不意の消息 ~ジョンア先生編~
6月2日(日)
職場の健康診断が近いというのに、これまでにない不規則な生活が続いている。
不規則な時間にブログを更新していることからもおわかりだろう。
仕事が思うようにはかどらず、自分のふがいなさに自暴自棄になっているのが理由である。
誰のせいでもなく、自分のせいなので、仕方のないことなのだが。
韓国版ミクシーともいえる「ミニホムピィ」を開くと、韓国の語学学校の4級クラスの先生である、ジョンア先生から、じつに久しぶりに、メッセージが入っていた。
私の知り合いはみな、最近この「ミニホムピィ」をまったく更新していない。すっかりフェイスブックに移行したのだろうか。私はフェイスブックをしていないが、やはりほとんど「ミニホムピィ」を更新していないので、ここ最近は、ほとんど訪れる人がいなかった。2週間ほど前にスジョン先生(ナム先生)がメッセージをくれた程度である。
ジョンア先生とは、一昨年の夏に会って以来だから、消息を聞くのは2年ぶりくらいではないだろうか。
ジョンア先生には、私だけでなく、妻も授業で習っていた。当時は、大学院の博士課程に通いながら語学学校の先生をしていた。だから私や妻よりも年下である。
私たちが日本に帰国したあと、語学学校の教師を辞め、大学の同じゼミの、いかにも人のよさそうな感じの男性と結婚し、ほどなくして男の子を産んだ。もう3歳くらいになっただろうか。
メッセージは簡単なものだった。キョスニム(私のこと)、その後お変わりありませんか、という挨拶と、息子がだいぶ大きくなって、色鉛筆を使って絵を描くようになりました、と書いてあった。
ところで、なぜ思い立ったように、メッセージをくれたのだろう?
次にこんなことが書いてあった。
「数日前、大学で、キョスニムにとてもそっくりな人とお会いしたんです。あまりにそっくりなので笑ってしまったら、その人はびっくりしたような顔をしていました」
なるほど、それで私のことを突然思い出した、というわけか。
私は、よく「似ている人」があちこちにいるようで、それ自体は、別に驚くべきことではない。
だが、それで私を思い出して、メッセージをくれた、というのがありがたい。
メッセージの最後には、こう書いてあった。
「キョスニムと一緒に勉強した、あのときが、とても懐かしいです」
「一緒に勉強した」のは、わずか3ヵ月である。それに、毎年何十人もの留学生を相手にしてきた語学の先生からすれば、私はそのうちの1人に過ぎない。にもかかわらず、3年以上経った今でも、たまに思い出して、短いながらもメッセージをくれる。
それは、3級の時に習ったスジョン先生(ナム先生)も、同じである。
私のことが印象に残っているのは、もちろん私がほかの若い学生と違い、ひどく汗かきのオッサンであるというもの珍しさによるものにすぎないが、私にとってそうであったように、先生にとっても、あのときの授業は、忘れがたいものであったのかも知れない。
それは、何の取り柄もない私にとって、ほとんど唯一といってよいほど、誇るべきことである。
だからどんな些細なものであれ、不意の消息をもらうと、励まされる。
今年の夏も、時間を見つけて大邱に行くことにしようか。
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