言葉の体感温度
汗、といえば、先日の授業で、学生にこんな質問をした。
「綸言、汗の如し」って格言、知ってますか、と。
学生は誰も知らない。
綸言とは君主の言葉。いったん君主から出た言葉は、汗と同じで、もとに戻すことはできない。だからいったん発した言葉は、取り消したり訂正したりすることはできない、という意味である。
だがこれは、君主の言葉にかぎったことではない。
私などは、いっつも「汗のごとし」である。
よけいな言葉を、つい、書いてしまったり言ってしまったりして、「ああ、あんなこと書かなきゃ(言わなきゃ)よかった」とか、後悔したりする。しかし後の祭りである。
それが原因で、本当の汗をかいたりするのだ。
こうなると、身体の体感温度だけでなく、言葉の体感温度も、他の人と違うのではないか、と思ってしまう。もともと体感温度が違うから、言葉が汗のように流れ出てしまうのだろう。
汗のごとくにもとに戻すことができない言葉を発して、汗をかいてしまう。
こうなるともう、何が何だかワカラナイ。
私にとっての「綸言、汗の如し」の意味は、「いったん発してしまった冷や汗ものの発言は、元に戻せないので、ふだんはかかないような汗をかいてしまう」ということか?
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コメント
体と、文と、それから温度、
みんなちがって、みんないい。
ちなみに、先日電撃訪問した鬼瓦研究室は寒くも暑くないちょうどいい温度でしたので、体感温度は同じではないかと。
追伸
大雨の月曜日、代休なのにすることがなかったので、映画「桐島、部活やめるってよ」を見ました。見る人によって体感が違う映画だと思います。
投稿: こぶぎ | 2013年7月26日 (金) 00時41分
「桐島、部活やめるってよ」は、「あまちゃん」とならんで、私にとっての懸案事項。あ、あと「選挙2」と「ベルリンファイル」ね。後の2つは、まだ劇場で見られるチャンスがあるかも。
投稿: onigawaragonzou | 2013年7月26日 (金) 01時24分