ダメな大人たち
6月10日(月)
夕方、いつものクリーニング作業。
このクリーニング作業の学生リーダーである4年生のTさんが言う。
「昨日のブログ読みました」
「え?読んでるの?」
Tさんも読んでいるとは知らなかった。
「私もO村に行きたかったです」
だがTさんはいま、進路活動の真っ最中なのだ。
「まだ機会はあるさ」
「あのブログの最後、なんか面白かったです。でも、先生のおっしゃること、ちょっと違います」
「どういうこと?」
「大学ではふだん体験できないこと、って書いてありましたけど、大学でやるべきことをやった上で、大学で体験できないことをやっているから、面白いんです」
なるほど。そう思ってくれたのだとしたら、うれしいことである。
Tさんは、作業のための準備を済ませたあと、進路活動のために早退した。
クリーニング作業が始まった。今日は少し風が強いが、天気がよいので、作業の半分を建物の外で行うことにした。
建物の前の駐車場に机といすを並べ、本のクリーニング作業に取りかかる。少し遅れて、世話人代表のKさんがやってきた。
4年生ではもう1人、Sさんが参加してくれている。この4月から作業に参加してくれている学生である。
Sさんの両隣に、私とKさんが座って作業をした。オッサンに挟まれたSさんは、さぞ居心地が悪かったことだろう。
しかもおっさん二人が、本を掃除するための刷毛を動かしながら、これからの生き方なんぞについて講釈を垂れているものだから、もう最悪である。
「若いうちにねえ。ダメな大人に会っておいた方がいいよ」とKさん。
「ダメな大人…ですか?」Sさんが聞く。
「そう」
「どういうところにいるんです?」
「いま、両隣にいるでしょう?」
「そんな…ダメな大人だなんて…」
まあ、Sさんからしたら、両隣のオッサンを「ダメな大人」だとは言えないだろう。ましてやそのうちの一人は、自分が教わったことのある先生なのだから。
だが、Kさんが言っていることは正しい。私もKさんも、「ダメな大人」なのである。
その「ダメぶり」は、具体的には何とも説明しがたいが、親しい人ならわかるはずである。私の場合、それをいちばんよく分かっているのは、妻である。
考えてみれば、私の周りはみんな、「ダメな大人」ばかりである。
世話人代表のKさん、こぶぎさん、前の職場の同僚のKさん、そして、同い年の盟友のUさん。
みんな、「ダメな大人」たちなのである。
同い年の盟友のUさんの口癖は、「ダ~メだなあ、俺」である。
たぶん若い人たちから見れば、このオッサンたちが異様に映っていることだろう。
「若いときにダメな大人を見るのがいいって、どういうことなんですか?」Sさんが聞く。
「つまり、ダメな大人を見れば、『こう生きなければいけない』という縛り、みたいなものから、解き放たれるんだ」と私。「肩肘張らずに生きていくことができる、というか…」
なんだか、わかったようなわかんないような理屈である。
私が念頭にあったのは、以前、このブログにも書いた、「謎のタカタさん」である。
大学1,2年生のときに、このけったいなおっさんに出会ったことに始まり、それ以降は、なぜか私は、「ダメな大人」の方へと、私自身が引き寄せられていったのである。
そうそう、前の職場の同僚だったOQさんもそうだった。OQさんは、「ダメな大人」の典型だったなあ。
私の周りには、常に「ダメな大人」たちがいたのだ。
しょっちゅう落ち込んでばかりいるけれど、「ダメな大人」で居続けることが、私の目標である。
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