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架空のレポート課題

[レポート課題]

あなたが海外で生活していたときに体験したエピソードと、それについてあなたが感じたことを、2000字以上3000字以内で紹介しなさい。記述にあたっては、海外で生活した経験のない読者を想定して、読者に伝わるように配慮すること。

[解答例]

韓国のコンビニ事情

私は4年ほど前、韓国のある地方都市で1年間生活をしていました。海外で生活すると、どうしても日本での生活と比較してしまいますよね。韓国での生活の中で感じたことの中から、私たちに最も身近な「コンビニ」について、日本の場合と比較しながら紹介したいと思います。

韓国にも、セブンイレブンとか、ファミリーマートとか、日本のコンビニチェーン店をよく見かけます。しかし、日本のように品揃えは豊富ではありません。コピー機もありませんし、お金を下ろしたり、コンサートのチケットも買ったりすることもできません。言ってみれば、雑貨屋さんのようなイメージです。

もう一つ違う点は、24時間営業ではないお店が多いということです。お店の名前通り、夜11時に閉まってしまうコンビニもあります。さらに驚いたことに、店内に1人しかいない店員が外出することがあり、その時はコンビニに鍵がかけられてしまうのです。一体どこが「コンビニエンス」なんだ?と、首をかしげてしまうことが何度もありました。

日本のコンビニは、品揃えは豊富だし、おにぎりは美味しいし、24時間営業だし、何と便利なところなのだろう、と思いました。

では、韓国はモノを買うのに不便な国なのでしょうか?

いいえ違います。町には、昔からある雑貨屋さんがたくさんあります。韓国ではそういう雑貨屋さんを「マート」といったりします。パンやお菓子やカップラーメンや飲み物などの食料から、洗剤や石けんなどの生活用品まで、何でも売っています。さしあたり必要なものは、雑貨屋さんで買うことができるのです。

しかも雑貨屋さんは、朝早くから夜遅くまで開いています。とくに私の住んでいた大学の周辺では、宵っ張りの大学生が多かったので、夜中の1時頃まで開いている雑貨屋さんもありました。コンビニよりも遅くまでやっている雑貨屋さんもあり、こうなると便利なのはコンビニなのか雑貨屋さんなのかわからなくなるほどです。つまり、コンビニと雑貨屋さんは、チェーン店であるか否かという違いだけで、中身にさしたる違いはないのです。

ではなぜ、朝早くから夜遅くまで雑貨屋さんが開いているのでしょうか?

雑貨屋さんは多くの場合、家族が経営していて、その家のおとうさん、おかあさん、おじいちゃん、おばあちゃん、おにいちゃん、おねえちゃんなどが、入れかわりたちかわり店番をしているのです。つまり、雑貨屋さんでは、「商売」と「生活」が一体となっていて、生活している時間がすなわち、商売をしている時間なのです。

商売と生活が一体化しているということは、生活をしながら商売している、ということを意味します。たとえば、見たいテレビ番組があった場合、その時間になると、テレビをつけて、その番組を見ながら接客するのです。携帯電話がかかってきたら、携帯電話で話をしながら、お客さんのお金を受けとったり、おつりを渡したりします。いわば「ながら接客」です。

実は韓国で生活していて最初に面食らったのが、このことでした。お金を渡しているのに、片手に携帯電話をもって通話をしながら、片手でお金を受け取り、さらにおつりも、さほど確認することもなく片手で手渡すのです。接客の間も、電話で通話することをやめません。

日本では考えられないことではないでしょうか。日本だと、そんなことをしたらすぐにバイトをクビになるでしょう。おつりだって、お客さんの前でちゃんと確認して渡すはずです。そうした「きっちりとした接客」に慣れきっていた私は、韓国のいわば「いいかげんな接客」に、しばらくは慣れませんでした。

しかし、雑貨屋さんの商売が家族の生活と一体化している、ということに気づきはじめたとき、そうした接客を煩わしいとは思わなくなりました。思い出してみれば、私が子どもの頃に近所にあった雑貨屋さんも、そんな感じだったのです。ふだんの生活をしている中で、たまたまお客さんが来る、という感覚です。きっちりとしたマニュアル通りの接客を行う日本のコンビニのほうが、むしろ奇異に思えてきたのでした。

そのことに気づいてから、むしろそういう雑貨屋さんが、とても心地よく思え、「中途半端」なコンビニよりも、雑貨屋さんに通うようになりました。何度も通うと、顔を覚えてもらったりするので、何となくコミュニケーションをとった気にもなります。

そのうち、こうした「商売」と「生活」の一体化は、韓国の人たちの仕事のあり方を特徴づけているものの一つではないか、とも思うようになりました。

韓国では、日本以上に夜遅くまで働く人が多いと思われます。少なくとも私が見てきた人たちの中には、そういう人が多かったのです。といって、仕事が能率的に進んでいるのか、といえば、必ずしもそうとはかぎりません。もうちょっと要領よく仕事をすれば、短時間で終わるのではないかと思うこともしばしばありました。

なぜダラダラと仕事をするのだろう、と、不思議でなりませんでしたが、ひょっとしたらこれは、「商売」と「生活」が一体化している雑貨屋さんのように、「仕事」と「生活」の区別があいまいになっているからではないだろうか、と考えたりもしました。生活の一部として、仕事がかなりの位置を占めているのではないか、と。

もちろん、それだけで説明できるものではありませんが、「仕事」と「生活」についての意識は、国によって大きく違うのではないか、そこには、その国で長年にわたって慣らされてきた生活様式、といったものが背景としてあるのではないだろうか、と強く感じたのです。

さて、1年間あまりにわたる韓国での生活を終え、日本にもどった私が最初に戸惑ったことは何でしょう?

それは、コンビニでの接客です。

あいにく1万円札しかなく、1万円札で支払ったところ、コンビニの店員さんは、

「ご確認下さい。一千、二千、三千…」

と、私の見ている前で、おつりの紙幣を数えはじめます。

そしてすべての確認を終えた上で、私におつりを渡すのです。

これが実にまどろっこしい!

(そんなのいいから、早くおつりをくれよ!)

と思ってしまったのでした。

私はすっかり、韓国の雑貨屋主人やコンビニ店員の「いい加減な接客」を、心地よいものと思ってしまっていたのです。

日本のコンビニは、たしかに品揃え、接客ともに、すばらしいと思います。

でもそれは、私たちがそれに慣らされているにすぎないのです。

いま感じている「心地よさ」だけが、絶対ではないのです。

(2615字)

留学していた学生たちの帰国ラッシュの時期です。

そこでこんなレポート課題を考えてみました。

やる気のある人は、書いてみてください。

いつか気が向いたら、「レポート攻略法」を解説します!

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