びわゼリーにのせて
7月17日(水)
「あなたはいつも他人まかせにする。いくら自分の仕事ばかりができてもダメだ、これからは自分以外の周りのためにも仕事をしなければ、組織の人間として失格である、…と、こんなメールをいただいたんです」
「その一件にかこつけて、そんなことまで言われたんですか?じゅうぶん、周りのために仕事をされているじゃありませんか」
「まあそれを私におっしゃった方が、ご自分以外の仕事でとてもお忙しい方ですから、それにくらべれば、ということなんでしょうけど」
「それにしてもおかしな話ですねえ。何もそこまで言わなくても…しかも職場が違う相手なのに」と私。「ひょっとして…その方の職場で何かそういうことがあって、そのいらだちが、第三者であるあなたに向けられたんではないでしょうか?」
「…なるほど。そう言われれば、そうかも知れません。…その前にいただいたメールに、職場でかなりストレスがたまっているようなことが書かれていましたから」
「たぶんその方は、自分のことしか考えないような同僚に困らされていたんでしょう。でも、その人には言うことができないから、そのいらだちが、話しやすいあなたに向けられたんじゃないでしょうか」
「そうかも」
「そういうことってありますよ」
ここまで言って思い出した。あるラジオ番組で中堅芸人が話していたことである。
その芸人が、後輩芸人たちから、誕生日プレゼントで、びわゼリーをもらった。
だが、その芸人からしてみたら、びわゼリーをもらう理由がわからない。ただ単に、たまたまお店で見つけたびわゼリーの詰め合わせを買ってきたとしか思えないからである。
そこには、先輩芸人に対する思いやりがないではないか?
その芸人はむしょうに腹が立ってきた。
だが、それを後輩芸人たちの前では言えない。
そこで、その文句を、番組スタッフに向かってお説教することになる。
「そもそも、贈り物っていうのは、相手をどう思ってるかって評価なんだよ」
「はぁ…」
「びわゼリーを俺にあげる理由が全くない。理由がないけど、たまたま行ったら、"なんかびわゼリーだから"って…。この”なんかびわゼリーだから”っていう発想自体が、俺をなんとも思ってない。そういうことだとは思わないか?…俺は別に誕生日プレゼントがびわゼリーだからといって怒っているわけじゃないんだよ。俺のことをどう思っているかの話なんだよ」
その芸人は、そこまでまくし立てるように話したあと、半ば自嘲的に、ふり返った。
「…とまあ、『自分の個人的ないらだちを、ここぞとばかりに説教に乗せる』っていうイヤなパターンのお説教ってあるじゃん。つい腹が立って関係ないスタッフに言っちゃったんだ」
自分のいらだちさえ冷静に観察できるところが、この芸人のすごいところである。
「自分のいらだちをお説教に乗せる」のは、よくあることである。
もうひとつ例をあげると、映画「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」の「メロン騒動」。前にも紹介した。
自分の分のメロンが取り分けられていなかったことに怒った寅次郎は、とらや一家にお説教をする。
「バカヤロウ!オレの言ってるのはメロン一切れのこと言ってるんじゃないんだよ!この家(や)の人間の心のあり方についてオレは言ってるんだ!」
このセリフこそ、いらだちを説教に乗せる教科書のようなセリフである。
ふと考える。
私もまた、いらだちをつい説教に乗せてしまうことがあるんじゃないだろうか、と。
そういえば子どもの頃、虫の居所が悪かった母に、ひどく怒られたことが何度かあったなあ。
あれはきっと、いらだちをお説教に乗せてしまったんだろうな。大人になった今なら、その気持ちはよくわかる。
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