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ブログプレイバック・映画「生きる」

5月9日(木)

この1週間、いろいろなことがあって、心がかなり「アレ」な感じになっていた。

実際には、信頼している人に愚痴を聞いてもらったり、励ましてもらったりして、それが心の支えになった。「周りに味方が誰もいない」というのは、ちょっと書きすぎであった。

ここ最近書いていることも、かなり荒れまくっていて、ふだん読んでもらっている方たちにかなり不愉快な印象を与えてしまったに違いない。

実際、このブログは、読む人は熱心に読んでいるみたいで、今日も夕方、「丘の上の作業場」に行くと、世話人代表のKさんが、

「連休はどこに行ってたんです?あの湖はどこなんです?」

と聞くから、

「霞ヶ浦です」

と答えた。

同い年の盟友・Uさんも、

「連休中、時間があったので、我が家のパソコンのお気に入りに登録しておきました」

という。

「それと、忌野清志郎!オレ、RCのアルバム全部持ってるんすよ。それに学生時代、日比谷の野音にも行ったし」

と、忌野清志郎トークがはじまった。

これだけ熱心に読んでもらっているのかと思うと、ここで我が身をさらけ出すことが、かなり恥ずかしくなってきた。

こぶぎさんにしても、このところのコメントの力の入れ具合は、「もっとバカバカしいことを考えようぜ」というメッセージだろうと思う。生活時間のほとんどを、このブログのコメントのために費やしているのではないかと思うと、そのバカバカしさに頭が下がる。

私の好きなエピソードに、「誇るべき連携」というのがあって、その中に、映画「生きる」について書いた部分がある。

恥ずかしいが、気に入っている文章なので、以下に再掲する。

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余命幾ばくもない市役所職員・渡辺勘治(志村喬)は、最後に自分のなすべきこととして、町に小さな公園を作ることを決意する。

今まで「無気力」「縦割り行政」「たらい回し」の権化ともいえる市役所では、公園ひとつ作ることすらままならなかったのだが、渡辺は最後の力をふりしぼって、市役所中を駈けずりまわり、公園を完成させ、絶命する。

通夜の席で、渡辺勘治が公園づくりにかけた想いが次々に明らかになり、参列していた市役所の同僚たちが、渡辺のとった行動に感動する。

「僕アやる!断じてやる!」

「そうだ!渡辺さんのあとに続け!」

「よし、僕も生まれ変わったつもりで」「やるぞ!」

「頑張るぞ!」

渡辺のとった行動を称賛する同僚たち。「無気力」「縦割り」「たらい回し」との訣別を決意する同僚たち。

しかし、である。

明くる日から、何ごともなかったかのように、市役所ではまた、「無気力」「縦割り」「たらい回し」がくり返される。

映画はその現実を映し出す。

これが現実である、と思い知らされる場面である。

だが、映画はここで終わらない。

通夜の席で、たったひとり、心の底から渡辺の行動に心を揺さぶられた同僚がいた。

この同僚だけは、いとも簡単に市役所の日常に戻ってしまったわけではなかった。

渡辺のとった行動を、渡辺が作った公園で遊ぶ子供たちを見ながら、噛みしめるのであった。

映画はここで終わる。

渡辺のとった行動は、たしかに、ひとりの人間の心を揺さぶったのだ。

そのことをこそ、誇るべきなのではないか。

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