目指すは一流の妄想使い
ここ最近のブログのテーマは「妄想」である。
類は友を呼ぶ、というか、私の周りには妄想癖の人が多い。大人も、学生もである。
そういう人たちが、自分の妄想を告白してくれるのである。
自分の妄想は、はたして正しいのか間違っているのか。あるいはこんな妄想をすることじたい、自分がおかしい証拠なのか。
私が妄想力の強い人間であることを知っていて、「あいつならこの妄想をわかってくれる」と思ってくれるから、安心して自分の中にある妄想を話してくれるのだろう。
たとえば、人にメールを出したとする。
そのメールの返事がなかなか来ない、というのは、よくあることである。
私はそういうとき決まって、「ああ、絶対に嫌われたなあ」と、つい思ってしまう。
しかし実際は、さまざまな事情でメールの返事が遅れる、ということは、自分をふり返ってみても、よくあることなのである。
しかし人間とは勝手なもので、つい、自分を中心に考えてしまうのである。
そうやって妄想を抑え、あまり気にしないようにしている。
そんなとき決まって思い出すのが、映画「男はつらいよ 私の寅さん」の次の場面(また始まった)。先日も紹介したが、ダイジェストで再掲する
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とらや一家が3泊4日の九州旅行をした。その留守番を頼まれた寅次郎は、とらや一家のことが気になって仕方がない。
宿に着いたら電話をする、と妹のさくらが寅次郎に約束するが、食事をしたり温泉に入ったりしているうちに、つい、電話をするのが遅くなってしまった。
夜、さくらが柴又のとらやに電話をすると、いきなり寅次郎の怒鳴り声。
「なんだよお前!今晩電話するって言うからよ、俺は日が暮れる前からずーっと電話機の前で待ってたんだぞ!」
「ごめんごめん。何か変わりない?」
「大ありだよ!いっぱいあるよ。泥棒が入ったぞ!有り金残らず持ってかれちゃったな!それからな。裏の工場の、タコのところから火が出てよ、このへん丸焼けだ!あと東京は大震災でもって全滅だよ!」
子どもみたいなことを言う寅次郎。
続いて2日目の夜。
留守番をしている「とらや」の居間で、タコ社長と二人で酒を飲む寅次郎。
相変わらず寅次郎はイライラしている。さくらからの電話を待っているのだ。
「おい、そうイライラするなよ。向こうは旅先なんだからさあ。メシ食ったり風呂入ったりで、忘れることくらいあるよ」タコ社長が諫める。
「お前は他人だからそういう冷たいことが言えるんだ!肉親だったらそんなこと言えるか?…どうしたんだろうなあ。ケガでもしたんじゃねえか。まして阿蘇の温泉は谷深くだし…。あそこの道だって崖だろ?そこをタクシーで……。
あっ!もし落っこったらどうなるんだ?交通事故だぞ!みんな死んじまうじゃねえか!」
妄想をふくらませる寅次郎。
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通信手段が、電話からメールに変わっても、人間の妄想というものは変わらないのだ、ということを思い知らせてくれる。
昨日、すげーおもしろい言葉をひらめいた。
「妄想使い」
これ、「猛獣使い」と掛けたダジャレです。おもしろいやつです。
妄想って、人生を豊かにするための力にもなるし、一歩間違えれば自分を傷つける武器にもなってしまう。
つまり妄想とは、猛獣なのだ!
これをいかに使いこなしていくかが、生きていく上で重要である。
「一流の妄想使い」になることこそが、人生を豊かにするのだ!
『妄想力』とか『妄想使い』というタイトルで新書を出したら、売れるかもしれないぞ。
…少し前向きになってきた。今日もスポーツクラブに行こう。
今日のウォーキングのテーマ曲は、センチメンタル・シティ・ロマンスの「金田一耕助の冒険 サーカス編」(動画はありません)。
「笑い転げて やがて哀しい
この街は 泣き笑いサーカス」
(作詞:山川啓介 / 作曲:小林克己 )
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