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私は踊らされているのか?

6月24日(月)

最近もっぱら励まされることといえば、1年生が書いてくれる授業の感想である。

今日の授業では、こんな感想があった。

「(授業の)まとめのとき、先生の語りが古畑任三郎レベルにさえわたるのがすごいです」

毎回、あるテーマに関わるエピソードを紹介する、という形式の授業で、エピソードが終わるたびに、そのエピソードのまとめを話すのだが、その時のことを書いてくれたらしい。

「先生の語りが古畑任三郎レベルにさえわたる」という表現が、まさに私を「調子に乗せる」のに、十分すぎる表現である。

古畑任三郎が事件の謎解きをする場面は、まさに「さえわたる」という言葉がふさわしい語りをする。つまり、まるで事件の謎解きをするように、授業をまとめる、ということだな!

誰かに雇われて書いているんじゃないのか?だって、1年生がこんなことを書けるはずないもの。だいいち、「古畑任三郎」を今の若者が知っているはずはないのだ。

ぜったい私を陥れようとしているぞ。「ほら見ろ、すぐに踊りやがった」と。

こんな感想もあった。

「先生は引きあいに出すたとえ話が秀逸で、それがこの授業をより面白くさせているんだな、と気付きました(京都の人は兵庫が雪国、とか)。どうしたらそんなに話が上手くなれるんでしょう?」

これには注釈が必要である。

授業の中で、「人間というのは、自分のいま住んでいる世界が、世界のすべてだと思ってしまうものだ」と述べた。

そのたとえに、次のような話をした。

「みなさんにとって、『雪国』とは、どのあたりをイメージしますか?」

青森、とか、北海道、といった声が上がる。そもそも、いま住んでいるこの場所が「雪国」なのである。

「でも先日、京都の人と話をしたんだけれどね、その京都出身の人は、どのあたりのことを『雪国』と言ったと思いますか?」

しばらく考えて、金沢、という声が聞こえた。

「金沢ではありません。…兵庫県です」

学生が一様に驚く。兵庫県といえば、京都の隣ではないか。

「兵庫県の山間部に丹波という地域があって、雪の降る場所でしてね。京都の人にとっては、そこがどうも『雪国』のイメージらしいんです」

信じられない、という顔をする学生たち。

「『ふざけんな!』って感じだよねえ」

そう言うと、学生たちは大爆笑した。北国に住んでいる人間からしたら、当然の反応である。

「つまり人間は、放っておくと、自分のいま住んでいる世界の基準でしか、ものを考えることができなくなるものなんです」

…とまあ、こんな話をしたのである。

先ほどの感想は、それを受けてのものである。

この感想も、どうも私を陥れようとして、誰かの差し金で書いた感想としか思えない。

現に私はこうして、「踊らされている」のである。

だが、踊らされついでに踊ってしまうことにすると、今年度の目標は、もっともっと話芸を磨こう、と、決意を新たにした。

さて、今日の授業では、新しいエピソードに入りかけたところで終わった。こんな感想もあった。

「私の母が、このエピソードの結末を楽しみにしております」

「私の母」って…。ご家庭でこの授業のことが話題になっているということなのかあぁぁぁ?

こんな感想もある。

「来る途中、まだ新しい腕時計を壁にすったのがショックでした。この授業は好きです。すずしくて」

ラジオ番組にくる「ふつうのお便り」みたいで、これはこれでセンスがある。

最後に、先学期に引き続き、似顔絵を描いてくれる学生もいるので披露しよう。

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もはや似顔絵だかなんだかわからないが、かなり秀逸である。

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