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体感温度の不一致

7月24日(水)

「仕事部屋、思ったほど涼しくありませんねえ」

仕事部屋に訪ねてきた同僚の言葉である。暑がりの私は、すぐに部屋の冷房をつけてしまうのだが、思ったほど冷房が効いていないということなのだろう。

私をよく知る人はご存知のように、私は無類の汗っかきである。

ちょっと気温が上がったり、湿度が上がったりすると、すぐに大汗をかく。

とくに私の場合特徴的なのは、顔から玉のような汗がみるみる噴き出るのである。

だから人一倍汗っかきであることが、ひと目でわかるのである。

最近は、「川に落ちたような」とか、「滝に打たれたような」といった比喩が用いられる。

「蝸牛(かぎゅう)鳴く 川に落ちたか 汗だるま」(鬼瓦)

以前は、用事があって同僚の仕事部屋に訪ねていったりすると、「体感温度」の違いから、とたんに大汗をかいた。

それを見た同僚は、

(ひょっとして、この部屋、そうとう暑いのだろうか?)

と不審に思われ、冷房のスイッチを入れてくれた。

冬でも同じである。

暖房の効いた部屋に行くと、とたんに汗をかくので、

(ひょっとしてこの部屋、そうとう暑いのだろうか?)

と不審に思われ、暖房のスイッチを切ってくれるのである。

だがいまや、それが「部屋の問題」ではなく「オレの問題」だということが、広く知られるようになってきた。長いつきあいの同僚ならば、なおさら熟知している。

いまでは不審に思われることなく、すみやかに、冷房のスイッチを入れたり、暖房のスイッチを切ったりしてくれる。

どっちにしても、冷房のスイッチを入れてくれたり、暖房のスイッチを切ってくれたりすることには、変わりないのだが。

学生たちも、私が汗っかきであることは、よく知っている。

なぜならいつも、右手にチョーク、左手に汗ふきタオルを持っているからである。

そして額には汗。

さながら沢田研二の「片手にピストル、心に花束、唇に火の酒、背中に人生を」(阿久悠作詞「サムライ」より抜粋でございます)といった感じである。

「ハンカチ王子」ならぬ「ハンカチキョスニム」、いや、「汗ふきタオル」は韓国語で「スゴン」というから、「スゴンキョスニム」である。

俳優や噺家など、人前に出る商売の人は、顔に汗をかかないという特技を持っている、というが、どうやったらそうなるのか、ぜひ聞いてみたい。

「最近は、自分のことより、他の人のことを考えるようになったんです」と私。

「どういうことです?」

「たとえば、授業なんかで、私の体感温度を基準に冷房の温度を設定したら、学生は寒がってしまう。授業の感想で『教室がとても寒かった』と書かれるのがイヤなんです。仕事部屋の場合でも、訪ねてきた人が『寒い!』と感じてしまうと、こっちが負けた気がして…」

「それで最近は、仕事部屋を適温に設定しているんですね」

「ええ、教室もそうです。学生の顔色をうかがいながら、冷房の温度を設定します。最近は学生の顔色をうかがわなくとも、『オレがこのくらいの量の汗をかくくらいが、ふつうの人にとってはちょうどいい室温だ』ということがわかるようになりました」

「自分の汗の量で部屋の適温がわかる、ということですか?」

「そうです」

「それもなんか、…哀しいですね」

自分の汗の量で部屋の適温を知る、というのは、たしかにどこかせつない。

「最近は、おかげで『教室が寒いです』と感想を書いてくる学生がいなくなりました」

「そうですか」

「でも、ひとつ心配なことが」

「何です?」

「こんどは『先生の汗が気になって授業に集中できません』という感想が、出てきやしないだろうか、ということです」

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