後に江口は、貝原安子に対する自分自身のほのかな愛情に気づくのであるが、この微妙な関係は、小坂勇一と八代景子との関係に擬せられるのだ。

「廃市」との奇妙な符合は、原作によるものなのか。監督の脚色によるものなのか。

さて、こうなると、赤川次郎の原作を読まねばらならないのだが、残念ながら、まだ読んでいない。福永武彦の小説「廃市」は何度も読み返しているのだが。

だが、大林監督によってかなり脚色されていることは、間違いないだろうと思う。

何より、この映画の全編で効果的に使われている、リストの「ため息」は、大林監督の趣味によるところが大きいのである。映画全体を包みこむこの音楽こそが、この作品を大林映画たらしめているのだ。

さて、今回の解説、おわかりいただけたかな?

ん?わからない?

たぶん誰にもわからないだろうな。だって、超マイナーな映画どうしの比較だもの。

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峰岸徹のダンディズム

絶対に薦められない大林映画第2弾は、「麗猫伝説」(監督:大林宣彦、1983年)である。

Reibyoudensetuこの「麗猫伝説」は、日本テレビの「火曜サスペンス劇場」で放映された。

いま見ると、とてもテレビ向きとは思えない、幻想的なアングラムービーである。個人映画、といってもよい。だが私の大好きな作品である。

簡単に内容を説明すると、

かつては「日本のハリウッド」と呼ばれながらも、いまは映画不況に苦しむ「瀬戸内キネマ」が、30年前に製作中断された「化け猫映画」を復活させるべく、撮影途中に突如引退した伝説の大女優(入江たか子)の復帰を画策する。伝説の大女優は、引退した30年前とまったく変わらない若さのまま、瀬戸内海の離れ小島で、元監督(大泉滉)と世捨て人のような生活を送っていた。

ストーリーは、「伝説の大女優」(入江たか子、入江若葉の親子が演じた)、大女優のもとに送りこまれた若き脚本家(柄本明)、そしてその恋人(風吹ジュン)といった人々を中心に展開される。

「伝説の大女優」を演じた入江たか子は、かつて実際に大映の「化け猫映画」シリーズに主演した往年の名女優で、映画は虚実皮膜の間をさまよいながら進んでゆく。

だが、この映画で何より印象的なのは、「伝説の大女優の私生活」をスクープするために取材をする芸能ルポライターを演じた、峰岸徹である。

峰岸徹こそは、大林宣彦監督のイメージする「ダンディズム」を体現する役者である。そして「麗猫伝説」こそが、数ある出演作の中で、峰岸徹のダンディズムが最もよくあらわれている作品なのである。

「ダンディ」とか「ダンディズム」とかは、すでに死語かもしれないが、それ以外に表現しようがない。

「頼まれたことはあとには引きませんよ。なにしろこれが私の人生の文体なんでね」

そう言って去って行く後ろ姿は、映画史上に残る名場面である。

「なにしろこれが私の人生の文体なんでね」

この言葉を私は、ときおり思い出す。

自分にとっての「人生の文体」って、何だろう。

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馬鹿っ母と馬鹿っ夫

5月21日(火)

毎週月曜日は、大学1年生対象の授業。100人以上が受講している。

授業の終わりに、感想を書いて提出してもらうのだが、先週の感想の中に、授業の本筋とは関係ない話がとくに印象的だった、と書いた学生がいて、「大変申し訳ないですが、今日の講義でいちばん驚いたことがコレでした」と結んであった。

昨日の授業で、その感想をみんなに紹介しながら、私は言った。

「だいたい、大学の授業なんて、肝心な本筋より、どうでもいい枝葉の話をよく覚えていたりするもんです」

そう言いながら、急に思い出したことがあった。

「そういえば、いま急に思い出したことがあります」と私は続けた。

「大学1年の時、一般教養の授業で、国語学の先生の授業をとっていたんです。今となっては、何を勉強したのかまったく覚えていないが、唯一、その授業で覚えていることがあります。

授業中に先生が、突然、こんなことを言い出したのです。

『よく女性週刊誌で『馬鹿っ母』という見出しがあるでしょう。あれってどう読むんですかねえ?』

その先生によれば、ハ行音の前に促音(小さい「っ」)がくる場合、その後のハ行音は必ず「パピプペポ」になるというんです。『意地っ張り(いじっぱり)』とか、『赤っ恥(あかっぱじ)』とか『青っ洟(あおっぱな)』とか。

だからこれを「ばかっはは」と読むことは、国語学的には絶対にありえない。

では原則通り「ばかっぱは」になるかというと、日本語の感覚としては少しおかしい。「ぱは」というのは言いにくいし、どうも間抜けだ。

いっそのこと、2番目の「は」も半濁音にして「ばかっぱぱ」にした方が言いやすいのだが、これでは馬鹿なのは「母」ではなくて「父」であるような誤解を招いてしまう。

結局、なんと読むか分からないまま、その講義は終わってしまったんです。

私、そのことが、ずーっと気になっていましてね。

何と読むと思います?」

学生たちは首をかしげている。

「それから10年くらいたったある日、突然ひらめいたんです」

もはや授業の本筋とはまったく関係ない話だが、学生たちは、固唾を飲んで聞いている。

「『馬鹿っカカア』と読むんじゃないか、と」

一部の学生たちは、呆れて笑いはじめた。

授業では話さなかったが、「馬鹿っ母」を「馬鹿っカカア」と読むのではないか、という仮説を立てたのは、映画「男はつらいよ 寅次郎の休日」を見ていた時である(また始まった)。

寅次郎(渥美清)の甥・満男(吉岡秀隆)が恋人・泉(後藤久美子)と駆け落ちしてしまったことを聞いて、寅次郎が妹のさくら(倍賞千恵子)とその夫の博(前田吟)を叱りつけるというシーンで、寅次郎は、妹夫婦にこんな言葉を浴びせたのである。

「お前らみたいな馬鹿オヤジと馬鹿っカカアのツラを見るのはまっぴらだ!」

このせりふを聞いたとき、「馬鹿っ母」は「馬鹿っカカア」と読むのではないか、と。その瞬間、溜飲が下がる思いがしたのである。

なあんだ、また「寅さん」か。結局、すべての答えは「寅さん」の中にあるのかもしれない。まあそれはともかく。

「しかし、この仮説には問題があります」私は続けた。

「辞書を調べてみますと、『かかあ』という言葉は、厳密には「母親」という意味では使われません。『妻』をさす言葉です。この仮説は、そこに難点があります」

学生たちは、ますます呆れ顔である。

「いずれにしても、大学1年生の時に先生から聞いた、本筋とは関係のないどうでもいい話が、私をいまだに悩ませ続けているのです。大学の授業なんて、そんなものです」

さて、話はここで終わらない。

昨日の授業が終わってから、例によってみんなに感想を書いてもらったところ、一人の学生が、こんな感想を書いていた。

「さくらももこ氏のエッセイに書いてあったのですが、女性週刊誌は「馬鹿っ夫」という言葉も作ってます。“ばかっおっと”と読むのか?語呂がわるすぎる」とさくら氏が評していました」

なんと、さくらももこのエッセイにも、同じようなことが書いてあるのか?

私が学生のころ、さくらももこのエッセイ集がベストセラーになっていたと記憶しているが、実は1冊も読んだことはない。いったい、エッセイにはどんなふうに書いているのだろう?

気になって仕方がなくなり、今日、本のリサイクルショップに駆け込み、さくらももこのエッセイ集を探すことにした。

リサイクルショップに行ってみると、さくらももこのエッセイ集って、ビックリするくらいたくさん出ているんだね。

だいたい90年代の初めに書かれたものが中心で、そういえば、学生時代に話題になっていたことを思い出した。

こうなったら片っ端からめくっていくしかない、と思い、めくっていったところ、

あったあった!ありました!

女性週刊誌について、こんなふうに書いてあった。

「それにしてもこの号一冊見てもじつにバカバカしい記事が多い雑誌である。『妻があきれた馬鹿っ夫』(これは“ばかっおっと”と読むのであろうか。音読しにくい)というコーナーでは、『笑いすぎて頭が裂けた夫』や『からし風呂で子種が枯れた夫』等が続々と登場している。こんなものを載せてるほうこそ“馬鹿っ雑誌”である」

学生が感想欄に書いていたのは、この部分のことだな。

105円だったので、買うことにした。

店を出てから、冷静に考えてみた。

私が大学1年の時に国語学の先生から聞いた「馬鹿っ母」の話は、80年代の終わりのことだし、さくらももこがエッセイに書いている「馬鹿っ夫」の話は、90年代の初めのことである。ということは、「馬鹿っ○○」という言葉は、この時期に集中して女性週刊誌でさかんに使われていた表現ということである。

そう言われればいま、「馬鹿っ○○」という表現はあまり見ないような気がする。

いまならさしずめ「モンスターペアレント」という表現を使うのだろう。

もうひとつ思ったこと。

感想を書いてくれた大学1年生は、自分が生まれるより前の90年代初めのエッセイを、読んでいたということか。

それはそれで、不思議な感じである。

…さて、ここで問題です。私が見つけた「馬鹿っ夫」についてのさくらももこのエッセイは、何というエッセイ集に入っていたのでしょうか?

答えは縦読みで!

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デブの理屈

5月20日(月)

先々週末のイベントが終わった翌日あたりから、少し足が痛い。

焼酎を飲み過ぎたし、美味しいものを食べたからだ、というだけでなく、肉体的にも精神的にも、かなり無理をしたことが、大きな原因である。

無理をしたり、調子に乗ったりすると、孫悟空のヘアバンドみたいに、足が「痛い痛い痛い!」となるのである。

足が痛くなると、歩くのにも億劫になり、とたんにやる気が起きなくなる。何をするにもしんどくなるのである。とくに先週金曜日あたりからは、そんな感じだった。おまけに宴会が2つもあったことが、ダメ押しした。

おかげで週末は、まったく何もやる気が起きない。やる気を奮い立たせて少しでも山のような仕事を進めるか?それとも、ここは何もせずにじっと休んで、週明けから頑張るか?

長考したあげく、後者の道を選んだ。おかげでだいぶ楽にはなった。

健康管理には十分に気をつけなければならない。ダイエットを始めるか。

先週金曜日の宴会に来ていた、私と同世代で、同じ体型の男性が言った。

「医者にこのままでは命にかかわると言われましてね。ダイエットをすることにしました」

日本酒をしたたか飲んで、いい調子で酔っ払っている。

「いつからです?」

「来週からですよ」

これは、私を含めた「デブ」がよく言う理屈である。いつやるの?今でしょ!

「どんなダイエットをするんです?」

「3週間、こんにゃくしか食べません」

これもデブの理屈である。私がよく言う、

「カプサイシンが痩せると聞いたから、粉唐辛子をたっぷり入れた鍋を作ろう」

というのと、同じ理屈である。

何かを食べて解決しようとする発想では、決してダイエットは成功しないのだ。

ちなみに、「甘いものは脳を活性化させる」というのも、デブの理屈である。

それにひきかえ、先々週末のイベントでお目にかかった市長さんはご立派である。

ここの市長さんは、一度会うと忘れることのできないほど強烈な個性の持ち主である。私からすれば、「ガハハ」なおじさんである。

その市長さんが、最近医者に言われて、ダイエットを始めたという。私の見たところ、ふつうの体型なのだが。

「最近は毎朝、早く起きて、2時間くらい歩いていますよ。あと、間食をやめました。そしたら、あっという間に5㎏痩せました。ただ、3食はしっかりと食べてます。晩酌もやめられませんねえ」

そうそう、これこそが、ダイエットの王道である。

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お稼ぎなさい

たとえば、韓国のお店でものを買ったあと、お店を出るときに、お客さんが店員に、

「マニパセヨ」

ということが多い。これは直訳すると「たくさん売りなさい」という意味になる。

また、タクシーの運転手さんにお金を払って、タクシーを降りるときには、

「スゴハセヨ」

という。これは直訳すると「お骨を折りなさい」「頑張りなさい」くらいの意味である。

韓国にいたころ、日本語にはない挨拶表現だよなあと思い、とても違和感のある言葉だったのだが、映画「男はつらいよ 寅次郎恋歌」を見ていて気がついた。

映画の冒頭、板東鶴八郎一座のもとを訪れた場面で、寅次郎は、別れぎわに、

「お稼ぎなさい」

と言っているのである。

そうか。「マニパセヨ」は、「お稼ぎなさい」という意味なのか。「スゴハセヨ」も同じニュアンスである。

かつて日本でも、「お稼ぎなさい」は普通に使われていた挨拶だったのだ。

そう考えると、いまはすっかり失われてしまった日本語の表現が、韓国語の中にとどめられている可能性もあるのではないだろうか。

韓国語の勉強は、それだけで、いろいろなことを考えさせられる。

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宴会をはしごする

5月17日(金)

毎年恒例の、「新2年生歓迎コンパ」が行われた。

ここ最近の私は、学生との飲み会で、何を話してよいのか、まったくわからなくなってしまった。端っこの、一番目立たない席に一人で座った。

学生たちには、それぞれ「仲良しグループ」があるみたいで、そういう人たちが固まって座っている。

ところが、運悪くそういう席からあぶれてしまった人たちが、仕方なく私の周りに来たようだった。

(申し訳ないなあ…)

私が何か話そうとしても、まったく関心がなさそうだったので、話をするのをあきらめた。ま、それがふつうなので、それは全然かまわない。私が学生だとしても、そう思うだろう。そもそも私がこの場にいることが間違いなのだ。

そんな中で、3年生のO君は、気を遣っていろいろと話しかけてくれる。将来の夢を語っていたのが印象的で、素直に「頑張れ」と思ってしまった。

9時に1次会が終わった。2次会には出ずに、今度は、別の宴会に出席する。

隣県から数人のお客さんが来ていた。10年来の研究仲間たちである。翌日の打ち合わせ会に先立っての、顔合わせ会である。県内の仲間たちを合わせて、10名ほどが、すでに盛り上がっていた。

ほとんどが同世代であり、こちらは気心が知れたメンバーである。私自身は、若干のブランクがあったが、それでも、これまでと同じように接してくれたのがありがたい。

10時半すぎにお開きとなった。途中参加だった私は、1時間ちょっとしかおつきあいできず、少し物足りなかったが、翌日朝9時から打ち合わせが始まることを考えれば仕方がない。ストレスで少し足が痛いにもかかわらず、だいぶ飲み過ぎたな、と反省して、歩いて家に帰った。

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2000円の座椅子

5月17日(金)

昨日の話の続き。

一昨日の出版社からの電話で、原稿の全面的な書き直しを命じられた。

「じゃあ、ほかの人が書いたゲラもぜんぶ送ってください。それを読んだ上で、そちらの方針にそった原稿を書きますから」

と言って電話を切った。

昨日、そのゲラが届いた。たくさんの人が書いているので、かなりの分量である。

昼間の仕事は忙しかったが、仕事の合間にそのゲラを読み、夜、「丘の上の作業場」の作業から帰ってきてから、原稿を書き始め、日付が変わるギリギリぐらいの時間に、原稿を仕上げて出版社に送った。400字詰め原稿用紙にして、10枚程度の分量である。

終わって家に帰る。

アパートに帰っても、とくにくつろげるようなスペースはない。私くらいの年齢になれば、ふつうは家にソファーとかがあるんだろうな。だが私のアパートにはない。10年以上前に2000円で買った座椅子が1つあるのみである。

背もたれのところの作りがかなりチャチなのだが、奇跡的にいままで壊れずにいる。この体重をいままでよく支えていたものだ。

とにかく、座ると体が痛くなるような座椅子なのだが、昨日はさすがに、座椅子に座ったとたん、眠ってしまったらしく、気がついたら朝の4時半だった。

あんなに座りにくい座椅子で、よくもまあ眠ってしまったものだ。そうとう疲れていたのだろう。

そして今日。

午前中、出版社から、原稿を受け取った旨のメールが来た。

「スピードと精度の高さに驚嘆しております」

そりゃあそうだ。こっちは本気を出したんだもの。たぶん、「融通の利くフリーライター」としては、最高だと思うぞ。

座ると体が痛くなる2000円の座椅子は、もう十分すぎるほど、元(もと)をとったんじゃないだろうか。

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平成の大悪党、締切破り吉三(きちざ)とは俺のこと

5月16日(木)

私は「怖い人」とは思われていなかったらしい。

むしろ、締め切りをすぎても会合の出欠の返事を出さなかったことのほうが、若手を中心にした仲良しグループの間でランチの時の恰好の話題になっていたらしい。

つまり、「怖い人」ではなく、「ダメな人」と思われていたということだな。

以前こぶぎさんからは、「平成の大悪党、締切破り吉三(きちざ)」と命名されたことがあったから、これに関しては一言もない。

しかしですよ。

原稿に関していえば、かなりがんばっているのだが、地味に依頼が多いので、全然こなせていないのだ。

そのうえ、最近はこんなことがあった。

出版社の編集者には、出版社の方針によるのか、編集者の個性によるのか、とにかくいろいろな人がいる。

書いた原稿を、そのまま印刷所に入稿してしまうところもあれば、編集者が、かなり入念にチェックするところもある。

ある出版社の企画で、どうしても、ある本の執筆者の1人として、かかわらなければならなくなった。

気が進まなかったのだが、気が進まない原稿ほど、早めに仕上げておこうと思い、執筆者の中で、一番乗りで原稿を出した。昨年11月のことである。

しかし待てど暮らせど、初校があがってこない。どうやら、原稿を出していない人がいるらしい。

やっとのことで、5月になって初校が出てきた。

初校には、編集者によってかなり赤が入っていた。それ自体は、ありがたいことである。

しかし、こんなことも書いてあった。

「この部分、表現がくどいので、こんな感じに直してみたらどうでしょうか」

と、編集者による「改善案」が書かれていた。

まあ、こういうことは、ないわけではない。しかし、はっきりと「くどい」と言われてしまった。

私の文章は、「くどい」のが持ち味だと思っていたのに…。

それを聞いた妻が言う。

「じゃあ、谷川俊太郎の詩に、編集者が赤を入れるかって話だよね」

蓋し名言である。レベルは全然違うが、そんな心境である。

こっちは無名の人間だし、仕方がない。編集者の方針にしたがって、文章を直して、初校を期日までに返したのである。

そしたら昨日、編集者から電話があった。

「あのう、…大変申し訳ないんですが…」

「何でしょう?」

「お書きになった御原稿、全面的に書き直していただけないでしょうか」

「え?どういうことです?昨日初校を返したばかりですよ」

「編集部でも話し合ったのですが、お書きになった御文章が、本書の方針にそぐわないものでして…」

「ちょ、ちょっと待ってください。私は編者の方に言われて、その方針通りに書いただけですけど」

「それはよくわかります。しかし私ども編集部で、編者の先生に何度もこちらの方針をお伝えしたんですけれども、なかなか伝わらなかったみたいで…」

「でも、そんなこと全然聞いてませんでしたよ」

「申し訳ありません」

どうもよくわからないが、私が「貧乏くじ」を引いたことだけは確かなようである。

この期に及んで「全面書き直し」とは、前代未聞である。

「わかりましたわかりました。じゃあ、今から書き直します」

「すみません。お願いします」

ただでさえ、あちこちから矢の催促が来ているのに、この上、一度書いた文章をぜんぶ破棄して、全面的に書き直すことほど、徒労に感じる仕事はない。しかも、編集部から出された新たな注文は、以前よりも面倒なものであった。

締め切りを誰より早く守っても、先方の事情で書き直しをさせられることもあるのだ。で、結果的に私が周りに迷惑をかけたみたいになる。

「あんたはさっきから締め切り、締め切りと言うが、締め切りって何かね?」

たしかドラマ「北の国から」で、菅原文太がそんなセリフ言ってなかったっけ?

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危険!サムジャン野菜炒め

Product_107 サムジャン、とは、韓国の味噌の一種で、焼肉を野菜に巻いて食べたりするときに、一緒につける味噌のことである。

ずいぶん前に、韓国に旅行したときに買ったものがそのままになっていた。

通常は、キュウリに味噌をつけて食べるみたいな感じで、火を通さずにいろいろなものにつけて食べるものなのだが、買ってからだいぶ時間が経っているので、火を通すことにして、野菜炒めのソースとしてからめてみた。

そしたらあーた。めちゃくちゃ美味しい!

こんな美味しい野菜炒めは、いままで食べたことがないくらいである。

ご飯がススムススム。

…もっとも、味が濃いからかも知れないが。

いずれにしても、美味しすぎて、ダイエット中の人には危険である。

いまや、輸入食料品を扱っているスーパーなら、必ず置いています。黄緑色のパックが目印です。

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いくつもの消息

5月15日(水)

毎日いろいろと大変ですなあ。

今日も引き続き、「怖い人」キャンペーン実施中である!

昨日、所用があって、今年卒業した学生たちにメールを出した。

卒業生にこちらから連絡をとることはしないと決めているのだが、聞きたいがことがあったのでメールしたのだった。

すると、忙しいにもかかわらず、何人かから返事が来た。みんな元気そうだった。

返事をくれたうちの1人、Uさんが、最後にこう書いてくれた。

「先生は、学生のために一生懸命にしてくれると大変評判がよかったです。

きっと今も、今の学生さんたちに一生懸命なのだと思います。

学生としては、とても幸せであると感じましたし、みんなも感じていると思います。

私はおかげさまをもちまして、社会人、日々充実しております。

無理をなさらないよう、お体にお気をつけてお過ごしください」

私は、とくにU さんに対しては、在学中、何の役にも立てなかったと、申し訳ない気持ちでいたのだが、たとえ完全な社交辞令であれ、こう書いてくれたことは、私にとって励みになった。

さて、その今の学生である。

今日、「就活」に打ち込んでいて音信不通だった4年生の1人から、メールで嬉しい知らせをもらった。私も少しだけお手伝いしたのだが、そのことに対する感謝の言葉が書かれていた。

こんどは別の4年生が仕事部屋にやって来た。モヤモヤと悩んでいたことに対して、自分である決断を下したら、それによってずいぶん気持ちが楽になった、という。

「昨日は、食事ものどを通らなかったんです」

「そんなに悩んでいたの?」

「でも、自分の中で決断したら、気持ちが晴れ晴れして、さっき外でスキップしてきました」

「それはよかった」

私の指導する学生には、どん底まで悩む、というタイプが多い。たぶん指導教員がそうだからかもしれない。だが悩むということは、真剣に向き合う、ということなのだ。

「しかしこれで、自分を追いつめたことになるぞ」

「わかってます。でもこれで、心おきなく頑張れるんです」

その学生は、晴れ晴れとした顔で、仕事部屋を出ていった。

消息とは、重なるものである。

韓国からは、語学学校でお世話になったナム先生のメッセージが届いていた。

ナム先生からは、たまに思い出したように、メッセージが届く。

3カ月を単位とする語学学校の1学期の授業が終わったという報告だった。学期中は、それこそ戦争状態であり、韓国語でいう「精神がない」状態なのだが、終わってホッとしたのだろう。

ナム先生は、語学学校で教師をしながら大学院の博士課程に進学したが、あまりの忙しさに腰を痛めてしまい、結局、大学院を休学することになってしまった。今は少しずつ回復しているという。

いつだったか、ナム先生は私のことを「メンター」であると書いていた。最初は意味がわからなかったが、調べてみたら「指導者」「教え導く人」みたいな意味である。

私が教え導いたことなど一度もないのだが、たまに思い出したようにメッセージをくれるのは、ありがたいことである。

「今年の夏は、○○○さん(私の妻)も一緒に、また韓国でお目にかかれるのを楽しみに待っております。ヒョンブ(姉の夫)も楽しみに待っています」

と書いてあった。

一段落したら、夏の韓国旅行の計画でも立ててみることにしよう。

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怖い人

5月14日(火)

職場の若手たちから、怖い人と思われているらしい。

ひごろ全然接点のない職場の若手が、仕事部屋に来た。

「あのう…」

「何でしょう?」

かくかくしかじか…。

完全に私の落ち度であった。

「ごめんなさい。うっかりしていて」

「いえいえ、とんでもないです」

私が悪いにもかかわらず、その若手は、ビクビクしながら、逃げるように去って行った。

絶対に怖い人と思われているなあ。ふだんいろいろなところで噛みついているのを見ているからだろう。全体会議でもキツイことばかり言ってるし。誰にでも噛みつく野犬だと思われているんだな、と苦笑した。

別の部局に行くと、職員さんが言う。

「この前、X君と会ったんです」

「元気にしてましたか」

「ええ。先生、2月にX君とお話ししたでしょう」

「もちろん覚えてますよ」

「そのときの先生に対する印象を、X君は『とても怖い人だった。先生の発言が一番怖かった』と言っていたんですよ」

「そうでしたか。そんなつもりは全然なかったんですがね」

やはり、怖い人と思われているらしい。

だから若手から話しかけられないのかと、妙に納得したのであった。ま、別にいいんだけどね。

それならばこれからは、この「怖いキャラ」を、もっと定着させていこう、と思った。

午後、印刷室に行くと、入口から入って手前のコピー機の前で、別の若手が困った様子で立ちすくんでいる。

コピーを大量にして、紙詰まりを起こしたらしい。

(だから言わんこっちゃない。手前のコピー機でやるからそうなるのに…)

ふだんの私なら、「紙詰まりですか?」とか何とか言いながら、親切にお手伝いするのだが、

(ここはひとつ、何も言わずにおこう。コピー機の特性も、教えないぞ)

と思い、眉をしかめて、「話しかけるなオーラ」を出しながら、奥のコピー機で、せっせと自分の資料を大量コピーした。その若手も、コピーが終わると、逃げるように印刷室を出て行った。

「怖い人」作戦、成功である!

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そばにあるもの

一昨日のイベントで一緒に講師をつとめた方が、昨日のウオーキングでは杖をついていた。まだ杖が必要な年齢ではない。

「どうしたんです?」

「いやあお恥ずかしい。先日、自転車で転んで、腰を打っちゃってね。だいぶ治ったんだけど、今日はけっこうな距離を歩くというから、念のため杖を使うことにしたんだ」

杖をみると、名前のシールが貼ってある。苗字はその人のものだが、名前が違う。

「そこに書かれているお名前は?」

「親父の名前ですよ。昨年死んだ父の形見が、まさかこんなに早く役立つとはねえ」

そういって、その方は笑った。

「なんかちょっといい話ですねえ」と私。

杖は、いつもその人の傍らにいて、その人を助ける。

まるで父が息子に寄り添うように、である。

だから、大切な人への形見となるプレゼントは、その人につねに寄り添うものであるのがよい。

その人の心の支えになるものであるならば、なおよい。

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どんな講師やねん!

5月10日(金)~12日(日)

土曜日、ある町のイベントに講師の1人として呼ばれて、お話をした。新幹線と飛行機を乗り継いで7時間以上かかるので、前の日の金曜日に現地入りした。土曜日のイベントは、150人くらいの一般市民の方々の参加を得て、つつがなく終了した。関係者による打ち上げは、夜11時半まで続いた。

私は日曜日の午後の飛行機で、帰ることになっていた。

「翌日の午前中は、市内巡りのイベントがありますので、それにも参加してください」

「わかりました」

翌朝(12日)の9時少し前に集合場所に行くと、80人くらいの市民がすでに集まっていた。天気は快晴で、すでに夏のような暑さである。

「ずいぶん集まりましたねえ」

「ええ、昨日のイベントに来てくれた方が、今日もたくさんお見えです」

「そうですか。…で、バスでまわるんですか?」

「とんでもない!徒歩ですよ」

ええぇぇ!!聞いていなかった。てっきり車か何かでまわるかと思っていたので、背広に革靴で来てしまった!

たしかに集まった人たちは、動きやすい服装で来ている。

朝9時、ウォーキングに出発!

昨日のイベントに来た方々が、私を見つけて、「あ、昨日の先生ですね」と、話しかけてきた。みなさん、私よりも年上の方々である。たぶん私が最年少だったのではないだろうか。

ある熟年夫婦が話しかけてきた。

「あのう、…昨日のお話を聞いて、疑問に思ったことがあるんですが…」

実直そうな男性と、小柄で愛嬌がある感じの奥さんである。

質問の内容はかなり難しく、ちゃんと答えることができなかった。

歩き続けているうちに、汗が止まらなくなり、川に落ちたみたいな感じになってきた。

しばらくして、またその熟年夫婦が話しかけてきた。

「あのう…水分補給はしないんですか?」

「ええ、うっかりペットボトルの水を買うのを忘れてしまいましてね」

「よろしかったら、これをどうぞ」

そういうと、紙パックの野菜ジュースを私に渡した。何で野菜ジュース?と思いながら、「はあ」と受け取った。

「さあ、飲んでください」

「ありがとうございます」

とはいうものの、ぬるーい野菜ジュースの紙パックは、かえってのどが渇く気がしたのだが、ご厚意はありがたいので、ストローでチューチュー飲むことにした。

いちおう私は、前の日の「講師」なのであるが、背広姿で大汗をかいて野菜ジュースをチューチュー飲む姿を見られるのは、ちょっと恥ずかしい。

しかも、である。

荷物を全部ホテルに預けて、手ぶらで参加してしまったために、その後は飲み終わった紙パックを、ずーっと持ち歩くことになってしまった。

もちろん、ご厚意はとてもありがたかった。

もうすぐウォーキングが終わろうか、というとき、また例の熟年夫婦が近づいてきた。

「今日のうちにお帰りですか?」と、その小柄な奥さん。

「ええ、午後の飛行機で」

「そうですか。せっかくですからこちらの美味しい料理を食べて帰ってくださいよ」

「どういうものが美味しいんです?」

「こちらはラーメンが美味しいですよ」

「ああ、そうですか」

「あ、でもちょっと待ってください。失礼します」

そう言うとその小太り、いや小柄な奥さんは、私に近づいて、なんと私のお腹をポン、ポンと2回たたいたのである!

えええぇぇぇぇぇ!!!ちょっ、…何すんねん!

「ラーメンはやめた方がいいですね。そばかうどんにした方が」

その奥さんは、自分の言葉にヒャーっヒャッヒャッヒャ、と笑い出した。

「……ほかには、どんなのがあります?」

「黒毛和牛とか黒豚いうのもありますよ。…もっとも私は白豚と呼ばれていますけど」

そう言うと、その奥さんはその自虐的なギャグにまたヒャーっヒャッヒャッヒャッ、と、笑い出した。

「……」

こういうとき、どんな風に言葉を返したらいいかわからない。

「あ、でもちょっと待ってください。失礼します」

そう言うとその奥さんは、また私に近づいて、私のお腹をポン、ポンと2回たたいたのである。

「やっぱり黒毛和牛や黒豚もやめた方がいいですね」

そういうと、またヒャーっヒャッヒャッヒャッ、と笑い出した。

実直そうな旦那さんも、その横で一緒になって笑っている。

昨日はいちおう、とてもまじめな講話をしたのだが、こんなにフランクに体を触れられる講師っているだろうか??ぬいぐるみじゃないんだから、ハードル低すぎるだろ!

そうこうしているうちに、お昼12時前、ウォーキングが終了した。

「楽しかったです。ありがとうございました」

炎天下の中を歩いたが、あっという間の3時間だった。

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美味しい郷土料理をいただきました!

5月10日(金)~12日(日)

ある町のイベントに講師として招かれて、お話をしてきました。新幹線と飛行機を乗り継いで7時間以上かかる場所です。

イベントが終わった日の夜は、美味しい郷土料理をいただきました!郷土料理というと、なぜかすごくテンションが上がるんですよねえ(笑)。私だけでしょうか。

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つきだしです。左側の小さなツブ貝が、必ず出るようです。

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名物の鶏刺しです!

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ちょっと写真がブレてしまいましたが、刺身の盛り合わせです。右側に名物のキビナゴの刺身がありますね。海ぶどうも見えます。

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キビナゴの天ぷらです。このほかにも、鰹の腹皮、という料理も出ました!

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やっぱり芋焼酎ですよねえ。これらの料理に合うものは、芋焼酎しかありません!この日はビックリするくらいたくさん、芋焼酎のお湯割りを飲みました!

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最後の方に出た料理です。右側のきなこがかかっているものは、「あくまき」というそうです。

いやあ、この日は芋焼酎を飲みすぎました(笑)。

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コピー機よ、ありがとう

印刷機運がないって話、以前にしたでしょう?

職場の印刷室にコピー機が2台あって、入り口から入って手前のコピー機は、両面印刷して大量印刷したものをステイプルする、みたいなややこしい印刷をすると、ひどい紙詰まりを起こす。

明らかに、手前のコピー機の方が、紙詰まりする確率が高い。

最初は、とても腹が立ったんです。何で紙詰まりするんや!と。

2台とも同じ機種なのにどうしてだろう?と考えてみたら、

手前のコピー機はカラーコピーだのスキャナー機能だの、多機能を背負わされて、その分、すぐに機械が熱を持ってしまうので、紙詰まりを起こしやすい。

一方、奥のカラーコピーには、カラーコピーの機能もスキャナーの機能もなく、白黒のコピーだけに機能を特化しているから、多少の面倒なコピーをしても、紙詰まりを起こす確率はぐんと低くなる。

だから、両面印刷して大量印刷したものをステイプルする、といった、面倒な印刷をするときには、奥のコピー機を使えばよい。枚数の少ないような場合は、手前のコピー機を使えばよい。

…という仮説を立ててからというもの、意識してコピー機を使い分けることによって、紙詰まりは減ったし、万が一紙詰まりしたとしても腹も立たなくなったのです。

(ああ、うっかり手前のコピー機で、面倒な印刷をしちゃったからなあ)

とか、原因がわかったから。

で、思ったんです。

人間も同じなんじゃなかろうか、と。

人が人に腹を立てる時って、その人を「理解できない」からだろうと思う。

「何でそんな考えになるんだ?」

とか、

「何でそんなことで、癇癪を起こすんだ?」

とか。

でも、その人の性格を分析して、原因が理解できれば、多少は怒りも和らぐのではないだろうか。

…やはりそれでも、腹が立つか?人間の場合は。

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ブログプレイバック・映画「生きる」

5月9日(木)

この1週間、いろいろなことがあって、心がかなり「アレ」な感じになっていた。

実際には、信頼している人に愚痴を聞いてもらったり、励ましてもらったりして、それが心の支えになった。「周りに味方が誰もいない」というのは、ちょっと書きすぎであった。

ここ最近書いていることも、かなり荒れまくっていて、ふだん読んでもらっている方たちにかなり不愉快な印象を与えてしまったに違いない。

実際、このブログは、読む人は熱心に読んでいるみたいで、今日も夕方、「丘の上の作業場」に行くと、世話人代表のKさんが、

「連休はどこに行ってたんです?あの湖はどこなんです?」

と聞くから、

「霞ヶ浦です」

と答えた。

同い年の盟友・Uさんも、

「連休中、時間があったので、我が家のパソコンのお気に入りに登録しておきました」

という。

「それと、忌野清志郎!オレ、RCのアルバム全部持ってるんすよ。それに学生時代、日比谷の野音にも行ったし」

と、忌野清志郎トークがはじまった。

これだけ熱心に読んでもらっているのかと思うと、ここで我が身をさらけ出すことが、かなり恥ずかしくなってきた。

こぶぎさんにしても、このところのコメントの力の入れ具合は、「もっとバカバカしいことを考えようぜ」というメッセージだろうと思う。生活時間のほとんどを、このブログのコメントのために費やしているのではないかと思うと、そのバカバカしさに頭が下がる。

私の好きなエピソードに、「誇るべき連携」というのがあって、その中に、映画「生きる」について書いた部分がある。

恥ずかしいが、気に入っている文章なので、以下に再掲する。

-----------------------------

余命幾ばくもない市役所職員・渡辺勘治(志村喬)は、最後に自分のなすべきこととして、町に小さな公園を作ることを決意する。

今まで「無気力」「縦割り行政」「たらい回し」の権化ともいえる市役所では、公園ひとつ作ることすらままならなかったのだが、渡辺は最後の力をふりしぼって、市役所中を駈けずりまわり、公園を完成させ、絶命する。

通夜の席で、渡辺勘治が公園づくりにかけた想いが次々に明らかになり、参列していた市役所の同僚たちが、渡辺のとった行動に感動する。

「僕アやる!断じてやる!」

「そうだ!渡辺さんのあとに続け!」

「よし、僕も生まれ変わったつもりで」「やるぞ!」

「頑張るぞ!」

渡辺のとった行動を称賛する同僚たち。「無気力」「縦割り」「たらい回し」との訣別を決意する同僚たち。

しかし、である。

明くる日から、何ごともなかったかのように、市役所ではまた、「無気力」「縦割り」「たらい回し」がくり返される。

映画はその現実を映し出す。

これが現実である、と思い知らされる場面である。

だが、映画はここで終わらない。

通夜の席で、たったひとり、心の底から渡辺の行動に心を揺さぶられた同僚がいた。

この同僚だけは、いとも簡単に市役所の日常に戻ってしまったわけではなかった。

渡辺のとった行動を、渡辺が作った公園で遊ぶ子供たちを見ながら、噛みしめるのであった。

映画はここで終わる。

渡辺のとった行動は、たしかに、ひとりの人間の心を揺さぶったのだ。

そのことをこそ、誇るべきなのではないか。

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噛みつく野犬は吠えない

5月9日(木)

昨日はすっかり心が折れたが、ワインを家でボトルの3分の2くらい飲んで、気持ちがリセットできた。

昨日、「野犬」として噛みついた一件は、よい方向に向かいそうだ、ということだった。

「言っていただいたおかげで、問題点が明らかになりました。先生に言っていただけなければ、ずっとこのまま放置されていたかも知れません」

「そうですか。それはよかった」

本当に事態が好転するのか、まだ疑わしいが、噛みついてよかった、と思った。

韓国の巨匠・ボン・ジュノ監督の映画に、「フランダースの犬」(原題)という映画があって、その邦題が「吠える犬は噛まない」というタイトルである。これは、「口やかましい者ほど、実行力・実力が伴わない」ということわざらしいのだけれど。

私は、

「噛みつく野犬は吠えない」

みたいな生き方がいいなあ、と思う。

よく、怒鳴る人っているでしょう。

私は怒鳴る人、というのが苦手である。

怒鳴っても何にも解決しないのになあ、と、いつも思うのだ。

「怒鳴らなければわからない人」というのは、「怒鳴ってもわからない人」だと思うからだ。

だからどんなに腹が立っても、怒鳴るのだけはやめよう、といつも思っている。

「怒るときは敬語で」

これが、いつも私の心がけていることである。

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地球だったのか!

世界の映画史上、「衝撃のラスト!」ともいうべき、「ラストのどんでん返し」が衝撃的な映画は何か?

妻とたびたび話題になる。

「ベスト3をあげよ」といわれたら、どうだろうか。

3つのうち2つは、すでに私たちの中で確定している。

映画のタイトルを書いてしまうと楽しみがなくなるので、あらすじを書きます。

ひとつはこれ。

「宇宙船が漂着した星は猿が支配する惑星だった。乗組員は地球に戻ろうと奮闘するが、そこには朽ち果てた自由の女神が…」

もうひとつはこれ。

「幽霊になった児童心理カウンセラーは、自らの死に気付かないまま、幽霊が見えるという児童を担当することに…」

この二つの映画は、「ラストのどんでん返し」があまりにも有名であり、もはや誰も驚かないほどである。

だが、あと1つの映画が決まらない。

さて、映画史上に残る「衝撃のラスト!」の映画といえば、ほかにどんなものがあるでしょう?

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厄介な野犬

5月8日(水)

「誰にも喜ばれない性格、というか、気づくと誰も味方がいなくなる性格ってわかります?学生の時から僕はそうなんですけど。『だったら言わなくていいじゃん、どっちも味方がいなくなるよ』みたいなことなんですけどね」

「まぁ、僕はそういう人生をず~っと送ってきてまして、多分、そんなこと言わなくていいのに、みたいなこともあるんでしょうけどね。でも、なんですかね?どこも何も言わないって変じゃないですか?なんだか納得がいかないんですよね…まぁ、損してますよね。僕は(笑)」

これは2年ほど前に、私と同世代のラジオDJが、ラジオ番組の中で言った言葉。このラジオDJは、性格が私とまったく同じである。

ここ最近ほど、この言葉を痛感することはない。

ま、今日も例によって、言わなくてもいいことを言うわけですよ。

そうすると世間的に「大人」の人が、「まあまあ」なんて言ってね、官僚的答弁で、うまく矛をおさめようとするわけです。

でもこっちは全然納得していないから、ムキになったりする。

傍観している関係者たちはだんまりを決め込んでいる。

今日はまさにそんな感じで、「ああ、やっぱり言わなきゃよかったよなあ」と、一日中、すっかり心が折れてしまったんですけれども。

そしたら、同僚で一人だけ共感してくれる人がいて、「言ってくれてありがとうございます」というメールが来た。

一連のやりとりを読んで、私とまったく同じ感想を共有したりしてね。

周りに誰ひとり味方がいない、と感じた1日だったけれど、ああ、通じる人がいたんだ、と思って、それが、かろうじて救われたことでした。

「厄介な野犬だねえ」と、妻はよく私のことをそう評します。すぐいろいろな人に噛みついたりするから(笑)。自分でも厄介な性格であることは重々承知しているけれど、でもそれで周囲の人々の人間性を量れているのだから、まあこの性格につきあっていくしかないか、と、半分は諦めています。

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スイカをめぐる、オッサンたちの冒険

このブログ、本文よりも、コメント欄の方が断然おもしろい。

きっかけは、5月5日(日)の演奏会の打ち上げの席で、、高校時代の同期のフクザワが私に話した「記憶の穴」である。

「1980年代後半から90年代前半頃、深夜に見ていたテレビ番組で、韓国の男性アイドル3人組が、歌を歌っていた。当時ものすごい人気だったらしく、キャーキャー言われていたのだが、歌っていた歌が「スイカの歌」というもので、歌詞の日本語字幕を見たら「スイカ甘いな 美味しいな」というような、かなり脱力するような内容の歌だった。あの歌は、いったい何だったのか?」

調べてみたが、まったく手がかりがつかめない。当時の人気アイドルグループ「ソバンチャ」が歌っていた歌ではないか、と仮説を立ててみたが、決め手がない。

するとコメント欄に、こぶぎさんからさっそく調査結果と仮説が寄せられた。こぶぎさんの徹底した調査には、舌を巻くほかない。

コメント欄を読めば、K-POPに対するこぶぎさんの愛情の深さを知ることができる。

そこでは、驚くべき仮説が語られていた。

当時の人気アイドルグループが、何かの企画で、韓国の童謡「スイカパーティ」を歌っていたのが、その番組で放送されていたのではないか、という仮説である。

可笑しくてたまらないのは、この「記憶の穴」を真剣にたどっていって、オッサン3人が行き着いた先が、この童謡「スイカパーティ」だということである。

夜中に何見てるんだ?俺たち(笑)

たぶん、ほかの誰もがこの話を読んでも、全然共鳴しないと思うのだが、この世界で3人のオッサンだけが、この「スイカをめぐる仮説」に共鳴している。

このバカバカしさは、大切にしないといけない。

バカバカしいことを真剣に考えるオッサンであり続けよう。

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マイナス思考の作り方

私は、霊能者などという者は信じない。

なぜならば、もし本当に霊能者がいたとしたら、感受性が強すぎて、つまり、いろいろなことに気がつきすぎて、とてもではないが普通の暮らしなどできないはずだからである。

私には、霊能力などない。

だが、私は人一倍想像力がはたらく。これは、誰にも負けない自信がある。

どんなプラスの出来事も、考え方1つでマイナスに変換することができるのだ。

その自分の思考に縛られて、1日の終わりにはヘトヘトになる。

とくに、ここ数日、極度の人間不信に陥っているので、なおさらそれが発揮される。

今日は、秘伝の「マイナス思考の作り方」を伝授しよう。

たとえばの話。

ある人(仮にAさんとする)から、私がとても好意的な評価を受けたとする。

ふつうだったら、これはとてもうれしいことである。私がAさんに対して好意を持っているとすれば、なおさらである。

しかし、そのKさんが、別の人(仮にBさんとする)に対しても同じように好意的な評価をしたとする。

ところが私は、Bさんをあまり評価していない。

たしかにスマートで能力はあるかも知れないが、口は軽いし、人は売るし、腹の中で何を考えているか分からないし、とにかく危なっかしくて、その人に心を開くことなんてできやしない。

少なくとも私には、そんなふうに映るのだが、ひょっとしたら、私の思い過ごしかもしれない。

しかも、そのAさんが、嬉々として、Bさんについての好評価を私に語っていたりすると、かなりどんよりした気持ちになってしまう。

(俺も、そんなふうな感じの人間なのだろうか…)

とか、

(Bさんにも無防備に私のことを話しているのだろうか…)

とか、

(俺がBさんに対して気になっている部分を、Bさんがさほど気にしていないということは、Aさんは度量の広い人物で、俺は心の狭い人物ということか)

とか、

さらにマイナス思考が悪化すると、

(俺の人物評価も、他の人にとってはそういう感じなのだろうか)

と、今度は自分の人物評価の基準にどんよりしたりする。

かくして、

好意を持っている人に好意的な評価を受ける。

心がどんよりする。

という、普通ならばあり得ないようなマイナス思考が生まれるのである。

これを越えるマイナス思考は、ないんじゃなかろうか。

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Yahoo!知恵袋に聞け!

100人以上が受講している1年生対象の授業では、毎回、授業が終わったあとに質問や感想を書いてもらう。

前回の授業の後の質問票に、こんな質問があった。

「今日は4月30日、明日から5月に入りますが、この地では肌寒い日々が続きますね。そこで質問ですが、この地では、いつ頃、こたつを片付けるのがベストなのでしょうか。私は毎日なやんでいます」

何なんだ?この、ラジオ番組に寄せられた普通のお便りな感じは??

私はなめられているのだろうか。

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続・雲をつかむような話

雲をつかむような話

5月6日(月)

昨日の演奏会の打ち上げの席で、高校時代の同期のフクザワが「そういえば、思い出したことがある」という。

高校生くらいの時のこと、というから、1980年代の半ばから後半にかけての時期である。

テレビ神奈川の夜中の番組を見ていたら、韓国のポップスを紹介する番組だったか何かで、韓国の男性3人組のアイドル歌手が出ていて、歌を歌っていた。日本でもこの当時、3人組の男性アイドルグループがけっこういたから、それを意識していたグループかなと思った、という。

ライブ映像では、そのアイドルのファンたちが、「ぎゃあぁぁぁぁ~」と歓声を上げている。すごい人気であることが、画面を通じてわかった。

ところが、である。

歌っている歌が、「スイカの歌」という歌で、画面の下に歌詞の日本語字幕が出ているのだが、

「スイカ甘いよ 美味しいよ」

といったもので、どうにも脱力するような内容の歌詞である。

にもかかわらず、そのアイドルグループのファンたちは、失神せんばかりの熱狂ぶりで、そのアイドルを応援している、というのである。

「あんまり面白いんで、姉貴を起こして『すげえ面白いぜ』と、見せようかと思ったくらいだ」

とフクザワは述懐した。

「いったいあの歌は、何だったんだろう?」

そこでひとしきり、議論になる。

「『スイカの名産地』みたいな歌を、当時のアイドルが歌ったんじゃないだろうか?」

とか、

「日本でいう、『寿司食いねえ』みたいな感じの歌だったんじゃないだろうか?」

とか、

「ほんとうは、『メロンのため息』(山瀬まみ)みたいな歌なのにもかかわらず、日本語に歌詞を翻訳するときに換骨奪胎されて、『スイカ甘いよ 美味しいよ』みたいな歌詞になってしまったのではないだろうか?」

とか。

いずれにしても、こんなクダラナイ話で盛り上がれるのは、私とフクザワぐらいなものである。ほかの誰も、この話にはついてこなかった。

「そこで、お前に調べてほしい」とフクザワ。「高校の時から今まで、あの歌はいったい何だったのか、ずーっとモヤモヤしていたんだよ」

もちろん私も、この歌の正体には、興味がある。

「わかった。調べてみるよ」と私。

そうはいってみたものの、なかなか難しい。

翌日、妻にこの話をして、インターネットで調べてもらったが、よくわからない。

もちろん私も調べてみたが、やはりよくわからない。

1980年代後半に活躍した韓国の男性アイドルグループといってすぐに思い浮かぶのは、「ソバンチャ(消防車)」という名前の、3人組の男性アイドルグループである。1987年にデビューしている。

日本では、ダウンタウンがこのソバンチャのヒット曲をカバーしたことがあり、それがきっかけで日本でも知られるようになったと記憶するが、ダウンタウンが「オジャパメン」(原題は、「オジェパム イヤギ(夕べの話)」という曲をカバーしたのは1996年だから、フクザワがそのアイドルを見たのは、それよりもはるか前のことである。もしフクザワが見たのがソバンチャだとしたら、ソバンチャがデビューして間もないころのライブ映像、ということになる。

ソバンチャのディスコグラフィーの中に、「スイカの歌」があったかどうかは、不明である。

はたしてこの歌は、いったい何だったのか?

手がかりをまとめてみよう。

・1980年代の半ばから後半くらいに、テレビ神奈川で深夜に放送された。

・韓国の男性3人組アイドルグループで、当時すごい人気だった。

・「スイカの歌」で、日本語に訳された歌詞に「スイカ甘いよ 美味しいよ」というフレーズがあった。

…まるで雲をつかむような話である。本当にこんな歌、あるのだろうか?

〔追記〕

…と、ここまで書いたあと、フクザワから、追加の情報がメールで送られてきた。以下、引用する。

「スイカのうたですが、姉にも確認してみました。

・キャーキャー言われていた男性アイドルグループ

・「スイカ甘いよ、おいしいよ」的な翻訳歌詞

・夜中にやってた番組

以上についての記憶は一致してましたが、次については訂正されました。

・私が高校生では無く、もう少しあとつまり1990年代前半くらいではなかったか?

・TVK(テレビ神奈川)での放映かどうかは定かではない。

姉は私よりも記憶力が良いので、1990年代前半ってのはヒントになるかも知れません。キャーキャーの言われ具合と歌詞のギャップについても印象が姉と一致しているので、この点は当てになるかも。

まだまだ韓流ブームの兆しすら無かった頃なので、流し見してしまった事が悔やまれます。ちゃんとチェックしておけばずっと気に掛けずに済んだのに…。

くれぐれも調査?に余りお時間を掛けぬよう…って言ってもムリだろーなー。まぁこちらもそれ承知でけしかけてしまった訳ですが」

フクザワは私の性格を、よく知っている。

頼みの綱は、こぶぎさんか?

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大型連休の年中行事

5月5日(日)

午後2時。

出身高校のOBたちによる吹奏楽団の定期演奏会の開演に、何とか間に合った。

今年で22回目を迎える、ということは、創立して22年が過ぎた、ということである。私はその創立にかかわり、第9回の演奏会まで、毎年参加していた。それ以降、東京を離れてしまったので、演奏には参加せず、観客として演奏を聴く側にまわった。一昨年、司会者として舞台に立ったが昨年の演奏会では、司会をドタキャンしてしまったため、何となく演奏を聴きに行くのも、後ろめたい気がしていた。

だが2週間ほど前、高校時代の同期のフクザワから、

「絶対に聴きに来るように」

とメールが来た。フクザワは今年も演奏会に出るらしい。昨年のこともあるので、聴きに行くことにしたのである。

4時半、演奏会が終わり、客席から立ち上がると、「久しぶり」と声をかけてくる人がいた。

高校時代の同期のKさんである。高校時代、私に大西巨人の『神聖喜劇』を勧めた人である。

Kさんはここ数年、演奏会に出ていたのだが、今年は忙しくて、観客の側にまわったのだという。立ち話で、最近の話などをする。

都内の高校で国語の教員をしているKさんは、わからずやの上司にはっきりと意見を言ったために職場を追い出されそうになったこと、若い同僚たちの中にもジコチュウの人間が多くて困っていること、最近はますます余計な仕事が増えてきているが、授業だけは絶対に手を抜けないこと、職場には病気のため休んでしまっている同僚が増えたため、その分の仕事のしわ寄せが自分のところに来ていること、大変な職場だが、生徒たちに救われながら何とかやっていること、などを話した。

「どこも同じだねえ」と私。「うちのところもそうだよ。こんな状況でも、心を病むことなく勤めあげていることを、むしろ奇跡だと思わなきゃね」

「その通りだね」とKさん。Kさんは、相変わらずまじめで、筋を通す人だなあ、と、話を聞いていて思う。たぶん高校時代、私はこの人の「筋を通す生き方」に影響を受けたのだと思う。

kさんは、一緒に来た同級生のHさんとお茶をするというので、帰っていった。『神聖喜劇』を紹介してくれたことを覚えているか、確かめようと思ったが、とてもそんなことは聞けなかった。

その後、同期のフクザワに誘われて、演奏会の打ち上げに参加した。

演奏会のメンバーはすっかり代替わりして、そのほとんどはまったくわからないので、少しだけ顔を出して帰るつもりだったのだが、久しぶりにフクザワと会い、すっかり話し込んでしまった。

「来年こそ、演奏会に出てくれよ」

この言葉は、もはや年中行事のようになってしまった。だが、いまの仕事の状況では、どうなるかは、まったくわからない。

後輩たちも、「私たちのためにも演奏会に出てください」と言う。「どうして」と聞くと、「先輩が出てくれれば、私たちのモチベーションも上がるんです」と答えた。

どういう理屈でそうなるのか、はかりかねていたが、ともかくあの手この手で、私を演奏会に出そうとしているらしい。

のらりくらりかわしているうちに、気がつくと夜11時になってしまった。

かくして大型連休の年中行事が終わり、打ち上げ会場をあとにした。

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本格的なマグロ解体ショー

5月4日(土)

たまたま立ち寄ったスーパーで、マグロの解体ショーに遭遇しました!

買い物そっちのけで、見学することにしました。

まさに本格的なマグロ解体ショーです!

本格的なマグロ解体ショーを見ると、なぜかすごくテンションが上がるんですよねえ(笑)。私だけでしょうか。

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解体されてしまう運命となったマグロです!

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いよいよマグロ解体ショーの始まりです!

お客さんが固唾をのんで見守っています。

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あ、いま、頭が切り離されました!

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今度は背中を切り裂いています!

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胴体も切り離されました!

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なるほど、こんな感じになっているのね。

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体が半分になっちゃいました!

…とここで、時間切れ。最後まで見たかったなあ。

以上、マグロ解体ショー実況中継でございました。

引き続き、さわやかな大型連休をお過ごしください!

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さわやかな遊覧船

5月4日(土)

さわやかな遊覧船に乗りました!

はくちょう号です!

30分の短い船旅でしたが、さわやかな風にあたって、とても気分がよかったです!

遊覧船に乗ると、なぜかすごくテンションが上がるんですよねえ(笑)。私だけでしょうか。

引き続き、さわやかな大型連休をお過ごしください!

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はくちょう号です!

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はくちょう号の勇姿です!

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いるか号もいます!

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さらに竜宮号も!

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さあ、出発です!

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まるで白鳥の親子のようですね!

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さわやかな高原アウトレット

5月3日(金)

さわやかな高原アウトレットに行ってきました!

大型連休なので、たくさんの人でごった返していました。来ている人は、みんなセレブな人たちです。家族連れはもちろんですが、賢そうな犬を連れている人たちも多かったです。

女性を観察すると、大自然に囲まれたさわやかな高原なのに、バッチリメイクの人が多かったのがちょっと不思議でした。さすがセレブです!

そんな中で私は、靴を2足買いました。新しい靴を買うと、なぜかすごくテンションが上がるんですよねえ(笑)。私だけでしょうか。

さわやかな大型連休をお過ごしください!

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教えて!知恵袋

5月2日(木)

私の周りでは、憑かれてるんじゃないかってくらい、いろいろなことが起こる。

日記をつけておいてよかった、というのは、こういうときである。

まず、昨年12月の次の日記を確認しておきたい。

12月6日「気分はタコ社長」

12月7日「モギ裁判は、歌舞伎だ!」

このブログのヘビーリーダーならわかるように、私は、今年の1月11日に職場で行ったイベントに、かなり力を入れていた。なんとしても成功させたかった。そのため、そのイベントの1カ月前にあたる、12月のこの2日間に、別の部局の職員のSさん(当時)と一緒に、ポスターとチラシを印刷し、それを、地元の学校、公民館、図書館、放送局といった、公共機関に発送する準備をしたのである。その数は、100通くらいはあったと思う。この2日間は、この作業に明け暮れた。

印刷したポスターとチラシを封筒に入れ、、封をして、封筒に宛名シールを貼る。

さらに、「メール便」のシールを貼る。

12月7日(金)の夕方にすべて作業が終わり、後は発送するだけ、という状態にして、およそ100通くらいある封筒を、大きなかごに入れ、事務室に行ったところ、

「出しておきますよ」と、職員さんが言う。仮にその職員さんを、Xさんとしておこう。

「じゃあ、お願いします」といって、私は事務室を離れた。

さて昨日、私は、ある人に、とんでもないことを聞いた。

「あの100通の封筒、実は、発送していないんです」

私は一瞬、何のことかわからなかった。

「どういうことです?」

「ですから、事務室に置かれたまま、発送されなかったんです」

ええええええぇぇぇぇぇぇっ!!!!

「と、ということはですよ。私が苦労して2日間を棒に振ったあの封筒は、公民館にも学校にも図書館にも放送局にも、届かなかったってことですか?」

「そうです」

私は顔面蒼白になった。

「どうやら、Xさんが発送するのを忘れたようなんです。講演会が終わった後も、100通の封筒が置きっぱなしにしてあるから、おかしいな、と思ってXさんに『これ、発送しなければいけなかったんじゃないですか?』って聞いたら、『私は預かっただけで、私が発送するとは言ってない』と言ったんです」

…意味がわからない。というか、なぜ100通もの封筒を1カ月間もほったらかしにしていて、誰も気がつかなかったのか?その方がおかしい。その人が続けた。

「たぶん、Xさんは自分が発送することを忘れたのを認めたくなかったから、そんな風に言ったんでしょうね。で、そのあと『このことは鬼瓦先生(つまり私)には言うな。先生に見つからないようにこの封筒を処分しろ』と言われて、処分したんです」

気まずいからといって、何にも言わずに処分するとは…。ふつうの人間の考えることだろうか???

…もう私は、どうしていいかわからなくなった。

あの2日間の努力は、いったい何だったのか?

あのイベントは、まったくどこにも宣伝されていなかったのだ!

いちばん申し訳ないのは、2日間、献身的に手伝ってくれた、違う部局の職員のSさん(当時)である。Sさんがデザインをしてくれたポスターとチラシが、日の目を見ることなく、大量処分されてしまったのだ!

過ぎてしまったことは仕方がない。Xさんは4月に異動で違う部局に行ってしまったため、いまさら謝罪を求めるつもりもない。こうしてブログに書いたのは、これを私にふりかかった「災難」の一つとして、つまり人生の試練の一つとして、記録にとどめるためである。

さて、タイトルを「教えて!知恵袋」としたのは、この件に関して、ぜひ聞いてみたいことがあるからである。

「おたくの職場や部局にも、同じような経験がありますか?」

「100通もの封筒を、1カ月以上も発送せずに置きっぱなしにしていて、誰も気がつかないなんてことが、あるでしょうか?」

「こういうときの心境をうまく表現する言葉はありますか?怒りを通り越して、呆れるというか、膝から落ちるような感覚なのですが」

「こんな仕打ちを受けた私は、いったいどういう態度をとればいいんですか?」

教えて!知恵袋!

まったく、世の中はわからないことばかりだ。

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素敵な絵手紙をいただきました!

こぶぎさんから、とっても素敵な絵手紙を送っていただきました!

数日前に私が書いた「さわやか」な記事に対するコメントです。

とても癒やされますね!

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ただし、余った年賀状を使って、「唯野こぶき」の名前で、職場に送るのはやめてください!

郵便物を仕分けする職員さんに見られて、恥ずかしくてたまりません!

それにしても、落款まであって本格的だ。

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