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2013年7月

ドキュメント「表敬訪問」

ドキュメンタリー映画を撮るのが夢だが、いま考えているのは、「表敬訪問」というタイトルの映画である。

こんな話を聞いた。

アメリカから、ある分野で著名なM先生が来日して東京に数日間滞在する、と、同じ分野の専門家・Kさんにメールが来た。「滞在中にあなたと東京でお会いしたいですね」と。

たんに「お会いしたいですね」としか書いていない。

これはどういうことだろう?アメリカ人も、行間を読ませる書き方をするのだろうか。

人一倍、人の気持ちを推し量る気質のKさんは、「きっと、食事をしたいということだろう」と推察する。

本当ならば、この時点で相手の意思を確認すればよかったのだが、つい、行間を推し量ってしまったのだ。

だが自分一人では、その著名な先生のお相手をするのはキツイ。なにしろ地方に住んでいる身では、東京で会うとなっても、セッティングするのが難しい。そこで、同じ分野の同業者で、ひごろお世話になっているI先生に相談することにした。I先生は、東京の大手の大学に勤めている。

すると、「そんな著名な先生が来るのなら、せっかくだからうちの大学に来てもらって、ちょっとした講話をしてもらおう」

この辺から、話がだんだんおかしくなる。

何かと事を大きくしたがるI先生は、同じ分野の同業者だの、同じ職場の同僚だのに声をかけ始め、そのM先生を囲む会みたいなことを考えはじめた。

こうなるともう、最初に連絡が来たKさんの手に負えない事態になってきた。そもそも、アメリカのM先生と、I先生の所属する都内の大手大学とは、何の関係もないのである。

そして最終的には、I先生の大学の学長に表敬訪問する、という予定が組まれてしまったのである。

結局、最初にメールをもらったKさんは、アメリカから来たM先生が滞在している都内のホテルまでお迎えに上がり、その大学へお送りする、という役目のみになってしまった。

かくして、M先生の「Kさん、あなたと東京でお会いしたいですね」というメッセージが、「縁もゆかりもない都内の有名大学の学長への表敬訪問」という行事に変貌する。

(これは、M先生が本当に望んでいたことだったのだろうか?)

私は「まったく関わりのない大学の学長への表敬訪問」という事態に巻き込まれた、居心地の悪そうなKさんの顔とアメリカのM先生の顔を、ぜひ映像に撮りたいのである。

ただこの場合、アメリカのM先生は著名な先生であるから、「表敬訪問」という行事には慣れている可能性があるので、あまりインパクトのある表情は撮れないかも知れない。

その点、次の事例は、いい表情が撮れそうである。

この夏、ベトナム、中国、ケニア、ペルー、インドネシアの5カ国から、学生がうちの職場に1週間ほどの短期研修にやってくる、という話は、前に書いた

で、その際に、なぜか「県知事表敬訪問」という予定が組まれている、という話も書いた。企画担当者が、気を回して「県知事表敬訪問」を思いついたのである。

考えてもみたまえ、はじめて日本に来た二十歳そこそこの5カ国の学生たちが、いきなりバスに乗せられ、県庁に行って、県知事に表敬訪問する。

ジャッキー・チェンなみの有名人ならばともかく、彼らにとってはふつうの人ですよ!日本語を教えてくれる先生でもないんだし。

1週間しか滞在期間がないのに、そのうちの1時間半あまりを、「大人の事情」によって、彼らとは何の関わりもない「県知事表敬訪問」に割くってのは、あまりにも滑稽ではないか?

それを、いい大人たちがよかれと思って真剣に考えているだけに、なおさら滑稽である。

ケニアやペルーなど、はるばる日本に訪れた学生が、縁もゆかりもない県知事と会っている姿を想像すると、企画をした職場や県の人たちとの誇らしげな顔とは対照的に、

(いったい俺は、どうしてここにいるんだろう?でも、みんな握手しているから、とりあえずこの人と握手しとくか)

という、連れてこられた彼らの微妙な顔が想像されるのである。そのときの彼らの顔を、カメラにおさめたいのである。

なんか、「間違った国際交流」という感じで、ドキュメンタリー映画の題材としては、とてもいいと思うのだが。

別に映画でなくともかまわない。私はどうやら、

「『大人の事情』で、事態が本来の目的とは全然違う方向に進んでいき、それに翻弄されていく人たちの顔(表情)」

を、単に見てみたいのだと思う。

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第3シーズンのカタルシス

ラスト3行のカタルシス

ドラマ「古畑任三郎」の第3シーズンは、それまでの2つのシーズンにくらべると、ややパワーダウンしているように、個人的には思う。

だがその中でも印象に残っているのは、福山雅治が犯人役を演じた第8話「頭でっかちの殺人」である。

事故で車椅子生活となった化学研究員・堀井岳(福山雅治)は、かつての恋人・片桐恵(戸田菜穂)が同僚で友人の等々力(板尾創路)と婚約したことを知り、復讐を計画する。

堀井は、爆弾を仕込んだ『ロダンの考える人』像を婚約祝いと称して等々力に贈った。そのプレゼントを自宅に持って帰った等々力に、堀井は研究室から電話をかけて、等々力自身に起爆装置を入れさせ、爆殺する。しかもそこに、恋人の婚約者の恵の犯行と思わせるようなさまざまな仕掛けをほどこすのである。

やがて警察の捜査が開始される。等々力の自宅に爆弾を仕掛けた犯人は誰か?堀井の計画通り、捜査の目は次第に恵に向けられていく。

しかし古畑は、例によって堀井を疑い、執拗に捜査を進めていく。

車椅子の堀井には、等々力の自宅に行って爆弾を仕掛けることはできない。

だが、プレゼントに爆弾を仕掛け、それを等々力自身に運ばせれば、堀井にも十分に犯行が可能である。

現場検証で発見された粉々になったブロンズ像から、爆弾が仕掛けられた場所が「ロダンの考える人」像の中であったことをつきとめ、それが堀井から贈られたプレゼントだったのではないか、と推理するのである。

Img_1530058_27373898_1犯人を追いつめるシーンは、シリーズ中でも屈指の、カタルシスを感じるシーンである。

堀井は、「ロダンの考える人」像の中に爆弾が仕掛けられたという古畑の推理を認めつつも、「それと僕とをつなぐ線は何一つないじゃないか」と断言する。

「いいえ、あなたが贈ったんです」

そう言って古畑は、1枚の包み紙を取り出す。

あなたの最大のミスは、人間の心を読めなかったことです。  

世の中にはね、人から心のこもったプレゼントをもらうと、包装紙までちゃーんととっておく人がいるんですよ。   

彼は、あなたからの思いがけないプレゼントに感動されたんでしょう。研究室のデスクの引き出しにちゃんとしまってありました

そう言うと、古畑はその包み紙で、現場にあったブロンズ像と同型の「考える人」を包み始めた。包み紙に残されていた折り目は、それがブロンズ像を包んだものであることを、完全に示していた。

「あなたの指紋が、包み紙の表にも裏にもべったりついていました」

ついに観念した堀井が、つぶやく。

「まさか…そんなものを大事にとっておくなんて…」

自分が憎んでいるということは、相手も自分を憎んでいるはずだと思い込んでいた堀井。だが等々力は、堀井を心底から大切な友人だと思い続けていた。堀井は、等々力の気持ちを見誤っていたのだ。

そして、自分を見限って友人と婚約した元恋人に対しても、堀井は「僕がこんな身体になってから、あいつはすっかり変わってしまった…」と嘆く。

果たしてそうでしょうか…。変わったのはあなたの方じゃなかったのですか

事故がきっかけで心を閉ざしてしまったのは、堀井の方だったのだ。

この古畑のセリフには、ハッとさせられる。

推理ドラマ以上の醍醐味を、味わう瞬間である。

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最後の似顔絵

7月29日(月)

月曜日の初年次科目の授業が、大団円を迎えた。

相変わらず愚鈍な授業で落ち込むばかりだが、それを察した学生たちが、気を利かせて好意的な感想を書いてくれたのが、救いだった。

「難しかったけれど楽しかったです」

これが私にとっての一番の褒め言葉である。なぜなら、「難しいけれど楽しい」「楽しいけれど、ちょっと背伸びしなければわからない」というあたりを、いつも狙っているからである。

「これからも楽しい授業を学生に届けてください」

お世辞だとわかっていても、こんなことを書かれると、泣けてくるなあ。

授業が終わったあと、いつもいちばん前に座っていた長身の男子学生が、帰り際に

「ありがとうございました」

と言った。たぶん、このときはじめて言葉を交わした。私はそもそも、授業に出ている学生と個人的に言葉を交わす、ということをしないのだ。

「先生、最後に、感想欄に先生の似顔絵を描きました」

「あ、そう」もう似顔絵は、何度も書かれているので、すっかり慣れてしまっていた。

「以前、聖徳太子の似顔絵を描いたのがあったでしょう?」

「覚えているよ」

「あれも、僕が描いたんです」

「あれは傑作だったね」

上手いと思っていた似顔絵は、彼が描いたのか。

で、今回彼が描いた似顔絵が、これである。

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似ている、というべきか…。

描いた似顔絵を、本人のあずかり知らぬところで公開したり、楽しんだりしたりするのではなく、本人に堂々と提出し、私もそれを教室のみんなに公開する。

いいことなのか悪いことなのかわからないが、学生とそんな関係を築けたことこそが、私にとっての誇りである。…いや、誇り、なのか?

そこで思った。

これは一つの提案。

第1回目の授業のときに、学生に似顔絵を描いてもらう。

そして最後の授業のときに、もう一度描いてもらう。

もし最初にくらべて、似ていなかったり、悪意が感じられたりしたら、学生たちがその授業に関心を持ってもらえなかったことを意味する。

もし最初にくらべて、似ていたり、親近感が感じられたりしたら、学生たちがその授業に関心を持ってくれたことを意味する。

だから学生の手応えを知るためには、意味のないアンケートをとることなんかより、似顔絵を描いてもらうのがいちばん効果的なのではないだろうか。

で、似顔絵コンテストを行い、いちばん特徴をとらえた似顔絵の教員が、その年度の「最優秀教員」に選ばれる、というのはどうだろう。

ただしこの方法には、一つの大きな疑問がある。

それは、似顔絵を描いてくれる学生は、はたしてちゃんと授業を聞いてくれているのか、という疑問である。

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ああでもナイト、こうでもナイト

7月28日(日)

終日、仕事部屋で原稿を書く。

妻は、秋に行われる比較的大きな会合の全国大会で発表をすることになっていて、その「予告編原稿」の締切に追われているという。

電話で様子を聞くと、「まったく何も思い浮かばん」という。

「先方から与えられたテーマなんか無視して、自分のやりたいことをやればいいじゃん。どうせ主催者なんて、何も考えていないんだから」

「趣旨をいちばんわかっていないのは、主催者である場合が多い」というのは、私の持論である。

「自分がいちばんやりたいことは何?」

と聞くと、

「…逃げたい」

と答えた。かなり追いつめられているらしい。

妻だけではない。私の周りには、近々会合で発表しなければならなくて、その原稿作りに切羽詰まっている友人がけっこういる。

私はそういう切羽詰まった人たちを見るたびに、なぜか頑張れるのである。「そういう追い込まれた人たちを出し抜いて、ひと泡吹かせてやろう」と思っているのかも知れない。

今日、どこへも行かず、原稿を進めようと思ったのは、そのためである。

とはいうものの、いざ原稿を書こうとすると、やる気が出なくなる。

そこでいつも、原稿を書くときに心がけていることがある。

それは、その日に書き上げる字数の目標を定める、ということである。

たとえば先週の日曜日は、無謀にも「1万字を書き上げよう」という目標を立てた。

だが実際には、4000字にとどまってしまった。

今日は、先週の反省をふまえ、少し減らして6000字、という目標を立てたが、実際には5000字ていどで力尽きた。

これでは当初の目標からどんどん後れをとるばかりではないか。

…と、ここまで書いてきて、ひょっとしてオレは、かなりイヤミなやつに映っているんじゃないだろうか、と思ったので、話題を変えることにする。

旅行に行ったときのおみやげ、というのが、よくわからない。

ちょっとした旅行に出かけたときにおみやげを買うことはよくあると思うのだが、あれって、どの程度の人たちに、どの程度のものを買えばいいのか?

行くたびに職場に買っていったりすると、かなり鬱陶しいと思われるのではないか?

そうしたさじ加減が、全然わからないのである。

いちおう旅行に行くたびに、最近はおみやげを買うことが多くなったのだが、だが誰に、どの程度のものを渡せばいいのか、頭の中でシミュレーションすると、こんがらがってわからなくなってしまう。

しかしまったく買わないというのもアレだしなあ、と思い、とりあえず買ったりするが、おざなりなものを買ってしまい、そのことに躊躇して、結局渡すタイミングを逸したりする。

(考えてみれば、こんなおみやげ、もらっても喜びそうなものではないしなあ)

まあ旅先のみやげというのは、得てしてそういうものである。

買ったはいいが、かえって渡されても困るだろうと思い直し、タイミングを逸して、結局自分の仕事部屋にそれが死蔵される。

仕方がないので、それを自分で消費する羽目になる。

かくして、「おみやげとして漠然と買ってきたお菓子」が、誰の目にも触れることのないまま、原稿を書くときのお供になるのである。

おみやげとは、センスとタイミングなんだなあ。そう考えると、私はセンスもないし、タイミングも悪い人間なのだ。

(「ああでもナイト、こうでもナイト」は、ついさっき私が考えた深夜のトーク番組のタイトル。やはりセンスがない)

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青春、なのか?

7月27日(土)

隣県での仕事2日目。

作業をしていると、お昼に、師匠の後輩のKさんがやってきた。師匠が20代後半から30代にかけてつとめていた職場で、アルバイトをしていたのがKさんだった。お二人はそれ以来のつきあいだから、もう40年ほどのつきあい、ということになる。だから私にとっては、お二人とも大先輩である。

「お昼を食べに行きましょう」

Kさんの案内で、行きつけのおそば屋さんに行った。

お昼を食べ終わり、作業場に戻って作業を続ける。

「じゃあ私はこれで。また」とkさんが師匠に言う。

「○○ちゃんによろしくな」と師匠。

「はい」Kさんはそう言って作業場を出ていった。

夕方、仕事が終わり、帰り道で師匠が言う。

「K君の奥さんも、私の職場でバイトしていてね。2人はバイト先で知り合ったんだ。だから彼の奥さんのこともよく知ってるんだ」

先ほどの○○ちゃん、というのは、Kさんの奥さんのことだったのだ。

「結婚する前、まだ2人がつきあっているころ、いちどK君がえらく悪酔いしたことがあってね。たぶん、彼女と何かあったんだろう」

まあ、よくあることである。

「走っている軽トラックのドアのところを角材みたいな木の棒でもってぶっ叩いてねえ。それで運転手がえらい怒っちゃって」

そりゃあそうだ。走行中の軽トラを、いきなりこん棒でぶっ叩くなんて、運転手からしたら、無差別テロに遭ったようなものだ。

「ムチャクチャですねえ」と私。

「そう、あのころはムチャクチャなことばかりしてたんだ。ま、青春だな」

青春…、なのか?

そのあとも、師匠の「青春時代」の話が続いたが、とてもここでは書けない。

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長袖を着るか、燗酒を飲むか

7月26日(金)

東京から師匠が隣県においでになるというので、私も合流することにした。

仕事が終わった夜、10名ほどで、駅前のチェーン店の居酒屋で宴会である。

この県の人たちは、酒飲みが多い。美味しい地酒が多いことも、酒飲みが多い理由のひとつであると思われる。

師匠の数歳下の後輩にあたる、Kさんも来ていた。Kさんは、師匠が20代後半から30代にかけてつとめていた職場にアルバイトに来ていて、後に地元に戻ってお仕事をされた。お二人は40年来の盟友であり、私にとっては、お二人とも大先輩にあたる。

「みなさん生ビールでいいですね?」

幹事の方が聞く。

「オレ、熱燗」

Kさんだけが、熱燗を注文した。

「熱燗?何で?」師匠が不思議がる。

「だってこの居酒屋、冷房が効きすぎて、寒くってね。生ビールどころじゃないですよ」Kさんが答えた。

やはり「体感温度の不一致」だ。私には、全然寒くないのだが。

「バカだなあ」と師匠がKさんに言う。「生ビールを飲むときは、長袖を着てくるもんだよ」

師匠がそう言ったので、あらためて師匠のほうを見ると、いつの間にか師匠は長袖に着替えている。

さっきまで仕事をしていたときは半袖だったのに、いったんホテルに戻り、長袖に着替えてきたらしい。

「生ビールを飲むときは長袖を着る。これは鉄則だぞ」

なんと用意周到なことだろう。師匠は昔から、人一倍、用意周到な方なのだ。

「いいんです。熱燗で」Kさんも頑として聞かない。

それを見てまた師匠がからかう。

「その酒、『日本中どこででも売ってる酒』じゃんか」

美味しい地酒が数多くあることで有名なこの県で、「日本中どこにでも売っている酒」を飲むというのは、なんというか、ある意味屈辱的である。

「いいんです。寒いんですから」それでもKさんは燗酒にこだわった。

「オレだったら絶対飲まないよなあ」師匠も師匠で食い下がる。

Kさんをからかうことに飽きたのか、こんどは隣にいた私にこっそりと耳打ちをした。

「おい、知ってるか?」

「なんですか?」

「壇蜜って、この県の出身なんだぞ」

「え?そうなんですか?」

ここ2年以上、テレビを見ていないので、芸能情報にはとんとご無沙汰だった。

「知らなかったのか?」

「ええ」

「ダメだなあ…まだまだだなあ」

「はあ」

つねひごろからいろいろなところにアンテナを張っておけ、というのは、師匠の教えである。しかし壇蜜の情報までチェックしなければならないとは思わなかった。

そんなこんなで、2時間ほどの宴会は終了した。

「こんなに美味しい地酒があるのに、よく燗酒なんか飲めるよなあ」師匠も最後までKさんをからかう。

だがKさんも負けない。Kさんは最後に言った。

「やっぱり燗酒は白鶴にかぎる」

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父の鍋

7月23日(火)

4年生の進路活動も、佳境に入ってきた。

火曜日はなぜか、面接カードの相談など、4年生が話しに来ることが多い。

今日も二人ほどやってきた。

そのうちの一人、Aさんは、明日が面接だという。

初めての面接本番なので、かなり緊張している様子だった。

おとうさんと同じような仕事に就きたい、という。

「おとうさんって、どんな人?」

「変わった人ですよ。職場でも、そうとう変わっている人で通っているみたいで、支持する人と、そうでない人がいたりするそうです」

波風を立てたがらない職場にあって、既成概念にとらわれない、思い切った仕事をする方だということだった。

「女の子って、中高生のときにおとうさんを鬱陶しいと思うことがあるって聞いたけど」

「私はそれはなかったですね」

「でも、変わった人だったんでしょう?」

「ええ。ほんと変わっています」

「たとえば?」

「震災のあと、被害の大きかった町の部署に出向したことがあったんです」

「ほう」

「週末に家に戻ってくると、びっくりするくらい大きな鍋にカレーを作って、それを翌週、車で運んで職場に持っていくんです。で、職場のみんなにふるまうんです」

「それはすごいね」

「週末のたびに、家の台所で、でっかい鍋で何かをグツグツ煮込んでいる姿は、ちょっとヘンでしたよ」

「たしかにそうとう変わっている」

私はその話しぶりで気がついた。Aさんは、おとうさんのことが好きなのだ。

それと、もうひとつ気がついた。

「つまりは、あなたのおとうさんは、『誰も頼んでないような仕事』を嬉々としてやるタイプなんだね」

「そうそう、その通りです。母もそうです」

「与えられた仕事だけではなく、誰に頼まれたわけでもない仕事をはじめちゃって、がんじがらめになる、というタイプなんだな」私は、自分自身と重ね合わせた。「そういう仕事こそ、尊い仕事だと思うぞ」私は自分に言い聞かせるように言った。

「志望動機、父と同じ仕事に就きたい、では、安易でしょうか?」

「そんなことないぞ。だってあなたは、そんなおとうさんの仕事ぶりを、かっこいいと思ったんでしょう?」

「はい。そばで見ていて、そう思いました」

「だからおとうさんと同じ仕事に就きたい、と思ったんでしょう?」

「はい」Aさんの目が輝きだした。

「だったらそれは、立派な志望動機だよ」

「そうですね。そう思ったから、この仕事に就きたい、と思ったんですよね」

Aさんは、この「変わった」おとうさんのことが本当に好きなんだなあ、と思った。

そんなことが言えるAさんが、実にうらやましい。

なぜなら、私は父のことを、かっこいいと思ったことは一度もなかったからだ。

「誰にも頼まれない仕事」に精を出す人ではあるけれど。

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言葉の体感温度

汗、といえば、先日の授業で、学生にこんな質問をした。

「綸言、汗の如し」って格言、知ってますか、と。

学生は誰も知らない。

綸言とは君主の言葉。いったん君主から出た言葉は、汗と同じで、もとに戻すことはできない。だからいったん発した言葉は、取り消したり訂正したりすることはできない、という意味である。

だがこれは、君主の言葉にかぎったことではない。

私などは、いっつも「汗のごとし」である。

よけいな言葉を、つい、書いてしまったり言ってしまったりして、「ああ、あんなこと書かなきゃ(言わなきゃ)よかった」とか、後悔したりする。しかし後の祭りである。

それが原因で、本当の汗をかいたりするのだ。

こうなると、身体の体感温度だけでなく、言葉の体感温度も、他の人と違うのではないか、と思ってしまう。もともと体感温度が違うから、言葉が汗のように流れ出てしまうのだろう。

汗のごとくにもとに戻すことができない言葉を発して、汗をかいてしまう。

こうなるともう、何が何だかワカラナイ。

私にとっての「綸言、汗の如し」の意味は、「いったん発してしまった冷や汗ものの発言は、元に戻せないので、ふだんはかかないような汗をかいてしまう」ということか?

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体感温度の不一致

7月24日(水)

「仕事部屋、思ったほど涼しくありませんねえ」

仕事部屋に訪ねてきた同僚の言葉である。暑がりの私は、すぐに部屋の冷房をつけてしまうのだが、思ったほど冷房が効いていないということなのだろう。

私をよく知る人はご存知のように、私は無類の汗っかきである。

ちょっと気温が上がったり、湿度が上がったりすると、すぐに大汗をかく。

とくに私の場合特徴的なのは、顔から玉のような汗がみるみる噴き出るのである。

だから人一倍汗っかきであることが、ひと目でわかるのである。

最近は、「川に落ちたような」とか、「滝に打たれたような」といった比喩が用いられる。

「蝸牛(かぎゅう)鳴く 川に落ちたか 汗だるま」(鬼瓦)

以前は、用事があって同僚の仕事部屋に訪ねていったりすると、「体感温度」の違いから、とたんに大汗をかいた。

それを見た同僚は、

(ひょっとして、この部屋、そうとう暑いのだろうか?)

と不審に思われ、冷房のスイッチを入れてくれた。

冬でも同じである。

暖房の効いた部屋に行くと、とたんに汗をかくので、

(ひょっとしてこの部屋、そうとう暑いのだろうか?)

と不審に思われ、暖房のスイッチを切ってくれるのである。

だがいまや、それが「部屋の問題」ではなく「オレの問題」だということが、広く知られるようになってきた。長いつきあいの同僚ならば、なおさら熟知している。

いまでは不審に思われることなく、すみやかに、冷房のスイッチを入れたり、暖房のスイッチを切ったりしてくれる。

どっちにしても、冷房のスイッチを入れてくれたり、暖房のスイッチを切ってくれたりすることには、変わりないのだが。

学生たちも、私が汗っかきであることは、よく知っている。

なぜならいつも、右手にチョーク、左手に汗ふきタオルを持っているからである。

そして額には汗。

さながら沢田研二の「片手にピストル、心に花束、唇に火の酒、背中に人生を」(阿久悠作詞「サムライ」より抜粋でございます)といった感じである。

「ハンカチ王子」ならぬ「ハンカチキョスニム」、いや、「汗ふきタオル」は韓国語で「スゴン」というから、「スゴンキョスニム」である。

俳優や噺家など、人前に出る商売の人は、顔に汗をかかないという特技を持っている、というが、どうやったらそうなるのか、ぜひ聞いてみたい。

「最近は、自分のことより、他の人のことを考えるようになったんです」と私。

「どういうことです?」

「たとえば、授業なんかで、私の体感温度を基準に冷房の温度を設定したら、学生は寒がってしまう。授業の感想で『教室がとても寒かった』と書かれるのがイヤなんです。仕事部屋の場合でも、訪ねてきた人が『寒い!』と感じてしまうと、こっちが負けた気がして…」

「それで最近は、仕事部屋を適温に設定しているんですね」

「ええ、教室もそうです。学生の顔色をうかがいながら、冷房の温度を設定します。最近は学生の顔色をうかがわなくとも、『オレがこのくらいの量の汗をかくくらいが、ふつうの人にとってはちょうどいい室温だ』ということがわかるようになりました」

「自分の汗の量で部屋の適温がわかる、ということですか?」

「そうです」

「それもなんか、…哀しいですね」

自分の汗の量で部屋の適温を知る、というのは、たしかにどこかせつない。

「最近は、おかげで『教室が寒いです』と感想を書いてくる学生がいなくなりました」

「そうですか」

「でも、ひとつ心配なことが」

「何です?」

「こんどは『先生の汗が気になって授業に集中できません』という感想が、出てきやしないだろうか、ということです」

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書けない会話

7月23日(火)

今日は、入れ替わり立ち替わり学生と大人合わせて4人の来客があった。

いろいろ交わした会話のうち、面白いと思った話を、忘れないうちにさわりの部分だけ心覚えに書いておく。

「僕が帰国しようとしたら、その友人が『帰国するな』と、僕のことをひきとめたんです」

「ほう、それはまたどうして」

「もうじきお前の国にミサイルが落ちるから、と」

ジョークなのか?本気なのか?いや、本気のジョークと言うべきか?つい笑ってしまった。

もうひとつ。

「なぜ派手なアロハシャツを着ていたんでしょうねえ」

「それは、着ているアロハシャツに視線を向けさせて注意をそらそうとしたからではないでしょうか」

私の仰天仮説。

ナンダカワカラナイが、こういう会話が、いちばん楽しい。

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チャーハンの味

7月23日(火)

子どもの頃に食べたものの味は、生涯忘れないものである。

小学校の頃だったか、私は、ある中華料理屋さんで食べるチャーハンが、とても好きだった。

それがどこの中華料理屋さんだったか、覚えていない。

住んでいた家の近くの中華料理屋さんだったのか、あるいは、母の実家の近くの中華料理屋さんだったか。

どちらにせよ、ごくふつうの、街の中華料理屋さんだった。

思春期を迎え、さらに大人になって、その中華料理屋さんのチャーハンを食べることはなくなったが、大人になったあるとき、ふとその味のことを思い出して、

(子どもの頃に食べたチャーハンを、もう一度食べたい)

と思うようになった。といっても、お店に関する記憶もないし、ひょっとしてお店じたいがもうなくなっている可能性も高いので、まったく同じチャーハンを食べることはあきらめるしかなかったが、せめて同じ味のチャーハンを食べたい、と思ったのである。

そこから私は、「子どもの頃に食べたチャーハンと同じ味のチャーハン」を探す旅に出ることになる。

なんのことはない。私は中華料理屋さんに入るたびに、その店のチャーハンを注文することにしたのである。

しかし、どの店に入っても、子どもの頃に食べたチャーハンと同じ味のチャーハンに出会うことはなかった。

どの店も、ヘンに美味いのである。というか、上品な味なのである。

子どもの頃に食べたチャーハンは、それほど上品な味ではなかったのだ。

1990年代の一時期、中華料理の一流シェフが、美味しいチャーハンの作り方みたいなことをさかんにテレビで披露していたことがあり、おそらくそれ以降、全国の中華料理屋さんのチャーハンの味がレベルアップしてしまったのではないだろうか。

探しても探しても、私の求めているチャーハンの味に出会えない。

ところが、である。

先日、たまたま入ったお店で頼んだチャーハンを食べて、驚いた。

(こ、これだ…)

今まで食べたチャーハンの中で、「子どもの頃に食べたチャーハンの味」に、最も近い味である!

私は噛みしめるように食べて、何度もその味を確かめようとした。

だが問題がひとつあった。

その店は、長崎ちゃんぽんの専門店で、チャーハンは、あくまでちゃんぽんとセットで注文しなければいけないのである。

セットの「半チャーハン」を注文すると、小さいお椀に少しだけ盛られたチャーハンが出てくるのだ。

味を確認しているうちに、あっという間になくなってしまう。

(私が食べたチャーハンは、本当に子どもの頃の味がしたのだろうか?)

仕方がないので、何度かその店に通って、味を確認することにした。

本当は単品でチャーハンを注文したいのだが、そのお店の決まりで、ちゃんぽんとセットで注文しなければならない。そのつど、ちゃんぽんを食べなければならない。

それに、もうひとつ問題が。

ふつうチャーハンって、お皿の上に、丸くて大きなお玉をひっくり返したような形で盛られているでしょう?

しかしその店では、ご飯茶碗みたいな小さなお椀に、無造作にチャーハンが入っている。

しかも、レンゲではなく、スプーンが出される。

ちっともチャーハンらしくないのだ。

ちゃんぽんがメインの店だから、チャーハンがぞんざいに扱われているのは仕方がないのかもしれない。

それでも何度か食べてみると、たしかに、私が今まで食べたチャーハンの中で、「子どもの頃に食べたチャーハンの味」に最も近いことを確信した。

ようやく見つけたぞ!これが私の探し求めていた、チャーハンの味だ!

だがそのつど、一緒にちゃんぽんを食べなければならないのが、そうとうキツイ。嫌いではないのだが。

ああ、この店で、チャーハンを腹一杯食べたい!

チャーハン、単品で注文できませんかねえ。

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感想の感性

7月22日(月)

月曜日の授業では、学生が、大人には絶対に書けないような感想を書いてくれるときがある。

今日、冒頭で傘の話をした。

「これだけ科学が発達しても、傘だけは進歩しないですよねえ。むかしっから同じ形だし、すぐに壊れるし、傘をさしていても、まったく雨に濡れない、というわけでもなく、足もとが濡れたりするでしょう。もちろん、素材が軽くなった、という方向への進化はあったのだろうけど、人間が宇宙に行く時代なのに、傘だけは、全然進歩していないとは思いませんか」

するとある学生が、感想にこんなことを書いた。

「授業の冒頭で話された、科学の進歩と傘と宇宙の話。あれって、ヒカルの碁でも出てくる会話ですよね。先生もヒカルの碁、読んでいるんですね」

はて、心当たりがない。

『ヒカルの碁』という漫画があることくらいは知っていたが、読んだことは一度もない。

念のため調べてみると、『ヒカルの碁』はテレビアニメとしても放送されていたようで、そのときのセリフを文字に起こしているらしきサイトを見つけた。「第八局 雨の中の策略」という回のセリフらしい。

「佐為:古(いにしえ)のころより、碁盤も碁石も変わりませんが、ヒカル、この傘も千年前と変わりませんね。

ヒカル:そうだよ。ちっともかわんねえな、傘って。雨を完全に遮断できるわけじゃないし、足元だってぐちゃぐちゃだし。手に持ってるってのも不便だし。たくな!

佐為:え。

ヒカル:人間が月に行く時代に傘だぜ傘」

うーん。たしかに、今日私が言ったことと同じことを言っている。

ま、誰でも思いつくこと、ということなんだろうな。

もうひとつ、こんな感想もあった。

「かっこよく負けられる人になりたいです。

なんで現代人って、負けを認められないんでしょうね。

ところで高校の歴史の先生が言っていたのですが、点数をXとして最終的な評価を10√Xで出すという計算方法って、素敵だと思いませんか。

もう少しでこの授業も終わりだと思うと寂しいです」

気になったのは、「点数をXとして最終的な評価を10√Xで出すという計算方法って、素敵だと思いませんか」の部分である。

これは、どういうことなのだろう?

こういう点数の計算方法って、よく行われているものなのか?

そもそも、なぜこんなことを感想欄に書いたのだろう?

気になって仕方がない。

いずれにしても、この文章全体が醸し出す感性は、大人には絶対にまねできないのではないか、と思う。

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心を込めて準備中

7月21日(日)

本当はこの週末は、「カーナビのないひとり旅」でもしようと思っていたのだが、そうも言ってられなくなった。朝、投票に行ったあと、「早期に脱原稿!」を実行するために仕事部屋に向かう。

といっても、思うように進まないのは、いつもの通りである。仕事部屋を離れずにじっとしていることにして、ああでもない、こうでもない、と文章を足したりひいたりしているうちに、気がついたら午後3時になってしまった。

さすがにお腹がすいたので、仕方がない、ラーメンでも食べに行くかと思い、頭に浮かんだラーメン屋に行くが、

「心を込めて準備中」

という看板がかかっていた。

えええええぇぇぇぇぇっ!!準備中???

午後2時から5時までは、「準備中」らしい。

何軒かラーメン屋さんをまわったのだが、「準備中」のところがけっこうある。

昔から思っていることなのだが、午後の数時間を「準備中」にするっていう風習は、日本独特の風習なの?

韓国で生活していたときは、そんな目に遭ったことはないと記憶する。

午後の3時間ばかり「準備中」にすることの、意味がわからない。

もちろん、お客さんが来ないからなのかも知れないが、だったらなおさら、「営業」しながら「準備」することもできるんじゃないの?

しかも最近のラーメン屋さんの看板は、単なる

「準備中」

ではなく、

「心を込めて準備中」

と、筆文字で書いてあるのが、なおさら腹が立つのである。

お前、本当に心を込めて準備しているんだろうな、と、心の薄汚い私は、つい勘ぐってしまうのだ。

ちなみに「営業中」の看板の方は、

「一生懸命営業中」

と筆文字で書いてある場合が多く、これもなんか腹が立つ。

たとえば、私の稼業でいえばですよ。

授業のない空き時間に、学生が仕事部屋に相談に来たとする。

そのとき、仕事部屋のドアのところに、

「心を込めて授業準備中」

という看板が掛かっていたら、なんか腹が立つでしょう?そんなことより、こっちの相談に乗れと。

それと同じです。

「心を込めて準備中」

と書いてあるのを見ると、

「そうゆうのいいから、とにかく俺の腹を満たしてくれ」と思う派なのです(なんか、つぶやきシローっぽい言い方だなあ)。

ラーメン屋や食堂が、午後の数時間を「準備中」にするというのは、何か合理的な理由があるのだろうか?誰か、納得のいく説明をしてください。

…とまあ、腹が減っているとイライラしてくるので、ラーメンはあきらめ、牛丼屋さんに入ることにした。

その後、本屋めぐりをしたり、岩盤浴に行ったりして、結局、原稿は今日1日の目標の半分も進まなかった、とさ。

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原稿ため込み党に、清き1票を!

7月20日(土)

いやあ、久しぶりに、コメント欄に神が降りましたな。

何度も書くが、このブログで面白いのは、本文ではなく、コメント欄である。

巻き込まれ型エンタテインメント」という記事のコメント欄をご覧ください。

これはもう、完全な「小説」である。筒井康隆ばりの、シュールな社会風刺小説である!

「脱原稿!」

「印税を10%に引き上げ」

「原稿不良債権の処理」

「ディスプレイの追加配置」

打ち合わせなしで、2人からこうした言葉が次々と出てくるんだから、2人ともどうかしている。とくにこぶぎさんにとっては専門分野だから、じつに生き生きとした筆致である。

コメントごとに、演説形式、会話形式、ニュース形式などと、設定を変えていく手法も、斬新である!

…と、自画自賛はこのくらいにして。

今日の午後は、おとなしく原稿を書くことにした。

なにしろ、「もう原稿はため込まない!脱原稿!」がモットーだから。

先日、東京から来た出版社の編集者から言われた。

「今月末に企画会議があります。そのときにこの企画を出そうと思いますが、企画を出すにあたって、お願いしたいことがあります」

「何でしょう?」

「数ページでけっこうですので、見本原稿を書いていただきたいのです」

「見本原稿、ですか?」

「はい。見本原稿を企画会議の場でみんなに読んでもらって、イメージを持ってもらえれば、この企画、通ると思うんです」

「そうでしょうか」

「大丈夫です。お願いします」

さあ困った。書いた見本原稿がむしろ逆効果になり、企画が通らない可能性だってあるんじゃないだろうか。

つまり、ヘタなものは書けないのである。かなりのプレッシャーである。

ということで、今日はこの「見本原稿」とやらを、書くことにした。

言ってみれば、「本番の原稿」の前の段階の原稿である。

日の目を見るかどうかもわからない「見本原稿」を書くことで、1日が終わってしまった。

「脱原稿!」への道のりは、まだまだ遠い。

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巻き込まれ型エンタテインメント

7月19日(金)

考えてみたら、失礼な話である。

私が日常生活で取り交わした会話を、ここで事細かに紹介する、というのは、ひょっとして関係者にたいへんご迷惑をかけているのではないか、と、今ごろになってビビリだした。

ある意味、フェイスブックやツイッターよりも、プライベートな部分をさらけ出しているようなものではないか。

私は深く反省した。…といっても、この文体は変えるつもりはない。

このブログはあくまでもファンタジーである。ここに登場する人々も、すべて架空の人物なので、すべて他人事だと思って読んでもらいたい。

…とまあ、反省はこれくらいにして。

「貧乏暇なし」とは、よく言ったものである。

もし私が弁護士になったとしたら、たぶんまったく金にならない事件ばかりを担当する弁護士になっただろうな。

もし私が医者になったとしたら、黒澤明の「酔いどれ天使」で志村喬が演じたような医者になっただろう。

妻には「家が建つような売れる本を書け」と言われるが、どうもそういう世界とは無縁のようなのだ。

先月末、一つの大仕事がようやく自分の手元を離れたかと思ったら、自分とはハタケ違いの雑誌から、7月10日までに原稿を出せとのいう最終通告が来た。このことは、前に書いた。

まるで、こちらが一仕事を終えたのを見はからっているようだ。

7月10日のギリギリに原稿を送って、ホッとしたのもつかの間、その翌日、なんと今度は別の雑誌から、

「原稿はどうなってますでしょうか」

というメールが来た。絶対、「トゥルーマンショー」みたいな台本があるんじゃないか?

依頼を受けてからもう3年ほど、あとまわしにしてきた原稿である。さすがにこれも、出さないと怒られてしまう。

「夏休みが終わるまでには何とかします」と返事を書いたが、夏休みに締め切りの原稿が、他にもいくつもあるので、取りかかれるかはわからない。

そして昨日は、東京の出版社の編集者が来て、大仕事の依頼をしていった。

さらに今日は、3件の催促が来た。

ひとつは、これまたある出版社から、これまた数年間のらりくらりとかわしてきた大仕事について、

「一つの大仕事を終えてホッとされていると思いますが、もうひとつの大仕事の方もいい加減、早く出してください」

という催促である。うーむ。容赦のない人だ。

二つめは、「絶対に8月末までに出してください」という、とある雑誌の編集担当者からの念押しのメール。

三つめも、「忘れずに、原稿を来年1月末までに出してください」という、また別の出版社からのメール。

…ここまでくると、もはや頭がおかしくなりそうである。

だが、別に「売れっ子」というわけではない。「売れっ子」とは、名前が売れていたり、儲かっていたりする人のことでしょう?

こっちは、書けば書くほど赤字になるし、いっこうに無名のままである。

たんに、いろいろな仕事に巻き込まれているだけに過ぎないのだ。

…という愚痴を書いてみて、「前の職場」の同僚だったOQさんのことを思い出した。

OQさんも、何だか知らないが、年中原稿に追われていて、毎晩遅くまで職場に残って仕事をしていた。

たまに、Kさんだとかこぶぎさんだとか私だとかに、いま引き受けてしまった仕事が、いかに大変か、いかに巻き込まれてしまったか、を、おもしろ可笑しく話してくれるのだった。OQさん本人にとっても、その愚痴ともネタともつかない話をすることで、ストレスを解消していたのだろう。

私たちはそれを、笑いながら聞いていた。冷静に考えれば、それだけの仕事を抱えること自体、すごいことなのだが、OQさんの話には、それを感じさせない、粋な面白さがあった。

自分がいろいろな仕事に巻き込まれ、不運な境遇にあることを、ネタとして、おもしろ可笑しく話す。

言ってみれば、「巻き込まれ型エンタテインメント」である。

自分を客観視していたからこそ、できたことなのだろう。

いまの私の境遇は、あのころのOQさんと同じではないか、と、時折思うことがある。

だが、OQさんほどに、それをエンタテインメントにできる力が、私にはない。

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大雨の1日

7月18日(木)

昨夜から今日にかけて、記録的な豪雨である。

県内の鉄道は、のきなみ運休になってしまった。

午後3時。東京から出版社の編集者が来た。

「よく来られましたねえ。鉄道は止まっていたでしょう?」

「昨晩は隣県に泊まりましたので、幸い大丈夫でした」

会ったこともなく、どんな人間なのかもわからない私に、どういうわけか目をつけて、仕事の依頼に来たのである。

「私なんか無名だし、売れるとは思いませんよ」

「いえ、でも私、ピンと来たんです。これだ!と」

コネでも何でもないところが、すばらしい。

しかもこんな大雨の中、わざわざ来てくれたとあれば、仕事を引き受けざるを得ない。

また自分の首をしめることになるが、仕方がない。2時間半ほど話をして、同じ方向を向いている人かも知れない、と思い、引き受けることにした。

帰りがけ、

「これ、弊社で作った手帳です。よかったらお使いください」

「はあ」

「書籍デザイナーが、『自分の使いやすい手帳を作る』といって、中身のレイアウトや装幀、紙の質に至るまで、こだわって作った手帳なんです。それを弊社で商品にしました」

「このデザイナー、私も知ってます!」つまり私が知っているくらい有名なデザイナーである。

「それはよかった。…でもこの手帳、とても個性的だったせいか、全然売れなかったんです」

「そんなことはないでしょう。ちょっと拝見」

中身を見た。

「…たしかに個性的なレイアウトですねえ。…最初はどうやって使ったらいいか、戸惑ってしまいそうです」と私。この手帳は、罫線のひき方に斬新な特徴があった。

「そうでしょう。もちろん、使いこなしている方もとても多いのですが、慣れるまでがちょっとねえ…」

「いや、でも面白そうです。ぜったい使いこなしてみせます」

夕方5時半過ぎ、編集者は雨の中を帰っていった。

その後、いつものように「丘の上の作業場」に行く。

世話人代表のKさん、同い年の盟友のUさん、Uさんの同僚で新婚のMさんの3人のオッサンがすでに作業をしていた。

オッサンたちの間で、新聞のことが話題になる。

「A新聞は文化欄、Y新聞は家庭欄が充実してますよね。でも政治・社会面は全然ダメですね」と世話人代表のKさん。

「NK新聞は、経済以外の欄が面白いですよね」と新婚のMさん。

「そうそう、とくに文化欄が面白い」と私。

「俺、NK新聞なんか読んだことねえなあ」とUさん。

「どうして新聞って、自分の得意分野以外のところが面白いんでしょうね」私は不思議だった。

「つまり新聞社というところは、主流派以外の人たちが、面白い記事を書こうと頑張っているということですよ」と、世話人代表のKさん。

「なるほど。いいことを聞きました。そう言われればそうですね」私は納得した。

考えてみれば、これは新聞社にかぎらない。どこの業界にもあてはまる。

主流派の考えることは、実につまらない。そのかわり、主流から追いやられた人たちの仕事は、実におもしろい。

そういえばさきほどお会いした編集者も、何となく非主流な感じがしたぞ。出版社のコンセプトも非主流な感じだったし。

だからウマが合ったのか。

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びわゼリーにのせて

7月17日(水)

「あなたはいつも他人まかせにする。いくら自分の仕事ばかりができてもダメだ、これからは自分以外の周りのためにも仕事をしなければ、組織の人間として失格である、…と、こんなメールをいただいたんです」

「その一件にかこつけて、そんなことまで言われたんですか?じゅうぶん、周りのために仕事をされているじゃありませんか」

「まあそれを私におっしゃった方が、ご自分以外の仕事でとてもお忙しい方ですから、それにくらべれば、ということなんでしょうけど」

「それにしてもおかしな話ですねえ。何もそこまで言わなくても…しかも職場が違う相手なのに」と私。「ひょっとして…その方の職場で何かそういうことがあって、そのいらだちが、第三者であるあなたに向けられたんではないでしょうか?」

「…なるほど。そう言われれば、そうかも知れません。…その前にいただいたメールに、職場でかなりストレスがたまっているようなことが書かれていましたから」

「たぶんその方は、自分のことしか考えないような同僚に困らされていたんでしょう。でも、その人には言うことができないから、そのいらだちが、話しやすいあなたに向けられたんじゃないでしょうか」

「そうかも」

「そういうことってありますよ」

ここまで言って思い出した。あるラジオ番組で中堅芸人が話していたことである。

その芸人が、後輩芸人たちから、誕生日プレゼントで、びわゼリーをもらった。

だが、その芸人からしてみたら、びわゼリーをもらう理由がわからない。ただ単に、たまたまお店で見つけたびわゼリーの詰め合わせを買ってきたとしか思えないからである。

そこには、先輩芸人に対する思いやりがないではないか?

その芸人はむしょうに腹が立ってきた。

だが、それを後輩芸人たちの前では言えない。

そこで、その文句を、番組スタッフに向かってお説教することになる。

「そもそも、贈り物っていうのは、相手をどう思ってるかって評価なんだよ」

「はぁ…」

「びわゼリーを俺にあげる理由が全くない。理由がないけど、たまたま行ったら、"なんかびわゼリーだから"って…。この”なんかびわゼリーだから”っていう発想自体が、俺をなんとも思ってない。そういうことだとは思わないか?…俺は別に誕生日プレゼントがびわゼリーだからといって怒っているわけじゃないんだよ。俺のことをどう思っているかの話なんだよ」

その芸人は、そこまでまくし立てるように話したあと、半ば自嘲的に、ふり返った。

「…とまあ、『自分の個人的ないらだちを、ここぞとばかりに説教に乗せる』っていうイヤなパターンのお説教ってあるじゃん。つい腹が立って関係ないスタッフに言っちゃったんだ」

自分のいらだちさえ冷静に観察できるところが、この芸人のすごいところである。

「自分のいらだちをお説教に乗せる」のは、よくあることである。

もうひとつ例をあげると、映画「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」の「メロン騒動」。前にも紹介した。

自分の分のメロンが取り分けられていなかったことに怒った寅次郎は、とらや一家にお説教をする。

バカヤロウ!オレの言ってるのはメロン一切れのこと言ってるんじゃないんだよ!この家(や)の人間の心のあり方についてオレは言ってるんだ!」

このセリフこそ、いらだちを説教に乗せる教科書のようなセリフである。

ふと考える。

私もまた、いらだちをつい説教に乗せてしまうことがあるんじゃないだろうか、と。

そういえば子どもの頃、虫の居所が悪かった母に、ひどく怒られたことが何度かあったなあ。

あれはきっと、いらだちをお説教に乗せてしまったんだろうな。大人になった今なら、その気持ちはよくわかる。

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まぼろしの人

7月19日(水)

むかしTBSで放送したドラマ「横溝正史シリーズ」が、当時小学生だった私の言語形成に大きな影響を与えた、ということは、前に書いた

このシリーズは、ファーストシーズンとセカンドシーズンに分かれるが、ファーストシーズンのテーマ曲が、茶木みやこの「まぼろしの人」(作詞作曲/茶木みやこ、編曲/ミッキー吉野)である。この歌の2番の歌詞は、次の通りである。

「たわむれ遊ぶ童(わらべ)のほほに

沈む夕陽の輝きが

やさしい翳りを映す頃

くれなずむ街にはやすらぎが満ちていた

なのにこの同じ空の下

つらい出来事の結末を

つぶやくようにささやいた

あの人はまぼろしだったのでしょうか」

この歌詞の最後の部分の「つらい出来事の結末を つぶやくようにささやいた あの人はまぼろしだったのでしょうか」が、殺人事件の顛末を推理する金田一耕助をイメージして書かれたものであることは、間違いない。

金田一耕助は、事件が全部終わったあとで、謎解きをする。実は金田一の推理が、殺人事件を未然に防ぐことはないのである。その意味で金田一は、「語り部」であり、「狂言回し」なのである。

名探偵でも、事件を未然に防ぐことはできないのだ。ただ、傍観するだけである。

今日、ひょんなことからある出来事に翻弄されたという同僚が言った言葉が、印象的だった。

「結局、すべてが終わった今になって、わかるんですよねえ。あのとき、ああすればよかった、と」

そうか、あのとき、あんな伏線があったのか、など、あとになって気づくのは、世の常である。

「それはまさに、事件が終わったあとで、金田一耕助が謎を解き明かすようなものじゃないですか」と私。相変わらず、たとえがわかりにくい。

「おっしゃるとおりです」このわかりにくいたとえを、わかってくれたらしい。

世の中の出来事は、だいたいそのようなものである。

その渦中にいるときは大変だが、終わってみると、やや客観的に、物事を見ることができる。そしてそれを語ることで、頭の中が整理される。

事件の顛末を推理する金田一耕助の語り口が、私たちをどこかホッとさせてくれるのは、そのせいだろう。

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向き合う勇気

7月16日(火)

民間企業でいえば、「エントリーシート」。

公務員でいえば、「面接カード」。

就職活動で、学生が必ず書かなければならない書類である。

避けて通ることのできないものである。

たぶんうちの部局の中で、私ほど、彼らが書いたものを添削している者はいないだろう。

しかも単に添削するだけではない。対話をくり返しながら、作り上げていくので、とても時間がかかる。

今日1日も、2人ほど来客があり、合計で4時間ほどこの時間に費やされた。

なぜ、私はこれほどまでにこのことにこだわるのか?

それは、「エントリーシート」「面接カード」を書くことこそが、学生時代の自分と向き合うほとんど唯一の機会であり、これを乗り越えることで、学生はめざましく成長するからである。

それを、過去数年の経験で、気づいたのである。

「エントリーシート」や「面接カード」を、ちゃんと書こうと思えば思うほど、自分自身と向き合わなければならない。自分と向き合うことは、しんどいことである。

だが、そこを克服すると、たぶん大きく成長するのだ、と思う。

もうひとつ気づいたこと。

それは、添削することそのものよりも、対話をくり返すことを通じて、学生自身が答えを見つけていくことの方が重要だ、ということである。

話していくうちに、自分の頭の中が整理されていくのだろう。

「学生自身が答えを見つける瞬間」に立ち会えるのが、この仕事をしていて、最も嬉しい瞬間である。

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お前の仕事は何だ?

7月15日(月)

結局、三連休は、(初日をのぞいて)無為に過ごしてしまった。

基本的な洋画を全然見ていないことを反省し、これからは洋画も見ることにした。

Ihttp253a252f252fpds2_exblog_jp252f手はじめに、ラッセ・ハルストレム監督の「サイダーハウス・ルール」(1999年、アメリカ)を見た。

アメリカ映画って、たまにこういう地味な映画を作るところが、いいよねえ。

以前、妻に勧められて「ショコラ」という映画を見たと記憶するが、記憶違いかも知れない。この「ショコラ」も同じ監督であり、やはり同じテイストの映画だったような気がする。

さて、この「サイダーハウス・ルール」は、ひと言でいえば、孤児院で生まれ育ったひとりの少年の成長物語である。

孤児院で育った少年、ホーマーは、孤児院を経営する産婦人科医・ラーチ医師に育てられ、やがてラーチの助手として手伝うようになる。だが、違法とされていた堕胎手術を行うラーチ医師に対してホーマーは反発し、外の世界を知るために、孤児院を飛び出し、リンゴ農園で働くことになる。

ホーマーはリンゴ農園で、さまざまな人に出会い、さまざまな体験をする。そして「あること」をきっかけに、自分がやるべき本当の仕事に気づく。

違法な手術をすることに反発して、ラーチのもとを飛び出したホーマー。だが、リンゴ農園での体験を通じて、「事情を知らない他人が定めたルールにしたがって生きることが、はたして正しい生き方なのだろうか」と思い至り、そこではじめて、師であるラーチの思いに気づくのである。

映画のタイトルにもあるように、この映画のキーワードの一つは、「ルール」である。

他人が決めたルールに、疑問を持たずに従って生きるべきなのか、それとも、自分の生き方にふさわしいルールを、自分で決めていくような力を身につけていくべきなのか。

どちらがいいことなのか、わからない。だが人間はどこかで、その選択に迫られることがあることを、この映画は教えてくれる。

もう一つ、この映画には、「お前の仕事は何だ?」というセリフが、繰り返し出てくる。

このセリフこそが、この映画の本質ではないだろうか。

自分の仕事は、リンゴ農園で働くことなのか、それとも…。

ホーマーは、物語の終盤で、ようやく自分のやるべき仕事に気づくのである。それも、自分の意思で、である。

自分にとっての本当の仕事とは何か?

その確信を持てるようになれば、人間は強くなれるのだろう。

私にはまだ、自分の本当の仕事が何であるか、確信が持てない。

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カンガルーは笑うのか

7月14日(日)

3連休の中日。

たまっている仕事を片づけるか、「カーナビのない一人旅」をしようか迷ったが、どちらもやる気がなく、結局、家でぐうたらと、三谷幸喜脚本のドラマ「古畑任三郎」をまとめて見返すことにした。

先日の授業の感想の中に、「授業のまとめ方が古畑任三郎のようだった」というのがあって、それに気をよくしたためである。

第1シーズンの2時間スペシャル版に「笑うカンガルー」というエピソードがあって、あらためてみると、これが結構面白い。

オーストラリアで、世界的な数学者を表彰する式典があり、日本の数学者の二本松(陣内孝則)と野田(田口浩正)のペアが受賞した。

この二人は、長らくペアで仕事をしてきたが、実際のところは、真に数学的才能を持つ学者は野田のほうで、二本松はたんなるスポークスマンに過ぎなかった。

二本松はスタイルのよさや口の上手さで脚光を浴びるが、心の底では野田の才能にコンプレックスを感じていた。そして二本松は、野田を殺害するのである。

同じホテルにたまたま、缶詰の抽選でオーストラリア旅行が当選した古畑任三郎と今泉慎太郎が居合わせていて、事件に遭遇した古畑が推理をする、というわけである。

数学的才能はないがスポークスマンとしては有能な二本松と、社会性はまったくないが類い希な数学的才能を持つ野田、という組み合わせは、刑事コロンボの「構想の死角」に登場する作家コンビを連想させる。というか、このエピソードが「構想の死角」をリスペクトしたことは確実である。

だが、ここで問題にしたいのは、そこではない。

ドラマの中で、殺された野田の妻(水野真紀)が、自分の男運のなさを古畑に語る場面がある。

「知ってます?こちら(オーストラリア)では、男運のない女のことを、『カンガルーが笑う』って言うんですよ」

「いやあ、初めて聞きました」

「何かの雑誌で読んだわ。私の周りでは、たくさんカンガルーが笑ってるんです」

「いいえ、そんなことありませんよ」

エピソードのタイトル「笑うカンガルー」は、この場面からとられたと思われるが、ここで疑問なのは、オーストラリアのことわざに、本当に「カンガルーが笑う」という表現があるのだろうか、ということである。

インターネットで調べてみたが、どうも、そういったことわざがあるようには思われない。

ひょっとしてこのことわざは、脚本家・三谷幸喜のまったくの創作なのではないだろうか?

三谷幸喜はときどき、しれっと、この種の「実在しない格言」をドラマの中で使う。

有名なものは、三谷幸喜脚本のドラマ「王様のレストラン」である。

このドラマでは、毎回冒頭に、「ミッシェル・サラゲッタ」という人物の、料理に関する「格言」が紹介される。おぼえているかぎりであげると、

「人生で起こることは、すべて、皿の上でも起こる」

「人はみな、神が作ったギャルソンである」

「人生で大事なことは、何を食べるか、ではなく、どこで食べるか、である」

「奇跡を見たければ、その店へ行け」

「人生とオムレツは、タイミングが大事」

「トマトに塩をかければ、サラダになる」

「歴史は、鍋で作られる」

「最高のシェフは、恋をしたシェフ」

「まずい食材はない。まずい料理があるだけだ」

「若者よ、書を捨て、デザートを頼め」

ところが「ミッシェル・サラゲッタ」という人物は、実在しない料理人である。これらの言葉は、すべて三谷幸喜の創作なのである。

しかし、このやり方でいけば、いくらでも「ことわざ」や「格言」が作れるぞ。

「人生で起こることは、すべて、教室の中でも起こる」

「人は皆、神が作ったキョスニムである」

「人生で大事なことは、何を学ぶか、ではなく、誰に学ぶか、である」

「奇跡を見たければ、その教室へ行け」

「人生と焼肉は、焼き加減が大事」

「白菜を唐辛子で漬け込めば、キムチになる」

など。

話を戻すと、「カンガルーが笑う」という、一見もっともらしいオーストラリアのことわざも、三谷自身の創作による可能性が高いのではないだろうか。

はたして、カンガルーは笑うのか?

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大雨バーベキュー

7月13日(土)

50㎞離れた「前の職場」で、ボランティア仲間たちと、日ごろの作業を慰労する意味でバーベキューが開かれる。

少し解説しておくと、毎週月曜日の夕方が「うちの職場」でボランティア作業、木曜日は「丘の上の作業場」でボランティア作業、金曜日は「前の職場」でボランティア作業を行っている。これがもう2年以上も続いている。

50㎞離れた「前の職場」の作業仲間たちとは、ふだんなかなか顔を合わせる機会がないが、この機会に、「前の職場」を会場にして、慰労と懇親を兼ねてバーベキューをやろう、ということになったのである。世話人代表のKさんの発案である。

ただしバーベキューは午後からで、午前は、通常のボランティア作業を行うことになっていた。

朝から大雨である。午後からのバーベキューは大丈夫だろうか。

朝9時の集合に、やや遅れて到着した。すでに15人くらいが集まっていた。

「バーベキューの場所は変更になりました。ここの食堂をお借りすることになりました」

当初は、河川敷の橋の下でやることになっていたが、この大雨では、移動するのも大変である。河川敷でやってこそ、バーベキューは楽しいのだが、まあ仕方がない。

おりしも明日は「前の職場」で、オープンキャンパスが開かれる。そこで、私たちの活動をパネル展示することになり、通常の作業と並行して、展示の準備作業もおこなうことになった。

「前の職場」の学生が中心となり、テキパキと展示準備が進んだ。それもそのはず、作業仲間には、「展示のプロ」の大人たちが4人もいたからである。

Photo 午前の作業を終え、展示の準備をしている会場に行くと、すでにあらかた展示の準備が終わっていた。

「ではみなさん、このボランティア作業について、ひと言ずつコメントを書いて、メッセージボードに貼ってください」

世話人代表のKさんは、そう言って、名刺サイズのカードをひとりひとりに渡した。

「私も書くんですか?」私はとまどった。

「ええ。当然です」

「学生さんだけでいいじゃないですか」

「ダメです。大人も学生も、みんなに書いてもらいます」

2 今年の自分の職場のオープンキャンパスにまったくかかわっていない私が、「前の職場」のオープンキャンパスのお手伝いをしているのは、ちょっと自分でも可笑しかった。

左手にカードを持ち、右手に赤色のクレヨンを持ってはみたものの、はて、何を書いたらいいか、言葉が出てこない。

「いざとなると、言葉が出てこないものですねえ」と私。まわりの学生さんたちは、スラスラとコメントを書いていた。

「そうでしょう。ふだん、学生さんたちに感想を書かせてばかりいるのでしょうけど、いざ自分が書くとなると、大変だってことがわかるでしょう」と、世話人代表のKさん。

3それにしても、学生さんたちは、本当にスラスラと書いているなあ。

いざとなると、短いメッセージというのは、難しいものである。

私は悩んだあげく、次のように書いた。

「励まされたのは、私の方でした。」

思いの丈を書いてくれている学生さんたちにくらべて、私はこの一言しか書けなかったのが情けない。

「そろそろバーベキューをはじめますよ。食堂に集合してください」

朝の大雨は、午後になるとすっかり止んでいた。

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電撃訪問

7月12日(金)

夕方、仕事部屋をノックする音がした。

「どーもー」

「こ、こぶぎさん!」

片道50㎞離れた「前の職場」の同僚だった、こぶぎさんである。

「どうしてここへ?」

「ブログに、晩ご飯を一緒に食べる人がいない、と書いてあったので来ました」

まあそれは半分冗談で、こちらに所用があってきたついでに、寄ってくれたらしい。

それにしても今週は、いろいろな意味で「律儀な友情」を感じた1週間である。

職場の近くの洋食屋さんに行くことにした。お喋り好きのシェフのオヤジが1人で切り盛りしている、小さな洋食屋さんである。こぶぎさんも、このブログを読んで一度行ってみたいと思っていたらしい。

「金曜日だから混んでるかも知れませんね」

行ってみると、客は誰もいない。シェフのオヤジさんは、暑かったのか、ランニングシャツ1枚姿で、電話でなにやら話している。

「やってますか?」

「どうぞ、いらっしゃいませ…じゃあ、お客さん来たから」

シェフのオヤジは電話を切り、慌ててコック服を着た。

「金曜日はいつもこうなんですよ。みんな町の方に飲みに行ってしまうものだから、お客さんが誰も来なくってねえ」

金曜日だけじゃなくて、いつもそうではないか?と心の中でツッコむ。

「イメージしていたのと違うね」こぶぎさんが小声で私に言う。「ずいぶん庶民的だねえ」

「そうでしょう。でも味は保証します」と私。

食事をしながら、四方山話をする。

職場の話、韓国の話、朝の連ドラ「あまちゃん」の話など。

印象に残った話をいくつか。

「この前、兵庫県の宝塚に行ってきてねえ。初めて見たよ。『ベルばら』」

「どうでした?」

「いやあ、よかった。宝塚にハマる人の気持ちが、よくわかった」

「よくチケットがとれましたね」

「当日券を買ったんだ。朝8時半から並んでね」

話は次に、「取材」で東北地方をまわったときの話。

「行った先の図書館で、地元の新聞を調べることにしてね。そのついでに、震災で大きな被害を受けた県の、2011年3月11日の地元の新聞を見てみたんだ」

「ほう」

「そうしたら、当たり前なんだけど、そこにはふつうの日常、というか、ふつうの記事が並んでいるわけ」

「なるほど。地震が起こる前ですからね」

「その日の震災で、状況は一変してしまったんだけど、その前まで、ふつうの日常が存在していた、という当たり前のことにあらためて気づいたら、なんか考えさせられちゃってねえ」

その話を聞いて、思い出した。

Bwd1417「黒木和雄、という映画監督の作品に、『TOMORROW  明日』というのがあるんですが、その映画は、長崎に原爆が落とされる前日の日常を描いた作品なんです。何の変哲もない日常を描いているんですけど、このあと原爆が落とされるのか、と思うと、何か特別な1日のように思えてしまうんですよね」

続いて歌の話。

「昨年の12月だったか、震災で被災した隣県を車で走っているとき、地元のラジオから流れていた曲が、とってもよくってねえ。思わずジーンときたんだよ」

「何ていう曲です?」

「何だっけなあ。猪苗代湖ズのメンバーに金髪の人がいて、その人がユニットを組んでいて、『ツーショット』とか何とか言ったかなあ。とにかくその歌が、とてもいいんだ」

「へえ、あとで探してみます」

…というわけで、探してみたのがこの曲。

こぶぎさん。この曲で合ってますよね?

「あのう…」シェフのオヤジが言う。「そろそろ店じまいしたいんで…」

気がつくと9時半を過ぎていた。

結局、客は私たち二人だけだった。

「ほんと、みんなどこへ行っちゃったんでしょうねえ。人っ子ひとりいやしない」例によってシェフが愚痴りだした。

「また来ます」そう言って店を出た。

「あのシェフ、ブログで読んだ印象よりも、あまり喋らないよねえ」とこぶぎさん。「最初はランニング姿だったし」

「きっと、女性客がいなかったからでしょう。女性客がいると、もっと饒舌になるんだと思いますよ」

「なるほど。わかりやすい」

こぶぎさんは、自分の車に乗り込んだ。

「晩ご飯が食べたくなったら、いつでもうちの職場にどうぞ。毎日7時半くらいに、何人かで夕食に行っているので」

そう言って、こぶぎさんは50㎞離れた地元に帰っていった。

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その一言を、なぜ言わない

7月11日(木)

先月に出張講義に行った隣県の高校から、そのとき受講していた生徒さんたちの感想が送られてきた。

この手の感想は、相手に気をつかってかなり好意的に書いてある場合がほとんどである。記名式の場合には、なおさらそうである。

実際のところどう感じたかは、わからないのだ。自分の職場で、イヤというほど体験しているので、よくわかる。

だから、書かれていることは、かなり差し引いて読まなければならない。

そんな中で、次の3人の生徒の感想が、注意をひいた。いずれも、授業の本題とはまったく関わりのない部分に対する感想である。

「最初に先生がおっしゃっていた、大学4年間を自分の言葉で話せる人が就職に有利という言葉を聞いて、そのような人になれるように努力をしていきたいなと思いました」

「最初に先生が言ってくださった、『就職で大切なのは大学4年間をいかに語れるか』という言葉は、本当に救われるような言葉です。私の志望している大学は特に就職に有利な大学でも有名な大学でもないので、そう言ってくれて自分はすごく救われました」

「今回、お話を聞かせていただいて、自分が大学で1番やりたいことをもう1度考えてみようと思いました。この教科は就職に有利だから、ほかの人が選択しているからという理由で決めるのではなく、自分の意志でやることを決めようと思いました」

この感想を読んで、そのときのことを思い出した。

私は本題に入るまえに、次のようなことを言ったのだった。

「大学で、就職に有利になりそうな分野を専攻したからといって、それが就職に有利にはたらくとはかぎりません。就職とは一見関係なさそうな分野を専攻している人の方がむしろ、就職に有利にはたらく場合があります。大事なことは、大学での4年間を自分の言葉でしっかりと語ることができるように、大学生活を送ることです。そのためには、自分が本当に勉強したいことを見つけることが大切なのです」

これは、就職に有利そうな分野に流れようとする昨今の学生事情に対する、アンチテーゼであった。文系の場合、法律や経済や公共政策といった、一見就職に有利そうな分野に、何となく学生が集まるが、実際には、分野によって有利不利などということはないのだ。それは、私がこれまで見てきた学生たちから実感していることである。

授業が終わり、教室から講師控室に戻る道すがら、私の授業を聴いていた先生が言った。

「最近、就職に強いからという理由で、理系に流れたり、文系でも法律や経済に流れる生徒が多いんです」

「そうでしょうね」

「最近は文学系を希望する生徒が減りましてね。私も文学系出身なので、ちょっと残念だなあと思っていたんですが、先生にああ言っていただいたおかげで、文学系に進みたいと思っている生徒も、意を強くしたのではないかと思います」

「そうでしょうか…」

そのときは半信半疑だったが、今日送られてきた感想を見て、実際にそんな感想を寄せてくれた生徒が、3人いたのだ。

「大切なのは、専攻にかかわらず、大学で勉強した4年間を自分の言葉で語ることができるかどうかだ」

不思議である。

本人が言ったことすら忘れかけていた言葉が、相手にとっては大事な言葉だったりする。

逆に、相手を想って練り上げた言葉が、相手の心をふるわせないこともある。

言葉とは、実に不思議である。

この件に関していえば、私が何気なく言った一言で、「救われた」と感じる生徒がいたことは、確かなのである。

人間は、自分が思っている以上に、思い込みにとらわれている生き物である。

それがときほぐされたときに、それまで背負っていた重い荷物をおろしたときのように、心が軽くなるのではないだろうか。

その一言で相手の心が救われるのだとしたら、私たちは、その一言を言わなければならないのだ。

ときほぐす一言を、である。

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重い鎧を着て、降りてくるのを待つ

7月10日(水)

日ごろ愛読している「ほぼ日」の糸井重里さんの日替わりエッセイ「今日のダーリン」(実はこのブログも、それをめざしているのだが)。

本日書いてあったことは、まさに今、私が格闘している話であった。以下、長くなってしまいますが、引用します。

「コピーライターという仕事をはじめてすぐのころは、

一本のコピーを書くのに、

なんか大変なことのような顔をして、

じっくり考えているようなつもりになって、

それこそ、ひねり出していました。

原宿にあった事務所から、代々木公園まで歩いていって、

空を見たり緑を呼吸したりして、

名コピーが降りてくるのを待っていたこともあります。

‥‥ばかじゃないの、と思います。

なんか大層なことをしていると思っていたのでしょうか。

考えている顔をしている時間のほとんどが、

考えてない時間であるということを、

いまからでも教えてやりたいくらいです。

ただ、それがじぶんのやっていたことなので、

ひたすらに恥ずかしがっているくらいしかできません。

そのころ、ひとつひとつの仕事のことを、

「できるかもしれない」と思いながら

やっていたのでしょうね。

そこがすでにまちがっているわけで、

「できる」というのは前提なのですから、

「できる」と思いながら仕事をしなきゃねー。

「できるかもしれない」とか「たぶん、できる」では、

どうしたって苦しくなってしまうんですよね。

「できない」という可能性を、まだ持ってるうちは、

重い鎧(よろい)を着て戦ってるようなものです。

裸に近いくらいに身を軽くして、事に向えたら、

それが「できる」なんだろうなぁと、いまなら思います」

うーむ。今の私の心境をよく表している。

というか、天下の糸井重里も、「降りてくる」のを、ひたすら待っていたことがあるのか、と思い、少し安心した。

昨年の秋くらいだったか、ある雑誌から、原稿の依頼が来た。

その雑誌というのは、私とはまったくハタケ違いの雑誌で、どう考えても、その雑誌の趣旨に合うような原稿が書けるはずもない。

それにしてもなぜそんな雑誌から依頼が来たのか、と思って調べてみると、その雑誌の編集責任者が、私が大学時代に習ったことがある先生だった。

その先生は、とても厳しく、授業中に寝ていると、頭をひっぱたかれた。

今では考えられないことだが、当時は、そういうこともあったのだ。

その光景を見て以来、私はその先生のことがすっかり怖くなってしまって、その先生の授業をとるのをやめてしまったのだが、その後、私がこの稼業についてから、その先生と何度か仕事でご一緒することになった。

すると、なぜか気に入られたらしく、親しく声をかけていただくようになった。

でも、やっぱりまだ怖い。

(この仕事、断ったら怒られるだろうなあ…)

そう思って、断ることができなくなってしまったのである。

原稿の締め切りは、今年の2月末である。

だが、ほかにも原稿を抱えており、とてもではないが仕上げることはできない。ましてや、私とはハタケ違いの分野なのである。

(このまま黙って、バックれちゃおう)

そう思って何もせずにだまーっていると、さすがに雑誌の編集部から催促のメールが来た。3月の末のことである。

「お原稿はどうなってますでしょうか?」

まさか、まったく考えてもいない、とは書けない。

「もう少し待って下さい」

と答えた。

「では、いつごろまでに仕上がるでしょうか?」

「5月の連休明けまでには何とか」

だが実際のところ、5月の連休明けまでに出しますという原稿が、ほかにもあったのだ。

結局、5月の連休明けになっても、その雑誌の原稿はまったく何も書けなかった。

またしばらくだまーっていると、編集部から再びメールが来た。

「お原稿、どうなっていますか?先生のお原稿がないと雑誌が出せません」

今度は泣きついてこられた。

「すみません。もう少し待って下さい」

「では、7月10日までに出して下さい。それ以上は待てません」

まるで、借金の督促のようである。

それもそのはず、この業界では、締め切りをすぎた原稿のことを「不良債権」という。締め切りをすぎて原稿を提出することは、不良債権を処理することを意味するのだ。

さあ、困った。糸井さんじゃないけど、「ハタケ違いだけど、できるかもしれない」「たぶん、できる」と思ってしまったのは、完全な見込み違いだった。私にとっては、かなり「重い鎧」となってしまったのだ。

ところが、6月28日(金)の夜。

突如、降りてきたのである!

(これは書けそうだ…)

こういうときは、一気に書いてしまったほうがよいのだ。

だがあいにく、翌日は隣県のK市に「カーナビのない一人旅」に行くと決めてしまった。

かくして、一気に来た波に乗りきれないまま、翌日、K市に出発。結局この週末は、原稿を書くことはできなかった。

そして翌週末は、「カーナビのないおしゃれ旅」だったでしょう?

平日は通常の業務とこの暑さでヘトヘトだし、いったいいつ書くんだ?

今日(10日)の午後は海外から来た先生の講演会を聞き、夜は同僚数名でその先生の歓迎会をおこなった。

しかもこんなブログにうつつを抜かしているときたもんだ。

このブログの読者は、

(あいつ、最近心がアレな感じみたいだし、いつ仕事しているんだ?大丈夫か?)

と思っていることだろう。

さにあらず!7月10日午後11時57分、奇跡的に原稿を書き終え、雑誌の編集部に送信した!ギリギリ間に合った!

およそ1万5000字におよぶ長い戦いであった!

これで不良債権の一つが片づいたぞ。中身については保証しないが。

しかしまだ不良債権はかなり残っている。

いったいいつまでこんな借金生活を続けるのだろう?

いつになったら、この重い鎧を脱ぐことができるのだろう?

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間違われた男

7月9日(火)

夕方、外部講師を招いた講演会と、内部職員による報告会をハシゴして聞きに行く。

報告会を途中退席し、建物の外を出ようとすると、「先生」と呼ぶ声がする。同じ職場に勤めている卒業生のT君だった。

「これから、僕の作った生け花を建物の玄関に飾るんです」という。

そういえば最近、T君は生け花をはじめた、と言っていた。

しばらくその作業を見ていると、T君が席を外したのと入れかわりに、こんどは奥から「生け花の先生」とおぼしき、妙齢のご婦人が出てきた。

「まあ、いまT君から聞いたんですけど、M先生でいらっしゃいますか?」

「ええ」

「いちどぜひお会いしたかったんです」

「はあ?」

「先生、○○流の生け花をおやりになるんでしょう?」

「……?」

「私もそうでございまして、ぜひいちどお目にかかりたいと…」

「ちょ、ちょっと待って下さい。私は生け花などまったくわかりません」

「いえ、でもM先生はそうとうの腕前だとうかがっておりますよ」

まったく心当たりがない。あれ?俺、生け花なんてやってたっけ?と、自分の人生をふり返ってみたが、それでもやはり思いあたるふしがない。

「違いますよ。それは違う部局のM先生ですよ。この先生は違います」戻ってきたT君が生け花の先生に言った。

「あらまあ、そうなんですか」

うちの職場には、私と同姓の同僚がもう1人いる。どうやらその人と間違えたらしい。

そのことがわかってホッとすると同時に、少し落ち込んだ。

私と同姓のもう1人のM先生は、生け花をたしなむのだ。それにひきかえ私は、まったくもって無趣味の人間である。

そしていつも私は、もう1人のM先生と間違われるのである。つくづく自分の「華のなさ」に落ち込んだ。「生け花」だけにね。

「でも、どこかでお目にかかった気がするんですよねえ」と、その生け花の先生が食い下がる。

しかし、私にはまったく記憶がない。

「思い出しました!オランダのL大学の先生が講演会にいらしたときに、私、教室にお花を生けましたの。その時にお会いしたんですわ」

はあ?ますますわからない。

なにしろ私は、オランダのL大学などとは、まったく関係がないのだ。

でも以前、うちの部局にオランダのL大学の先生が講演会に来たことは、記憶にある。

(はて、今度は誰と間違えているんだろう…?)

その講演会にかかわった同僚が誰だったかを必死に思い出し、ある仮説に行き着いた。

「ひょっとして、それは私ではなく、M山先生ではないでしょうか?」

生け花の先生は、きょとんという顔つきをしたが、すかさずT君が言った。

「そうですね。M山先生の可能性が高いですね。なにしろ体型が…」と、そこまで言って、T君は口をつぐんだ。

ああ!これで明らかになった、私はM山先生にも間違われていたのだ。

私は、別の人と間違えられることが本当に多い。

以前も、こんなことがあった。

ある職員さんが私のところに来て、「N先生すみません。私、N先生のことをM山先生だと思って、先生の書類をM山先生のボックスに入れてしまいました」と言う。

「あのう、私はN先生でもM山先生でもありませんよ」

「はっ!…すみません」

その職員さんは、いたたまれなくなって一目散にその場を去ってしまった。

いったい俺は誰なんだ?

俺は本当に、存在しているのか?

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黄門様の傑作推理!

7月8日(月)

みなさんは、中学校の卒業文集で、どんなことを書きましたか?

ふつうは、中学校三年間の思い出とか、そういったことを書くよね。

だが私は、「水戸黄門は漫遊しなかった!」という文章を書いた。

「水戸黄門は、諸国を漫遊しながら悪いやつらを懲らしめるという時代劇だが、あれは江戸時代の講談から生まれたイメージで、実際の水戸黄門は、漫遊などしていなかった」という内容。

…かわいくないねえ。というか、もうひねくれているとしか言いようがない。

今から思うと、どうして卒業文集にそんな文章を書いたのか、意味が全くわからない。どうかしてたとしか、言いようがない。

どうしてそんなことを思い出したかというと、今日の授業の冒頭で、たまたまそんな話が出たからである。

「黄門様は学者だった。介さん格さんもそうです。ですから、漫遊していたどころか、引きこもって勉強ばかりしていたのです。つまり体育会系ではなく、文化系だったんですね」

そういうたとえが正しいかどうかはわからないが、学者であったことは事実である。

「ですから、時代劇の水戸黄門は、間違ったイメージなんです」

そこでハタと思いついた。

「私の夢はねえ、ドラマの脚本を書くことなんです」

学生たちは、また始まった、という顔をした。

「時代劇の水戸黄門のシリーズ、終わっちゃいましたよねえ。もし私が続編をつくるとしたら、チャンバラではなく、推理ものです」

学生たちはきょとんとしている。

「もともと学者である水戸黄門が、江戸で起こった難事件を、介さんや格さんを助手にして解決していく、というストーリーです。こっちの方が、本来の黄門様の実像に近いはずです」

本当に実像に近いかどうかは、わからない。

しかし喋っているうちに、「この企画、いけそうかもしれない」と、気分が高揚してきた。こうすれば、シリーズが終わってしまった「水戸黄門」はよみがえるのではないか?

そんな妄想をひとしきり喋って、本題に入った。

今日の授業の感想に、

「水戸黄門の謎解きドラマ、ぜひ作って下さい」

と書いてくれた学生が1人だけいた。

つまり100人のうち、1人にだけ共感を得た、ということだな。

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不謹慎な妄想

7月7日(日)

ある町の田園地帯を車で走っていると、案内表示板が目にとまった。

左に曲がれという矢印とともに、3つの施設名が書いてある。

「火葬場」

「清掃工場」

「温水プール」

左に曲がると、この三つの施設があるということである。

どうにも気になる看板である。

助手席の妻も気になったらしく、「あれ、どういうことだろう?」という。

「何が?」

「まさか…火葬場の余熱を利用した温水プールってことはないよね」

「まさか。ふつうは清掃工場でゴミを焼却したときの余熱を利用するものだよ」

ふつうに考えれば、「清掃工場」の余熱が「温水プール」に利用されるのだ。だがその看板には「火葬場」の施設名も表示されていて、それが問題をややこしくさせているのだ。

「でも、もしそうだとしたら…ちょっとその温水プール、入りたくないねえ」

妻の妄想が広がる。

「『今日はお葬式があるんだって』『じゃあ、温水プールは開いているわね』とか」

「たしかにヤだなあ」私も負けずに妄想する。

「『今日の温水プールは、ヤケに温かいねえ』

『ええ、今日はお葬式が3件もありましたから』」

ちょっと不謹慎な妄想が過ぎた。

あとで気になって調べてみたが、その町の名誉のために言っておくと、三つの施設は、確かにそれぞれ近くにあるのだが、温水プールはいずれの施設の余熱も利用していない、という。

なんとまぎらわしい!あらぬ妄想をしてしまったではないか!

私たちのような妄想野郎がたまにいるので、あの案内表示は考えなおしたほうがいいと思う。

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カーナビのないおしゃれ旅!

7月6日(土)~7日(日)

最近、カーナビのない車の旅がマイブームです!

そこで、おしゃれを見つけに、旅に出ました。

車で2時間半ほどかけて、ある町に到着。そこには巨大なアウトレットがありました!

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何も買いませんでした!

翌日、車を走らせていると、田園風景が広がるのどかな町に、突如現れるおしゃれなレストラン!

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なんの予備知識もなく入ってみると、たくさんのお客さんで賑わっていました。

それもそのはず、ここの料理はとても美味しく、値段も手ごろで、さらに店員さんのサービスも行き届いています!

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オードブルです。どれもめちゃくちゃ美味しい!

パンも焼きたてで、とても美味しかったので、思わずおかわりしました(笑)。

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メインの肉料理は、ハンバーグとステーキです!ハンバーグは肉汁たっぷり!そして、ステーキの美味しさといったら!!とくに青唐辛子のソースが、とてもいいです!

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デザートにアイス、そしてコーヒーをいただきました!

これだけ美味しくて、あの値段とは!

この店に来るためだけに、この町に来る価値があるといっても、過言ではありません!

場所は…教えません(笑)。

…ところで、ダイエットはいつから始めるのでしょう?

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目指すは一流の妄想使い

ここ最近のブログのテーマは「妄想」である。

類は友を呼ぶ、というか、私の周りには妄想癖の人が多い。大人も、学生もである。

そういう人たちが、自分の妄想を告白してくれるのである。

自分の妄想は、はたして正しいのか間違っているのか。あるいはこんな妄想をすることじたい、自分がおかしい証拠なのか。

私が妄想力の強い人間であることを知っていて、「あいつならこの妄想をわかってくれる」と思ってくれるから、安心して自分の中にある妄想を話してくれるのだろう。

たとえば、人にメールを出したとする。

そのメールの返事がなかなか来ない、というのは、よくあることである。

私はそういうとき決まって、「ああ、絶対に嫌われたなあ」と、つい思ってしまう。

しかし実際は、さまざまな事情でメールの返事が遅れる、ということは、自分をふり返ってみても、よくあることなのである。

しかし人間とは勝手なもので、つい、自分を中心に考えてしまうのである。

そうやって妄想を抑え、あまり気にしないようにしている。

そんなとき決まって思い出すのが、映画「男はつらいよ 私の寅さん」の次の場面(また始まった)。先日も紹介したが、ダイジェストで再掲する

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とらや一家が3泊4日の九州旅行をした。その留守番を頼まれた寅次郎は、とらや一家のことが気になって仕方がない。

宿に着いたら電話をする、と妹のさくらが寅次郎に約束するが、食事をしたり温泉に入ったりしているうちに、つい、電話をするのが遅くなってしまった。

夜、さくらが柴又のとらやに電話をすると、いきなり寅次郎の怒鳴り声。

「なんだよお前!今晩電話するって言うからよ、俺は日が暮れる前からずーっと電話機の前で待ってたんだぞ!」

「ごめんごめん。何か変わりない?」

「大ありだよ!いっぱいあるよ。泥棒が入ったぞ!有り金残らず持ってかれちゃったな!それからな。裏の工場の、タコのところから火が出てよ、このへん丸焼けだ!あと東京は大震災でもって全滅だよ!」

子どもみたいなことを言う寅次郎。

続いて2日目の夜。

留守番をしている「とらや」の居間で、タコ社長と二人で酒を飲む寅次郎。

相変わらず寅次郎はイライラしている。さくらからの電話を待っているのだ。

「おい、そうイライラするなよ。向こうは旅先なんだからさあ。メシ食ったり風呂入ったりで、忘れることくらいあるよ」タコ社長が諫める。

「お前は他人だからそういう冷たいことが言えるんだ!肉親だったらそんなこと言えるか?…どうしたんだろうなあ。ケガでもしたんじゃねえか。まして阿蘇の温泉は谷深くだし…。あそこの道だって崖だろ?そこをタクシーで……。

あっ!もし落っこったらどうなるんだ?交通事故だぞ!みんな死んじまうじゃねえか!」

妄想をふくらませる寅次郎。

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通信手段が、電話からメールに変わっても、人間の妄想というものは変わらないのだ、ということを思い知らせてくれる。

昨日、すげーおもしろい言葉をひらめいた。

「妄想使い」

これ、「猛獣使い」と掛けたダジャレです。おもしろいやつです。

妄想って、人生を豊かにするための力にもなるし、一歩間違えれば自分を傷つける武器にもなってしまう。

つまり妄想とは、猛獣なのだ!

これをいかに使いこなしていくかが、生きていく上で重要である。

「一流の妄想使い」になることこそが、人生を豊かにするのだ!

『妄想力』とか『妄想使い』というタイトルで新書を出したら、売れるかもしれないぞ。

…少し前向きになってきた。今日もスポーツクラブに行こう。

Img_1209088_19161236_0今日のウォーキングのテーマ曲は、センチメンタル・シティ・ロマンスの「金田一耕助の冒険 サーカス編」(動画はありません)。

「笑い転げて やがて哀しい

この街は 泣き笑いサーカス」

(作詞:山川啓介 / 作曲:小林克己 )

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丘の上の作業場、3年目の夕焼け

7月4日(木)

最近、このブログの文章がやたらと長くなっている。

えええええぇぇぇぇぇっ!!今ごろ気づいたの?

これでは読む気が失せるし、何より読者の貴重な時間を無駄にしてしまう。読者離れの原因になってしまう。

…ということで、これからはできるだけ短く書くことにした。

午後の授業が終わって事務室に行くと、高校時代の友人、K田君からの荷物が届いていた。

高校時代の友人・K田君、そして、研究仲間のFさんとの不思議な因縁については、以前に書いたことがある

3年前、私とFさんの共著で出した本は、古くからの二人を知るK田君にこそ真っ先に送るべきだった。だがそれに気がついたのは、本を出してから3年が過ぎた先日のことである。届いた荷物の中身は、K田君のいま住んでいる地元の銘菓の詰め合わせで、送った本のお礼として届いたものだった。

あまりにたくさん入っていたので、同僚におすそわけして話したりしているうちに、気分が復調してきた。

夕方、「丘の上の作業場」に行く。

「丘の上の作業場」総監督のYさん、卒業生のT君、そして作業仲間のTさんと私の4人で、作業した。

今日は夕焼けがとてもきれいだった。

一昨年の夕焼け

そして去年の夕焼け。去年はデジカメを持ってこなかった。

「今日はたまたまデジカメを持ってきたんですよ」と私。

「じゃあ、早く撮らないと暗くなりますよ。撮るなら今でしょ!」どこかで聞いたセリフである。

急いでカメラに収めた。

Photo

今日は作業仲間のTさんが、地元の高級果物を持ってきてくれた。まさに今が旬の果物で、ご実家で収穫されたそうである。

作業が終わったあと、みんなで分けることにした。

「いいんですか?こんなに」

「いいんですよ。ふだん、あまり食べる機会がないでしょう?」

「ええ」たしかに、もっぱら贈答用で、自分で買って食べることはしない。

ありがたくいただくことにした。

(そうだ、今日はスポーツクラブに行こう!)

作業終了後、久しぶりにスポーツクラブで汗を流した。

といっても、エアロバイクをこいだり、ウォーキングマシーンで歩いたりしただけなのだが。

以前にも書いたと思うが、ウォーキングのときに聴く音楽としてもっともふさわしいのは、EPOの「DOWN TOWN」である。

この曲を聴きながら、リズムに合わせて歩調を整えると、ウォーキングのペースとしては最高で、しかも、気分が前向きになれるのである。

また再開しようか。

 

「暗い気持ちさえ

すぐに晴れて

みんな ウキウキ

DOWN TOWNへくりだそう

DOWN TOWNへくりだそう

DOWN TOWNへくりだそう」

(作詞:伊藤銀次、作曲:山下達郎)

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シェフの独り言

7月3日(水)

よくあることだが、妄想をこじらせて、完全に心が折れてしまった。

さすがにこのまま一人でいては、どうにかなりそうなので、誰かを晩ご飯を誘おうと思ったが、よくよく考えてみたら、晩ご飯に気軽に誘える友達がいないことに気づく。

まわりは、家庭があったり子どもが小さかったりという人ばかりで、おいそれと誘うわけにはいかない。

そもそも私は、ふだんは一人飯に慣れてしまっているし、自分から気軽に晩ご飯に誘うことのできるような人間ではない。しかし、事態は急を要する。

唯一思いあたったのが、卒業生で同じ職場につとめるT君(独身)である。

夕方、T君にメールしたところ、折り返し電話が来た。

「今、職場を出てしまったんですが、戻ります」帰宅の途中だったらしい。

「いいのか?」

「だって、よっぽどのことでしょう」

私から連絡する場合、たいていは緊急SOSであることを、T君は心得ていた。

職場の近くの、こぢんまりしたレストランに行く。テーブル席が3席しかない小さな店である。

T君は車なのでノンアルコールビール。私はビールとワインを飲む。

話し好きのシェフ(おじさん)が作る料理は、リーズナブルで美味しいのだ。

おかげで心が少し持ち直した。

会計をすませ、店を出ようとすると、こんどはシェフの愚痴がはじまる。

「夜になると、本当にさびしくなるんですよねえ。このあたりは」

たしかに、このあたりは人通りも少ない。

「夜はいつも、お客さんが少なくて困っています」

今晩の客は、入口側のテーブルに座っていた私たちと、奥のテーブルに座っていた女性二人の客の、ふた組だけであった。

「近所のほかの店なんか、気楽に商売やってるよなあ」シェフが愚痴りはじめた。「この近くの店なんか、飽きるとすぐ商売替えするんですよ。気楽なもんだよなあ。こっちはまじめにやってるのになあ」

シェフはいわば専門職、プロである。自分の最高の技術で料理を提供するのが仕事であり、安易な商売替えはできない、という誇りを持っているのである。

考えてみれば、私の職業もそれに近いので、シェフの気持ちはよくわかる。

「ああいういいかげんな店は、きっと宝くじに当たったんですよ。そうに決まってます」こんどはシェフの妄想である。「ああ、宝くじ当たらないかなあ」

「宝くじ、ですか?」

「ええ、東京のホテルに勤めていたころは、よく買ったんですよ。渋谷で300枚、銀座で300枚って感じでね。でも当たった最高額は1万円でした」

「そうでしたか」

「東京のホテルに勤めていたとき、宝くじで億単位のお金が当たった同僚が2人いたんですよ」

「へえ」

「でも二人とも、風の噂では、その後あまりいい人生を送らなかったそうです」

「そんなもんですか」

「結局、あぶく銭なんですな…。だから5億円とはいわない。せめて1000万円でいいから当たらないかなあ」なぜか宝くじに異様に執着するシェフ。「つい喋りすぎました。ありがとうございました」

「ごちそうさまでした。また来ます」

外は雨がやんでいた。

「あのシェフ、ずいぶん話し込んでましたねえ」店を出てからT君が言う。

「きっとシェフも、いろいろたまっているんだろうよ」

「それより、びっくりしましたね」

「何が?」

「あのシェフ、むかし、東京のホテルにいたと言ってたじゃないですか」

「そうだったね」

「あれだけ料理の腕が確かだということは、きっと一流ホテルの料理長だったんですよ」

「そうか。それで、ホテルのオーナーと大げんかして、ホテルを飛び出したんだな。きっと」私の妄想がはじまった。

「今は、客のほとんど来ない小さなレストランで、料理の腕をふるっている、なんてドラマみたいじゃないですか」T君の妄想も負けてはいない。

「まるでドラマ『高原へいらっしゃい』みたいな話だな。そういえばあのシェフ、なんかワケありな感じがするねえ」

私の頭の中では、完全に、「一流ホテルにいた伝説のシェフが、訳あって東京を離れ、田舎町の小さなレストランで、数少ない客を相手に料理をふるまう」というドラマが、できあがっていた。

シェフの心の中には、自分の腕をふるった料理でたくさんの人を喜ばせたい、という思いもあるだろう。

「そらあ、愚痴りたくもなるよ」

「そうですね」

またいつか、シェフの愚痴を聞いてやろう、と思った。

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架空のレポート課題

[レポート課題]

あなたが海外で生活していたときに体験したエピソードと、それについてあなたが感じたことを、2000字以上3000字以内で紹介しなさい。記述にあたっては、海外で生活した経験のない読者を想定して、読者に伝わるように配慮すること。

[解答例]

韓国のコンビニ事情

私は4年ほど前、韓国のある地方都市で1年間生活をしていました。海外で生活すると、どうしても日本での生活と比較してしまいますよね。韓国での生活の中で感じたことの中から、私たちに最も身近な「コンビニ」について、日本の場合と比較しながら紹介したいと思います。

韓国にも、セブンイレブンとか、ファミリーマートとか、日本のコンビニチェーン店をよく見かけます。しかし、日本のように品揃えは豊富ではありません。コピー機もありませんし、お金を下ろしたり、コンサートのチケットも買ったりすることもできません。言ってみれば、雑貨屋さんのようなイメージです。

もう一つ違う点は、24時間営業ではないお店が多いということです。お店の名前通り、夜11時に閉まってしまうコンビニもあります。さらに驚いたことに、店内に1人しかいない店員が外出することがあり、その時はコンビニに鍵がかけられてしまうのです。一体どこが「コンビニエンス」なんだ?と、首をかしげてしまうことが何度もありました。

日本のコンビニは、品揃えは豊富だし、おにぎりは美味しいし、24時間営業だし、何と便利なところなのだろう、と思いました。

では、韓国はモノを買うのに不便な国なのでしょうか?

いいえ違います。町には、昔からある雑貨屋さんがたくさんあります。韓国ではそういう雑貨屋さんを「マート」といったりします。パンやお菓子やカップラーメンや飲み物などの食料から、洗剤や石けんなどの生活用品まで、何でも売っています。さしあたり必要なものは、雑貨屋さんで買うことができるのです。

しかも雑貨屋さんは、朝早くから夜遅くまで開いています。とくに私の住んでいた大学の周辺では、宵っ張りの大学生が多かったので、夜中の1時頃まで開いている雑貨屋さんもありました。コンビニよりも遅くまでやっている雑貨屋さんもあり、こうなると便利なのはコンビニなのか雑貨屋さんなのかわからなくなるほどです。つまり、コンビニと雑貨屋さんは、チェーン店であるか否かという違いだけで、中身にさしたる違いはないのです。

ではなぜ、朝早くから夜遅くまで雑貨屋さんが開いているのでしょうか?

雑貨屋さんは多くの場合、家族が経営していて、その家のおとうさん、おかあさん、おじいちゃん、おばあちゃん、おにいちゃん、おねえちゃんなどが、入れかわりたちかわり店番をしているのです。つまり、雑貨屋さんでは、「商売」と「生活」が一体となっていて、生活している時間がすなわち、商売をしている時間なのです。

商売と生活が一体化しているということは、生活をしながら商売している、ということを意味します。たとえば、見たいテレビ番組があった場合、その時間になると、テレビをつけて、その番組を見ながら接客するのです。携帯電話がかかってきたら、携帯電話で話をしながら、お客さんのお金を受けとったり、おつりを渡したりします。いわば「ながら接客」です。

実は韓国で生活していて最初に面食らったのが、このことでした。お金を渡しているのに、片手に携帯電話をもって通話をしながら、片手でお金を受け取り、さらにおつりも、さほど確認することもなく片手で手渡すのです。接客の間も、電話で通話することをやめません。

日本では考えられないことではないでしょうか。日本だと、そんなことをしたらすぐにバイトをクビになるでしょう。おつりだって、お客さんの前でちゃんと確認して渡すはずです。そうした「きっちりとした接客」に慣れきっていた私は、韓国のいわば「いいかげんな接客」に、しばらくは慣れませんでした。

しかし、雑貨屋さんの商売が家族の生活と一体化している、ということに気づきはじめたとき、そうした接客を煩わしいとは思わなくなりました。思い出してみれば、私が子どもの頃に近所にあった雑貨屋さんも、そんな感じだったのです。ふだんの生活をしている中で、たまたまお客さんが来る、という感覚です。きっちりとしたマニュアル通りの接客を行う日本のコンビニのほうが、むしろ奇異に思えてきたのでした。

そのことに気づいてから、むしろそういう雑貨屋さんが、とても心地よく思え、「中途半端」なコンビニよりも、雑貨屋さんに通うようになりました。何度も通うと、顔を覚えてもらったりするので、何となくコミュニケーションをとった気にもなります。

そのうち、こうした「商売」と「生活」の一体化は、韓国の人たちの仕事のあり方を特徴づけているものの一つではないか、とも思うようになりました。

韓国では、日本以上に夜遅くまで働く人が多いと思われます。少なくとも私が見てきた人たちの中には、そういう人が多かったのです。といって、仕事が能率的に進んでいるのか、といえば、必ずしもそうとはかぎりません。もうちょっと要領よく仕事をすれば、短時間で終わるのではないかと思うこともしばしばありました。

なぜダラダラと仕事をするのだろう、と、不思議でなりませんでしたが、ひょっとしたらこれは、「商売」と「生活」が一体化している雑貨屋さんのように、「仕事」と「生活」の区別があいまいになっているからではないだろうか、と考えたりもしました。生活の一部として、仕事がかなりの位置を占めているのではないか、と。

もちろん、それだけで説明できるものではありませんが、「仕事」と「生活」についての意識は、国によって大きく違うのではないか、そこには、その国で長年にわたって慣らされてきた生活様式、といったものが背景としてあるのではないだろうか、と強く感じたのです。

さて、1年間あまりにわたる韓国での生活を終え、日本にもどった私が最初に戸惑ったことは何でしょう?

それは、コンビニでの接客です。

あいにく1万円札しかなく、1万円札で支払ったところ、コンビニの店員さんは、

「ご確認下さい。一千、二千、三千…」

と、私の見ている前で、おつりの紙幣を数えはじめます。

そしてすべての確認を終えた上で、私におつりを渡すのです。

これが実にまどろっこしい!

(そんなのいいから、早くおつりをくれよ!)

と思ってしまったのでした。

私はすっかり、韓国の雑貨屋主人やコンビニ店員の「いい加減な接客」を、心地よいものと思ってしまっていたのです。

日本のコンビニは、たしかに品揃え、接客ともに、すばらしいと思います。

でもそれは、私たちがそれに慣らされているにすぎないのです。

いま感じている「心地よさ」だけが、絶対ではないのです。

(2615字)

留学していた学生たちの帰国ラッシュの時期です。

そこでこんなレポート課題を考えてみました。

やる気のある人は、書いてみてください。

いつか気が向いたら、「レポート攻略法」を解説します!

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本物の仕事

6月30日(日)

昨日の日帰り一人旅の疲れが抜けない。

夜、福岡に住む高校時代の友人・コバヤシに電話をした。昨日立ち寄ったK市のお店で、「唐津焼」の話題が出て、そのことを彼に話したくなったからである。

コバヤシと連絡をとるのは、本当に久しぶりである。

私は老夫婦から聞いた唐津焼の話をした。それを聞いて、コバヤシが言う。

「どういう唐津焼がいいものなのか、じつは俺にはよくわかんないんだよ」

コバヤシらしい言い回しである。

彼がすごいのは、決して「わかった風なことを言わない」ことである。そこが、私が彼を全面的に信頼しているところである。

もともと、「美味いものを美味く食いたい」という発想から、食器である唐津焼にはまっていったのである。彼の基準は、そこにある。

「いくら作家自身が気に入った作品ができたといっても、こっちが気に入るとは限らないしなあ」

「なるほどねえ」

「それに、俺自身も、むかしと今とでは好みも変わってきたし」

「ほう」

「最初のころは、見た目がいいものを買ったりしていたんだけど、使ってみると、どうもしっくり来ないものが多くってねえ。逆に見た目は地味でも、使ってみると実にしっくり来るものがあったり」

「そういうもんかね」

「だから、見た目とか評判とかでは、なかなか判断できないものなんだ。実際に使ってみないとね。…でもこれは、焼き物に限ったことではないぜ」

「どういうこと?」

「お前のやってる仕事だって、同じだろう?」

ハッとなった。

「そうか。同じか!」

胸がすく、とはこのことである。

見た目が派手だったり、耳心地のよい仕事が、中身のある仕事とは限らない。一見地味にみえる仕事の中にこそ、本物の仕事が存在するのだ。

それは、私自身がめざしていたことではなかったか。

「おい、こんどK市に行こうぜ」と私。

「福岡からだと遠すぎるよ。それより、唐津焼を見るんだったら、本場の唐津に来いよ。窯をまわって、寿司を食って」

以前から何度も言われていることである。

「いいねえ。今年こそは行きたいねえ」

そう約束して、電話を切った。

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