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俺たちの、この情緒的なるもの

6月25日(火)

むかし見た映画に、「俺たちの交響楽」(1979年)というのがあって、私の嫌いな武田鉄矢が出ていたんだけど(当時は好きでも嫌いでもなかった)、原案が山田洋次で、監督が朝間義隆という「寅さんコンビ」による作品だった。現在ソフト化はされていない。

内容はほとんど覚えていないが、ふだんはいろいろなところで働いている若者たちが、「ベートーベンの第九を歌おう」と集まり、仕事が終わった夜とか、週末とかに、みんなで集まって練習し、対立や結束をくり返しながら、演奏会をめざす、という内容だったと記憶している。

震災後のボランティア活動が軌道に乗りつつあったころ、私はなぜかこの映画のことを思い出した。ふだんはいろいろなところで働く人たちが、週に1,2度、夕方に「作業場」に集まり、1つの目的に向かって作業をする、という姿が、その映画を連想させたのかも知れない。

で、続けていくうちに、いつの間にか、この活動も「俺たちのボランティア」になってしまったようである。

昨日の作業のあと、同世代のオッサン3人(+若者1人)で、そんな話題になった。

ボランティアに「俺たちの」という冠はいらない。あくまで相手の気持ちが最優先されるべきものだからである。

理屈ではわかっている。

だがしかし、長く続けていくと、そう単純に割り切れるものでもなくなってくる。

ここから、オッサン3人(と若者1人)の苦悩が始まる。

そもそも、KさんもUさんも私も、そしておそらくT君も、多分に情緒的な性格なのだ。

おそらくこの4人の情緒的な性格は、ボランティア活動に限ったことではないだろう。およそ人間関係すべてにわたって、同じようなことがくり返されていると想像される。

「自分はこれほどまでに想っているのだ」という思いが勝ちすぎて、しばしば先走ってしまう、という性格である。

「私たちの気持ちの問題はさておきましょう」とKさんが提案する。つまり、知らず知らずのうちに付いてしまった「俺たちの」という冠をとりましょう、ということである。私たちの気持ちはさておき、相手の気持ちにより添うべきだ、というのは、至極当然の提案である。

もちろん、大人だから、気持ちの整理をつけることはできる。だがそこに、何か抑えがたい気持ちがあることもまた、事実である。

その抑えがたい気持ち、というのは、言葉にはできないが、UさんもKさんも、そして私も、同じ気持ちなのだろう、と思う。

考えてみれば、この活動は、情緒的な人たちの集まりだった。そうでなければ、この活動は、続かなかったはずである。

お互いがお互いの「情緒的なるもの」に共鳴した結果が、この活動だったのではないだろうか。

とくにUさんの中にある「情緒的なるもの」は、震災後、ずっと彼を見てきた私にとって、手にとるようにわかる。そして私もそれに共鳴し、それが仲間意識とか友情といったものを強めていった。その意味において、このボランティア活動は、「俺たちの」問題にもなったのである。

「俺たち」は、今後どうなっていくのか。

些細な問題といわれるかも知れないが、いい歳をしたオッサンたちは、これからも悩み続けるだろう。

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