重い鎧を着て、降りてくるのを待つ
7月10日(水)
日ごろ愛読している「ほぼ日」の糸井重里さんの日替わりエッセイ「今日のダーリン」(実はこのブログも、それをめざしているのだが)。
本日書いてあったことは、まさに今、私が格闘している話であった。以下、長くなってしまいますが、引用します。
「コピーライターという仕事をはじめてすぐのころは、
一本のコピーを書くのに、
なんか大変なことのような顔をして、
じっくり考えているようなつもりになって、
それこそ、ひねり出していました。
原宿にあった事務所から、代々木公園まで歩いていって、
空を見たり緑を呼吸したりして、
名コピーが降りてくるのを待っていたこともあります。
‥‥ばかじゃないの、と思います。
なんか大層なことをしていると思っていたのでしょうか。
考えている顔をしている時間のほとんどが、
考えてない時間であるということを、
いまからでも教えてやりたいくらいです。
ただ、それがじぶんのやっていたことなので、
ひたすらに恥ずかしがっているくらいしかできません。
そのころ、ひとつひとつの仕事のことを、
「できるかもしれない」と思いながら
やっていたのでしょうね。
そこがすでにまちがっているわけで、
「できる」というのは前提なのですから、
「できる」と思いながら仕事をしなきゃねー。
「できるかもしれない」とか「たぶん、できる」では、
どうしたって苦しくなってしまうんですよね。
「できない」という可能性を、まだ持ってるうちは、
重い鎧(よろい)を着て戦ってるようなものです。
裸に近いくらいに身を軽くして、事に向えたら、
それが「できる」なんだろうなぁと、いまなら思います」
うーむ。今の私の心境をよく表している。
というか、天下の糸井重里も、「降りてくる」のを、ひたすら待っていたことがあるのか、と思い、少し安心した。
昨年の秋くらいだったか、ある雑誌から、原稿の依頼が来た。
その雑誌というのは、私とはまったくハタケ違いの雑誌で、どう考えても、その雑誌の趣旨に合うような原稿が書けるはずもない。
それにしてもなぜそんな雑誌から依頼が来たのか、と思って調べてみると、その雑誌の編集責任者が、私が大学時代に習ったことがある先生だった。
その先生は、とても厳しく、授業中に寝ていると、頭をひっぱたかれた。
今では考えられないことだが、当時は、そういうこともあったのだ。
その光景を見て以来、私はその先生のことがすっかり怖くなってしまって、その先生の授業をとるのをやめてしまったのだが、その後、私がこの稼業についてから、その先生と何度か仕事でご一緒することになった。
すると、なぜか気に入られたらしく、親しく声をかけていただくようになった。
でも、やっぱりまだ怖い。
(この仕事、断ったら怒られるだろうなあ…)
そう思って、断ることができなくなってしまったのである。
原稿の締め切りは、今年の2月末である。
だが、ほかにも原稿を抱えており、とてもではないが仕上げることはできない。ましてや、私とはハタケ違いの分野なのである。
(このまま黙って、バックれちゃおう)
そう思って何もせずにだまーっていると、さすがに雑誌の編集部から催促のメールが来た。3月の末のことである。
「お原稿はどうなってますでしょうか?」
まさか、まったく考えてもいない、とは書けない。
「もう少し待って下さい」
と答えた。
「では、いつごろまでに仕上がるでしょうか?」
「5月の連休明けまでには何とか」
だが実際のところ、5月の連休明けまでに出しますという原稿が、ほかにもあったのだ。
結局、5月の連休明けになっても、その雑誌の原稿はまったく何も書けなかった。
またしばらくだまーっていると、編集部から再びメールが来た。
「お原稿、どうなっていますか?先生のお原稿がないと雑誌が出せません」
今度は泣きついてこられた。
「すみません。もう少し待って下さい」
「では、7月10日までに出して下さい。それ以上は待てません」
まるで、借金の督促のようである。
それもそのはず、この業界では、締め切りをすぎた原稿のことを「不良債権」という。締め切りをすぎて原稿を提出することは、不良債権を処理することを意味するのだ。
さあ、困った。糸井さんじゃないけど、「ハタケ違いだけど、できるかもしれない」「たぶん、できる」と思ってしまったのは、完全な見込み違いだった。私にとっては、かなり「重い鎧」となってしまったのだ。
ところが、6月28日(金)の夜。
突如、降りてきたのである!
(これは書けそうだ…)
こういうときは、一気に書いてしまったほうがよいのだ。
だがあいにく、翌日は隣県のK市に「カーナビのない一人旅」に行くと決めてしまった。
かくして、一気に来た波に乗りきれないまま、翌日、K市に出発。結局この週末は、原稿を書くことはできなかった。
そして翌週末は、「カーナビのないおしゃれ旅」だったでしょう?
平日は通常の業務とこの暑さでヘトヘトだし、いったいいつ書くんだ?
今日(10日)の午後は海外から来た先生の講演会を聞き、夜は同僚数名でその先生の歓迎会をおこなった。
しかもこんなブログにうつつを抜かしているときたもんだ。
このブログの読者は、
(あいつ、最近心がアレな感じみたいだし、いつ仕事しているんだ?大丈夫か?)
と思っていることだろう。
さにあらず!7月10日午後11時57分、奇跡的に原稿を書き終え、雑誌の編集部に送信した!ギリギリ間に合った!
およそ1万5000字におよぶ長い戦いであった!
これで不良債権の一つが片づいたぞ。中身については保証しないが。
しかしまだ不良債権はかなり残っている。
いったいいつまでこんな借金生活を続けるのだろう?
いつになったら、この重い鎧を脱ぐことができるのだろう?
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