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シェフの独り言

7月3日(水)

よくあることだが、妄想をこじらせて、完全に心が折れてしまった。

さすがにこのまま一人でいては、どうにかなりそうなので、誰かを晩ご飯を誘おうと思ったが、よくよく考えてみたら、晩ご飯に気軽に誘える友達がいないことに気づく。

まわりは、家庭があったり子どもが小さかったりという人ばかりで、おいそれと誘うわけにはいかない。

そもそも私は、ふだんは一人飯に慣れてしまっているし、自分から気軽に晩ご飯に誘うことのできるような人間ではない。しかし、事態は急を要する。

唯一思いあたったのが、卒業生で同じ職場につとめるT君(独身)である。

夕方、T君にメールしたところ、折り返し電話が来た。

「今、職場を出てしまったんですが、戻ります」帰宅の途中だったらしい。

「いいのか?」

「だって、よっぽどのことでしょう」

私から連絡する場合、たいていは緊急SOSであることを、T君は心得ていた。

職場の近くの、こぢんまりしたレストランに行く。テーブル席が3席しかない小さな店である。

T君は車なのでノンアルコールビール。私はビールとワインを飲む。

話し好きのシェフ(おじさん)が作る料理は、リーズナブルで美味しいのだ。

おかげで心が少し持ち直した。

会計をすませ、店を出ようとすると、こんどはシェフの愚痴がはじまる。

「夜になると、本当にさびしくなるんですよねえ。このあたりは」

たしかに、このあたりは人通りも少ない。

「夜はいつも、お客さんが少なくて困っています」

今晩の客は、入口側のテーブルに座っていた私たちと、奥のテーブルに座っていた女性二人の客の、ふた組だけであった。

「近所のほかの店なんか、気楽に商売やってるよなあ」シェフが愚痴りはじめた。「この近くの店なんか、飽きるとすぐ商売替えするんですよ。気楽なもんだよなあ。こっちはまじめにやってるのになあ」

シェフはいわば専門職、プロである。自分の最高の技術で料理を提供するのが仕事であり、安易な商売替えはできない、という誇りを持っているのである。

考えてみれば、私の職業もそれに近いので、シェフの気持ちはよくわかる。

「ああいういいかげんな店は、きっと宝くじに当たったんですよ。そうに決まってます」こんどはシェフの妄想である。「ああ、宝くじ当たらないかなあ」

「宝くじ、ですか?」

「ええ、東京のホテルに勤めていたころは、よく買ったんですよ。渋谷で300枚、銀座で300枚って感じでね。でも当たった最高額は1万円でした」

「そうでしたか」

「東京のホテルに勤めていたとき、宝くじで億単位のお金が当たった同僚が2人いたんですよ」

「へえ」

「でも二人とも、風の噂では、その後あまりいい人生を送らなかったそうです」

「そんなもんですか」

「結局、あぶく銭なんですな…。だから5億円とはいわない。せめて1000万円でいいから当たらないかなあ」なぜか宝くじに異様に執着するシェフ。「つい喋りすぎました。ありがとうございました」

「ごちそうさまでした。また来ます」

外は雨がやんでいた。

「あのシェフ、ずいぶん話し込んでましたねえ」店を出てからT君が言う。

「きっとシェフも、いろいろたまっているんだろうよ」

「それより、びっくりしましたね」

「何が?」

「あのシェフ、むかし、東京のホテルにいたと言ってたじゃないですか」

「そうだったね」

「あれだけ料理の腕が確かだということは、きっと一流ホテルの料理長だったんですよ」

「そうか。それで、ホテルのオーナーと大げんかして、ホテルを飛び出したんだな。きっと」私の妄想がはじまった。

「今は、客のほとんど来ない小さなレストランで、料理の腕をふるっている、なんてドラマみたいじゃないですか」T君の妄想も負けてはいない。

「まるでドラマ『高原へいらっしゃい』みたいな話だな。そういえばあのシェフ、なんかワケありな感じがするねえ」

私の頭の中では、完全に、「一流ホテルにいた伝説のシェフが、訳あって東京を離れ、田舎町の小さなレストランで、数少ない客を相手に料理をふるまう」というドラマが、できあがっていた。

シェフの心の中には、自分の腕をふるった料理でたくさんの人を喜ばせたい、という思いもあるだろう。

「そらあ、愚痴りたくもなるよ」

「そうですね」

またいつか、シェフの愚痴を聞いてやろう、と思った。

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コメント

A 飲んで憂さ晴らしするところか、かえって妄想がこじれちゃってますねえ。

B トンプク出しておきましょうかね。

A こちらは、この時期恒例の東北フーテンの旅の最中なのにねえ。

B 日程が出れば有無を言わずに行かなくちゃいけないところは、水曜どうでしょうの「サイコロの旅」っぽいし、アポなしな所は「電波少年的」でもあるし。

A はっきりいって、苦行です。

B 今回は、空き時間に図書館めぐりも入れ込んでますから、記憶が飛ぶくらい忙しい。

A 最近の県立図書館は郊外にあるから、行くまで一苦労だしねえ。

B でも、こんな事態を想定してたからこそ、ゴールデンウィークの間、修道院の時間割で生活しながら、来年2月分まで自分のブログの予定稿を書き溜めた訳じゃないですか。なのに、ここに長いコメント書いていたんじゃ、全く意味ないでしょ。

A じぇじぇ、もう8時だ。最近、唯一の楽しみである「あまちゃん」でも見るか。一昨日、ロケ地の街に行って来たばかりだからね。

B ウニ漁実演は7/20からなので、今行っても海女ちゃんはいないけど。

投稿: あちこちこぶぎ | 2013年7月 4日 (木) 08時26分

C そうかあ。この季節がやってきたかあ。

D 季節は関係ないでしょう。このイベントは季節にかかわらず行われるんだから。

C そういえばそうですね。

D 最近コメントがないと思ったら、飛び回っていたんですね。

C コメントといえば、こぶぎさんは、ここに書いたご自身のコメントを、自分のところにも保存しているそうですよ。

D ほう。それはまたなぜです?

C ほら、このブログの記事、たまに削除されていることあるでしょう?

D ああ、けっこうきわどい、というかギリギリアウトな感じの記事を書いたときですね。

C ええ。そのとき、記事と一緒にコメントも消滅してしまうんです。

D なるほど。それはそうでしょうね。記事自体がないんですから。

C 前に一度そんなことがあったんですよ。そのことを知ったこぶぎさんが、自分のコメントまで消されてはたまらない、と思って、自分のコメントを自分で保存しはじめたんだそうです。

D 自衛手段ということですね。でもその心配は必要ないんじゃないでしょうか。

C どうしてです?

D このブログ主は、たとえ削除したいと思う記事でも、こぶぎさんがコメントを書いてしまっている場合は削除しないと決めていますから。

投稿: onigawaragonzou | 2013年7月 5日 (金) 02時49分

乙女旅ブログでは、暮も押し詰まった、今年の12月20日号にて、「やどかりブロガー2013」というIT落語のまとめリンク記事がでますので、本文記事は消してもコメント欄は残して頂けるよう、よろしゅうお頼もうします。

というか、「吹きだまり」を丸ごとバックアップしたのはいいけれど、ニフティの検索機能が使えないので、自分のコメント欄だけ見たくても、いちいち最新号の本文記事から一つ一つ遡って見るしかないできないのが難点です。

投稿: あちこちこぶぎ | 2013年7月 5日 (金) 08時58分

もちろん消しません。

ところでブログを丸ごとバックアップするって、どうやるんです?機会があったら教えて下さい。

投稿: onigawaragonzou | 2013年7月 5日 (金) 23時30分

それは、最近話題になっているCIAのあのシステムを使って、もお電話からメールからメンドクサイつぶやきまでをこちらのデータベースにすっかり収集しておりまして、ゆくゆくは鬼瓦先生の思考をすべて再現できる人工知能を開発し、1秒間に5万字のスピードで長文コメント欄を自動出力するプログラムに発展させる所存です。

ま、妄想使いはこれくらいにして、

「ホームページクローン作成」という、ホームページを下層のページまで一気にダウンロードできるフリーソフトを探してきて、取り込みました。自分のホームページをバックアップするのなら、ココログの管理ページで「記事一覧」の画面の右上にある、「読み出し/書き出し」を使えばファイルに取り込めます。


それよりも、一昨日の替え歌づくりでKANの「プロポーズ」を相当歌いこんじゃったので、もともと好きな曲ですから、昨日はもお授業の合間も鼻歌(もちろん替え歌バージョン)まじりになるほどのご機嫌っぷりで、KANの「マイブーム」が到来しちゃっているんですが。


あのね うんとね 符割が難しんだよ
あのね うんとね 映像で浮かんじゃうんだよ
あのね うんとね いつまで妄想してんだろ
言葉にできない僕の I love you


あ、トンプク飲む時間だ。


KAN 「言えずのI LOVE YOU」
http://www.youtube.com/watchv=XVg8RRFzZCE

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上のコメントは「シェフの独り言」記事での、ブログのバックアップについての回答コメントでしたのでそちらに移動させてください。よろしく哀愁。

そうか、鬼瓦さんはテレビを見ていないので、「あまちゃんネタ」を振っても反応がないのだな。とはいえ、ネットの「5分であまちゃん」を見ても、せっかくの小ネタが全部カットされてしまっているので、職場の事務室とか食堂で、オンタイムで見るのがおすすめです。

投稿: 愛はこぶぎ | 2013年7月 6日 (土) 09時26分

移動しました。…とても面倒くさいコメンテーターです(笑)。

KANは「野球選手が夢だった」だけ持ってます。「愛は勝つ」が入っているやつですね。それより、KANはまだ無名のころ、大林宣彦監督の映画「日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群」のサントラを担当していました。このサントラがとてもすばらしいのです。いまでもくり返し聴いています。

「あまちゃん」はお察しの通り見ていません。なので「じぇじぇじぇ」に反応できないんです(涙)。「ウニを捕る話」「キョンキョンが出ている」くらいしか知識がありません。

投稿: onigawaragonzou | 2013年7月 6日 (土) 09時38分

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