おえりゃあせんのう
6月5日(水)
「僕、金田一耕助です。
岡山県の山奥、鬼首村で起こった連続殺人事件は、ますます奇怪な様相を呈してきました。
僕が滞在していた亀の湯の長男・歌名雄と恋仲だった由良泰子が殺害されたのに続いて、仁礼家の娘・文子が死体となって発見されたのです。
死体に添えられた奇妙な小道具は、鬼首村に古くから伝わる手毬歌そのままに置かれていたものでした。
さらに衝撃的な事実が、由良敦子の口から明らかになりました。
文子は実は当主・嘉平の娘ではなく、嘉平の妹・咲枝と恩田幾三の間に生まれた隠し子だったのです。
しかも恩田は20年前、亀の湯の女将・青池リカの夫・源治郎を殺害して行方不明をくらました男でした。
そして2つの殺人事件の影に、奇怪な老婆の姿が。
老婆は、これまた吐血の跡を残して失踪した老人・多々羅放庵の五番目の妻・おりんを装ってこの村に現れたのです。
はたして犯人は?
状況は、老婆に化けた放庵の一人二役による犯行を強く暗示しているのです。」
横溝正史原作の「悪魔の手毬歌」。
これを映画化した市川昆監督の作品が傑作であることは、いうまでもない。
だが、毎日放送制作のドラマ「横溝正史シリーズ」で放映された「悪魔の手毬歌」(1977年)も、もっと評価してよい作品だと思う。
全6回の連続ドラマだが、映画に劣らぬ作り込み方である。
監督は、大映京都で市川雷蔵の映画などを手がけたことのある名匠・森一生である。
当時小学3年か4年くらいだった私は、このドラマを見ていた。
冒頭に掲げた「僕、金田一耕助です」で始まる、前回までのあらすじを語る古谷一行のセリフが、その後の私の言語形成に、大きな影響を与えたのである。
毎日放送の「横溝正史シリーズ」は、古谷一行演じる金田一耕助と、長門勇演じる「日和警部」が、「相棒」さながらのコンビを組んでいた。
「悪魔の手毬歌」の原作では、「磯川警部」が登場し、市川映画版でも、磯川警部を若山富三郎が演じていた。
だが毎日放送版では、磯川警部ではなく、日和警部に設定を変えている。
原作至上主義のファンからすれば噴飯ものなのかも知れないが、私は全然気にならない。
長門勇は、岡山出身の俳優であり、岡山弁のセリフに定評があった。横溝正史の小説の舞台が、しばしば岡山であったこともあり(「悪魔の手毬歌」もそうである)、むしろ長門勇はこのシリーズには欠かせない存在となったのである。
ちなみに、長門勇は映画「男はつらいよ」シリーズに一度だけ出演している。岡山県高梁市が舞台の「男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎」である。ここでも長門は、得意の岡山弁を存分に披露している。
さて、「悪魔の手毬歌」といえば、ラストシーンである。
ネタバレを覚悟で書くが、磯川警部(若山富三郎)は、真犯人である亀の湯の女将・青池リカ(岸恵子)をひそかに愛していた。
汽車に乗り込んだ金田一耕助(石坂浩二)は、汽車がゆっくりと駅を出発し始めたときに、そのことを磯川警部に問いかける。
「磯川さん、あなた、リカさんを愛しておられたのですね」
金田一の声は、汽車の警笛にかき消される。
「え?何か言いましたかな?」
とぼけたような表情で聞き返す磯川警部。
金田一は、その言葉をくり返すことなく、2回ほど、黙って磯川警部に頭を下げ、汽車は駅のホームを離れていく。
…これが、市川映画版のラストシーンである。
では、森一生ドラマ版ではどうだったか。
事件が解決したあと、金田一耕助と日和警部が、自殺した真犯人・青池リカ(佐藤友美)の墓を訪れる。
「あんたとも、お別れじゃな」日和が、金田一に言う。「わしゃまだ、いろいろ後始末が残っとるから」
「ところで歌名雄君のことじゃが」歌名雄とは、青池リカの息子である。「あれは、わしがひきとることに決めたよ」
「そうでしたか」
「本人もどこぞ工場へ行って、思いっきり働いてみたいと言うとるしな」
「それはよかった…。日和さん、それじゃあ」
「ああ、またいつか、一緒に仕事したいもんじゃなあ」
「はい。お元気で」
「達者で」
金田一は歩き始めて、立ち止まる。
「忘れもんかな?」
金田一はふり返って日和に言う。
「日和さん。あなた、リカさんが好きだったんですね」
突然の言葉にうろたえる日和。
日和に向かって大きく手を振り、金田一は去ってゆく。
そして、目にいっぱい涙をためた日和の顔のアップで、このドラマは終わる。
ふだんはコミカルな役回りの日和警部が、ほとんど唯一といっていいほど、涙をみせる場面である。
市川映画版の、とぼけた磯川警部もよいが、金田一の言葉に思わず涙をみせる日和警部の表情もまた、すばらしい。
「おえりゃあせんのう」
岡山弁で、「だめだなあ」というような意味。困ったときに口をついて出る言葉である。
長門勇がドラマの中でもよく使った岡山弁。私が唯一知っている岡山弁である。
おえりゃあせんのう。
これからも、何かのときに、ふと口をついて出るかも知れない。
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