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寅のアリア

6月19日(水)

渥美清は、「語りの芸」の人である。

山田洋次監督は、おそらく渥美清の「語りの芸」に魅せられたのである。

渥美清亡き後、山田監督は、たとえば西田敏行(「虹をつかむ男」)とか、笑福亭鶴瓶(「おとうと」)に、渥美清のような「語りの芸」を求めたのではないか、と思う。実際、映画にはそんな場面がある。

だが、渥美清の「語りの芸」にまさるものはなかった。西田敏行や笑福亭鶴瓶の一流の芸をもってしても、である。

「男はつらいよ」における寅次郎の「語り」は、「寅のアリア」と呼ばれた。

シリーズ最高傑作の呼び声が高い「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」で、ドサまわりのレコード歌手・リリー(浅丘ルリ子)を想って寅次郎が自らの夢を語る場面は、「寅のアリア」の極致ともいえるものである。

とらやの居間で、寅次郎がつぶやく。

「あ~あ。オレにふんだんに銭があったらなあ…」寅次郎がつぶやく。

「お金があったら、どうするの?」妹のさくらが寅次郎に聞く。

「リリーの夢をかなえてやるのよ。たとえばどっか一流劇場。歌舞伎座とか、 国際劇場とか、そんなとこを一日中借り切ってよ。あいつに、好きなだけ歌を歌わしてやりてえのよ」

「そんなことできたら、リリーさん喜ぶだろうね」さくらが共感する。

「ベルが鳴る。場内がスーッと暗くなるなぁ。『皆様、たいへん長らくをば、お待たせをばいたしました。ただ今より、歌姫、リリー松岡ショーの開幕ではあります!』

静かに緞帳(どんちょう)が上がるよ。スポットライトがパーッ!と当たってね。そこへまっっちろけなドレスを着たリリーがスッと立ってる。

ありゃあ、いい女だよ。それでなくたってほら、容子(ようす)がいいしさ。目だってパチーッとしてるから、派手るんですよ。

客席はザワザワザワザワザワザワザワザワってしてさ。

『綺麗ねえ』『いい女だなあ』『あ!リリー!!待ってました!日本一!』

やがてリリーの歌がはじまる。

♪ひ~とぉ~り、さぁかぁばでぇ~、のぉ~むぅ~さぁ~けぇ~わぁ~~~…

客席はしぃーんと水を打ったようだよ。みんな聴き入ってるからなあ。

お客は泣いてますよ。リリーの歌は悲しいもんねぇ。

やがて歌が終わる。

花束!テープ!紙吹雪!

ワァ―ッッ!と割れるような拍手喝采だよ。

あいつはきっと泣くな。あの大きな目に、涙がいっぱい溜まってよ。

いくら気の強いあいつだって、きっと泣くよ…」

そういう寅次郎も、泣いている。

「夢のような話だよな…」

寅次郎は自分の部屋に戻ってゆく。

寅次郎が部屋に戻ったあと、さくらがつぶやく。

「リリーさんに聞かせてあげたかったなあ、今の話」

私がしばしばいう「妄想と共感」。これに「語り」が加わったとき、これほどまでに人の心を揺さぶるものなのか。

リリーに対する寅次郎のこれほどまでの「共感」は、残念ながらリリー本人に伝わらない。だが、妹のさくらが「共感」することによって、この場面は救われるのである。

この場面を見るたびにいつも思う。「共感」とはすばらしい、と。

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