カーナビのない一人旅その3・一期一会
6月29日(土)
午後4時45分。
「震災資料館みたいなフリーコミュニティースペース 2F」
という看板が、目にとまった。
1階部分は、明らかに津波の被害を受けている。
私はおそるおそる、階段で2階に上がった。
すると、私より少し若いと思われる、茶髪で肌の浅黒いサーファー風の男性と、その奥さんらしき人、さらにはその息子らしき、小学生くらいの男の子がいた。
どうにも場違いな感じのところに迷い込んでしまったかな、と一瞬思った。
「どうぞ、お入り下さい」と、そのサーファー風の男性。
見ると、壁にはポスターほどに引き延ばされた写真がたくさん貼られていた。
そのどれもが、芸術性の高いものである。
「震災のあとに、写真を撮り続けたんです」とその男性。写真はいずれも、震災後の、港町の瓦礫や、陸に乗り上げた船の様子などを撮ったものであった。
「しかも、夜に撮ったものばかりです。震災直後は、町は真っ暗でねえ。月明かりと星だけを頼りに、写真を撮りました」
「どうしてまた、夜ばかりなんです?」私は質問した。
「昼間に瓦礫を撮ると、ちょっと生々しく写ってしまって、あまり気分のいいものではないんです。でも夜に撮れば、なぜか少し瓦礫が非現実的に写るでしょう」
「たしかにそうですね」
「まだ地元では瓦礫のショックが大きいですからね。もう少し時間があいたら、少しずつ昼間撮った写真も展示しようと思います」
「これは、この辺りを撮った写真ですか?」
「そうです。ほら、ここから漁港が見えるでしょう?」
「ええ」私は窓の外を見た。2階なので、見晴らしがいい。
「あの漁港のまわりを撮ったのです。例の有名な、陸に乗り上げた船も、この近くにあるんですよ」
「そうですか」
「このへんは津波の影響をもろに受けましてね。ほら、あそこを見てください」
男性はこんどは、道路をはさんだはす向かいの区画を指さした。今いる建物と道路をはさんだ向かい側の区画は、さまざまなお店があったところだったそうで、すぐ後ろが海ということもあって、ほとんど建物が流され、土台しか残っていなかった。
男性が指をさした場所は、先ほど私が写真を撮った、「2011,03,11 GROUND ZERO 風の広場」と書かれたプレートをはじめとするさまざまなオブジェが置いてある区画だった。ちょうどこの建物のはす向かいなのだ。
「ああ、あの場所、先ほど私、写真を撮りましたよ」
「あの場所は、私の家があったところです」とその男性。「私が開いていた美容室だったところです」
「そうだったんですか!」
私は驚いた。その男性は、先ほど私が写真を撮った場所の家主だったのである。
「じゃあ、あなたがあれを?」
「そうです。何もできないのが悔しくってねえ。だから、あそこに何か証になるものを置こうと」
「そうだったんですか」
「もとあった街がさら地になってしまうと、たちまち街の記憶が失われていくんです。どこに何があったんだろう?とか…。でも、ああやってオブジェを置いておけば、ああ、あそこは美容室があった場所だよな、となって、それがきっかけで街を思い出すことができるんじゃないかと。それで、芝を植えたり、毎日掃除したりしているんです」
「失礼ですけど、今はどちらにお住まいに?」
「今、別の場所でワインバーをやっていて、そこに住んでいます」
このあと、町の復興の話に及ぶ。
いまこの町で問題になっているのは、陸に上がった大きな漁船を、撤去すべきか、そのまま残すべきか、意見が割れている、という。
震災の記憶をとどめるためには、残しておいたほうがいい、とその男性はいう。
「地元にとっては微妙な問題なので、なかなか積極的に声を上げる人はいない。それに、最終的には残されないかも知れない。でも、どうせ残されないからといって声を上げないのはおかしい。だから僕が声を上げたんです」
「矢面に立たされているわけですね?」
「ええ。いろいろなところでいろいろなことを言われていますよ。批判されたりね。でもみんな、面と向かって言ってくれない。面と向かって言ってくれた人には、自分の考えをきちんと説明することにしています」
「これからこの町はどうなるんでしょうね」
「いつまでもクヨクヨしていられません。僕は、できることからいろいろなことを仕掛けていこうと思うんですよ」
「たとえばどんな?」
「震災の前は、うちの店のある地区で旧暦の七夕の日にお祭りをしていたんです。でも、震災後に、あのとおりぜんぶ流されてしまって、お祭りは行われなくなってしまった。でも僕は、もう一度みんなに呼びかけて、今年の夏祭りに合わせて、七夕祭りを復活させようと思っています」
不思議だとは思わないか?
考えてもみたまえ。
以前は美容室を経営し、今はワインバーを経営している茶髪で浅黒いサーファー風の男性なんて、ふつうに生活していたら、全然私のような愚鈍な部類の人間とは接点などないはずで、ましてや話をするなどということもありえなかったはずである。
だが今、初対面であるにもかかわらず、こうして1時間近くも話し込んでいるのだ。
たぶん震災という特殊な状況の中では、こうしたイレギュラーな出会いといったものが、相当あったんだろうな、と想像した。
「七夕祭り、成功するといいですね」と私。
「ぜひまた、おいで下さい」
「また来ます」
名前も連絡先もお互い聞かず、まさに「一期一会」である。
この町の夏祭りに行ってみようかな、と、かなり本気で考えはじめた。
帰りがけに男性が言った。
「ぜひ、陸に乗り上げた船を見に行ってください。ここから近いですから」
「わかりました。ありがとうございます」
建物を出て、教えられたとおりの道を車で走る。
やがて大きな船が見えてきた。
時計を見ると、夕方6時になろうとしていた。
私は車に乗りこみ、海づたいにM町を経由して、帰途についた。(完)
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