本当のボランティア
6月5日(火)
午後1時から、3人の学生と、一人ずつ話をする。
3人とも、この先の進路に悩む学生である。
一人目の学生との話が終わり、途中、3時から40分ほど、本部の建物で打ち合わせが入り、終わってからこんどは二人目の学生の話を聞く。
三人目の学生との話が終わったのが、なんと午後8時!
どんだけ喋ってたんだ?
といっても単なる暇つぶしのお喋りではない。そのほとんどが、今後の進路についての真剣な悩みである。私はひたすら、その話に耳を傾ける。
そのうちの一人の学生。
その学生は、東日本大震災で甚大な被害を受けた地域に実家がある。実家や親戚の家も、津波で大きな被害を受けた。
卒業後は地元に戻って、地元のために働きたい、という。
しかし、被災地はまだ、様々な問題を抱えている。そのほとんどは、まだまったく解決していない。
話題は「震災ボランティア」のことにもおよんだ。
震災以降、各地から来てくれたボランティアに対しては、力を尽くしてくれたことに対する感謝の思いと、被災地の日常に配慮なく入りこんでしまうことへの困惑、といった、さまざまな感情が交錯するという。それはそうだろう、と思う。
「先生、本当のボランティアって、どんなものだと思いますか?」
私が答えあぐねていると、その学生は続けた。
「ほとんどのボランティアの人たちは、瓦礫を撤去したり、側溝のドロをかきだしたりして、それが一段落すると、もう来てくれなくなります」
「そうだね」
「でも、本当に来てほしいのは、そのあとなんです。震災直後にボランティアに来てくれた人が、それからしばらくたった、翌年の夏祭りに来てくれたときは、とてもうれしかったんです」
「なるほど。ボランティアがきっかけになって、その土地に愛着を持ってくれたわけだね」
「そうです。私たちが本当に見てほしいのは、瓦礫なんかじゃありません。きれいな海とか、山とか、地元のお祭りとか、そういうものです」
震災後にさかんに叫ばれた「絆」という言葉。だが、その言葉の本当の意味を、私も含めて、いったいどれほどの人が理解していただろうか。
本当の絆は、故郷が「故郷らしさ」を取り戻したあとにこそ、意味を持ってくるのだ。
「むしろこれから、たくさんの人に来てもらいたいわけだね」
「そうです。それが本当の復興だと思うんです」
「だとしたら、それこそが、これからあなたがやるべき仕事だね。ぜひ、それをあなたがやるべきです」
「できるでしょうか…私には行動力がありませんから」
「行動力なんて、大して必要ないよ。あなたには、少し先の未来を描くことができる力がある。たとえどんな行動力のある人でも、それは簡単にはまねのできないことだ。行動力なんかよりも、大事なことはそれです」
「なんか身震いしてきました」その学生は苦笑した。「まずは試験勉強、頑張ります」
そう言って学生は出ていった。
その町は、一度訪れたいと思っていた町である。
時間ができたら、その町に訪れてみようか。
できれば、夏祭りの日に合わせようか。
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