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ああでもナイト、こうでもナイト

7月28日(日)

終日、仕事部屋で原稿を書く。

妻は、秋に行われる比較的大きな会合の全国大会で発表をすることになっていて、その「予告編原稿」の締切に追われているという。

電話で様子を聞くと、「まったく何も思い浮かばん」という。

「先方から与えられたテーマなんか無視して、自分のやりたいことをやればいいじゃん。どうせ主催者なんて、何も考えていないんだから」

「趣旨をいちばんわかっていないのは、主催者である場合が多い」というのは、私の持論である。

「自分がいちばんやりたいことは何?」

と聞くと、

「…逃げたい」

と答えた。かなり追いつめられているらしい。

妻だけではない。私の周りには、近々会合で発表しなければならなくて、その原稿作りに切羽詰まっている友人がけっこういる。

私はそういう切羽詰まった人たちを見るたびに、なぜか頑張れるのである。「そういう追い込まれた人たちを出し抜いて、ひと泡吹かせてやろう」と思っているのかも知れない。

今日、どこへも行かず、原稿を進めようと思ったのは、そのためである。

とはいうものの、いざ原稿を書こうとすると、やる気が出なくなる。

そこでいつも、原稿を書くときに心がけていることがある。

それは、その日に書き上げる字数の目標を定める、ということである。

たとえば先週の日曜日は、無謀にも「1万字を書き上げよう」という目標を立てた。

だが実際には、4000字にとどまってしまった。

今日は、先週の反省をふまえ、少し減らして6000字、という目標を立てたが、実際には5000字ていどで力尽きた。

これでは当初の目標からどんどん後れをとるばかりではないか。

…と、ここまで書いてきて、ひょっとしてオレは、かなりイヤミなやつに映っているんじゃないだろうか、と思ったので、話題を変えることにする。

旅行に行ったときのおみやげ、というのが、よくわからない。

ちょっとした旅行に出かけたときにおみやげを買うことはよくあると思うのだが、あれって、どの程度の人たちに、どの程度のものを買えばいいのか?

行くたびに職場に買っていったりすると、かなり鬱陶しいと思われるのではないか?

そうしたさじ加減が、全然わからないのである。

いちおう旅行に行くたびに、最近はおみやげを買うことが多くなったのだが、だが誰に、どの程度のものを渡せばいいのか、頭の中でシミュレーションすると、こんがらがってわからなくなってしまう。

しかしまったく買わないというのもアレだしなあ、と思い、とりあえず買ったりするが、おざなりなものを買ってしまい、そのことに躊躇して、結局渡すタイミングを逸したりする。

(考えてみれば、こんなおみやげ、もらっても喜びそうなものではないしなあ)

まあ旅先のみやげというのは、得てしてそういうものである。

買ったはいいが、かえって渡されても困るだろうと思い直し、タイミングを逸して、結局自分の仕事部屋にそれが死蔵される。

仕方がないので、それを自分で消費する羽目になる。

かくして、「おみやげとして漠然と買ってきたお菓子」が、誰の目にも触れることのないまま、原稿を書くときのお供になるのである。

おみやげとは、センスとタイミングなんだなあ。そう考えると、私はセンスもないし、タイミングも悪い人間なのだ。

(「ああでもナイト、こうでもナイト」は、ついさっき私が考えた深夜のトーク番組のタイトル。やはりセンスがない)

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